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◆ ◆ ◆




 私は当然聖冠の神子でも主人公ラミアでもない。


 しがない不死の化け物である。



 更に言えばラスボスの冥王でもなく、冥王を闇落ちさせた原因であるペルセポネでもない。


 原作では主人公ラミアとオルフェンの前に立ちはだかる冥王軍の中ボスの一人に、運悪く転生してしまったらしい。

 十一巻で終わってしまう原作では中ボスの過去なども描かれるはずもなく、そのせいで私はこの世界に来てから十年程はここが『ペルセポネの冥戦』だと気づかなかった。


 生を受けた闇の森から抜け出せたのも、ファンタジー世界らしく化け物退治にやってきた冒険者たちにうっかり私が可哀そうな捨て子だと拾われたからだ。

 孤児院に入ってからは前世の記憶を頼りになんとか頭のいい有用な子供として必死にアピールし──いくつもの修羅場をくぐり抜けようやく辿り着いたのがアルカヌム伯爵家だった。


(にしても、未だかつてないくらい面倒なことになっちゃったな……)


 せめて転生させられるなら、主人公のラミアか冥王かペルセポネあたりの主要キャラとして派手に立ち回りたかった。

 不死のオプションなんてほしくなかった。


「ノーナ様、何かご不便はございませんか?」

「ええ、全く」


 とはいえ私は今、前世でも見たことのないような大浴場にいる。

 高い天井の下、白金の梁に吊るされた香炉からは甘く重たい香煙が立ちのぼり、湯気と混ざって視界が淡く霞む。

 周囲には十人以上の侍女が控えて、手際よく私の身体を清め、香油を塗り、絹のような布で包み込むように拭っていく。

 まるで、姫君をもてなすかのように。 

 ほんの少し前まで棺の中で死体になっていた女相手なのだ。念入りに清めたくなる彼女たちの気持ちも分からなくはない。


 そうして一切抵抗する間もなく、私はいかにも神子らしい服装に着替えさせられていた。


「何なりとお申し付けくださいませ」


 何度でも言う。

 激烈面倒なことになった。

 とはいえあの場で王城入りを断れる人間がいるなら教えてほしい。


 私は今、主人公ラミアが本来なるべき聖冠の神子を騙る、不死の化け物。

 己の欲と独善だけで、本来エリマスが負うべき右目の傷を治し──聖なる加護よりももっとドス黒い力を与えてしまったのだから。


「この後改めてノーナ様には国王陛下と大司祭様にお目通り頂く手筈となっております」

「……承知しました」


 侍女に従いながらも、私はその裏で悶々と思考を巡らせていた。


 彼が右目に傷を負う時期が今回正確だったということは、主人公ラミアの登場まであと半年。


 聞いたこともない伝説のせいで今回の蘇生をポジティブに捉えられてしまったのは予想外だったけれど、ラミアが現れれば私が偽物であることは明らかになるだろう。

 死んでしまえば実家であるアルカヌム家に迷惑をかけないと思っていたものの、こうなってしまった以上何としてでも合法に脱出する策を考えなければならない。


 王家を騙す偽物神子を出した家ともなれば家門の廃絶だけでは済まない。義理と人情の日本人たるもの、自分が何度生き返ろうがさすがに寝ざめが悪いというもの。



 となるとやはりどこかのタイミングで良い感じに死んでおくのが吉か。



 通された謁見の間は、聖殿よりもはるかに荘厳な造りだった。床は鏡面に近い白大理石で、歩くたびに靴音が反響し、空間の広さを思い知らされる。

 無気力に連れてこられた私でさえ、その迫力に飲み込まれそうになるほど。


 謁見とは言っても床に跪くようなことはことはなく、王家の壇上より一段下の位置に儀式用としか思えない巨大な椅子への着席を勧められた。

 背もたれは天井近くまで伸び、まるで座る者を"神子"として祀り上げるための舞台装置のよう。


 そしてこの謁見というのも名ばかりで、私の今後の処遇について、この場にいる私を置いて淡々と会議が行われるばかり。


 千年に一度の奇跡。

 聖冠の神子の中でも選りすぐりの力の持ち主であるはず。

 王太子の婚約者候補に内定すれば王家への支持は更に高まるだろう、その他諸々。



「して、聖冠の神子ノーナ・アルカヌム伯爵令嬢は、何故その尊き聖なる加護の力をエリマス・メレアグロス公爵に授けられたのでしょう?」



 大司祭の問いは儀礼的でありながらも鋭い。こうなるのが嫌だったから、あの場で即座に死ぬことにしたというのに。


