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 その後私は改めて王太子オルフェンの護衛として、エリマスから不在の半年分の王城内の情報を事務的に叩きこまれた。 他の護衛メンバーや癒術師たちとの再会の場を設けられ、気を張り続けた一日がようやく終わる。


 へろへろになったその夜。

 片付けられずにそのまま残っていた私の部屋に戻りぐったりと椅子に身を預けていると、エリマスが当然のように扉を開けて入ってきた。


「ステントール侯爵に何か言われなかったか」

「言われましたよ」


 つい刺々しい声が零れ落ちる。なんと大人げないことか。


「……なるべく君には接触させないようにしていたんだが」


 頬に触れる指先の甘さに、思わず身を(よじ)った。


「にしても顔も性格も、あの王妃殿下と血が繋がっているとはとても思えませんね。一生巻き爪が治らない呪いでもかけたいくらい」


 オルフェンの母たる王妃は、口数こそ少ないが慎ましく(しと)やかで、良識ある人物として名高い。

 どう突然変異を起こせば、あんな気の悪い中年が捻り出てくるのか。

 ぷ、と噴き出したエリマスが肩を震わせる。だがふと何かを思い出したように目を伏せた。


「……君があれほど嫌っていた人間の醜悪さを、戻って初日から味わわせることになった。申し訳ない」

「エリマス様が謝られることではないでしょう」


 私は隣に腰かけた彼へ向き直る。


「それより、戻ってきてからまだ一度も殿下と言葉を交わしていないのですが」

「陛下には謁見しただろう」

「だから良いというわけでは……」


 確かに一瞬、目は合ったように思う。

 オルフェンが何か言おうとして、私も声をかけようとして、しかし半ば強引にエリマスに連行されてしまっただけで。


「護衛でありながら無断で王城を離れていたわけですから、やはり正式にお詫びくらいは──」


 むしろ最後にまともに会話をしたのはオルフェンだった。

 あの時のことで何か気負いしていなければ良いけれど、と、心配すること自体、随分都合が良いことだとは分かっている。


「……君がいない間に」


 じと、とセレストブルーの瞳から光が消える。


「私が何度強引にオルトシア侯爵令嬢との婚約話を戻されそうになったか……」

「? 殿下にですか」

「……何故か殿下だけは君が自ら出て行ったことを気づかれていた」


 さすが、王太子の目は欺けなかったらしい。やはり最後の会話が尾を引いていたのだろう。

 

「いつまでに君が戻ってこなければ正式にオルトシア侯爵家に申し入れをするとか何とか散々脅されて」

「それは致し方ないというか、帰ってくるか分からない貴族令嬢(わたし)との婚約の内示を放置しては目に余るでしょうし」


 エリマスがただの貴族ならまだしも。

 深い溜息を吐いた彼の長い腕が、ぐるりと私の腰に巻きついて離れない。


「というか、そのメンテ様とのお話はどうなったんです。先方はまだエリマス様のことを、」

「改めて侯爵家まで赴いて懇切丁寧にお断りした。前にも言った通り相応の家だって紹介してある」

「瞳と同じ色のブローチまで贈っておいて……」

「あれは私が家令に贈り物を頼んでおいたら妙な気の回し方をしただけだ」


 冷えた真顔が、すぐ目の前に迫る。


「……次にまた妙な勘違いをして他の女性を宛がうようなことをしたら、今度こそ君の行動制約を王都内に限定する」


 やりかねないな、と、私は観念して目を閉じた。



◆ ◆ ◆



『──』


 ()を、呼んでいる。


『貴女のおっしゃる通りにしました』


 淡々とした女性の声。

 鬱蒼と茂る木々に囲まれた森の奥、幾重にもそびえたつ壁を見上げた。


『この場所を知るのは私と貴女だけです』


 囁くように、葉が揺れる。


『もし私に何かあった時には──』




「……っ!?」


 全身の倦怠感に、思わず声にならない声が零れ落ちる。


 王城に戻ってきて一週間。

 (くだん)のケイロン・テルクシノエは未だ見つからず、しかし私は王城での生活にようやく身体が馴染み始めていた頃。

 確かレミジオ達に、二か月前に出来たのだと言う王都の高級飲食店で改めて復帰祝いをされ、遅れてエリマスが現れて、持っていた酒瓶を取り上げられたところまでは覚えている。


