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◆ ◆ ◆



 部屋を出ると、興奮の余韻を引きずったオルフェンが何か言いたげにこちらを覗き込んできたが、うまく誤魔化して通り過ぎる。

 一方レミジオは私たちが忽然と姿を消したことに相当動揺したらしく、茶を何杯も飲まされていたらしい。軽く頭を下げる羽目になった。


 その後オルフェンが無理やり作ってくれた公爵邸での雑事を片づけた頃には、気づけば外はすっかり夜の色だった。


 ひとまず王城へ戻るためオルフェンが馬車に乗り込み、私を含む護衛一行が馬に跨ろうとしたちょうどその時──別の馬車が勢いよく門をくぐり、こちらへ滑り込んでくる。新たな客人だろうか。


「あ」


 短く声を上げたのは隣のレミジオだった。

 

 視線の先で、馬車の扉がゆっくりと開く。降り立った人物を見た瞬間、私も思わず間抜けな声を上げる。

 よく見れば馬車に刻まれたのは今日散々目にしたメレアグロス公爵家の紋章だった。

 

 正装の外套を纏う背筋はいつも以上に伸び、纏う空気は冷たいほどに端正で。そこにいるのは殿下の護衛筆頭ではなく──公爵家当主としての顔。 

 まさに、別格。


 レミジオたちが一斉に緊張をまとい、揃って深く頭を下げる。私はというと、ワンテンポ遅れて慌てて姿勢を正す羽目になった。


「……かしこまらなくていい。遅くなって悪かった」

「恐れながら我々はこれより王城に戻りますが、エリマス様はこのまま本邸へお帰りになられますか」


 エリマスとレミジオの硬い会話の裏、私は手綱を手にそろそろと別の馬の陰に退避する。

 今彼がここに来たと言うことは、ラミア側の動きに問題はなかったということだろう。


「殿下はもう馬車に?」

「ええ。そちらにいらっしゃいます」


 エリマスがオルフェンの馬車に向かい、一言二言声をかけたかと思えば、また戻ってくる。


「……私も今晩は王城に戻る。仕事ができた」


 妙に視線を感じたけれど、声は掛けられなかった。







「ノーナ」

「ひっ」


 こんなことなら詰め所に寄らなければよかった。ここでもたもた着替えておけば、忙しそうなエリマスには遭遇しなくて済むと思ったのに。

 背後に気配もなく現れたエリマスは、どうやら私より先にここへ着いていたらしい。いつも通りのポーカーフェイスで立っていて、私は悲鳴を上げた口を慌てて押さえながら振り向いた。


「……何か御用でしょうか」


 エリマスの唇は何か言おうとして──けれど躊躇し、目が泳ぎ、らしくなく項垂れた。


「……いや、体調はどうかと思って」

「お気遣い痛み入ります。すこぶる元気です」


 いつも通り礼を尽くし、腰を折って退室の挨拶を添え、そのままそそくさと出て行こうとした──が、手首をむんずと掴まれ、動きを止められた。

 エリマスは周囲を一度見回し、誰もいないことを確認すると声を落とす。


「例の件、殿下から伺った。ご苦労だった」


 先ほど成功した大司祭への癒術もどきのことだろう。とはいえ内容が内容だ。ここで話すようなものではない。

 私はせわしなく相槌を打ち、再び出て行こうとやんわり手首を引くものの──どうやらまだ会話は終わらないらしい。


「あの、」

「……明日の朝、ここに来る前に私の執務室に寄るように」


 妙にぎこちない声音だった。

 是と即答すると、今度こそ手を放される。


(自分で逃げていいと言った手前、私に指示をするのがよっぽどばつが悪いんだろうか)


 私はそれよりも、次の計画で頭がいっぱいだった。



 大司祭へのあの手ごたえ、今の私は過去最高に調子がいい。

 怪我が治り、不調が消えた。それだけじゃない。能力そのものが底上げされている。


 化け物退治で鋏の使用頻度の補正──鋏を使わなければ癒術が落ちる、あれはあくまでマイナスがゼロに戻るだけだった。

 今のこの満ち足りた感覚は、そんな次元じゃない。


(あとはグレアムの婚約者と、例の使用人の回復……証言さえ取れれば、あの黒い異形とラミアの件も動く。そうなれば、冥王に集中できる)


 昨夜は窓から逃げ出そうとしていたくせに、なんという切り替わりの早さだろう。

 未だかつてないほどの強い全能感が身体の奥からせり上がってくる。


 と、部屋に戻る道の途中、私はふと思い当たる。



 大司祭は結局、何に、誰に襲われたのだろう。



 聖殿に逆らった大司祭が見せしめに襲われた。そしてあの状態を見る限り、彼を襲ったのは例の黒い異形かその同類だろう。

 同じ力に襲われたグレアムの婚約者や使用人は意識を失い、目を覚ませなくなった。だが聖職者として力のある大司祭は、なんとか踏みとどまれた──そう考えるのが自然だ。


 しかし、あの無能な聖殿が異形を使役して大司祭を襲わせたとはとても思えない。

 となるとやはりラミアが一枚噛んでいるか。あるいは、異形そのものの意思か。


『あの少女からは確かに聖冠の神子の気配を感じるのに、その器に別のものが入っているようで』


 もしくは──異形がすでにラミアを操っているのか。


(……だとして、黒い異形は何をしたいんだ?)




