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「──……っは……」


 穏やかな光が瞼の裏を刺し、次に土の匂いが鼻を突く。東の空から昇り始めたばかりの朝日が、草の露を照らしていた。

 私は地面に転がされていたらしい。ぐっと力を込めて身体を起こす。痛みはない。


 随分と乱暴な送り方だ。


 鳥の声がまだまばらに響き、夜の冷気をわずかに残した空気が肌を撫でる。

 目の前には見慣れた城壁。ここは敷地のすぐ外の茂みだろう。

 辺りを見渡すと、部屋の片隅に置いていたはずの貴重品まで散らばっている。雑なのか丁寧なのか。


 あの後、ドムナール伯爵家がどうなったのかは分からない。

 

 まずは人通りが増える前に王城へ戻らねば。徒歩で戻ってきたことを門番に怪しまれながらもどうにか処理し、足早に自室へ急ぐ。

 門番との会話で分かったのは、屋敷でメガイラと別れてからまだ数時間しか経っていないということ。騎士団一番の駿馬に走らせてもあり得ない速さで帰宅が叶ったらしい。結果的に、当初の外出予定の範囲内だった。



 土で汚れたドレスを払い、王城の陰のなるべくひと気のない道を選んでいたはずだけれど──「ノーナ様?」可愛らしいその声に、私はぎこちなく振り返った。


「……おはようございます、聖冠の神子ラミア様」

「おはようございます! その格好……どうされたんですか?」


 謎の炎に運ばれて土の上に転がっていました、なんて言えるはずもなく。


「散歩中に転んでしまって」

「えぇ? お怪我はございませんか?」


 いたわるような視線から逃れるように顔を逸らす。一言二言、適当に言い訳をして後ずさった。


「ラミア様はこれからどこかへ?」

「今日はお暇を頂くことになっていて、皆さんと王都に出かける予定なんです」


 ラミア付きの侍女や使用人で構成されたラミア親衛隊だ。

 私とすれ違うたび、口にはしないものの刺々しい視線を寄越してくるようになった。聖冠の神子の傍にいるだけで恩恵を受ける紛い物──そう心の中では断じているのかもしれない。


「それで実は、護衛にレミジオ様がついてくださることになって」


 ふふ、とラミアは顔を綻ばせる。


「……よかったですね。楽しんでください」

「はい。ノーナ様も素敵な一日をお過ごしください」


 互いに背を向け歩みを進める。振り返った時には、もうラミアの姿は消えていた。

 足音の余韻が途絶え、静けさが戻る。


 城壁の向こうはまだ穏やかに見えたが、風に乗ってかすかなざわめきが耳に届く。


 何事かと足を止めた、その時。

 王城から慌ただしい声が響き、私は思わず顔を向けた。



「──いたぞ!」


  

 こちらに向かってくる男たちの制服からして、衛兵のようだ。


「動くな!」


 あっという間に四方を囲まれ、一斉に剣を向けられる。

 大罪人のような扱いに、嫌でも察した。


「聖冠の神子ノーナ・アルカヌム、ドムナール伯爵邸放火の疑いで直ちに拘束する!」


……踏んだり蹴ったりにも程がある。


(メガイラめ、)

 後始末の、なんと雑なことか。



◆ ◆ ◆



 こうなるともうお笑いだ。

 聖殿まで引きずられる間、通りすがる人々の視線が突き刺さった。いつもの正装に着替えさせられる暇もなく、泥と葉にまみれた姿のまま奥へと通された。


 とはいえいきなり地下牢に放り込まれないあたりに、私の扱いづらさを目に見えて感じる。

 まずは聖殿で尋問だろうか。溜息を吐きたくなるのを堪えながら、儀礼通り中央で傅いた。


「面を上げよ、ノーナ・アルカヌム」


 早々にアドラストス猊下まで出てくるとは。ちら、と視線を走らせるけれど、オルフェンやエリマスの姿は見えない。ほとんどが聖殿関係者で、隅の方で見知った護衛仲間が数名固唾を呑んで見守っている。

 