「──目が覚めましたか?」


 自室ではない。

 そしてエリマスの部屋でもないことは、すぐに分かった。

 見覚えはないけれど明らかに王城のどこかだろう。少し掠れた声の持ち主にも、当然心当たりはある。


「……殿下……?」


 私は寝台の上に転がされていた。

 水差しを片手に現れ、その端に腰かけた軽装のオルフェンが、薄く笑う。

 鉛のように重い身体を慌てて起こそうとして──同時にその違和感に気が付く。


「あの、こちらは一体」

「俗にいう隠し部屋です」


 余計に分からない。


「隠し部屋……?」

「敵襲に備えて、代々国王から王太子にのみ伝わる部屋です。つまり王妃殿下も、エリマスも知らない場所ですね」


 天井は低く、内装は他の部屋よりも慎ましい。

 だが窓がない。 声の響き方も独特で、壁が異様に厚いのだと分かる。

 部屋の外にも、人の気配はまったく感じられない。


「そんなところに私を入れてよかったんですか」


 落ち着いているように振舞っているけれど、内心は非常に動揺している。


 それも当然。

──寝具の下、私は布切れひとつ(まと)っていないのだから。


「邪魔が入りそうだったので」

「なるほど」

「改めてお久しぶりですね。少し痩せられましたか?」


 伸びてくる手を、敢えて避けなかった。

 私の髪をひと房掬い、気障ったらしく唇に寄せる。まるで絵本の中の王子様のように。


「……殿下は随分鍛えられたようで」

「ええ。何せ癒術が効かなくなってしまったので、より自衛の能力を上げる必要に駆られまして」


 触れるべき本題にはお互い触れず、まるで薄氷の上を踊るように。


「貴女は身体の傷が全て消えていましたね」


 その声色に、熱や欲はない。


「……未婚女性の全裸を(あらた)められるなんて、会わない間に随分悪趣味になられましたね」


 オルフェンの目は柔らかく弧を描く。


「エリマスには悪いなとは思いましたよ」

「私に悪いと思って頂けます?」

「なら、一糸まとわぬ姿であることに気付いたタイミングで顔を赤らめるくらいはして下さいよ」


 弱く肩を押されれば、踏ん張っていなかった身体は抵抗する間もなく寝台に沈む。

 しかし不思議と恐怖心はなかった。


「ずっと違和感はあったんです」


 ギ、と寝台が軋んだ。


「貴女がただの聖冠の神子ではないことは分かっていました。ラミア・ヴェスペルと比べても、過去の聖冠の神子に比べても、何か妙だなと」


 頭の横に手をつき、上から覗き込む。観察するように、視線が私をなぞった。


「しかし何者でもまあ良いかと。貴女は私の敵にならないことは分かっていましたし」


 その面影には、やはり僅かにエリマスとの血の繋がりを感じずにはいられない。


「ただ妙にエリマスも……いえ、大司祭もですね。彼らが貴女の正体を隠したがっているのが気になりまして。実は貴女が出て行った数日後には、私は貴女の隠れ家を突き止めていたんですよ」

「えっ」

「なので貴女の化け物退治も目撃しています。なんだったかな、変な鳥を始末していた時でしたか。ああ、あの鋏は私にしか見えていませんからご安心を」


 私の頬に添えられた指先はひやりと冷たい。



「……糸績みの魔女。でしょう? ノーナ・アルカヌム」

 


