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「──却下だ」


 翌日。まずは直属の上司に、ということでエリマスに声をかけたのだけれど、私の案を話し終えるより早く返ってきたのがこの一言だった。


「しかし、」

「これ以上嘘に嘘を重ねれば破滅するのは君だけじゃない」


 そう釘を刺されれば何も返せない。王国の民を(あざむ)く、それは当然大罪だ。

 例えそれが王家の承認を得たとしても。

 ただ、そうは言っていられない事態がもう目の前まで迫っている。

 すでに悲劇は予定より前倒しで進み始めているのだから。


「仮に君が彼女の裏に立ったとして、二人が共にいない状況で彼女に力を求められたらその瞬間に破綻する」

「……それは確かに、おっしゃる通りです」


 例えば今回のように傷が治らない私が倒れた場合だ。逆もまた然り、ラミアに何かあっても同じことになる。

 冷静に考えれば分かることだ、けれど。


「今はそれよりも」


 エリマスが深い溜息を吐いた。


「君、他人にずけずけと物を言うのは得意だろう」

「? 何でしょうか、藪から棒に」

「立て続けに悪いが、……頼みがある」





 その日の夕方、エリマスに指定されたのは例の聖苑の庭──王城の中でも高位聖職者と王族の血縁しか立ち入りが許されていないあの場所だ。

 陽はすでに傾き、冬の空はゆっくりと色を変えつつあった。西の端にはまだ滲むように朱色が残り、反対側からは濃紺が静かに滲み寄ってくる。

 その二つの色が境目もなく曖昧に溶け合い、庭全体に淡い翳りを落としていた。


 おずおずと敷地内に入ると、以前私も座ったことがある東屋に先客がいた。 

 淡い橙色の髪は夕暮れの光を受けてかすかに輝き、弱い風に揺れている。


「……この聖なる御苑にて背後より声をかける無礼、どうかお許しください。グラナトゥムの瑞光ずいこう、オルフェン王太子殿下」


 思わず顔が引きつるのを堪えながら、正しく声をかけた。

 振り返ったその顔には、なるほどエリマスを悩ませるのも分かるほどに憔悴した表情が浮かんでいる。

「ああ……昨日治療院を出られたんでしたね。体調はどうでしょうか」

「概ね回復しております。ご心配とご面倒をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます」

 着席を勧められ、対面に腰を下ろす。

 つい登場人物の一人として認識してしまいがちだけれど、この世界では一国の王太子、そして唯一世界を救うことができる主人公たる人物だ。

 何がどう辛いのかはさておいて、このまま腑抜けていられては困る。


「改めて狩場での一件、護衛としてお傍におりながら殿下のお怪我を回避できず、申し訳ございませんでした」

「……いえ。貴女に一切の責はありません。むしろ身を挺して下さった貴女に、見舞いも礼もできず」

「滅相もございません」


 建前と建前が続く。

 空が闇に包まれていく移ろいが、まるで彼の心の疲弊を映しているようで。

「差し出がましいようですが、方々(ほうぼう)から殿下にお元気がないと伺いまして」

「はは、方々からですか」

 乾いた笑いに、感情は乗っていない。


「……私の悩みでも聞いてやれと言われましたか?」

「いえ、恐れながら、何の詳細も聞かされておらず。殿下には悩みごとがおありなのでしょうか」


 エリマスにはとにかくここに行け、オルフェンと会話をしろということしか言われていない。

 彼は何らか勘づいているのだろうけれど、ここまでノーヒントなのは意図的なのだろう。

 拍子抜けをした表情のオルフェンは薄く笑い、ぐったりと身体を背もたれに預けた。


「なるほど。信頼されているんですね」


 宙に吐くように、オルフェンは天井を仰ぐ。


「……怖いんですよ」

「? 怖い?」

「何もかもです。冥王だとか伝説だとか異形だとか、……私に擦り寄る貴族も、貴女のことも、エリマスのこともです」


 大人びた輪郭の中に、未成熟な子供の陰が見えた。


「生きているだけで命を狙われる。ただ生きているだけで、私は国を脅かす何かから民を守らなければならない。王の子に生まれたというだけで全てを受け入れなければならないんです」


