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◆ ◆ ◆




 ラミア・ヴェスペルという少女は、救世の象徴に相応しかった。

 王国民に向けての声明、騎士団への慰労、両陛下への謁見、どの場においてもその言動は神の遣いそのもの。台本を用意されていたとして、その声色や表情は演技とは思えない。


 聖殿管轄から正式に王家預かりとなったラミアは王城に住まうこととなり、以前より頻繁にすれ違うようになった。


 私という微妙な立ち位置の人間にも分け隔てなく接し、王城内の困惑を自然に統制している。

 庭園でのティータイムでは年齢相応の会話を楽しみ、傲慢さはなく謙虚そのもの。侍女たちはすでに彼女に心酔していた。


 私にできるのは、拒絶せず、目立たず、反感を買わないように過ごすことだけ。


(……やっぱり聖殿の禁書庫にでもいかないと出てこないか)

 ここ数日、仕事が終わった後はそそくさと王城内の図書館に入り例の件──グレアムから出てきた異形が言っていた"イコル"という言葉について調べていた。

 けれどどの辞書にも物語にも文献にもない。

 言葉はもちろん、あんな見た目の異形は『ペルセポネの冥戦』でも登場しない。


 台詞の文脈から判断するに、力のようなものを差すのだろう。

──”潤沢な霊液をありがとう、私は完成された”。


 不自然な重傷、力の効きの悪さ、私の身体の痛み、そして魂がないのに動く男、目覚めた聖冠の神子の力。

 作中では瀕死からの回復なんて、それこそ聖なる加護の力でもなければ不可能だ。グレアムのあの傷を完全に癒すなどあり得ない。


 共に襲われた使用人は、そんなラミアの力を持ってしてもまだ目覚めておらず、陽の当たる治療室の一角で眠り続けている。

 一方で助かったグレアムは襲われた当時のことを何も覚えていないといい、犯人の手がかりはまだ見つかっていなかった。

 




 その日午後から休みを取った私は、例のフラウス村への再訪を計画していた。

 ついでに道中で適当に化け物退治をしつつ、力の回復を狙う目的もある。

 エリマスが午後から枢密院の会議に出なければならない、つまり万が一にでも私についてこないことを把握した上での段取りだ。


 王城からの外出許可書を門番に提出しようと廊下を歩いていると──反射的に物陰に隠れてしまった。

 向こうから歩いてくるのは例のグレアムとレミジオだ。

 目を逸らしたくなるのを堪え、そうっと遠目から見やる。違和感のない足取りに表情、しかしやはりそこに、命の光はない。


 それでも他の人間には気づかれない。彼はすでに、生ける伝説になっている。



 向かう先はラミアの母親の元だった。

 本当なら事前に手紙の一通でも送っておきたかったけれど、ティシポネの言動から王城内に敵が潜んでいる可能性も考えアポ無しで訪ねることにした。詫びの品もいくつか携えている。

 

──しかしそれよりも。

(……普通にヒュドラ倒しちゃったな……)


 二巻でラミアとオルフェンが苦戦する化け物、猛毒の大蛇・ヒュドラ。村の奥の沼地に棲み、神すら苦しめる毒を持つ怪物として恐れられていた。

 主人公ラミアたち一行がその毒を冥王戦の武器とするため、冒険序盤で挑みにいくはずだったのだけれど、本日化け物出現の噂を聞いて立ち寄った私が先ほど一撃で仕留めてしまった。


 漫画のようにト書きで情報が出るわけではない。目の前にビル三階分の巨体、九つの首を持つ化け物が現れれば、誰だって反射的に()るだろう。


 本来ならこの毒にかかったオルフェンが一時洞窟に撤退し、ラミアの必死の癒術で立ち直る場面がある。彼女の姿にオルフェンは恋に落ちるはずだった。

 それはいいとして、ヒュドラの毒を手に入れ損ねたのは痛い。しかし確かあの毒は十巻でアレクトを封じるために使われたはず。

 今のところそのアレクトは敵に回っていない。


(なら、いいか)


 そうして私は、少し遅れを取りながらフラウス村へと向かった──のだけれど。





 予想していたはずの展開だった。

 それでも、手に抱えた土産を落としそうになるほどの衝撃を受けている。


 ラミアの母は原作通りよりも早く、私たちが前回この村を去ってからわずか二週間ほどで亡くなったそうだ。

 私が会った時にはまだ病にはかかっていなかったはず。それでもまるで、娘の後を追うように瞑目したというのは村長の話だ。 

 

 母娘二つ並んだ墓石を前に、私はただ呆然と立ち尽くす。


 分かっていたことだ。

 本当にこの死を防ぎたかったのであれば、病にかかる前に彼女を王都にでも連れていけばよかった話で。

 あの後にすぐラミアは聖冠の神子として現れたのだ、もしかしたら娘にそっくりな彼女に会わせてあげられたかもしれないのに──


 そこまで考えて、どくりと胸の奥が嫌な音を立てる。


 じっと墓を見下ろし、(ひざまず)く。

 本当にこの土の下に、フラウス村の少女ラミアの亡骸が眠っているのだろうか?