 いくら冥王やエリマス、大司祭が誤魔化したところで、隠しきれないだろうとは思っていたけれど。


「……どうされるおつもりです? 気に食わない貴族を何人か葬ってほしいとか」

「まさか」


 喉を鳴らして笑い、おもむろに上着を脱ぐ。

 露わになった上半身は、いつか見た時より遥かに鍛えられていた。エリマスの言葉は冗談ではなかったらしい。

 そしてあの時のまま変わらない、痛々しい傷跡が残っている。


「糸績みなら、エリマスにかけている加護の力の対象は変更可能のはず」

「随分お詳しいですね」

「王族なら生きているうちに糸績みと縁を持ちたいものです」


 私の手を取り、その傷跡に触れさせる。

 皮膚は温かいのに、どこか全てが無機質だった。


「貴女の愛はエリマスに向いたままで構いません。加護の力だけでいい。私に移していただけませんか」


 そこにあるのは、強い焦燥。

 やはり危惧した通りだった。


「殿下、私の力は、」

「対象への信頼が必要なのでしょう? 分かっていますよ。無謀なことを申し上げていることくらい──」

「ああ、いや、それは別に問題ないんですけど」


 さすがに意識のない相手の服を剝いた暴挙については追及したいけれど、オルフェンを信頼していないわけではない。

 でなければ、この状況でこうも落ち着いていられない。


「仮に殿下に移せたとして、その場合私はリスクを負うわけです。ああ、そっちはご存じない?」

「……私には貴女の傷を癒せないと?」

「それです。その代償を負ってまで、せっかく条件が揃っているエリマス様から殿下に力を移すわけには……」


 我ながら殊勝なことだと思う。微塵もそんな心配はしていない。

 それよりも今は、これほどオルフェンが追い詰められている核の部分に触れなければ。


「試してみないと分からないでしょう」

「いやいやいや」

「少なくとも私は貴女のことが好きですよ」


 寝具一枚の下は全裸の女と、それに圧し掛かる半裸の男。

 しかし、奇妙なほど、互いに冷然としていた。


「……癒術が効かないことに、それほど危機感がおありで?」

「いいえ」

「では私が戻ってきたことでエリマス様の影響力が強まると?」

「それもありますが」


 オルフェンはずっと、穏やかな笑みを湛えている。


「私の中に、"何か"がいることは貴女も分かっているでしょう」

「……」

「何だと思いますか?」


 さらりと、橙色の細い髪が頬を擽る。

 何をするつもりかと思えば、首筋に歯を立てられた。


「……痛っ」


 なんて、色気のない。


「、それが分かっていれば苦労しませんが」

「ですよね」

「? 何ですか。殿下はご自覚があると──」


 瞳と瞳が、ぶつかりそうな距離だった。

 


「アーテです」



 それはまるで、睦言でも囁くような声で。

 

「……は?」

「受け入れてしまえば腑に落ちることが多くて。アーテが唯一畏れるのはステュクスのみ。そのステュクスはエリマスを依り代にしている。となれば、そうそう彼に害されない器の中に隠れるのが一番でしょう」