 その瞳は私には向けられず、陽の落ちた空を映していた。


「こんな臆病な私より、エリマスの方が遥かに王位に相応しい。陛下も薄々勘づいているはずなんです」


 原作のオルフェンは、こんな弱音を吐く人物ではなかった。

 常に勇敢でラミアの前に立ち、あらゆる理不尽にも向かっていく主人公。

 けれどあのオルフェンも実際には心の奥底に抱えていたのだろうか。今にも崩れ落ちそうな、この脆い本音を。


「本当にそう思われるなら継承権を譲られては?」

「……簡単におっしゃられますね」

「いえ、最悪の場合譲る相手がいるというだけ、幸運かなと」


 現王の異母弟であるエリマスは王位を望んではいない。しかし必要とあらば覚悟を決めるだろう。

「あり得ません。争いが生まれます」

「だとして、それも殿下には関係のない話では。エリマス様ならうまく治めて下さるでしょう」

「……喧嘩を売りに来られたので?」

「上辺で励ました方が良かったんですか?」

 オルフェンに嫌われようが好かれようがどうでもいい。

 王城から追放されたら困るけれど、そんな権限は彼にはないだろう。そしてオルフェンがそこまで愚かではないことも、目の前で息をしている彼を知った上で理解していた。


「…………あの黒い矢は、エリマスが右目を失った時と同じものでした」


──なるほど。だからあの時、不自然なくらい動揺していたのか。

 となると、ほんの数か月前に自分の右目の光を奪った矢の下に向かって躊躇なく駆け出したエリマスの背は、どれだけオルフェンを落ち込ませただろう。


「矢が放たれて皆の気が取られて、ほんのわずかな隙に何か黒いものが横切って、次見た時には彼の右目が──」


 植え付けられたトラウマは、そう簡単に克服できるものではない。

 自分の背を任せられるほどの実力者が手も足も出ず傷を負わされれば、揺らぐのも自然だ。


「なのに私はどこかで安心したんですよ。自分を護ってくれるかけがえのない存在がそんな大怪我を負ったというのに、……これであの方は完璧ではなくなったと」


 それはまるで、私がラミアに登場してほしいと願いながら、一方で自分と同じ"化け物"であってほしいと望んだ、あの矛盾とよく似ていた。


「ところがどうです。ぽっと現れた聖冠の神子が命を懸け、たちまちその右目も治してしまった。喜ばしいことです。それもエリマスの人徳、善行が招いたことでしょう」


 薄く笑みを浮かべながら、けれど瞳には鈍い光が宿っている。


「ですがこれで本当に完璧になってしまった。私を無条件に護り、欲も持たず、公平で。稀有な存在である貴女に愛を捧げられながらその幸運を願われる。……王どころかいっそ神にすら近い」


