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◆ ◆ ◆



 予想通り、フラウス村に眠っていたはずの少女ラミアの墓には、遺骸が埋まっていなかったという。


 そう報告を受けたとき、その惨さに身が(すく)む一方で──どこかで、安堵していた。

 村の少年が慕っていた、あの心優しいラミアは確かに亡くなっていて。その後の彼女は、人ならざる者に支配されていただけなのだと、ようやく証明されたのだから。


 ラミアは正式に、フラウス村で母と共に眠ることになった。また、その周辺は王家主導のもと公園として整備されるという。




 暦は六月。

 あれからエリマスとは表面上、元通りの関係になった。

 

 私は城内で聖冠の神子として持て囃されながらも、オルフェンに懇願され、更にはその後大司祭にも頼まれ、彼の護衛の職に就いたまま。


 聖冠の神子ラミアの不慮の死の後も、私が第二の聖冠の神子であるとは城外には知らされていない。

 (もっと)も、聖冠の神子そのものの存在根拠が書き換えられた今の世界では、聖冠の神子は冥王を打倒するためのアイテムとしてではなく、弱ったステュクス神を復活させるための存在として正しく認識されているのだけれど。



(また雨か……)

 日本の梅雨と同じように、雨が連日しとしとと降る。 


 解決していないことはまだあった。


 結局、人類の脅威が単に冥王からアーテへとすり替わっただけだ。

 しかもこちらには倒す術がない相手で、ラミアやポベトールのような性質の悪い仲間を引き連れた罪神。

 さらに私は、彼らについて何ひとつ把握していない。ティシポネやメガイラのように、攻略方法が分かっているわけでもない。


 旅に出たいと言いながら、自分の意思でここに踏みとどまっている。

 どこかでこの生活にも別れを告げなければならないのに。



「……また、ティシポネが出現したそうですね」


 同盟国の前王の弔問(ちょうもん)の帰り、オルフェンに半ば強引に馬車での同席を求められ、私は渋々彼の前に座っていた。


「情けない話です。ああも容易く裁かれてしまっては、国家の面目もありません」


 今回は、商家の仮面を被った富豪──実際には違法薬物の売人だった男が襲われた。

 憲兵が駆け付けた時には、ご丁寧に証拠が山のように積み上げられた中央で、すでに息絶えていたという。

 その痕跡には、例のごとく冥王の紋。


 人々の記憶が書き換わってから、冥界の裁きは正当なものとして広まっている。

 汚い欲をかいたものは罰せられるべし。

 彼らこそがまるで、正義の味方のお手本のように。


「ノーナ」


 穏やかな青磁の瞳が、そうっとこちらを覗いている。

 また嫌な予感がして、何か遮ろうとして、けれどその威圧を前に喉が締まる。



「貴女には私と婚姻していただきたい」



 何度か冗談めかして言っていた言葉。

 だが今は、その軽さがひとかけらもない。


「……伯爵家の貰い子を娶るなど、王家の名が汚れますよ」

「公表こそしていませんが、これで名実ともに聖冠の神子は貴女だけになりました。冥王を、冥界を混沌から救ったことを明かせば貴女には民からの強い求心力が得られるでしょう。家柄や身元など二の次。四代前の王も聖冠の神子を王妃としました」