 オルフェンが今まで見えなかったものが見えるようになったのは、ラミアが聖冠の神子になったタイミング。

 つまりグレアムから現れた黒い異形に、私の霊液が奪われたあの後からだ。


 全く考えなかったわけではない。


「……だとして、殿下に癒術が効かないのは矛盾していませんか? 本当にアーテが中にいるなら、それほど貴重な器を弱らせるなんて」

「逆ですよ。私が癒術を拒否しているのではなく、癒術が私を拒否しているのだとしたら」

「しかし、それだけでは」

「最初はね、精神的に追い詰められているせいかなと思ったんです」


 寝具の端から、そうっとオルフェンの手が滑りこむ。

 脇腹をなぞるその手の平はまだ冷えたまま。反射的に、腕が粟立った。


「いつからか、貴女を犯す夢を見るようになりました。エリマスの胸に剣を突き立てる夢もです」


 呑んだ息に、気づかれただろうか。


「……そ、れは、……物騒ですね」

「だから貴女には帰ってきてほしくなかったんですよ。まあ、どうせあの人が何が何でも連れ帰ってくるだろうと思ってましたけど」


 気配から悪意を感じ取ることができない。

 ただ、思い込みです、病んでいるんですよと一蹴できるような空気でもない。


「と、ここまで明かした以上、さっきの頼み事は通用しなくなったでしょうから」


 目の前の王太子はただひたすらに、淡々としている。


「単にエリマスへの加護の力だけ解除していただければそれでいいです。私に移さなくても」

「そうすればステュクスがエリマス様からいなくなると? だとして、貴方の中からアーテが退くとも限らないでしょう」

「当然それもあるんですが」


 この数か月、いや、きっと昔から努力してきたのだろう。

 よく見ると傷の治療をしていた時には見えなかった、小さな傷の跡がいくつもある。


「私以外の者に貴女が糸績みだと知られたら、その唯一の信頼、助力を得られるエリマスが次期国王になることを望む声が今以上に大きくなるでしょう。貴女の存在は聖冠の神子など遥かに凌ぐ」

「……エリマス様は王位など望まないとお話になられませんでしたか?」

「本人の意思などどうでもよいことです」


 腹部に添えられていた手はそっと這い上がり、私の喉元を包む。


「ちなみにこれは、アーテが教えてくれたんですけどね」


 さすがは王族。

 纏う圧に、私もようやく怯みそうになる。


「その能力の肝は愛だの信頼だの、夢物語のようでしょう。しかしこれは裏を返せば、それを崩せば力は掻き消されるということ」

「何を……」

「元はと言えば神をも篭絡(ろうらく)するほど、愛情深い少女の血縁ですから」


 私の正体が分かっているなら、こちらが不死だということも理解しているはず。

 命を奪われる心配など──その発想自体がいかに間抜けだったか気付いたのは、オルフェンの空いた手が私の左足の膝裏を掴んだ瞬間だった。


「え」

「私の頼みに頷いていただけないなら、貴女が律儀に守り抜いてきたものをここで散らすことになります」


 互いに何かを測るような沈黙。

 心音でも聞こえそうなほどの静寂の中、私は呆気に取られて抵抗することも忘れていた。



「……私はいいんですが、殿下、多分、そのうちどのルートを辿ったとしても、エリマス様に殺されますよ」



 怯えや恐怖よりも、思わず零れ出たのはそんな台詞だった。


「それはさすがに本末転倒では……?」


 合理からはかけ離れているだろう。

 為すがまま、片足を掲げられた状態で、浮かぶのはオルフェンの心配だ。


「今がいつの何時か分かりませんが、おそらく私がいないと気付かれれば、血眼になって探されているでしょうし……この状況だけでも万一にでも見つかったら(こと)ですし」

「……」

「というかご自身の中に本当にアーテが隠れていると思われるのであれば、冥王なり何なり呼び出して解決策を考えてもらった方が良いのでは」

「……」

「殿下?」


 力を入れてみれば、足を掴んでいた手は簡単に離れた。

 じっと私を見下ろしていたオルフェンはすとんと腰を下ろすと、脱力したように私の隣へ崩れ落ちた。


「えっ、ちょ、大丈夫ですか」

「……分かった気がします」

「はい?」

「あの叔父上が、貴女のことになると頭のネジが外れる理由」


 手で顔を覆い、オルフェンはくつくつと喉を鳴らし、肩を震わせる。

 泣いているのか笑っているのか分からない。


「はあ……もっと早く、貴女のことを本気で堕としにかかればよかった」


 指の間から覗いた青磁の瞳には、部屋の灯りが小さく入り込む。

 緊張がほどけたようなその声色に、私もようやく肩の力を抜いた。


「本意でもないくせにご冗談を。……あの、一旦なんでもいいので服を頂けませんか」

「ああ、今持ってきま──」


 何かが爆発するような轟音に、私もオルフェンも同時に飛び上がる。

 先に聞こえたのはオルフェンの声だったか、それとも瞬きをする前に視界を過ぎったプラチナブロンドが風を切る音か。



「……一から十まで説明していただきましょうか」



 一国の王太子の眼前に刃を突き付け、据わった目をしているエリマスがそこにいた。

 




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