「ご心労をおかけします、猊下。まずはこの度の火災、大変心が痛みます。被害に遭われた方はご無事でしょうか」

「……ドムナール伯爵夫妻は酷い火傷を負ったが存命だ。意識もある。しかし夫妻は、火災の前に怪我をした貴女を迎え入れ、その直後に火が放たれたと証言している」


 横から口を挟んだのは副司祭だった。猊下がいるのに、いつもの大司祭はいないらしい。


「貴女は玄関からは出ず、開いていたのは客室の窓硝子のみ。状況証拠は揃っている。何か弁明はあるか」

「何故私がお屋敷に火を放つ理由があると?」

「それは裁定院で説明されればよい」

 

 なるほど。ここでは罪人かどうかを決め、とにかく聖冠の神子の資格を()()()のが目的か。


「死人が出なかったことが不幸中の幸いです」


 副司祭の声はどこか白々しい。


「つまり火災はもう鎮火されたのですね」

「放火の事実を認めるのか、どうなのかと聞いている」

「伯爵邸には他にも侍女や使用人がいらしたのでは。何故こうも、客人の私だけを疑われるのでしょう」

「……ならば疑いを否認すると?」


 私と副司祭の問答にアドラストス猊下は一言も口を挟まない。同席する者たちは呼吸を忘れ、場の空気はピンと張り詰めていた。


「伯爵家からこちらまでは、馬を走らせても半日はかかる距離です。本当に私が火を放って立ち去ったとおっしゃるなら、火災の時刻、私が逃げたとされる時刻、そして先ほど門で入城の手続きをした時刻──照らし合わせれば一目瞭然かと」


 何せこちらは見たこともない炎の玉に運ばれてここまで飛ばされた身。知らぬ顔を決め込むしかない。

 不愉快そうに副司祭の顔は歪む。おそらく時間については計算が狂ったか、あるいはそこまで調べ切れていないかだだろう。


「それよりも先般、スパルトイ子爵領でも重大な火災があったはず。あちらには火の痕に冥王の印があったかと。今回はなかったのですか?」


 『ペルセポネの冥戦』ではドムナール伯爵夫妻は亡くなったはず、となるとメガイラは今回、何らか意図があって手加減をしたのだろう。


「まだその確認は取れていない。ただ冥王の印があったからといって、貴女の犯行ではないという証明にはならない」

「それはどういう、」

「貴女は聖冠の神子の力を盾に冥王と手を組み、己の名声を満たすために長らくラミア様の力を奪っていた──すでに貴様は冥王の配下なのではないか?」


(……これはこれは)

 息を合わせたように、衛兵たちの剣がもう一度いっぺんにこちらに向けられる。

 彼らを纏う緊張はなるほど、聖冠の神子に刃を向ける背徳によるものではなく、すでに冥王側に堕ちたかもしれない化け物への恐怖心からだったということか。


「……このご時世ですから四方を警戒なさることは素晴らしいことです、副司祭様」


 ちら、とアドラストス猊下に視線をやるけれど、動じている様子はない。つまりこれは聖殿の公式見解ということで受け取るしかない。


 理由はさておき、どうやら私が邪魔になったらしい。

 万事休すか。もはや滑稽にすら思えてきた。


「皆様の疑念を晴らすほどの行いを果たせず日頃怠っていたこと、心よりお詫び申し上げます。恐れながらこの場では、放火の疑いを否認させていただきます」

「では裁定院で採決が下るまで、聖冠の神子の称号についてはこちらで預からせて頂く」

「承知しました」


 この展開も危惧していたパターンのうちの一つだ。

 やはりあの時、護衛なんて降りて逃げていればよかった。

 向けられていた剣先が下ろされ、思わず詰めていた息を吐く。私だけならいいものの、力を付与されているエリマスにまで疑いの目が向けられたら──退場を促され、場が解散されようとしたその時、重い扉の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。


 飛び込んできたのは王城の伝令役だった。


「火急のご報告です! 搬送中の伯爵夫妻の馬車が突如燃え、メガイラと名乗る異形に襲われたと!」


「何!?」

「夫妻はご無事なのか!」


 伝令役は膝をつき、首を横に振る。


「ど、ドムナール伯爵家の地下を(あらた)め、ただちにその罪を暴かなければ次はこの聖殿を狙うと! 水をかけても何をしても消えぬ、──子爵領を襲った炎と同じだということです!」