「給金を頂けるのであれば護衛としてお近くにおりますが」

「いいえ」


 凪いだ声の奥に、底知れぬ闇が潜んでいる。


「万が一にでも貴女が今のエリマスと結ばれては、私の王位が揺らぎます」


 茶化すには、その声音は静かすぎた。


「叔父上が二の足を踏んでくれていて良かった。彼なら貴女の意思など関係なく、すぐにでも婚約に持ち込めたでしょうから」

「……何をそんなに恐れていらっしゃるんです」

「私の王位継承権は、ただただエリマスの遠慮の上に成り立っています」


 機械的な、淡々とした声。


「エリマスにはすでに貴女の加護の力がある。その上ステュクスの依り代となっていることまでもし民に知られれば……これ以上ない王の器でしょう」


 薄い笑み。

 よく見れば、毛穴ひとつない白い肌に隈が浮かんでいた。

 眠れずに思いつめていたのだろう。

 馬車の外では雷鳴と雨音が重なっている。


「ですから、私は──」

「分かりました」

「え」


 王太子らしくない、間抜けな顔。


「ただ王族は婚約期間なしでの婚姻は不可能でしたよね。一旦婚約という形で構いませんか?」

「し、しかし、貴女は……」

「当然条件はあります。私のことは正妃になさらないでください、それこそいらぬ争いを生むでしょう。また、殿下と子を為すことはできません。それでもよければ」


 目を丸くしたオルフェンは、しばらく私の顔を見つめたあと、俯いて壁に寄りかかった。


「……貴女は本当に狂っている。尊敬に値します」

「言い出したのは殿下ですよね?」

「私と婚約すれば、エリマスが目を覚ますとでも思っていらっしゃるんでしょう? 貴女に随分執心していることは傍目にも明らかですから」


 思わずぎくりとすると、オルフェンは肩を揺らして笑った。

 長い睫毛が頬に影を落とす。


「であれば貴女は少々あの男を侮りすぎているようだ。怖い人ですよ。……私もいよいよ嫌われるかもしれないな」




 そう言ったオルフェンから返事の猶予として与えられたのは、一週間だった。


『一週間後に正式にお返事をいただきます。こちらはすでに陛下から快諾を受けていますので、あとは貴女の気持ちひとつです』


 一週間も、何をしろと言うのか。



 それから三日。

 弔問から戻って早々、私は終日休暇を得ていた。

 とは言っても楽しく王都に買い物などという明るい予定はない。


 私の手には聖殿の禁書庫の鍵。

 オルフェンを通じ、聖冠の神子として正式に禁書庫に入る権限を得た。曰くラミアですら足を踏み入れることを許されなかったというのは、おそらく大司祭の力が働いていたのだろう。

 つまり禁書庫には、そうそう見られては困るものがあるということだ。


(……図書館みたいなものだろうと思ってたけど)