「あ」

「……あっ、の、ノーナ様……!」


 夜の王城の廊下──静まり返った石床に、私と彼女の足音だけが落ちる。時刻はもう二十一時を回っているはずだ。

 普通ならすれ違うはずのないその往来で、侍女軍団を従えた彼女が、まるで私を待っていたかのように立っていた。

 こんな時間にティータイムというわけでもないだろう。

 そして私は、彼女を見た瞬間に“しまった”という顔をしたのだと思う。

 ラミアは申し訳なさそうに俯き、私が何か言う前に勢いよく頭を下げた。


「昨日は本当に申し訳ございませんでした……!」


 細い声が、静かな廊下に高く響く。

 そうか、まだ昨日のことか。それにしても彼女の後ろに並ぶ侍女たちの目つきの鋭さときたら。


「……私が昨日倒れてしまった件でしたら、ラミア様にお詫び頂くことなど何もございません。むしろ私がお騒がせした身です」

「ですが本来であればすぐにでも駆け付けるべきところ、躊躇した挙句、何の助けもできず……」


 分からない。

 この小さく震える彼女が、本当にあのおぞましい黒い異形と連れ立っているというのだろうか。

 そして表情や目の動きを見る限り──私の身体の変化には、まるで気づいていないように見える。


「ラミア様が気に病まれることではありませんよ。この通り全快しておりますし、私の方から今朝にでも一声かけるべきでした」

「……」


 ラミアは唇を噛み、心底申し訳なさそうに俯いた。責めているつもりはないのだから、こちらも妙にバツが悪い。


「あの……ノーナ様。このようなことを申し上げるのは、ひどく躊躇われるのですが」


 ちら、と長い睫毛の下から黒目がこちらを覗く。


「? どうぞおっしゃってください」

「実は以前から、いいえ、いつからでしょうか……ノーナ様の後ろに、何か禍々しい黒いものが見えるようになったんです」


 何を言うかと、思えば。


「私の、ですか」


 貴女の方ではなくて?と喉まで出かかった言葉を、どうにか飲み込む。


「……はい。それもあって、私、躊躇ってしまって……」


 夜とはいえ、ここは王城の往来。

 彼女の後ろには侍女たちも控えている中でだ。

 なるほど、いい度胸をしている。


「つまり何か悪いものが私に憑いているように見えるということですね」

「わ、悪いかは分からないんです。ただこう、もじゃもじゃとしたものが」

「それは気味が悪いですね……ラミア様のお力で何とかなりそうでしょうか」


 ここはかまととぶった方がいい。彼女の舵取りに任せてみよう。


「私の力では……なので明日にでも、一緒に聖殿の方に行きませんかとお誘いしたくて」


──なるほど。


「聖殿に行けば治るのでしょうか?」

「いいえ……分かりません。まだアドラストス猊下にもご相談していなくて、なのでノーナ様にもご同席頂いた方がいいかと思って」

「……聖冠の神子としての職務でお忙しい中、私のような者をお気遣い下さり心よりお礼申し上げます」


 他人の悪意には敏感な方だと思っていたけれど、それが一切感じ取れないというのが恐ろしい。

 まるで桃味の毒薬だ。

 オルフェンの喩えは確かに的を射ている。無機質、温度がない、動く死体。


「明日は朝一番に先約があるのですが、その後でしたら……ラミア様のお声がけということもありますし職場を抜けて聖殿には伺えるかと」


 ぱっとラミアの顔が輝いた。


「ありがとうございます。猊下には、私の方からお話を通しておきますね」

「お願いいたします。……今晩は私の戻りが遅く、こんな時間までお待たせしてしまったようで申し訳ございません」


 いつから待っていたかは知らないが。

 ラミアの後ろでツンと澄ましている侍女に目をやる。見知った顔が二つほどあったが、以前向けられた穏やかな眼差しはもうどこにもなかった。


「では──」

「その、それと……」


 立ち去ろうとした私に、ラミアだけが一歩、歩み寄る。

 恐る恐る、おずおずと。


「? まだ何か」


 私にだけ聞こえるように、そっと距離を詰め──小さな声で。


「最近、エリマス様が急に優しくしてくださるようになったんですが、何かご存じですか?」


 それについては、あまりにご存じすぎる。


「ああ、将来のために仲良くなさった方が良いですよと進言はしましたが」

「やっぱり!」


 ラミアの頬にほわりと朱が差す。

 その柔らかい笑みは、直視できないほど可憐だった。


「以前は苦手だったんですけど、よかったぁ……せっかくノーナ様が進めて下さっている婚約なのに、このままだったらどうしようって不安だったんです」


 ちくりと胸が痛んだのは、誰に対する罪悪感だろうか。

 目の前のラミアにこれ以上何か気にかける必要などない、と割り切らなければならないのに。


「仲良くなれたようでしたら何よりです」

「でも、本当に本当にいいんですか? 私とエリマス様が婚約なんて」

「以前申し上げた通りですよ」


 さすがエリマス。ラミアに取り入る作戦は、思いのほか順調らしい。

 安請け合いしておいてエリマスには悪いが、婚約の件をなかったことにするには材料が足りない。これも明日の聖殿での動き次第だろう。



「きっと私が、ノーナ様のその黒いもじゃもじゃをなんとかしてみせますから!」



 