 確かに命を落としたはずのグレアムが息を吹き返した、あれがもし彼女の身にも起きていたとしたら?


(いや、でも()()ラミアはヴェスペル家の娘で……)


 空は夕刻の色を帯びていた。薄く引き伸ばした雲が垂れ込め、墓石の影を長く引き伸ばす。

 その下で私はただひとり、乾いた土の匂いと冷えた空気に包まれていた。


 この世界の埋葬方法は原則土葬、この村も例外ではないだろう。 


 墓を無断で掘り起こすのは犯罪だ。

 大義名分などない。

 王城で無理やり承認を取るか、しかしもし万一あのラミアにこの行動を知られたら?

 本当に別人だと言うなら私の気が狂ったせいだと言えばいい。

 夜なら誰にも気づかれまい、このひと気のない村なら。


 良心と猜疑さいぎ心が天秤を揺らす。


(違う、そんなわけない)

 グレアムが人形であることですら一目で判断できたのだ。ラミアが同類なら、ここまで気づかないはずがない。




 逃げるようにフラウス村を後にした私は、その足でとある貴族の領地──ドムナール伯爵領に向かっていた。

 敗戦国の捕虜を闇市で買い取り、人体実験用のモルモットにしていた貴族。実際には当主である伯爵は見て見ぬふりをしていただけで、悪の主犯はその夫人だったはず。

 そう、次にメガイラの手にかかる予定の悪党だ。


 分かっている以上、メガイラよりも先に捕まえ、正当に罰せられなければならない。

 私はどこか、言い知れない義務感に駆られていた。


 御者にはドムナール伯爵領に入る寸前で怪我をしたと嘘を吐き、大げさに足首に包帯を巻いて見せた。

 ドムナールは長く子爵家だったが、前当主が薬学に通じ、領内で流行した疫病を鎮めた功績によって伯爵位を賜った新興の家柄だ。私の実家であるアルカヌム伯爵家に比べれば歴史は浅いが、爵位としては同格。令嬢が旅の途中で怪我をしたので休ませてほしいと頼れば、断る理由はなく歓待されるはず。


 そしてその読みは見事に当たり、御者にはまた明日迎えを依頼するからと単身で伯爵邸に乗り込むことに成功した──のだけれど。


 しまった。

 勢いだけでここまで来たものの、現場を押さえたところでどうにもならない。

 脅しに使える印籠もなければ、関係者を一網打尽にできる力もない。

 かといってここで夫妻を私が断じれば、それではメガイラと同じだ。


 丁寧に通された客室で呆けていた私は、控えめに扉を叩く音ではっと我に返る。

「アルカヌム伯爵令嬢様にお茶をお持ちしました。入室の許可を頂けるでしょうか」

「え、ええ。お気遣いありがとう」

 給仕車を押してしずしずと入ってくる侍女に頭を下げ、ふと視線をやって、時が止まる。


「……えっ」

「あ」


 まさにティシポネと対峙した時と同じ感覚。静電気のようにばちりと身体の中を弱い電流が巡る。

 相手も同じだったようで、けれど私ほど驚いてはいないようだった。


「やはり、糸績みの魔女でいらっしゃいましたか」


 冷めた口調で給仕車を止め、茶を注ぎ始める。


「な、なんで、こんなところに、」

「もしかして私の居場所、あのバカ女から聞かれました?」

「バカ女って」

「ティシポネですよ。べらべらしゃべりやがって」


 緑がかった黒髪にモスグリーンの瞳。

 気づかなければ大衆の中に溶け込みそうな、人畜無害そうな侍女の姿はまさにティシポネの対照──メガイラが、手の届く場所にいた。


「何しにいらしたんです? 見たところ本当にお一人のようですが」

「それはこちらの台詞というか……」

「……その身体、どうされたんですか」


 あまりにも普通の人間のように会話をしてくるせいで、調子が狂う。


「身体?」

「半分、千切られてますよね」

「え?」


 思わず自分の身体を見返す。千切られているはずがない、どこからどう見ても五体満足だ。


「ああ、ご自身では見えないんですね。霊液(イコル)が半分くらい──」

「そう、それ!」


 思わず立ち上がり、メガイラの肩を掴んでしまった。


霊液(イコル)って何ですか!?」

「……はい?」




◆ ◆ ◆




「つまり貴女は糸績みの魔女でありながら霊液(イコル)と言われても何ひとつピンと来ていないと」

「そ、そうです」

「なるほど。冥界でレーテの調合に問題があったのかもしれませんね」

「レーテ?」


 あろうことか私は敵の中でも実力者であるメガイラに縋ってしまった。

 