 重厚な金属扉が幾重にも重なり、鍵はひとつひとつ形が違う。

 それらを抜けた先には、窓ひとつない密室が広がっていた。

 (かび)(ほこり)の臭いが充満し、床面積は六畳ほど。だが天井近くまで本が堆く積み上げられている。

 書物を読ませる気など感じられない。まるで、読まれたくないものを封じ込めているような空間。



 真実が明らかになってから、ずっと引っかかっていることがあった。

 ──何故、これらの騒動がこのグラナトゥム王国に集結しているのか。



 元の伝説の通りなら、ペルセポネが愛した人間がグラナトゥム王国周辺の出身だから、という馬鹿げた理由でも筋は通っていた。

 しかしそれが嘘だと言うなら、なぜ罪神アーテはこの国に目を付けたのか。


 もっと言えば聖冠の神子がこの国に出現すること、ラダマンティスがそれを迎えるためにこの国に留まり続けていることも腑に落ちない。

 聖苑の庭で大司祭本人にも尋ねたけれど、有耶無耶にされてしまった。


 こうも都合よく、この国に集結する理由は何だ。




 外に出ると、どっぷりと夜が更けていた。

 ファンタジー世界ならこういう禁書庫でうっかり魔法の本を開いてしまい、そこから神やら悪魔やら妖精やらが飛び出してくるのが定石だろうけれど──

 結論、それらしいものは何も出てこなかった。

 というより、書物のほとんどが読むことすらできない古文や未知の言語ばかりだった、というのが正しい。


「肩凝った……」


 あれから、聖殿の管理は大司祭が執り行っている。

 この禁書庫の出入りを彼に止められなかったということはすなわち、私が知ってまずい情報はそこにはないということなのだろう。

 よく考えれば分かることだった。せっかくの休みを無駄にした。


 禁書庫の鍵を返し、手続きを終え、迎えの馬車を断って歩き出す。

 聖殿から王城までは徒歩十分ほど。雨上がりのしっとりした空気の中、なんとなく歩きたい気分だった。


 歩き出して数分。

 ふと背後に気配を感じて振り返ろうとして──首を横に向けかけた瞬間。


「わっ!」

「うわびっくりした」


 思わず声を上げた私に、耳を塞ぐのはメガイラだった。


「お、音も立てずに現れるなんて、」

「それは失礼しました。結構前から後ろにいたんですが」


 緑がかった黒髪にモスグリーンの瞳、簡素なドレス。まるで人間のような出で立ちで、彼女はそこにいた。


「貴女ほどの方が夜分に一人で歩かれているなんて、不用心だなと思って」

「そんな理由で、いえお気持ちは大変ありがたいですが、……あっ」


 星ひとつ見えない曇天を背景に、メガイラは首を傾げる。


「あの、ミス・メガイラ。以前見てくださった私の霊液って、どうなったかお分かりですか?」

「戻ってないですよ」

「え?」

「え?」


 化け物同士、間抜けな顔を見合わせる。奇妙な光景だ。


「戻ってない……? 私の霊液を奪った異形を倒したのにですか?」

「? 倒したというのは人喰いのことですよね?」

「え? た、多分……?」

「貴女の霊液を持って逃げているのはアーテです」

「え?」

「人喰いはあくまで媒介になっていただけのこと。……ティシポネには、貴女にそう伝えるように言ったのですが」


 額に青筋が立っている。


「またあの女は……」

「つ、つまりアーテを捕えないと、私の霊液は完全にはならないということですよね。それって何か私に不便はあるんでしょうか?」


 実感がないレベルで、生活に支障はない。


「不便と言いましょうか……まあ、人間として考えれば、子を為しづらいということくらいでしょうか」

「子?」

「はい。子です」

「えっ、私、子供できるんですか? こんな意味不明な力を持っているのに?」

「……先代の糸績みは子を七人もうけましたよ」


 そんな馬鹿な。

 戦慄(おのの)く私に、メガイラは呆れたように溜息を吐いた。


「やはりレーテを使って貴女の記憶を奪ったアーテは策士かもしれませんね。貴女に記憶があればきっと我々も苦戦しなかったでしょう」

「そんなにお困りなら、私が忘れてしまっている記憶を全部一からご説明下さればいいのに……」

「記憶と感情は切り離せません。仮にもしエリマス・メレアグロスの命を奪うのが貴女の宿命だと私に説明されたら、殺せますか?」


 その瞳の奥の静かな炎に、ぞくりと背筋が粟立つ。

 「冗談ですよ」と言いながら、鼻を鳴らす。


「貴女に記憶がないからでしょうか。私もティシポネも、結構貴女のことは好きです」


 思わぬ言葉に、今度は私が目を瞬かせる番だった。


「そ、れは、光栄ですね……?」

「ええ。今生はどうかそのままでいてください──おっと」


 気づけば王城は目の前にあった。

 雨に濡れた石畳が灯火を滲ませ、白い城壁は夜気の中で静かに光っている。


「ご武運を。ミス・ノーナ」


 メガイラの姿は、薄い紙を火で炙ったように黒い灰となってほろほろと崩れ落ちた。

 ティシポネといい、やはり人間ではないことを証明するような退場だ。


 そして彼女が消えたその向こう側から、光の輪郭を纏った人影がこちらへ駆け寄ってくる。


「……エリマ、」

「こんな夜に護衛もつけずにふらふら一人で聖殿から歩いて帰ってくる馬鹿がどこにいる!?」


 キン、と鼓膜が震える。この年になって、ここまで真正面から怒鳴られることなど滅多にない。


「いえ、ほら、雨が止んで散歩にはちょうど良いお天気で」


 言い訳も虚しく、エリマスは巨大な溜息を吐く。

 近くの衛兵に二言三言声をかけると、私の手を強引に掴み──まるで犯罪者を連行するように、王城を背に歩き出した。


「え、エリマス様、一体どちらに」

「……ついさっきまで禁書庫に立てこもっていたと聞いた。どうせ夕食もまだだろう」


 どうやって誰から何を聞いたのか。筒抜けすぎて怖い。


「ですから王城で何か頂こうかと……」


 しかし拒否する暇もなく馬車に押し込まれ、気まずい沈黙が流れる。

 

(……いや、例の件を話しておくには良いタイミングなのでは?)


