21
◆ ◆ ◆
王都の裏通りに建つその館は石造りの壁に鮮やかな赤い布飾りを垂らしていた。
窓は全て閉ざされ灯りも漏れず、出入りする者は互いに目を合わせようとしない。
短時間の貸し出しが可能であることが書かれた看板に受付の小窓。その造りは、秘密の逢瀬を求める者のためにあるような。
(いや、ラブホテルすぎるな)
服や帽子で身を隠しながらここまで来たけれど、こんな展開に浮足立てるほど今の私の心は健康ではない。むしろ受付を一瞥もせず突き進むエリマスが怖い。
狭い階段をひたすら上がり、少し息が切れてきた頃に辿り着いたのは人がすれ違えないくらい狭い廊下。
奥まで進むと、扉には十桁の番号を切り換える錠があった。王城でも見たことがある、いわゆるパスワード式の鍵だ。エリマスが慣れた手つきで数字を切り換えると、ガチャンと鍵が開く音がする。
中に入ると、部屋の中は決していかがわしいものではなく、むしろ簡素すぎるほどだった。対面の腰掛けと長机に、申し訳程度の寝台がひとつ。窓はひとつもない。
「……どういう部屋ですか?」
「人間誰しもサボりたい時はあるだろう」
はぐらかされた。おそらく王城には招くことができない人物との密談にでも使われるのだろう。
最低限の灯りを点け、外套や帽子を脱ぎ取り寝台に投げると、エリマスはどっかりと腰掛けにもたれかかった。
「……今日は悪かった。もっと早く私が聖殿に着いていればあんなことにはならなかった」
「え? あ、ああ、いえ、とんでもないです」
あんな騒動があったものの、ラミアは無事に王都散策を楽しんでいたらしい。
聖殿でのことを心配してわざわざ私の部屋までお土産だというクッキーを持ってきた彼女に、世話役の侍女がいたく感激していた。
「いや、そもそも大司祭がいらっしゃれば……」
「そういえば今日はお見えになりませんでしたね」
「昨夜急に体調を悪くされて、当面動けないと」
それはまた妙にタイミングの良い話だ。
「それで相談というのは?」
「……はい」
腰掛けに身を預け、膝の上に拳を作る。
まずは現状の報告からだ。
私はかいつまんで状況を説明した。
騎士グレアムの治療の全てに違和感があったこと。
最中に黒い異形が現れたこと、グレアムを救えなかったこと──生き返ったことになっている彼が、私の目にはもはや異形に近いものに映っていること。
しかしレミジオや関係者のことを考え、言い出せないでいたこと。
自分にだけ見えている幻かもしれないと、未だに疑っていること。
エリマスの表情は次第に曇っていく。それでも静かに相槌を打つだけで、割り込んだり叱責したりはしなかった。
「そして、私が昨夜ドムナール伯爵邸に行ったのは事実です。放火はしておりませんが」
「……何?」
すでにメガイラが種明かしをしてくれた以上、私が屋敷にいたかどうかについては有耶無耶になるだろうけれど。
「そして今回のメガイラにも遭遇しました」
「な、」
「王城の目の前まで私を送り届けてくれたのは彼女です。実際には無理やり追い出されたのですが」
疑うなら疑えばいい。それが今の私の結論だった。
「……放火の現場は見たのか」
「いいえ。おそらく、私を追い出してからのことかと」
「何を話した」
「私の身体の中の力が半分にまですり減っていることを教えてくれました」
「半分?」
「先ほどお話した黒い異形がおそらく吸い取ったのではないか、とのことです」
霊液の概念や異形の発言に対する推察も説明すると、エリマスは頬に手を添え考え込むように目を逸らし、深い溜息を吐いた。
「……やはりティシポネとやらも、そのメガイラも、君に対しては害意がないんだな」
「いえ。私に対してというより、以前申し上げた通り彼女たちの標的ではない限り、人間そのものを憎んでいるわけではないというのが正しいかと」
かつ、敵対したところで互いに勝敗がつかないことを理解しているからだろう。
私がもし普通の人間だったら、きっと腰を抜かしている。会話が成立するのは、私に不死という最強の盾が存在するからであって。
「しかしなるほど……黒い異形が君のその霊液とやらを吸い取った直後に聖冠の神子ラミアは力に目覚め、グレアムが生き返ったと」