「忘却の神です。貴女の魂は冥界で洗われ、何度も糸績みとして生まれ変わっているでしょう。その魂を濯ぐのがレーテです。つまり、本来失われてはいけない記憶まで消されてしまったのでは」

「へえ……」

「そして霊液(イコル)とは、私や貴女、神々にとっての血。力の源そのものです」


 敵にしてはあり得ないほどに親切丁寧だ。立場が違えばこうも変わるのか。


「亡くなった騎士から黒いモヤモヤが出てきて、その異形が私に向かって霊液をどうもありがとうと……、しかも直後にその死んだ騎士が生き返ったんですが、あれは一体……?」


 支離滅裂な私を冷めた目で見返し、メガイラは言う。


「貴女の霊液が奪われたんでしょうね」

「奪うとかできるんですか!?」

「普通はできませんよ。しかし、何でしょうね」


 不死の化け物と断罪の神が並んで問答する、奇妙であり得ない光景。


「一度にではなく、徐々に吸われていたのでは?」

「徐々に……でもあのモヤモヤの化け物を見たのは初めてなんですが」

「仕組みは分かりませんが、貴女の霊液を奪えるとなると、すでに何らかの上位神の干渉を受けている可能性がありますね」

「となると私の鋏では滅せないと?」

「かもしれません」


 メガイラは溜息を吐き、足を組み直した。


「それにしてもこの私にそこまで話して大丈夫ですか。貴女、王太子の護衛でしょう」

「さすがの連絡網、なんでもご存じですね……」


 人間よりよほど連携が取れている。

 こんな知能のある異形を相手に人間ごときが勝てるわけないだろう、と天を仰ぐ。


「ここに来たのだって、何か勘づいたからでしょう? 足も、怪我なんてされていないようですし」


 彼女の理知的な瞳の奥がすうっと冷え、思わず息を呑んだ。

 

「この家の悪事を暴きにきたとおっしゃられるなら、お断りいたします」


 凛とした、強い声。


「望むならこの屋敷の地下牢をお見せすることも可能ですが、そのお手を煩わせる必要もありません」

「では黙って見過ごせと」

「私に出来ることは今夜貴女を無事に帰すことくらいです」


 善と悪の境界を司る神の化身。

 罪深き者のみを焼き払う断罪の炎は鮮やかに青く、炎でありながらまるで罪を雪ぐ聖水のように清い色をしていると。 


「ですからここで見聞きしたことはどうか忘れて、」

「スパルトイ子爵領の件も貴女ですよね。背景はさておき、これ以上罪を重ねるなら貴女を冥王の手先として追わなければ──」


 私の言葉にメガイラの目が瞬き、冷えていたはずの表情は瞬時に険しいものになる。


「……なるほど。記憶がないというのは本当のようですね。道理でおかしいと思いました」


 彼女は閉まった扉の向こうを見やり、わずかに逡巡すると腰を上げた。


「え?」

「まだお話したいことはありますが、あまり時間がありません。──ランパス!」


 メガイラの呼びかけと同時に窓の外に松明のような炎が走ったかと思えば、壁をすり抜けて目の前に現れる。宙に浮く火の玉が、まるで意思を持った生き物のように蠢いている。


無窮(むきゅう)たる糸績みの魔女。また近々お会いしましょう」


 揺蕩っていた火の玉が瞬く間に私の身体に纏い、抵抗する間もなく身体が浮く。


「待って、メガイラ……!」

「そしてどうか思い出してください。冥王は争いなど、決して望んでいない」


 彼女の声が遠ざかる。全身が炎に包まれているのに熱くない。


「ですが、」


 ただまるで、何重にも柔らかい布に包まれていくように、感覚が遮断されていく。


「貴女の目が曇っているわけではないことが分かって、何よりです」


 メガイラは薄く笑う。

 強引に閉ざされた視界は、白い閃光に塗り潰され──音も、感覚も、すべてが遠のいていった。





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