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(……とはいえ、原作前のことは当然詳しくないし)
それこそエリマスの右目の件、そしてエリマス周辺の登場人物のことくらいしか分からない。
ラミア登場の前に私は消えなくてはならないのだ。自分の死にどころは慎重に見極めておかなければならない。
私が色々と捻じ曲げたせいでラミア登場前にうっかりエリマスやオルフェンが死ぬようなことがあっても困る。
それはさておき、エリマスは今日も美しい。
「……何故君がここにいて、こんな時間まで起きている」
呆れ顔ですら完成されているのだから羨ましい限りだ。ニキビ跡も見当たらない。さすがフィクション世界の生き物。
フレゲトン王国の王城には明日の朝には到着見込み、現在時刻は深夜2時頃といったところ。
なお、私は今王城入り前の最後の宿で、宿屋の主人の息子の治療に当たっているのだけれど──そこに何故か登場したのがこのエリマスだった。
「いえ、なんでも十日程熱が下がらないそうで」
「そうではなく……」
「別にこちらのご主人からお金を取るつもりはないですし労働時間外なのは承知ですし、通りがかりですし」
原作ではラミア視点だったからか、お堅い中にも柔軟さのある男だと思っていたけれど──実際のエリマスは名実ともに、しっかり王弟殿下だ。
推しとはいえ、少々面倒臭いほどに。
私の前には寝台の前に横たわり浅い息を繰り返す少年がいる。かれこれ3時間はキリキリと術を施しているものの、どうにもこうにも苦戦しているところだった。
(子供を治すのって加減が難しいんだよな)
化け物パワーを全力で出して相手を殺す訳にもいかない。満タンの寸胴鍋から、お猪口に水を注ぐようなものだ。
「むしろエリマス様の方が早く寝た方がいいですよ」
「君に心配される筋合いはない」
「ああ、ここで力使って明日以降大丈夫か、というご心配でしたら問題ございませんので」
こめかみを伝う汗を袖で拭う。
別に人助けは趣味ではない。これはそうだ、罪滅ぼしに近い。
自己中心的な理由で、この世界を捻じ曲げていることへの罪悪感への。
私に付き添ってくれている宿屋の主人は、突然入ってきた尊い人の登場に怯えるように縮こまっている。
邪魔をするだけならお呼びではないのだけれど、それはそうと顔は良いので困ったものだ。
「……え」
私の隣に椅子を引き、エリマスはあろうことかそこに腰を下ろした。
「いや、監視しなくても妙なことは」
「あとどれくらいかかるんだ」
じとり、切れ長の目に睨まれる。美形に凄まれて飲む息が惜しい。
「だいぶ戻ってきたので、2時間くらいかと」
「あ? 寝ないつもりか」
「でも途中でやめたら戻っちゃうんですよ」
実際には一時間と少しくらいで決着はつくだろうが──二時間と言われれば引くだろうと思ったエリマスは、動く様子がない。
「ご主人。私が見張っているので貴方は休むように」
エリマスが私を無視して宿屋の主人にそう伝えると、主人は何度も頭を下げながら、そしてふらつきながら出て行った。
居たたまれない空気。この気まずい沈黙を笑うように、秋風が窓を叩く。
「人助けが趣味か」
「いいえ全く。むしろ薄情寄りです」
「……どこが」
「ではエリマス様の中で、私は優しい人間だということにしておいてください」
退場した後もそれなりに良い評判を残していただけるなら、きっとアルカヌム家の良い財産になるだろう。
それにしても死んだあと、次はどこで暮らすか考えておかねばならない。あるいは整形の魔法でもあればいいのだけれど。
苦しそうに息をする目の前の子供を眺めながら、私は仄暗い沈黙の中で遠い過去に思いを馳せていた。
アルカヌム伯爵家に引き取られたのは、ノーナ・アルカヌムの設定年齢12歳の頃のこと。
読み書きができる、計算ができる、妙に博識であるという前世の記憶をフル活用して孤児院では神童呼ばわりされていた私は、アルカヌム伯爵家が貴族としてのノブレスオブリージュを果たすために引き取られた。
十二歳というのは引き取られる年齢としては遅い方だった。それも当然、私が引き取りに来る貴族たちを悉くお断りしていたからで。
頭さえよければ、孤児院の下働きとしてそのまま居座ることができた。
