13
癒術が効かないとはいえ、さすがに普通の人間より私の治癒力は遥かに高い。
寝たきりだったのは二週間ほど。そこからさらに二週間でいわゆるリハビリに励み、一か月も経つ頃には全快とはいかないものの、身の回りのことは自分でこなせる程度には回復していた。
前世なら最新鋭の医療に頼っても、もっと時間がかかっただろう。骨も内臓も色々と駄目になっていたはずなのだから。
とはいえこの一か月、世界は私の回復を待ってくれるはずもなく。
冥王の息がかかった異形に襲われ、命を奪われる事件が二件発生していた。
一件はグラナトゥム王国の西部国境付近を守護する辺境伯領で、辺境伯本人と彼が従える騎士団が壊滅。生き残ったのは侍女数名と辺境伯の妻のみ。幼い子息は重症で運ばれ、現地で癒術の限りを尽くしたものの後日息を引き取った。
もう一件は王都から遠く離れた子爵領での大規模火災。領内の半数以上の家々が消失し、被害者の数は未だ不明。放火や自然火災が疑われたが、火の痕にはご丁寧に冥王の印が残されていたという。
いずれも治療中に事務的に聞かされた報告だ。
『ペルセポネの冥戦』ではト書き一行で済まされていた事件。細部を知るのは初めてだったが──胸糞悪いことこの上ない。挑発以外の何物でもない。
ラミアの癒術はまだ安定せず、そして王子たるオルフェンはあの一件以来塞ぎがちで、これらの事件の対応に忙殺されているという。
時々私の回復状況を見に来ていたエリマスは会うたびに目の下の色が濃くなり、溜息の数が増えていった。最後の一週間ほどは顔を合わせることもなく。
ようやく治療室から卒業した私をわざわざ迎えに来るくらいには、状況は深刻だったのだろう。
「……復帰早々、本当に申し訳ない」
そして化け物に頭を下げるほどには、弱っているらしい。
「あ、頭を上げて下さいエリマス様」
明らかに痩せている。いつもセットされた髪も僅かに乱れ、どこかアンニュイな雰囲気に胸がざわつき、私は顔を背けた。不謹慎すぎる。
どうやら私が彼にかけた聖なる加護もどきは、日常レベルの疲弊には効かないらしい。
「実はすぐに君に診てほしい患者が──」
ふら、とエリマスがよろめく。限界だろう。
こうなる前に私のところに来ればよかったのに、と黙ってその左胸に触れると、びくりと震えた。
一瞬小さな光が灯り、すぐに火花が散る。
「今、何を」
「倒れる前に癒術師に相談されるべきですよ」
さすがに体重減少まではどうにもならないようだけれど、不調の根本は改善されたらしい。明らかに顔色が良くなっている。
しかし彼の性格を考えれば、疲れたからと癒術師を頼るようには思えない。ラミア同様、彼らには癒術の制限も代償もある。
私の正体は一番分かっているだろうに、エリマスは拍子抜けしたような顔をしてから、頭を抱えた。
「……ありがとう。助かった」
その瞳から逃げるように、私は思わず顔を背けた。
「──……これは」
化膿した傷の匂いだろうか。独特の異臭と薬の香りが混ざり合い、思わず呼吸が止まった。
エリマスに案内されたのは、私がいた治療室とは別の一室。そこに横たわっていたのは、全身を包帯で巻かれた重傷者だった。
むしろ息をしていることが不思議なほどで、顔の形すら判別できない。おそらく放っておけばとうに消えていた命を、癒術と治療で無理やり繋ぎ止めているのだろう。癒術師はもちろん、侍医たちが複数で対応に当たっている。
(……死ぬより、残酷に見える)
ここに来るまでに、事情は聞いていた。
私の目の前にいるのは二件目の火災で唯一火元で犯人の姿を見たであろう人物──スパルトイ子爵その人だ。
つまり瀕死の彼がこうして地獄の中で無理やり繋ぎ止められているのは、その証言をするためだ。子爵領から王城まで無理に連れてこられたのだろう、話によれば到着したのがまさに今日の明け方だという。
「君よりも先に他の癒術師やラミアが癒術を施したが、おそらく肺が多少回復した程度とのことだ」
癒術は万能ではない。エリマスの右目が癒術では治らなかったのがその証左だ。
「……さすがにこのレベルは、それこそ聖なる加護でもなければどうにもならないかと」
「喉だけでも難しいか」
「喉……」
証言に必要なのは声か、あるいは筆談だ。しかしこの状態の人物に筆を持って字を書けと言うのはそれこそ悪魔の所業。
エリマスからも、そして同席する人々からも強い焦燥感は伝わってくる。
それこそ怪我人を労わるよりも、その先の見えない恐怖に怯えている。
(……漫画だと、スパルトイなんて名前も出てきてなかったな)
ある子爵領の大火事としか書かれていなかった。
「喉だけ治したところで、この方の意識が戻らなければ証言はできないかと」
そもそもこの怪我の状態で、意識を戻したところで正気でいられるかどうかだ。
分かってはいたのだろう、エリマスは苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「……君が可能な範囲で構わない」