 副司祭と目が合うが、互いに言葉はない。苦々しい表情で顔を背けると「ただちに顧問官を呼べ!」と声を荒げ壇上を降りた。



(……あ、ぶなかった……)


 大口を叩いておきながら、めいっぱい息を吸うと、今度はうまく吐き出せなくなった。

 結局私が恐れているのは冥王でも猛毒の大蛇でも、神の化身でもなくただの人間だという皮肉に、思わず笑いそうになる。


 ついさっきまで私を剣先で追い詰めていた衛兵たちの気まずそうな表情が忘れられない。結局うやむやになり、私の身柄は解放された。


(メガイラはもしかして、賭けていたのだろうか)


 ドムナール伯爵夫妻を敢えて逃がし、その罪を自ら明かすなら生かしてやるつもりだったのかもしれない。


 少なくとも私は彼女とまた話をしなければならない。

 




「──ノーナ!」


 両脇に強張る衛兵を連れて聖殿を出た私を出迎えたのは、険しい顔で肩で息をするやんごとなき公爵閣下だった。


「エリマス様」

「お、前、……っ本当に、次勝手にひとりで出かけるようなことが、あったら、」


 鍛錬を積んでいるだろう護衛筆頭がここまで息を切らせるとは、一体どこから全力疾走したのだろう。


「ドムナール伯爵夫妻は……亡くなられたんですか」

「ああ。癒術を受けるためにこちらに運ばれてきていたが、件の異形に襲われて」


 忌々しげに顔を歪めるエリマスと、どこか心が凪いでいる私。互いの視界は交わらない。


「伯爵邸の地下を検めるよう、その異形に言われたそうですが」

「聖殿を人質に取られている以上従う他ない、すでに調査団は派遣している。スパルトイ子爵の時といい、何が出てくるのか──」


 思わず背後を振り返った。

 初めて見た時はもっと美しく荘厳に映ったはずの聖殿が、今は中身のない箱にしか見えない。


「いや、それよりも」


 私の両隣で棒立ちだった衛兵を、エリマスはぎろりと睨み上げた。


「聖冠の神子に剣を向け連行するなど、一体誰の許しを得ての所業だ? 殿下にもご報告が来ていなかったと聞いたが、その腕章と頭は飾りか」


 地を這うような低い声。衛兵の肩が跳ね、視線が泳ぐ。


「ふ、副司祭様より、非常事態であるからと伝令が」

「ほう。王城に仕える衛兵が、聖殿の副司祭ごときの言葉に膝を屈したと。殿下の御命よりも聖殿の裁断を尊ぶと、貴殿らはそのように心得ているのか」

「滅相もございません……」


 散れ、と合図をすると、衛兵は勢いよく頭を下げた後、怯えながら足早に去っていく。 


「君も随分と啖呵を切ったそうだが、……あのゴミ副司祭に関わるとロクでもない。気を付けたほうがいい」

「……ご、ゴミですか」

「ゴミだ。いずれ私の目が黒いうちに引きずり降ろしてやる」


 貴族らしくない苛烈な言いように、強張っていた指先から力が抜ける。


 やはりエリマスには相談しておくべきだろうか。

 騎士グレアムのこと、奪われた力のこと、胸に巣食う懸念──しかしどこまで話せばいいのか分からない。

 一言誤れば、心を病んだ私がいよいよ冥王に傾いたと見なされるだろう。


(ただ、私の中で揺らいでいるのは事実で)

『どうか思い出してください。冥王は争いなど、決して望んでいない』

 落ち着いたメガイラの声を、反芻(はんすう)する。


「あの、……エリマス様」

「なんだ」


 太陽はもう天辺を超えていた。不穏な気配とは裏腹に、あまりに穏やかな空がエリマスの背後に広がっている。


「今回の件を含め、ご相談したく」

「ああ、聞こう。今日の業務後であれば時間はある」

「できれば、……王城の外が良いのですが」


 すでに王城の中は味方ばかりではない。エリマスは僅かに目を細め、頷いた。


「……人払いができる場所を探しておく」



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