この世界が『ペルセポネの冥戦』だと気づいてから、そして自分がどういう生き物であるかを理解してからは、どう立ち回ろうかとぐるぐる自問自答して──それでもアルカヌム家の手を取ったのは。
「君、弟がいるとか」
「えっ? ああ、はい」
そう、決して前世の両親に雰囲気が似ていたとか、アルカヌム伯爵だけが私を見てくれたとか、この世界で初めて私を抱き締めてくれたとか、そんな情緒あふれるお涙頂戴の理由ではない。
「血こそ繋がっておりませんが……二つ年下の可愛い弟です」
アレクト・アルカヌム。確かに私の弟であることに間違いない。
けれど何を隠そう彼は九巻でこのエリマスの盟友であり副騎士団長のレミジオの命を奪う、あのティシポネを冥王軍側につけるようにけしかけた悪役のひとりである。
アルカヌムの姓を聞いた瞬間、私は孤児院の長に飛び掛かりぜひそちらの家庭の養子になりたいと頭を下げたものだ。
しかしなるほど、エリマスは私のこの状況を、弟を思い出して看病していると思っているのだろう。
ならばそれに乗った方が話が早い。
「もし弟がこんな苦しそうにしていたら、眠れませんから」
原作のアレクトはそんなにかわいい生き物ではない。
その血を他人に一滴でも飲ませれば誰であろうが24時間意のままにできるという恐ろしいメンヘラ闇魔法を使える、かなり厄介な登場人物。
元々アルカヌム家で他の養子たちとうまく行かず心を病み、更にはその特殊な能力のせいで原作では闇堕ちし、彼もまた冥王軍につくのだが──当然このあたりのフラグは私がここに来るまでにボキボキに圧し折ってきている。
「仲がいいんだな」
「ええ、それなりには」
「実家から一人離れて何も言われないのか?」
「家族くらい、きちんと説得して飛び出してきておりますから」
今日は口数が多いらしい。眠気覚ましにはなるけれど集中力が途切れる。
何せ声まで理想通りなのだから。
再び沈黙に包まれるが、どうやらエリマスは居心地が悪いようだった。何度も足を組み直し、何か言いたげにしているもののどうにも読めない。
例えるなら、私が八時間かけて作った社内の効率化ツールを何故かご丁寧にぶっ壊しておきながら何もできないくせに仕事が終わるまで隣の席で無駄にもじもじしていた3年目の後輩のようだ。バックアップを作っていなかった私が悪いのだけれど。
「……ノーナ」
「はい」
「悪いが」
「? はい」
一瞬の間のあと、セレストブルーの瞳が部屋の灯りを映し出す。
「君の気持ちには応えられない」
「……? と、おっしゃられますと……?」
ようやくエリマスの目が、私の方を向いた。
何のことか皆目見当がつかなかった。おそらく私も疲れていたのだと思う。
「殿下から聞かされた。その、君が……」
「あ」
頭の中のピースがぱちりとはまる。なるほど、平和ボケ王子オルフェンが早速エリマスに告げ口したらしい。
いかれ女が歪んだ恋心を抱いているぞと。どうやら私の問答が気に食わなかったのだろう、結局口止めしなかったのは私の方だけれど。
あるいは本当にこれを伝えてエリマスが喜ぶとでも思っていたなら、いつかどさくさに紛れて殴っておきたい。
「尚更どうして君が、私と次の神子の──」
恋する男の婚約者を決めるなど、到底理解できない所業だろう。
「お待ちくださいエリマス様」
だとして、これはこれで話の展開が早くて助かる。
「確かに私はエリマス様をお慕いしておりました」
「……」
「ですがすみません。殿下にもはっきりお伝えしなかったのだが悪いのですが」
退場のレッドカーペットはこまめに整えておかなければならない。
「私が好きなのはエリマス様ご本人ではなく」
「は?」
「そうですね、思い出の中のエリマス様と言いましょうか」
そう、私が冊子を涙と鼻水でびしょびしょにするほど崇め奉ったのは、主人公ラミアへの秘めた恋心を抱きながら消えていった、あのエリマス・メレアグロスだ。
ラミアの作ったケーキを『俺は甘い物は食わない』と言いながら、影でこっそり大事に食べている、あのいじらしい男が好きだったのであって。
「なので目の前のエリマス様には全く何の食指も動きませんのでご安心を」
「思い出というのは……」
「私の命を救って下さった~のくだりのですね。あの時のエリマス様は本当に恰好よかったので」