「ここまで重傷の被害者に対して、らしくないご対応ですね」
そんな私の疑問に嚙みついたのは、すぐ傍で化膿した傷の消毒に当たっていた侍医の一人だ。
「確かにこの火事においては被害者ですが、……この男は、いえスパルトイ子爵領は結託して、幼い子供を何人も……っ」
他の貴族に売り渡していた、つまりこの世界で違法とされる人身売買を行っていた。
知っている。
だからこの男は餌食になったのだろう。
「なるほど」
その筋書きも同じだというなら、やはり犯人も変わりないだろう。
「分かりました。最善は尽くします」
きっとラミアは癒術の反動で倒れているはず。ちら、と思わずエリマスを見やる。
先ほど彼は『ラミア』と呼び捨てていた。私が一か月休んでいる間に、多少は仲が進展したのであればいいけれど。
「集中したいので、他の方は席を外していただけないでしょうか」
「で、ですが」
「息が止まるようなことはないようにします」
改めてスパルトイ子爵を見下ろした。これは少々骨が折れるだろう。
食い下がる彼らに、エリマスが「聖冠の神子のご指示だ」と一声かければ、いつか見たように渋々全員退室してくれた。
やはり地位と権力がものを言う職場だ。
「いや、エリマス様も出て行って下さらないと」
「君が何をするか分からないだろう」
「さすがに感情論だけで証人を罰したりしませんよ……」
「そうではなく」
呆れたように細めた目からは何も読み取れず、妙な沈黙が生まれる。
「……病み上がりで無茶をされても困る」
なるほど、私は労われていたらしい。
これまで癒術もどきを色々と試してきて分かったこととして、やはり処置が早く終わるのは目に見えて分かるような傷や骨折だ。
この力のメカニズムは全く分からないものの、どの部分がどうなれば良いのかが感覚的に理解できるものについてはとにかく早い。そこにだけ集中すればいい。
一方で、宿で子供の発熱に対応した時のように、何が原因なのか分からない病や症状は時間がかかる。
とりわけ子供や老人の場合には加減が必要で、体力のある大人を相手にするのに比べれば調整に神経も時間も使うことになる。
(この人の場合はただ口から肺までの火傷どうこうではないだろうし)
私に医者の知識でもあればもう少し早いのだろうか。
そして人前でやる場合は諸々目立たないように偽装しなければならない。そこにも労力がかかる。
子爵の胸に手を当て、集中する。エリマスしかいないのであれば隠す必要はない。
ぼうっと手の甲や指先が白く光り、湯気のようなものが浮かぶ。それらがまさに糸のように形を成すと、編むように糸が交差しながら舞い上がり、蛇のように子爵の身体に吸い込まれていく。
隣のエリマスが息を詰めたのが分かる。
どこか不気味で、神秘的な絵面だろう。癒術師の癒術ではこんなものは浮かび上がってこない。
(それにしても、)
細いネックレスのチェーンがぐちゃぐちゃに絡まったのを解くような感覚に近い。ここだと思って摘まんでも、また違うところで引っかかって解けない。
やはりただの炎で負った火傷ではないからだろうか。これはきっとラミアも相当苦労したに違いない。
かれこれ一時間ほど経ったところで、エリマスを放ったらかしていたことを思い出す。
「エリマス様、お忙しいと思いますのでこの場はどうかお任せください」
「途中で誰かが入ってきたらどうする」
「そ」
それは確かに、そうなのだけれど。エリマスという抑止力の強さは身を以て知っているのだけれど。
「何より子爵の回復が今の急務だ。……それに、私も少しは休みたい」
本音、だろうか。「そうですか」なんて微妙な返事をしながら、私は作業を再開した。
二時間を少し回った頃、突如として子爵が大きく咳き込んだ。
そのまま喉の奥を掠めるような細い声が漏れ、私は思わず手を止める。
エリマスがすぐに前へ出て、身を屈めた。
「スパルトイ子爵。聞こえますか」
「あ……ぁあ……!」
確かに声は戻っている。意識もある。だがその反応は、エリマスの問いに応じたものではなかった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ……ッひぃ、っああ、助けて助けて助けて下さい……」
思わずエリマスと顔を見合わせる。
言葉が出ない。
地獄から引き戻した先には──それより深い地獄が待っていた。
「……ここまで尽くしてくれたことに感謝する。他の癒術師を部屋に」
「承知しました。力が及ばず、申し訳ございません」
「君の所為ではない。……この男の業だ」
彼が最後に何を見、何をされたのかは分からない。
ただ、怯え切った子爵の虚ろな悲鳴だけが、しばらく部屋の中に響き続けていた。
◆ ◆ ◆
子爵領の火事の犯人はメガイラで間違いないだろう。
敵キャラの主要クラスがこうして順番に登場してくれるなんて、ご丁寧な話だが。