抱いていたのは同じ違和感だけれど、私には口にできなかったことだ。思わず目が泳ぐ。
「実は妙な報告がある」
「妙、とおっしゃいますと」
「同日被害に遭ったグレアムと使用人の男はそれぞれ随分聖冠の神子と仲が良かったそうだ」
柔らかい灯りに照らされたエリマスの影が揺れる。
「使用人の方はさておき、グレアムの方は結婚を控えた婚約者もいた。そんな男が夜更けにラミアの部屋から一人で出たところが見つかり、以前団長から咎めを受けている」
結婚のことは聞いていたけれど、それは初耳だ。
「ら、ラミア様にはエリマス様がいるのにですか」
「……。君が勝手に決めたことだ。彼女が誰と爛れた恋愛していようが私は心底どうでもいい」
エリマスは「それよりも──」と、咳払いと共に腕を組みなおす。
「そのグレアムの婚約者は、君が外出をした日の夜に"偶然"奇病に倒れ、今も意識がない」
「……え?」
「癒術師はもちろん聖冠の神子はお手上げだと。君が戻り次第診せることを勧めたが、聖殿の制止が入った」
セレストブルーの瞳が、灯りを反射して鈍く光る。
「どう思う」
被害に遭った男性二人と仲が良かったラミア。
生き返った騎士。
その婚約者は私の不在を狙ったように病に倒れ、その症状は癒術師にもラミアにも手を出せない。
そして私の関与は聖殿が拒絶。
「……どう思う、ですか」
「聖冠の神子に対する私の印象は当初から変わっていない」
『あれは……本物か?』
エリマスの困惑したような、躊躇うような声が鮮明に蘇る。
「あの女の言動にはまるで誰かが作った台本を読み上げているような不自然さがある。万人が喜ぶ理想的な模範解答をなぞっているようにしか見えない」
作中では、エリマスがあれほど恋焦がれた少女だというのに。
「一方でグレアムの婚約者の状態に落ち込むこともなく、今日は王都へ出かけていただろう。君が聖殿に召喚されたことも途中で耳に入ったはずなのに、助け舟を出す気配もない。かと言って、君に対する態度はまるで友人そのものだ」
「……」
「君の方が普通とまでは思わないが、落ち込んだり、後ろめたそうにする素振りは一切ない」
まるでそれは、怒りと哀しみだけが欠落した人工知能のような。
この世の“善”だけを過剰に学習させられた、人形のような。
「あれをただの無神経だの無邪気だのという言葉で片付けるには、あまりに違和感がある」
ヒロインという役回りの、表面だけをなぞったような軽薄さ。
「私は君の力をあの女が吸い上げたと言われた方が納得する」
抱いていた疑念を根こそぎ刈り取るようなエリマスの言葉に、思わず息を呑んだ。
「……一時、君に嫌がらせをしていた人間がいただろう」
こちらが返事に迷う間に、エリマスは続ける。静かに頷くと、当時の面倒を思い出したのか首を鳴らした。
「全員それまでの勤務態度に何も問題はなかった。なのにあの当時はまるで別人のように、君のことを『ラミア様を悲しませる悪女だから』と」
「あ、悪女ですか」
「だが地下牢に入れて一週間が経った頃には全員、突然正気に戻ったように君への謝罪を口にしていたそうだ」
言外に、まるで操られていたようだとでも言うような。
「確かに冥王復活が危惧されている中で聖冠の神子に縋り崇拝する人間がいてもおかしくないとは思っていたが、ここまで来るとあまりに出来すぎている」
「……やはりラミア様は聖冠の神子ではないとおっしゃられるんですね」
「言っただろう。君の正体を見抜けなかった時点で聖殿の判断は何の当てにもならない」
それは、そうなのだけれど。
「ちなみに吸い取られた君の力、霊液というのは取り戻せるのか、それとも勝手に回復するのか」
「自分では残量も見えないもので、判断がつかず……」
メガイラも、特別見ようとしていたようには思えなかった。
まるでスマホの画面を見た時に、偶然バッテリーの残量が視界に入ったかのような言い方だった。
「……なぜ半分残したんでしょう。全部奪いきらずに」
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
「どうも一度にではなく、徐々に奪われたのではないかとメガイラも言っていました」
「それは君の方が相手よりも上位の存在だからなんじゃないのか?」