◆ ◆ ◆



「──とのことでした」

「……」


 翌朝、言われた通りエリマスの執務室を訪れた私は忘れないうちにとラミアとのやりとりをありのまま報告したのだけれど。

 椅子に腰かけたエリマスは深い溜息と共に頭を抱えた。


「と言うわけで今日の午後、ラミア様と聖殿に行くことになりましたので」

「……聞きたいことも言いたいことも山ほどあるが、その件については私も同席することになっている」

「それは心強いですね」


 シン、と歪な沈黙。


「彼女の言動についてはどうでもいい。君の後ろに何かあるというのも意味が分からないが」

「本当に見えているのかもしれませんし、あるいはどさくさに紛れて例の黒い異形に私を襲わせるには良い感じの伏線でしたね」


 冗談のつもりで言ったのに、空気が一段冷えた気がした。

 何か言い返そうとしたエリマスが口を噤み、そして大きく咳払いをひとつ。


「……まずは昨日の大司祭の治療の件。君には何も反動はなかったか」

「はい。全く影響もなく、むしろ未だかつてない手ごたえを感じました」


 と、私はひとつ思い出す。

 エリマスは大司祭について体調不良とは言っていたが、あの黒い蛆については何も触れていなかった。


「それと、その。私が到着した時には大司祭様には黒い蛆のようなものが這っているように見えたのですが……」

「黒い蛆……?」


 オルフェンには見えていたものだ。

 それにエリマスも、ラミアが私に癒術を使おうとしていた時の黒い靄については見えていたと言っていた。


「いや、私がお会いした時には見なかった」


 漫画上の演出の名残かと思っていたが──どうやら気に留めておくべき事象らしい。


「ご自身もおっしゃられていましたが、大司祭様がああなったのも聖殿が何らか関与しているかと」

「だろうな」

「エリマス様は、大司祭様を信頼されているんですね」


 わざわざリスクを犯して公爵邸に匿うほどだ。


「……真っ当な聖職者と言えるのはあの方くらいだろう」


 エリマスが目を伏せる。そこには私の知り得ぬ歴史があるのだろう。


「しかし何か対策を考えるにも時間がないな……今日の午後か」

「さすがにいきなり仕掛けられるとも思いませんが」


 ラミアの話では、聖殿で会うのはアドラストス猊下だけらしい。

 仮に実際の彼の器が大司祭の言う通りだとすれば、実際には見えないものを見えていると言い張るつもりだろうか。

 何せ聖殿の権力者だ、黒いカラスも、彼の前では白になる。


「……………本題を考える前に一つだけいいか」

「? はい」

「君の態度がその、……あまりにも、何事もなかったかのような……」


 態度。


「申し訳ございません。何か失礼があったと」

「まさか記憶喪失じゃないだろうな」

「逃げろと言われて逃げようとしていたのに普通に仕事をしているのが変だと?」

「それもそうだ、それもそうだが」


 ぐ、と堪えたように何かを食いしばったエリマスが、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。今にも続きを言いかけたエリマスを前に、遮るように私は口を開く。


「公爵閣下より口づけを賜りました件につきましては、身に余る光栄に存じます。実家に伝えれば騒ぎになりましょうから、胸中に留め置く所存です」

「そうじゃない」

「いえ、本当に助かりました。化け物人生で一番調子がいいです。ありがとうございました」


 だから何だという話だ。


「私は──」

「エリマス様は、」


 私に可愛げがない、捻くれているという話ではない。


「栄えあるメレアグロス公爵家当主であり、国王陛下の御弟君」


 まるで自分に言い聞かせるように。一語一語を、噛みしめるように。


「人ならざる者に、必要以上のご関心をお寄せ頂く理由はございません」


 ここは少女漫画の中ではない。

 血が飛び、人が死に、黒い蛆と悪意がうねる世界だ。

 ()()()が自らの立場を忘れ、格下の女に現を抜かして許されるような場所ではない。


「ああ、強いて申し上げるなら」


 伝説の、残りの一節を忘れていた。


「今ならエリマス様が唯一、私の不死を終わらせられますね」


 ここで私が甘さを見せれば、エリマスに隙が生まれる。

 ほんの少しの隙が命取りになる。


 ならば私が線を引かなければならない。

 いつかエリマスが、正気に戻るその時まで。




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