そうこうしている間に、目の前の少年の呼吸が整い始めていた。エリマスは私とのこのバカげた会話がこの少年に聞かれているかもとは思わないのだろうか。
登場人物各位、やはりラミアがいないと揃いも揃ってどうにも間抜けに見える。今更ながらこんなことならラミアに転生したかった。
「私が本当に今も貴方に恋する乙女だったらもっとこう、反応が違うと思いませんか」
「……」
「そんなに心配なら今の私の脈を測って頂いてもいいですよ」
するとタイミングよく、術の完了を示す小さな火花が目の前に散る。振り返って少年を見れば、すでに彼は心地よさそうな寝息を立てていた。
一方エリマスはどこか気まずそうに目を逸らし、けれどいつも通りの不貞腐れた顔に戻ると先に腰を上げる。
「……終わったのならもう休めるな」
「あ、ええ、まあ」
もうさっきの話は済みで良いのだろうか。私もつられて立ち上がると、エリマスは扉のノブを握ったまましばらく動かない。
「君の、職務に対する姿勢を疑ったようで悪かった」
「え?」
「どこかで下心を疑って、殿下の話を聞いて納得してしまった自分を今恥じている」
そう言うと、エリマスはそのまま私を振り返ることなく逃げるように出て行ってしまった。
(……で、つまりどういうこと?)
これからは同僚として改めてよろしく、ということだろうか。
◆ ◆ ◆
この世界に来て絶望したことを数え出したらきりがない。
まずは電子機器の一切がないこと、車がないこと、水洗トイレの概念がないこと、それから。
「実用性の分からない謎の服の種類がやたらあるの、ほんと何」
思わず大きな独り言も呟きたくなる。
フレゲトン王国の王城に到着するなり、王太子の護衛としてよく分からない儀礼服に着替えさせられて、今も締め付けられたあばらが痛い。伯爵令嬢だった頃もドレスには辟易していたけれど、さすが王家周りとなると装いも凝っている。何もかもがいわば画面映えするものばかりだ。
エリマスをはじめ、王太子の護衛というのは決して騎士団所属ではない。正確には王太子付の近衛隊という組織に属していて、つまりエリマスはその近衛隊の長ということになる。
しかしそもそもこの近衛隊は構成人数が異様に少ない。それもそのはず、王太子のために死ねなければならないからだ。
よって慢性的な人手不足に悩まされており、原則騎士団と共に行動するのだけれど。
「ガレネ卿」
「? はい」
「いいんですか。私の相手をしていて」
今回の旅の目的であるフレゲトン次期国王陛下の即位式を明日に控え、今は王城の晩餐会が開かれている。
振り返れば眩暈がするほどの黄金色の光が広大な晩餐会会場をぎらぎらと満たしていた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアには、突くだけで今にも崩れ落ちそうなほどに大量のガラス細工が積まれている。灯りを浴びたそれは光を砕き、昼間の流星のように床に光を散らしていた。
壁には王家の紋章を織り込んだ巨大なタペストリーが掛けられ、貴族たちが楽しそうに踊る中央では、王城付きだという楽団が優雅な旋律を奏でている。
さすが成金王国──というのは、原作でのオルフェンの台詞の受け売りだが、この世界でも同じセリフは聞けるだろうか。
立場上、飲酒ができない私とレミジオはそんな会場から一歩出たバルコニーで夜風を浴びていた。
「今日はエリマス様と会話できましたか?」
「色々あって明け方にちょっと会話する機会はありましたね」
ノンアルコールの果実水を呷る。そういえばこの世界にはビールもなければ、ビールに合うような味の濃いつまみも存在しない。
「それが何か?」
「いえ、エリマス様が妙に落ち込んでおられたので」
冬の入り口の風が吹き抜け、せっかく使用人がつけてくれた小さな髪飾りが耳元でほろりと解れた。それを片手で直しながら、思わず溜息を吐く。
「その原因かどうかは分かりませんが、私がエリマス様への下心一辺倒で殿下の護衛に立候補したのではと疑っておられたようで」
「おお」
「明け方、それについてお詫びをされました」
「お詫びですか」
「実際のところ、概ね間違ってないんですけどね」
レミジオは隣で小さく噴き出し、くつくつと肩を揺らして笑う。
今更ながら妙な光景だと思う。追いかけていた物語の登場人物が血を得て肉を得て、こうして隣にいることが。