 エリマスと二人きりになることなど滅多にない。

 かといって、わざわざ場を設けてもらえば互いに構えてしまい、うまく言い出せないかもしれない。

 す、と息を吸い、肺の奥で蟠りを押し流すように止める。


「エリマス様、あの、実は私……」

「オルトシア侯爵家には正式に断りを入れた。当家ほどではないが、恥をかかせぬよう代わりに相応の家を紹介してある」


 すさまじい勢いで、何かがすれ違った音がした。


「え」

「大司祭に確認したら過去の糸績みも普通の人間と変わらない生活をしていたそうだし、何ら問題はないだろう。大体君は自分のことを良くも悪くも特別視しすぎている」


 そうじゃない。


「あとは何だ? うちの使用人には君の出自を気にして()(ざま)に言う人間は置いていない。仕事を続けたいなら自由にすればいいし、本当に旅がしたいなら旅をすればいい。領地経営も──」

「お、オルフェン殿下から婚約の申し入れを賜りましたッ!」


 時を止める神がいるというなら、今ここにいただろう。


「……それがどうした。申し入れくらいするだろうな。君は表面上聖冠の神子だし、」

「お受けしようと思っております。も、もちろん正妃としての座はお断りしました。側妃としてならと、」


 六月のはずなのに、馬車の中が急に冷え込んだような気がした。


「……君が何を考えているのか理解できない。側妃? 君が? 殿下の? 何故?」

「何故というか、一介の伯爵令嬢が王太子殿下からまともに求婚されて、断れるはずがありません」


 まるで今から斬り合いでも始まるのではないかというほどの緊張感だった。私は膝の上で握った拳から視線を上げられない。


「本来であればエリマス様に断りを入れる必要などないでしょうが、護衛として置いて頂いた恩がありますから……礼儀として申し上げたまでです」


 斬るなら徹底的に、斬らねばならない。


「……君、私になんと言ったか忘れたか? 自分は異物だと、魔女だと。その自負がありながら、この国の王太子に嫁ぐと?」

「ええ、ですから私は自分が異物であることに疲れたんです。ゆくゆく側妃になれば衣食住を担保してくださり、堅牢な王城で聖冠の神子として私を囲い続けて下さる。互いに何の恋情もありませんが、友人としてはうまくやっていける自信があります」

「腹の底では私に執着しているのに、」

「親族としてエリマス様の一生を見守ることができるなら、これ以上ない特等席かと存じますが」


 エリマスはどこまでも紳士で、それでいて大人だ。

 ここで私を怒鳴りつけることなどしない。

 王家を愚弄するなと掴みかかってもおかしくないのに、呼吸ひとつ乱れていない。


「……そうか」


 静かな声に、私は思わず顔色を窺うように視線を上げようとして、けれど何かが怖くて、慌てて目を伏せた。


「王の側妃になるのであれば、君は受け入れるんだな?」

「いえ、そういう、決してその立場をピンポイントで欲している訳では」

「分かった。つまりあのガキを王位から引き摺り下ろせばいいと」

「違う違う違う違う違います」


 ガタ、と馬車が止まる。とんでもないタイミングで目的地に到着してしまったらしい。


「大体たまに君が着ているドレスもあいつに贈られたものだろう、普通それを《《俺》》の前で着るか? こっちは君が意味不明に押し付けた婚約話のせいで贈り物の一つもできない立場に追い込まれていたのに」

「いえ、それはその、あまり私が衣類に頓着がなくて」

「しかもどうせ君のことだから殿下が自分に言い寄って来ているのも俺に対する当てつけか牽制程度にしか思っていないだろうがあれは明らかに君に好意を寄せている、あれもあれで大概ひねくれた頭のいいガキだから俺には分かる」

「あの、そうではなくてですね」


 狼狽する私を前に、エリマスが腰を上げる。

 この話の途中でさくっと馬車を降りるとはなかなか豪胆だ。しかし御者をこれ以上待たせるわけにはいかない、と続いて腰を上げようとして──


「あ」


 間抜けな声が出た。

 まるで噛みつくように唇を食われて、思考が白く弾ける。

 我に返った瞬間、目の据わったエリマスが眼前にいた。


「王位まで譲らせておきながら君まで譲れと? 笑わせるな」



 少女漫画のヒロインになったつもりなど、毛頭ないのに。






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