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◆ ◆ ◆
『一日王城に入るな、全てのことを考えずに過ごせ』
そう言って王城から追い出された私は現在、エリマスに勧められたケーキが美味しいスイーツ店で一人黙々とケーキを食べている。
一週間はさすがにやりすぎだと必死で抵抗した結果が一日王城出入り禁止の刑。
おまけにこの王都への外出にも一切の関係者の同行を禁じられ、なんと今日はメレアグロス公爵家付の侍女が一人ついてきている。
(名案だと思ったのにな)
あれ以上、詳細は聞いてもらえなかった。エリマスに私と同じだけの危機感を持てと言っても無理な話だろう。
彼は彼で対ティシポネについて考えるようだけれど、──考えたところでだ。
確かに、私の不死を終了させるための条件を満たすにはエリマスにリスクが伴う。
私の計画はずばり、今彼にかけている聖なる加護の力もどきの防御力アップを一旦解除し、別の人間に移すというもの。
『糸績みが心から信頼した者にはより強い加護の力を与え、更に双方愛し合ったなら、その者だけが糸績みの傷を癒し、不死を終わらせられる』
エリマスが私の不死を終わらせられない理由はここにある。
俗っぽく言うなら、私とエリマスが両想いにならなければならないということだ。
しかしそんなことはあり得ない。
ということで私は今から大急ぎで自分と両想いになれそうな相手を探し、そしてエリマスの代わりにその人に力を授け、サクッと私を葬って頂く──
「……ま、無理か」
エリマスに相談するまでもなかった。
そんなに都合の良い相手はいない。
ケーキは最後のひとかけらになった。
元の世界で食べていたケーキの味はもう思い出せないけれど、これはこれで私の心を慰めるには足りる。
溜息を零しながらやわらかいスポンジをフォークで掬って口に運び、カップに手を伸ばしたその時。
「お久しぶり、アルカヌムのご令嬢」
頭上にかけられた可愛らしい声に、身体が硬直する。
「…………ティ、」
ティシポネ。
私は一体どんな顔をしていただろう。
王都の真ん中、ほとんど満席のカフェで堂々と私の前に立つ彼女は、愉しそうに私を見下ろしている。
すぐ近くに控えていた同行の侍女は当然彼女の正体など知る由もなく、様子を窺うばかり。
鮮やかな赤褐色の髪に、しかし今日は品のある緑色のドレスを身に纏っている。気配は人そのもので、この距離まで私は全く気付かなかった。
まるで私が昨日まで彼女の話をしていたことを知っていたかのようなタイミングの良さに、全身が粟立つ。
「こちら、少しご一緒してもよくて?」
「……どうぞ」
空いた対面の椅子に、ティシポネは遠慮なく腰を下ろす。彼女の方は同行者を連れていないようだ。
この状況で例の防音の術を使うのは不自然。かといって先方の目的が分からない。
「貴女この前言ってたじゃない、好きな人に告白するって」
口を開いたかと思えば、まるで旧知の仲のように。
「……しましたね」
「その結果が気になって仕方がなくて」
猫のような目が、半月を描く。
他意も悪意もなさそうな声色に、ただただ戸惑う。
「振られましたよ」
「まあ。貴女ほどの方でも?」
「玉砕覚悟でしたので」
目は逸らさない、怯まない。私は彼女に怯える必要などない、命の危険などないのだから。
「それは残念ね」
派手好きな貴族令嬢の一人として、彼女はいとも簡単にこの空間に馴染んでいた。他の客の誰も彼女の異質に気づいていない。
「ねえ、ノーナ嬢」
気安くそう呼ぶけれど、これはすでに私がどんな名で人間社会に紛れているかを調べ上げているという示唆でもある。
「貴女、私と一緒に仕事しない?」
「しません」
「あは、即答?」
卓に両肘をつき、その瞳を鋭く光らせる。
「王城で働いているって聞いたわ」
「ええ」
「せっかく才能があるのに勿体ないと思わない?」
「とんでもございません」
「どうして? 王城に好きな人がいるから?」
「いえ、単に私の適性の問題だけです」
はぐらかしながら、躱しながら。
ティシポネは口角をぐにゃりと上げた。
「もう耳に入ったでしょう? この前の私の仕事の件」
「……存じ上げています」
「ぜーんぜん気づいてもらえないから、私の方から私がやりましたって誘導してあげたんだから」
人形のように作られたような長く反り上がる睫毛。この世界にまつエクがあったとして、ここまで派手にはしないだろう。
「もし貴女が私と一緒に仕事をしてくれるなら、貴女の好きな人だけは守ってあげてもいいけど」
「お気遣い痛み入ります。でも結構です」
ティシポネは気を悪くした様子もなく、口元に笑みを浮かべたままわずかに目を伏せる。
「あら、つれないこと」
彼女がその気になったとして、一体この場の何人が彼女の手にかかるだろう。
人を殺めたことがある人間など、そうそういるものではない。
「その気になったらいつでも呼んでね」
「? 呼ぶ方法があるんですか?」
「だって私たちお友達じゃない。呼ばれたらすぐ行くわ」
さすがに意味が分からない。きっと私は怪訝な顔をしていただろう、ティシポネは優雅に立ち上がり裾を払う。
「そうだ、」
ぽん、と柔らかく手を叩き、ティシポネは腰を屈める。何事かと身構えた私の耳元で、甘く囁いた。
「──人喰いには気を付けて」
「は?」
"人喰い"?