 玉座の間には国王陛下、王妃殿下、そしてあの王太子オルフェンまで。さながら王家オールスターだ。

 オルフェンも当然ながら読者人気の高いキャラだったけれど、私の目にはエリマスほどの輝きは映らない。他人が推しているアイドルのようなものだ。


 そして視界の端には、件のエリマス本人が控えている。

 面識もない貴族令嬢から命を代償とする加護を与えられた本人が一番困惑しているだろう。その表情に色はない。


「それは……」

「対象となる者のあらゆる傷を癒し、死の運命さえ退ける強大な力──それは貴女のお命と引き換えに、生涯に一度のみ行使ができるものでしょう」


 あの場で即座に死のうとしたのだから、知らないはずがないとでも言いたいのだろう。


「重すぎるその代償を負ってまで、なぜ公爵に?」


 ここに来るまでの間、筋書きは何通りも考えていた。

 どれを話したところで、エリマスにとっては気味が悪いものだろうけれど。



「……実はメレアグロス公爵に以前、命を救われたことがございます」



 嘘ではない。

 前世の私が、ある種エリマスに命を救われたことに違いはないのだから。


「命を?」

「ええ。しかし公爵ご本人にはそんな覚えはないかと……結果的に私が救われたと感じている出来事があったまでです」


 この場で必要なのは、整合性の取れた、破綻のない事実だけだ。


「その礼として加護の力を?」

「本来このような私の独りよがりな行為は、罰せられるべきでしょう。……ですが」


 そう、これは万が一のための保険。


「一度冥界に渡った際、私は確かにステュクス神よりお告げを与えられました」


 聖殿でのざわつきよりも、さらに大きなどよめきが謁見の間を揺らした。

 正面に並ぶ王族たちの表情が、明らかに動揺している。

 無理もない。この国の人々は、ステュクス神を何よりも敬い、そして心から畏れている。それは信仰というより、むしろ刷り込まれた恐怖に近い。



「"力を失いし神子に代わり、新たな聖冠の神子が間もなく舞い降りる"と」



 これは将来、主人公ラミアが登場しても違和感を持たれないための布石だ。


「聖冠の神子が同時に二人出現した例などあったか?」

「しかしこれが事実なら……」


 この場にいる彼らが今信じるかどうかはどうでもいい。

 ただ実際、即死だったはずの私が生き返ったことは事実。途方のないはったりにも信憑性が増したはずだ。


「相分かった」


 王の声は低く、しかしよく通る。

 まるでこの空間そのものが彼の言葉を待っていたかのように息を呑む。

 形式に従い、私は静かに頭を垂れた。


「何がともあれ、貴女の献身により我らはメレアグロス公爵の光を失わずに済んだ。王国の未来を守るその行いに、今一度、深く感謝を申し上げる」


 その瞬間、玉座の間の空気がわずかに緩んだ気がした。


「先刻申し上げた通り、貴女にはこの王城にて、いかなる不便もなく過ごしていただくよう手配させている。加えて──」


 王は一拍置き、私を見据える。



「貴女の望むものを報償として授けよう。何なりと申されよ」



 思ったよりも都合のいい展開だった。前のめりにならないよう、私もまた言葉に間を置く。



「……では恐れながら、陛下。私の望みを申し上げます」




◆ ◆ ◆




 それから三日が過ぎたものの、王家の客人という立場は想像以上に退屈だった。

 何をしても誰かの目に触れる。そして当然、その目はどれもしっかりと距離を置いたもので。


 聖冠の神子とはいえ、すでにその最強の一手は失ったという設定だ。侍女や使用人たちには良くも悪くも遠巻きに扱われ、しかしステュクス神のお告げを聞いたというホラが効いているのか、邪険にされることもない。

 敬虔な人々からは、まるで聖遺物でも見るような眼差しを向けられる。


「かと言って仕事をしようにもな……」


 前世で、取引先の重役の息子が中途入社してきた時のことを思い出す。誰もが気を遣い、距離を取り、何も言えないあの空気。おそらく私が勇み足で働き出しても、そんな空気をもたらすだけだろう。


 半年後、主人公さえ現れてくれれば私はお役御免だ。


 当面の住まいとして与えられた部屋は、広すぎて落ち着かない。窓辺の高級な腰掛に浅く座り、足をずるずると投げ出して姿勢を崩しながら、外を眺めていた。庭園の噴水が陽光を受けてきらめき、遠くで鳥が鳴いている。

