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「──ノーナ様!」

「お身体冷えていらっしゃるわ、すぐに湯殿へ参りましょう」

「ああ、ご無事で何よりでございます」


 あれから四人で屋上に残り、あれやこれやと議論を重ねて夜を明かした。まずは自分たちの無事を知らせねばと王城へ戻ったのだけれど──


 いつから待ち構えていたのか、屋上から一歩踏み入れた廊下には、ずらりと衛兵や騎士団、護衛たちが並んでいた。

 奥に控えていた国王自らが真っ先にオルフェンを称え、次にエリマスの肩を叩き、目尻に涙を浮かべながら無事を喜び、そして私の手を握って何度も感謝の言葉を述べられた。


 その勢いに委縮しているうちに、私は冒頭の通り侍女たちに連行されていく。

 周囲の歓待に戸惑うオルフェンとエリマスを振り返ると、こちらを見てにこやかに手を振る大司祭と目が合った。

 私は初めてこの王城で洗われた当時に巻き戻ったように、大勢の侍女に身体を清められ、抗う間もなく香油を塗りたくられ、そして随分久しぶりに聖冠の神子の衣装に着替えさせられ。

 彼女たちのあまりの手際の良さと熱量に、むしろ背筋が冷えるほどで。


「あの、ここまでして頂かなくても……」

「とんでもございません!」


 ぴしゃりと言いのけたのは、昨夜まで私に鋭い目を向けていたベテランの侍女頭だった。


「ノーナ様は病に倒れられた大司祭をお救いになられた上、この明朝までかけて冥王様の封印をも解かれた稀代の聖冠の神子様でございましょう。ああ、この指先のささくれ……どうか御身を労わってくださいまし」


(は?)


「……は?」


 いけない、思わず低い声が出た。

 慌てて首を振り、気を取りなおす。


「冥王、様の封印……の話まで、あの、どうして」

「昨夜ノーナ様ご一行が陛下との謁見の中でご説明され、ただちに城内に展開されたので末端の者まで当然存じ上げております。侍女一同、皆様のご無事を心から祈るものの、歯がゆい思いで──」


 何が、どうなっている?


 その後人形のようにあれよあれよと国王の謁見の間に連れて行かれ──その会話の中で、どうやら一晩のうちに世界そのものの“認識”が書き換わっていることが判明した。


 まず、昨夜の出来事はこうなっていた。

 私たち王太子一行は、"悪しき神に干渉され倒れた冥王を治療するため、屋上に集結していた"。

 冥王の復活を恐れていたという人々の記憶は跡形もなく消え、代わりにアーテという共通の敵が人々の記憶に刷り込まれている。


 私に向けられていたはずの視線は、昨日までラミアに向けられていた憧憬のそれに変わっている。

 そのラミアはアーテに操られ、そして命を奪われたことになっていた。


 アドラストス猊下や彼と結託していた神官たちは王城の禁固塔で黙秘を続けており、何も語らないという。

 彼らもまた、欲に目が眩みアーテに取り込まれていたことになっている。


 つまり──聖殿に同席していた者たちの記憶も、見事にすり替えられたということだ。


 まるでここに至るまでの私たちの懸念を、すべて都合よく払拭するかのように。

 屋上での会話さえ、聞かれていたかのように。


(……恐ろしい)


 神の所業とはまさにこのことを言うのだろう。

 今回は実質味方についたようなものだから良いものの、ぞっとする。


 やはり人間ごときが勝てるはずのない相手だ。


 この度の貢献に対して褒美を取らせる、その国王の勧めを私は辞退した。

 しかしどうしてもと食い下がられ──ラミアや騎士グレアムの弔いに、国からの支援を依頼した。

 偽善だということは、分かっている。


 だとして。

 ここまで都合が良い展開を、素直に喜べない。


 はじめから、人間がどう足掻こうが意味をなさなかったのではないか。




『──悪夢を司る神ポベトールとやらは、復活した冥王に退治されたということでしょうか?』

『いいえ。神を退治、ということは本来叶いません。冥王様のことですから、ポベトール殿を上回る神々の助けを得たのでしょう』

 

 慌ただしく帰還の一日を終え、普段よりずっと早く床に就いたその翌日。

 私は朝から大司祭を聖苑の庭に呼びつけ、まだ何か隠していないかとあの手この手で問い詰めたのだけれど。


(嘘を吐いているようには思えなかった)