「何を、」
顔を上げて聞き返す前に、ティシポネの姿は消えていた。
慌てて侍女を振り返り「今いたご令嬢はどちらに!?」と問うけれど、侍女は目を瞬いて首を傾げる。
("人喰い"なんて言われるキャラクター、出てきてないんですけど……)
ここにきて本編未登場の新キャラが出てこられても対応できない。
今すぐにティシポネを呼び出して聞き込みたいけれど、当然その方法なんて知る由もなく。
彼女の方は変わらず人間の世界に溶け込み、私の居場所や素性を調べる手段があるということだ。
例えば普段侍女に成りすまして王城に潜んでいるとか、あるいは──内通者がいる可能性も疑っておいた方が良いだろう。
貴族令嬢としての振る舞いも忘れ、私はぐったりと背もたれに身を預けて溜息を吐いた。
私だけが一人底抜けに防御力が高くても、世界なんて救えない。
国ひとつ守れるようなバリアの魔法が使えるわけでも、全てを焼き尽くす破壊光線も放てるわけでもない。
「ほんとクソ仕様……」
小さく呟いた声は、幸いにも侍女は拾われなかったらしい。
ティシポネが再び現れたこの日を契機としてか、あるいは元から決まっていたことなのか。
じわじわとその亀裂は、大きくなっていく。
ほんの束の間の日常の後、いよいよ『ペルセポネの冥戦』の始まりでもある四月を迎えた。
呑気に眠っていた私が叩き起こされたのは、日付をとうに越えた深夜。
扉を叩く音は、まるで破壊しようとしているかのように激しかった。叫ぶような声の主は、癒術師のヘメラだ。
「ノーナ様……! お休みのところ大変申し訳ございません!」
寝ぼけたまま扉を開けた瞬間、私は息を呑んだ。
ヘメラの衣服が、赤黒く濡れている。
「ああ違うんです、これは私の血ではなく……」
廊下には馴染みの侍女が二人、蒼白な顔で待機していた。
──ただ事ではない。
寝間着のままでいいと言われ、そのまま腕を引かれるようにして治療室へ向かう。
道中の説明は断片的で、走りながらの早口だった。
王城内で二名が何者かに襲われた。
一名は瀕死の騎士、もう一名は息だけはあるものの意識のない使用人。どちらも若い男性で、発見された場所もそれぞれ異なるという。
「襲われたって、つまり刃物で刺されたとか」
「いえ、それが」
治療室の扉を開けた瞬間、空気が変わる。
錆びた金属の匂いが鼻を刺す。そこは、まるでドラマで見る救急救命室そのものだった。
十数名が寝台を囲み、怒号にも似た声で指示を飛ばし合い、血に濡れた布が次々と床に落ちていく。見覚えのある侍医の顔も、緊張で強張っていた。
「ノーナ様!」
「聖冠の神子がいらっしゃったぞ!」
一斉に振り返る視線に、思わず足が止まる。期待と焦りが混じった、縋るような目。
床に散った鮮やかな赤が、現実感を奪っていく。
拭っては捨てられた布切れが山のように転がり、奥の寝台に横たえられた二つの身体が目に入った瞬間、喉がひくりと引きつった。
(半端な癒術のせいか、)
スパルトイ子爵の惨状を思い出す。治しきれず、ただ生かされているだけの姿はいっそ死よりも残酷だ。
「ラミア様は?」
「ら、ラミア様はこの部屋を見て、倒れてしまわれて」
瀕死の騎士の前に立つ。何度も血を吐いたのだろう、口元は赤黒く染まり血のりが固まり、腹部は──傷の形すら判別できないほど抉れていた。
私も、ここまでの傷を治したことはない。
「このような傷になると縫合もできず」
「内臓がいくつも傷ついていて出血が止まらないんです」