 そんな静けさの中、控えめに扉が叩かれた。


「……エリマス・メレアグロスです。今しばらくお邪魔してもよろしいでしょうか。……侍女を連れておりますので」

「えっ、あ、ええ。どうぞ」


 慌てて姿勢を正し、立ち上がる。

 扉が開くと、三日ぶりに動く最推しことエリマス・メレアグロス公爵その人が現れた。

 何度見ても眩しい。この輝かしいほどの顔面偏差値、見るたびに視力が矯正されていく可能性すらある。今の私にはもう眼鏡は必要はないけれど。


「ご休息中に失礼いたします」

「いえ、お気遣いなく」


 あれから、彼は本当にその身に聖なる加護の力──分かりやすく言うならば、命を奪うほどの傷以外はたちどころに癒えるその力が宿っているかどうか、徹底的に検査されたのだろう。

 その端正な顔にはわずかに疲れの色が滲んでいた。


「ご挨拶とお礼が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げたく……」

「どうかお気になさらず。すべては私の独断によるものです」


 このエリマスが右目の視力を失うほどの怪我を負ったのは、王太子オルフェンを襲った刺客から庇ったためだ。

 なおこの描写は最終巻でエリマスが息絶える際、サクッと走馬灯のひとつとして登場する。オルフェンが二度も自分の命を救ってくれたエリマスを前に絶望する場面は腐女子界隈が発狂した名シーンであり、しばらく『エリマス生存説』と共にオタクの亡霊たちがネットを席巻したのも懐かしい。


「改めて、此度の貴女様の施しには、いかなる礼を尽くせばよいか……当家より何か献上させていただければと」


 騎士のように跪いたエリマス。そのつむじまで美しいことに絶句しながら、私はつらつらと建前を並べる。


「すでに国王陛下より報償のお約束を頂いておりますので……」

「でしたら、貴女が願われたその報償──"次に現れた神子"と私の婚約とは、いかなる意味を?」


 そう、私が国王陛下に願ったのはただ一つ。

 まだ見ぬ主人公ラミアとエリマスの恋の成就、言うなれば予約だ。題してオルフェンルートお断り命令。


「ご心配なく。次の神子は間もなく現れます。ステュクス神の導きにより必ず」

「しかしそれは──」

「もしやメレアグロス公爵は、」


 礼を述べに来たのも事実だろうが、この独断に文句を言いに来たのもまた事実だろう。

 私はエリマスのそういうところが好きだった。

 権威に媚びず、己の信念を貫く姿。六巻では王位を狙っていると疑われたが、兄王への忠誠を証明する感動エピソードが描かれた。

 私は六巻だけ五冊買った。


「神子は王太子殿下と結ばれるべき、そうお考えなのですか?」


 怒っているのを一生懸命隠そうとしているご尊顔のなんと尊いことか。

 どのSNSにも書き込めないのが悔やまれる。


「そのお考えも理解できます。しかしすでに聖なる加護の力を得た貴方だからこそ、神子と対等に寄り添えるのです」

「……どういう意味です」

「王太子殿下が神子と結ばれれば、神子はその命を殿下のために燃やしてしまうでしょう」


 私が未来のラミアとエリマスとの婚約を要求した時、その理由を国王には問い詰められなかったが、おそらく彼は理解していた。

 というより、私が躊躇なく己の首に刃を突き立てたのだからその想像に真実味は増すだろう。

 対象となる者のあらゆる傷を癒し、死の運命さえ退ける強大な力。それは神子の命と引き換えであることは周知の事実。

 最終巻のエピローグでもでも王太子はラミアを喪った後、心の穴を埋められず誰とも添い遂げなかった。

 王家の現実を考えれば、それでは困るのだ。


「万一にもそんなことがあれば、心優しい殿下は生涯ひとりでお過ごしになられるかもしれません」

「……それもステュクス神の導きと?」

「いいえ。これは冥界の川辺にたどり着いた私が見た、もう一つの世界……言うなれば、予言にも近いものでございます」


 良かった、中二病ギリギリの二次創作に両足突っ込んでて。こんなにスラスラと嘘が出てくるなんてもはや才能だ。

 無理やり納得させられたように押し黙るエリマスに、私はほっと胸を撫でおろす。


 死を以て退場し損ねたことは想定外だったけれど、ここまでやれば準備万端だろう。

 あとは私がうまいこと退場すれば、料理は仕上がる。


「献上いただくようなことはないのですが、ひとつ、公爵閣下にお願いしたいことがございます」

「お願い?」

「私、このまま客人として持て成されるだけというのは、どうも向かない性分で」


 暇なのも苦痛だが、何もしないとなるとここからいずれ出ていくためのフラグ形成に問題がある。

 シンプルに推しを遠巻きにでも眺めていたいという下心もありつつ、しかしそれだけではない。


「せっかくですから、神子らしいことをさせていただけないかと思って」


 困ったような顔のエリマスもまた、一興。




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