メガイラ──赤い令嬢と呼ばれているティシポネや私の弟のアレクトと同格の力を持つ、善と悪の境界を司る神の類。
例えばティシポネの攻撃対象が"人の命を奪ったことがある者"に限定されるように、メガイラにもまた条件がある。
彼らは罪のない善良な人々には決して襲い掛からない。
原作では確か三巻最後から四巻冒頭にかけて、対メガイラ戦はそこまで苦戦しない。
主人公たちが揺らぐのは、彼女が手をかけてきた者たちは人間にとっても許しがたい人種ばかりであったことだ。
己の私利私欲のために子供達を人身売買していた今回の子爵。この後登場するであろう敗戦国の捕虜を実験用のモルモットにしていた伯爵──そんなグラナトゥムの暗部を罰していたのがメガイラであり、本当に彼女は悪なのか、正しさとは何かと翻弄される。
(多数の憎悪が向けられた者のみを焼き払う"断罪の炎"、だったか)
冥王側についた登場人物の中で、最後まで倒されないまま生きて別れたのはメガイラだけだった。いわゆる和解エンドとでも言うべきだろうか。
この展開には読者の中でも真っ二つに意見が割れ、それなりに話題になっていた。『ペルセポネの冥戦』がバズるきっかけになったエピソードでもある。
だとすれば一件目の事件、辺境伯襲撃もやはり作中で描かれた通り、ティシポネの最初の断罪で間違いない。時期は相当早まっているけれど、侍女や夫人が生き残ったことを考えればやはり彼女だろう。
──ここから一気に国が揺らぎ始める。私が知らないだけで、すでに各地では混乱しているかもしれない。
王家は、特に王子であるオルフェンは高らかに宣言しなければならない。
聖冠の神子はすでにこちらにおり、そして冥王の横暴を一刻も早く止めるべく立ち上がるのだと。
「……どうして、こんな……」
スパルトイ子爵の治療をしたその夜、突然私の元を尋ねてきた聖殿の代理人に案内されたのはラミアの部屋だった。
灯りは最低限に、リラックス効果のある香が焚かれただだっ広い部屋の真ん中に置かれた寝台にはラミアがぐったりと横になっていた。
「申し訳ありません、ノーナ様……」
エリマス以上に顔色が悪い。細い手首に白い頬、生気がない瞳。思わず手を伸ばし、その肩に触れた。皮膚のすぐ下に骨がある。痩せすぎだ。
「お聞きしました。スパルトイ子爵の件、喉の回復に成功されたと」
「ええ、……ですが目的としていた証言はやはり難しそうで」
鈍い音を立てて扉が閉まる。先ほどまで控えていた侍女が退室した音だった。
「ノーナ様」
か細い声。弱り切った少女の姿に、引きつる喉を理性で押しとどめる。
「どうか、聖冠の神子として、表に出ていただけないでしょうか」
枝のような指先が、私の袖をつかむ。まるで生まれたばかりの赤ん坊の手のように頼りない。
「え、」
「私はこんな有様で……使い物になりません。子爵の件も火傷の症状以上に大きな反動に阻まれて、ほとんど力になれませんでした」
やはり想像していた通りだった。ただでさえ彼女は聖冠の神子に成るために、子爵以外でも癒術を試してきていたはず。疲労が蓄積した身体に無理が祟ったのは明らかだった。
「……ですが、私にはもう聖なる加護の力がありません」
「それを上回るほどにノーナ様には実力がおありでしょう。それに、加護の力がどうしても必要になれば、その時は──私が」
「っ馬鹿なことをおっしゃらないでください」
ふ、とラミアが薄く笑みを浮かべる。
「それも本当に私が使えるかどうか、分からないんですけどね」
自分の手のひらを見つめ、眉を下げるラミア。その姿に、私は居たたまれず唇を噛んだ。
「……ラミア様。それでは私が、貴女の陰になります」
「え?」
「表向きには貴女に立って頂き、実際の癒術は私が施せばいいでしょう」
今は必要なのは聖冠の神子という、救済の象徴だ。
ラミアの完成を待つより、暫定でもその形さえ出来上がっていればいい。中身は後からついてくる。
「ですが、それではノーナ様が」
「ただ、オルフェン殿下の護衛の職は辞さないと難しいかもしれませんね。それに聖殿側にも話を通さないと……」
困った表情のラミアの視線は迷いに揺れ、頼りなく痛々しい。
こんな未熟な子供が国のために手を挙げたのだ。私欲のためにいけしゃあしゃあと乗り込んできた私とは訳が違う。
そして彼女を少しでも癒そうと力を籠めかけ──はっと我に返る。
(私の力は聖冠の神子相手にも効くんだろうか、いや、それより、私の正体に勘づかれる?)
天秤は揺れる。けれど、良心の呵責には耐えきれなかった。
最大限特徴を隠しながら、今朝エリマスに施した時と同じ要領でラミアに力を流す。
パチ、と火花が散ると、ラミアが目を瞬かせた。
「……もしかして今、私に……?」
「すみません、無断で」
「いえ。……なんだか急に身体が暖かくなりました」
どうやらバレてはいないらしい。ほっと胸を撫でおろす。
ふわりと柔らかく笑うラミアを前に、私は意を決した──のだが。