 大司祭ラダマンティス。彼の名は『ペルセポネの冥戦』にも出てくることはない。

 その正体は冥府の裁判官の一人であり、冥王の忠臣だという。


『しかしポベトールがステュクス神を崇める教えを書き換えなかったのはなぜでしょうか』


 聖冠の神子を探す理由は、弱ったステュクスを救うため。

 さらに、聖冠の神子にステュクスが良い神であると刷り込ませるために作られた教えだ。

 私がポベトールなら、冥王をどうこうするより先に、ステュクスを悪しき神に仕立て上げるだろう。


『ステュクス様を敵に回したい神などどこにもおりません。ポベトール殿も己が身が可愛いでしょうから──』


 作中ではただ伝説でちらりと出てくるだけの存在だった。 


 冥王でも手を焼くアーテを唯一打倒することができる神。

 そのステュクスが隠れ蓑に選んだのが私の加護を得たエリマス。聖殿でラミアから這い出た異形をあっさりと斬り倒せたのもその力によるところなのだろう。


(もうとっくに、理解の範疇を超えてるな……)





「ノーナ」


 王城内の奇妙な興奮を収めるために奔走していたエリマスとまともに顔を合わせたのは、冥王との邂逅から丸二日経ってからだった。

 私も私で、手の平を返した関係者たちに付きまとわれ辟易していたところだ。 


「……お疲れ様です。随分お忙しそうですね」

「それは君もだろう」


 ほう、と同時に溜息が漏れる。

 雲ひとつない夜空には、数えきれない星々が広がっていた。見覚えのある星座はひとつもない。


 侍女を通じて、エリマスから食事に誘われていた。

 場所は王都の貴族御用達の高級レストラン。王城を出て馬車に乗り込もうとしたところで、彼が追いついてきた。

 自然にエスコートされながら馬車に乗り込み、向かい合って腰を下ろす。

 しばらくぎこちない沈黙が続き、先に口を開いたのは私だった。


「……ヴェスペル家の件、お聞きしました」


 ラミアを擁した、ヴェスペル男爵家。

 今回ラミアが命を落としたことで、王城関係者が揃って説明に赴いたものの、屋敷には使用人ひとり残らず“消えていた”という。

 夜逃げなのか。それとも、はじめから存在しなかったのか。


「それこそまるで全て悪夢だったような気さえする」

「亡骸の方にも特に異変はないと伺っていますが」

「ああ。引き取る家がなくなった以上、王家管轄の墓所で弔うことになるだろうな」


 後味が悪い。

 もう少し──あと数か月早く彼女の元を訪れていれば、救えたのだろうか。


「……以前、フラウス村にご同行頂きましたよね」


 ならばこれが、私にできるせめてもの償いだろうか。


「ああ」

「あの大樹の下に眠っているはずの少女の亡骸が、本当にそこにあるか……お確かめいただけないでしょうか」


 正面のエリマスが、息を呑んだのが分かった。


「……それは、つまり」

「確証はありません。あの村で亡くなった彼女が、ラミアと同一人物であるかどうかは」 


 エリマスも私の奇妙な行動に、どこかで引っかかっていただろう。

 しかし押し黙ったまま、何も追及してこない。


「彼女のお母様は私たちが村を訪れてから二週間後、急逝されたそうです」

「……」

「きっとお母様が見れば、一目でお気づきになられたかもしれませんね」


 魂そのものは本来のラミアのものであったと願いたい。

 あの笑顔も、天真爛漫な性格も。

 その明るい部分だけを異形が切り取ったのだと。


「……口封じに、命を奪われたと?」

「そこまでは私も分かりません」

「すぐに調査を向かわせよう。……どうか、人間(同族)がやったことではないと願いたい」


 厄介な神の暴挙から始まった波乱だとして。

──神がなんだ。

 これ以上人間の尊厳を弄ばれていい訳がない。



 せっかく招かれた夕食だったけれど、やはり二人とも疲労が蓄積していたのだろう。会話はほとんど盛り上がらなかった。


 張り詰めていた緊張の糸を、強引に断ち切られたような心地だった。

 冥王の脅威が偽りだったからといって、現状を喜べるはずもない。

 犠牲者がいて、回避できなかった不幸がある。


(正直、ここから先の展開を読むことができないのが怖い)