 単なる年齢差だけでは埋まらない、オルフェンが自覚した格の違い。

 王子という宿命を背負う覚悟はあるのだろう。濁りそうになる心を必死に護るために本音を隠し、飄々と振舞うのは歪な努力の成果なのだろう。


「そう。分かります。エリマス様って完璧なんですよね」


 魂は清廉、それでいて容姿端麗でほどよく自分の価値を理解しながら、けれど利用できるものであれば化け物にだろうと手を差し伸べる。

 畏怖の念すら抱くレベルだ。


「今のところ異論なしです。よって私と殿下は同志に近いと言うことが分かりました」

「は? 同志?」

「エリマス様を崇め、推しているという点です。ああ、ここでの"推す"についてはリスペクトを一歩超えた先にある、単なる愛情や執着とは異なる概念で」


 目を丸くしたオルフェンはしばらく呆けて「なんだそれ」と、眉を下げて笑う。


「いいじゃないですか。一生敵わない相手がいて、その背中を追い続けられるというのもまた幸運なことですよ」

「……貴女の、なんなんだ? 底抜けに前向きというか、適当というか」

「不敬を承知で申し上げますが、結局のところ私とオルフェン様は他人ですから。同じ目の高さで物を見ることはできないんですよ」


 青磁の瞳は、ようやくこちらを向いた。


「本当に貴女はこう、私に気に入られたいとか、もっと覚悟をしろとか、そういうのはないんですね」

「めげずに頑張って頂きたいなとは個人的に思いますよ」

「思ってないでしょう」

「思ってますよ」

 オルフェンがここで全てを諦めれば、誰にも止められなくなった冥王が人類を破滅へと導くだろう。

 ただそれもよく考えれば、オルフェンが作中で特別な力を得てしまったからであって。

 今回のこの世界でも同じだとは限らない。

 私が私でないように、ラミアが聖冠の神子として未完成であるように。


「己の弱さを自覚されている、矛盾した心の暗部を理解しているというのも強さのひとつかと。過信することは時に身を滅ぼしますから」


 どこか、自分自身を慰めるように、名言ぶってそう呟くと、オルフェンは口を閉ざして黙り込んだ。

 すっかり陽は落ちきり、夜が始まろうとしている。王城から漏れる灯りだけが、静謐な聖苑の庭に淡い光を落としていた。

 風が吹けばオルフェンの外套がはためき、落ち葉が渦を巻いて舞い上がる。

 その一瞬のざわめきが、私たちの間に落ちた沈黙をそっと揺らした。


「ノーナ、」

「身体が冷えます。そろそろ城内に戻りましょうか」


 うっかり台詞が被った。あ、と分かりやすく間抜けな顔をしたであろう私に、オルフェンは下を向いて笑う。

「つ、次にここでお会いするときは何か温かい飲み物を持ってきましょう」

 慌ててそう取り繕うと、王子の口角は薄く上がる。

「へえ。またここで会って下さるんです?」

「いやいや滅多にないですよ。滅多に。王子殿下と、しがない伯爵令嬢ですから」

「今は尊き聖冠の神子でしょう」

 どういう思考回路かは分からないが、多少調子が戻ったらしい。オルフェンに続き東屋を出ようとすると、さっと目の前に高貴な手が差し出された。

 何だ。エスコートか。

「お、おやめくださいそういうのは!」

「悲鳴を上げなくても。傷つきますよ」

 いくらこの世界では歳が変わらないとは言っても、精神年齢ではもっと離れている。

 何とも言えない背徳感に苛まれ、私は身を小さくしながら、屈託なく笑うオルフェンと共に聖苑の庭を後にした。



◆ ◆ ◆



 本来物語が始まる季節まで、残り一か月。

 すでに盤上には登場人物は揃っている。


 あれからラミアには見舞いがてら、私の企みが失敗したことを伝えた。

 端から分かっていたような、困ったような笑みに私はほっと胸を撫でおろしつつ、次の手を考えていた。


 冥王の息がかかった二つの事件はまだ尾を引き、エリマスやオルフェンはその後始末と犯人探しに追われている。

 傷が完全に癒えていない私も本調子ではないながら、オルフェンの護衛として近場の外出への同行は再開していた。


 変わったことがあるとすれば、妙にオルフェンが絡んでくるようになったことだろうか。

 私と歳が近いこと、弱みを打ち明けた仲ということで多少の緩みがあるのだろう。立場も考えずほとんど友達感覚で話しかけてくるので調子が狂う。


 どこかのご令嬢からオルフェンの婚約者を立てるにも不安定な時期だ。いくら将来国母になれるかもしれないとはいえ、人間どころか冥王やら異形やらに命を狙われるかもしれないところに喜び勇んで立候補する貴族などそういない。 

 となると周囲の目はぼんやりと、私とオルフェンの仲を微笑ましく見守るようになる。嫌でも分かる。

 

「……完全に面白がってるな……」


 へらりと軽薄に笑う王太子の顔を思い浮かべ、ひくりと頬が引きつった。

 私用で外出する用事が少ないので最低限の服しか持っていない、という雑談をしたのは迂闊だった。

 今朝部屋に届いた贈り物のドレスや普段着数点の差出人には、堂々とオルフェンの名が書かれている。ご丁寧なことに自筆で。持ってきた侍女が妙に浮足立っていたのはそういうことだったか。

 そしてそれらのドレスの趣味は下品でなく、むしろ嫌味なほどにセンスが良い。仕立て屋は当然王族御用達の超一流。縫製はもちろん、レースのデザインの細やかさは溜息が出るほど。

 王子の護衛ということでそれなりの給金は得ているものの、その程度では到底手の届かない代物だ。金額だけではない、伊達の貴族では相手にしてもらえない。商品は全てオートクチュール。


 一方、エリマスとラミアの仲はあまり進展していないようだった。

 やはりラミアが聖殿管轄なのも障壁になっているだろう。エリマスはオルフェンの護衛を強化していて、ラミアは変わらず能力の安定のための研鑽を重ねている。


 私は私でエリマスの会話は業務上必要最低限に留めるよう努めていた。

 これは決して、エリマスがうっかり私のことを好きになっちゃうかも、などというお花畑思考によるところではない。

 私が加護を与えたエリマスに、それ以上の何も望んでいないことを周囲に示すためだ。

 彼にはラミアという仮の婚約者がすでにいる。そしてそれを推奨したのは私。


 そうしてラミアのエリマスルートを盤石なものにしつつ、今の私が向き合うべきは──打倒冥王、世界平和である。








「──え。ガレネ卿、騎士団から殿下の護衛に移られるんですか」


 ある昼下がり。すっかり仲良くなった癒術師のヘメラと王城の食堂で遭遇して、そんな話を聞いた。

「ええ。完全に移られるわけではないようですが」

 現代風に言えば、その扱いは出向に近いようだ。所属として騎士団付であることには変わりはないけれど、当面の間護衛の仕事に就くという。

「しかし騎士団にとっても痛手では」

「団長のご推薦だそうですよ。ガレネ卿も快諾されたと」

 確かにレミジオクラスの即戦力が護衛として就くのは心強い。そして話が通じる、ごく常識的な大人だ。


(作中では騎士団として戦いに同行していたけれど、ここも変わるのか)


 無心でサラダを口に運びながら、私の思考は窓の外の遥か彼方へと向かっていた。




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