「しかし先方も何らかの神の力を得ている可能性が高いようで」
こんな展開は当然『ペルセポネの冥戦』にもなかった。
もし霊液の残量がゼロになった場合、さすがの不死でも問答無用で死んでしまうのだろうか。
(彼女たちとはもう少し時間をかけて話をしなければならない)
それにティシポネには"人喰い"についても聞けていない。
あの黒い異形が人喰いなのか、それとも別に存在するのか。
「? なんだ」
「あ、いえ……」
顔を上げた先に映ったエリマスの横顔は、はっとするほど美しかった。
この状況で抱く感想としてはいたく不謹慎だとは分かっているけれど。
とはいえ、エリマスがこちらを信用してくれているうちに、フラウス村のラミアの墓の件を相談すべきだろうか。
彼女の死を疑っていること、そして彼女の母が亡くなったこともこの会話の流れで明かしたとして──ならどうしてあのタイミングでフラウス村に行ったのか、その動機を探られるに違いない。
(あの時はまだラミア・ヴェスペルが聖冠の神子として現れる前だったし、改めて私が"ラミア"という名前の少女が聖冠の神子として現れることを知っていたことがバレる)
当時ははぐらかしたけれど、ここまでラミアへの疑念が高まっている中で、それをどう説明するか。
お告げだの何だのと通用するとは思っていない。
「……まずは騎士グレアムの件から解決できるといいのですが」
強引に話を逸らした。まずは手元にある問題から片付けていかなければ。
「倒れたというご婚約者のご容態を確認できれば手がかりがあるかもしれないのですが……意識がないんですよね」
意識が奪われる病自体が珍しいわけではない。ただ偶然ではないことは明らかだった。
「そうだな。少なくとも会話は不可能だと聞いている」
「しかも聖殿が私の関与を拒絶しているとなると……」
事実を暴いていく中でグレアムに何かあれば、幼馴染のレミジオも黙ってはいないだろう。
仮にその魂が偽物だったとしても、だ。
「話を聞くというだけなら、例の元使用人たちであれば可能だが」
曰く、解雇され地下牢に放り込まれ相応の罰を受けた後、それぞれ王都を追い出されたそうだ。今後王都への出入りには許可が必要になったという。
随分厳しい処罰だけれど、高位聖職者たる聖冠の神子を害したという罪は重い。その実、紛いものだとしても。
「そうしたいのはやまやまなのですが、おそらくあまり猶予がないかと」
思わず言葉が途切れ、沈黙が落ちる。エリマスも同じことを感じていたことだろう。
今日の様子からして、理由こそ分からないものの、聖殿は私を追い出そうとしている。
それにティシポネとメガイラ、冥王側の思惑も動きも読めない。
加えて黒い異形にグレアムに、奇妙なラミアの言動──
王城に留まるには聖冠の神子の立場は不可欠だ。
なんたる矛盾。私は早く退場したいというのに。
「……あの、今更差し出がましいようですが、私が国家転覆を企む悪党である可能性については、エリマス様も疑って頂いた方がいいかと」
当然のようにエリマスは私側についているけれど、俯瞰して見ればこの状況は決して良いことではない。
現王の弟であり、国内でも有数の名門貴族、メレアグロス公爵家当主だ。
オルフェンの味方にはなるべきだが、こんなよく分からない化け物の肩を持つものではない。
「国家転覆を企んでいるならもう少し殿下に関心を持て。あとは私にもう少し胡麻を擦った方がいい」
それはそうだ。
思わず項垂れ、目を閉じる。
ぐちゃぐちゃにもつれた思考の糸をひとつずつ解くように深呼吸し、エリマスへ向き直った。
「……では、何らかの謀略を疑われることを承知で、メレアグロス公爵閣下に申し上げます」
美しいプラチナブロンドは、薄暗い部屋でもなお光を宿している。
「ラミア様を口説き落としてください」
「は?」
「できれば早急に、エリマス様の持ちうる魅力の全てをお使い下さい。周囲の誰もが羨み、──エリマス様とラミア様の仲を疑う者などいないように」
ここまで呆気に取られたような、引きつったような表情はおそらく、そう簡単にお目にかかれるものではないだろう。
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