 すでにこの世界は『ペルセポネの冥戦』から大きく逸れている。



 業務報告のような食事を終え、馬車に乗り込んでしばらく走ったところで、エリマスが御者に声をかけた。

 馬車が止まり、共に降り立ったのは、幻想的に灯りが点々と揺れる公園だった。

 まるで世に言うデートスポットのようだ。ぎこちなく足を下ろし、またぽつぽつと会話を交わしながら歩き出す。


「……そういえば、体調はどうだ?」

「? ああ、特に変わりありません」


 何せ冥王の封印を解くという大仕事を終えた身だ。案じられるのは当然だろう。

 しかし実際、自分では何も不調を感じていない。


「あの異形に奪われたはずの霊液が結局戻ってきているのか、また確認する必要はあると思うのですが……」

「その点は変化はないのか」

「うーん、自分ではわかりませんね……」 


 エリマスが斬り伏せた、人喰いの黒い異形。

 ファンタジー的に考えれば、倒せば奪われたものも戻ってくるのでは──と期待したくなるが、確証はない。


 柵で囲われた人工池に、月が静かに映っている。

 風はほとんどなく、初夏らしい木々の香りが鼻をくすぐった。

 周囲に人影はほとんどない。王都の公園とはいえ、夜更けに歩けるほど治安が良いわけではないのだろう。


「……当分、君の周りは落ち着かないだろう」


 エリマスが足を止める。

 嫌な予感がして、なんとなくその顔を見上げられなかった。


「まだ時期尚早だとは分かっているが、」

「オルトシア侯爵家のご令嬢はとても良い方ですよ」


 視界の端で、彼の指先がぴくりと動いた。


「……何の話だ」

「右目に傷を負われてすぐ、進みかけていたご婚約の話を破談にされたんですよね」


 この話は作中にもなく、私も昨日まで知らなかった。

 おしゃべりな侍女が、私の髪を結いながらぽろりと零したものだ。

 オルトシア侯爵家自体は、アルカヌム家で貴族令嬢をしていた頃からよく耳にしていた。

 身分を驕らず、貧困街の整備や孤児院の支援にも積極的で、そのご令嬢の評判も良い。


「私がラミア様とのご婚約を進めておきながら身勝手とは存じておりますが、かのご令嬢であればエリマス様には十分に釣り合う方かと」


 危うく、私のエゴで罪なきご令嬢を不幸にしてしまうところだった。


「脅威が去った今となっては、公爵家のご当主として身を固められるのが自然でしょう。私の存在がご負担になるのは当然です。しかしどうか、その点はご心配な──」


 強く手を引かれた。

 けれど私は慌てて足を踏ん張り、拒絶する。

 ここで絆されるほど、私は馬鹿ではない。


「っ以前から申し上げようと思っていましたが未婚の公爵閣下が未婚の貴族令嬢に何の断りもなく突然触れるのはどうかと」

「自分の用は済んだから実家に帰って家業の手伝いをするだとか言い出すつもりだろう」

「行動制約が解除されたことですし世界を回る旅でも始めようかと悩んでいますが、だとしてエリマス様に関係ありますか?」

「……私が君と同じ想いを抱いていることを分かっていて、どうしてそんな仕打ちを思いつく?」


 手はまだ解けない。


「……同じ?」


 浮かんだ嘲笑は、自分に向けたものだった。


「私がエリマス様に抱く感情と、エリマス様が私に抱く感情が同じだと、そうおっしゃっていますか」


 あり得ない。


「今まで貴方を取り巻く世界は異常でした。右目の光を失った時の絶望は計り知れないものだったでしょう。それを結果的に救った私に、特別な想いを抱いて下さっているのかもしれませんが」


 じり、と胸の奥が鈍く焦げるように痛い。


「……私は貴方の幸福だけを祈ってここまで生きてきました。貴方のためならこの国ごと滅ぼせる。陛下に鋏を向けることすら(いと)わない」


 同じはずがない。


「貴方の幸福の中に私は含まれません。含まれてはいけない。本来交わるべきではない異物です。私は常人には見えない力でいとも容易く他人を殺めることができる。それが罪にも問われない。神子ではなく、魔女と呼ばれる所以(ゆえん)です」


 最初から全く予想しなかったわけではない。

 極限状態に追い込まれたエリマスが多少私に特別な目を向けることを、考えなかったわけではない。

 口づけられたあの時、確かに心が震えた。

 一方で自分にまだ人間としての感情の機微が残っていたことが、恐ろしかった。


「……と、別に求婚されたわけでもないのに、とんだ妄言を。つらつらと失礼しました」


 我に返り、エリマスの指先を剥がす。


「帰りましょうエリマス様。仕事があるのに無理をして出てこられたでしょう」


 帰りの馬車で、会話はなかった。

 何か考え込むように窓の外を眺めるエリマスを前に、私はドレスのレースの目を、ただひたすら数えていた。



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