「癒術師が三人がかりでもここまでが限界で」
口々に侍医たちにそう説明されるけれど、私に医療知識なんてない。
ただ目の前に死が迫っているという事実だけが重くのしかかる。
彼はもう虫の息だ。
手をかざすと、指先が震えた。
私の癒術に限界はない。他の癒術師やラミアのように倒れることはない。
けれど、この傷が塞がる自信なんてない。
私は傲慢で自分勝手な不死の化け物で、救世の天使じゃない。
「この騎士は来月結婚を控えているんです……」
──ただエリマスの幸せだけを願っていたいだけなのに。
(とはいえ、さすがに重傷者を二人抱えたこの状態で他の人たちを追い出すわけにはいかない)
全力でやるならあの白い糸が出てきてしまう。
かといって隠しながら時間をかければ、その前に彼の息が止まる。
試しに力を籠めるが、やはり感覚が掴めない。
まるで絞っても絞っても水がしたたり落ちる雑巾を相手にしているようだ。
作中でも私はこんな怪我人を相手に献身していた描写はなかった。
「犯人は見つかってないんだろう」
「王城内にも異形が出たなんて……」
「でも冥王の印は残ってなかったらしい」
周囲から伝わる諦めと、見えない脅威への怯え。
騎士の中に灯る光が、弱く、細くなっていく。
あの白い糸が普通の人間には見えないのなら──いっそ力を惜しまずに、と考えかけたその時。背後の扉が勢いよく開かれ、私は思わず振り返る。
「グレアム!」
制止を振り払って飛び込んできたのはレミジオだった。
騎士ということは、彼の元同僚か。
血にまみれ横たわる身体を見やり、レミジオはわずかに怯んだようだった。
「どうしてお前が……」
それでも寝台まで駆け寄ると、手が汚れることも躊躇わず傍らにしがみつく。
「……レミジオさん。お気持ちは分かりますが今はお下がりください」
感染症だとか消毒だとか、そういう概念はこの世界にはない。血液型すら存在していなかったな、と一瞬乱れた意識を引き戻す。
そこでようやく私に気づいたらしいレミジオは、眉を下げた。
「ノーナ、……彼は助かるだろうか」
「……即答できません。申し訳ございません」
その時になってようやく、誤魔化してきた古傷がじわじわと痛み出していることに気づく。
いくら治癒力が高くても、ここまで出力を上げれば反動がある──なるほど、新しい学びだ。
「幼馴染なんだ」
「……」
「どうして……一体誰が……」
望み薄だと、はっきり言えたらどれほど楽だっただろう。
仮に私がここで全力を注いでも、助かるかどうかは分からない。
生き永らえたとしても完治は難しい。せいぜい出血を抑え、息を繋ぎとめるのが限界だ。
もう一人の被害者である使用人はまだ意識が戻らないけれど、明らかにこちらの騎士の方が深刻だった。
「とにかく、今は下がってください」
余裕がないせいか、思った以上に声が冷たく響いた。
はっとしたようにレミジオが外へ連れ出されていくのを視界の端で見送り、胸の奥から重い溜息が漏れる。
犯人が見つかっていない以上、この部屋の外は今ごろ大混乱だろう。厳しい選抜を潜り抜けた騎士がここまでの重傷を負った、それだけで王城全体が震撼する。
オルフェンの身はエリマスが守っているはずだ。レミジオも本来なら持ち場を離れている場合ではない。
──それよりも、倒れたというラミアに苛立ちを覚えた自分に気づき、胸の奥がざらりと嫌悪で満たされる。
ラミアは普通の女の子だ。
こんな凄惨な現場を見て倒れたって、何もおかしくはないのに。




