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◆ ◆ ◆




 次に目が覚めるのは、きっと土か牢か棺の中だろうと覚悟していた。

 けれど地獄のような頭痛とともに霞む視界に飛び込んできたのは、無機質な天井と、前世でも嗅いだことのある清潔なアルコールの匂いだった。


(……あれから、何がどうなったんだ)


 考えたいけれどそれどころではない。

 てっきりあの落馬で息絶えたものと思っていたけれど、私はうっかり生き永らえてしまったらしい。

 よってあの時に負った傷は継続ということになる。


「あの」


 絞り出した声はガラガラだった。唾が絡んで僅かに咳き込むと、確実に肺の周辺に何かよくないことが起きていることが分かった。


「! 神子様がお目覚めに!」

「本当ですか!?」

「おい! 侍医長を呼べ!」


 周囲の対応が予想していたものとは異なることに困惑するものの、やはりそれどころではない。指先を動かすのも躊躇うほどの激痛、そしておそらくこれはしっかり発熱もしている。


「癒術が全く効かず……可能な限り施術はしたのですが」


 泣き出しそうに顔を除き込んでくれるのは何度か現場で同席したことがある癒術師の女性、ヘメラだった。王城でも屈指の実力者である彼女が傍にいるということはやはり私はまだ化けの皮を剥がされていないということだ。

「お手数を、おかけして、申し訳ございません」

「とんでもございません。ただ、もう少し打ちどころが悪かったら命の危機でしたよ……」

 ヘメラがいる、そしてこの施設の整い方からして、どうやら私が寝かされているのは王城の治療室のような場所だろう。

「殿下は……」

「ご無事ですよ。癒術で元気になられました。ご安心ください」

 ほっと息が漏れた。あの時どうにも様子がおかしかったけれど、無事に越したことはない。

 人智を超えた癒術があるということは、一方で医療の発達を阻害する。この世界の非癒術師の医者というのはごく限られていて、王城内の侍医は癒術師の数よりも少ないほどだ。

 深刻な症状ほど癒術を頼るもの。つまり今回の私のような容態の対応は誰にとっても不慣れだろう。悪いことをした。


「あれから、どれくらい経ったのでしょうか」


 窓から差し込む光は明るい。朝であろうことは確かだろうけれど、なんてゆったりとした私の思考は、次の答えで打ち砕かれる。

「四日ほど経ちますね」

「四」


 四日。


「四……?」

「はい。まだ目を覚まされないのではと侍医長も心配していたほどで──」

 元気なら飛び上がってリアクションを取りたいところだけれど、寸分も動けない。乾いた唇がぷつりと切れて、鉄の味が滲む。

「では、その、エリマス様は……お元気でしょうか」

 はた、と思い出したのはあの時単身で残っていた彼の姿だった。

 ヘメラはぱちぱちと目を瞬かせると、菩薩のように笑みを浮かべる。

「もちろんお元気です。襲撃についてはエリマス様が反撃された後、敵手がすぐに撤退したようだとの報告がありました」

 どうやら諸々都合の良いように片付いているらしい、エリマスのおかげだろうか。

 安堵した私は鉛のように体が重いことを思い出し、ゆっくりと目を閉じ──しかし蹴り開けるように扉が開く音に、悪寒と共に再び瞼を持ち上げた。


「メレアグロス公爵、まだノーナ様は……!」


 やっぱりこの人か。

 ちろ、と視線だけ寄越すと、そこには肩で呼吸をしている上司がいた。

「…………」

「…………」

 無言と無言の攻防。

 

「あの、またしてもご迷惑を」

「…………こちらの聖冠の神子が動けるようになるまでどれくらいかかりますか」


 私を無視したエリマスの棒読みはヘメラに向く。随分棘のある呼び名だな、と思わず口角がひくついた。

「どうでしょうか……お伝えした通り癒術が効かず。今はこうしてお元気そうですが、またいつご容態が変化されるか分からない状態です」

 どうやらすでに峠に寄り道した後のようだ。危なかった。王城の中でうっかり死んでうっかり生き返ってしまったら誤魔化しが効かない。

「でしたら大至急このアルカヌム伯爵令嬢と話をしたく。恐れ入りますがこの部屋の方々にはご退席をお願いたい」

「しかし」

「何かあればすぐにお呼びします。例の刺客の件で急を要します」

 さすがは公爵閣下、鶴の一声とはこのことだ。

 重症患者の私を置いて、ヘメラも侍医たちも侍女でさえ蜘蛛の子を散らすがごとく出て行ってしまった。もう少し後ろ髪を引かれてほしい。


「…………あの、あまり話せないというのは本当で、」

「"糸績みの魔女"」


 少し崩れた前髪から覗くセレストブルーに、射抜かれる。


「え」

「君に消された異形の捨て台詞だ」


 寝台の隣に椅子を引いたエリマスが、ぐったりと座り込んだ。


「君の正体か」

「いや、あの」

「あり得ない、」


 溜息交じりの低い声が落ちる。

 

「あれは伝説上の存在だろ……」


 独り言のような、それでいてどこか投げかけるような。

 私の目はきっと泳いでいるだろう。

 

「確かにそう考えれば全部君のその生き物としてのちぐはぐにも説明がつく。単なる異形にしては妙な能力だと思っていたし、あのはさみも私にしか見えていなかったようだし」

「ああ、あれやっぱりエリマス様にしか見えてなかったんですね」

「どうして君はそう呑気なんだ」

 ティシポネの件といい、やはり"ああいったもの"は普通の人間には見えないらしい。

 逆にエリマスには見えたということは、やはり私の力の干渉のせいか。

「それで答えは」

「言い訳が思いつきません」

「…………はぁ」

 今しがた座ったばかりのエリマスが、今度はゆらりと腰を上げる。 

 彼が手をついたのは私の枕元だ。


「もし一旦私の息の根を止めて下さるのであれば、恐縮ですがあまり痛くない方法でお願いしたく」

「……どうしてそうなる」

「何せこの傷ですから、その方が早いとご判断されたのかと」


 いつ治るとも分からない傷で寝込んでいる場合ではない。

 王城の人件費が無駄になる。

 ならば一旦死んで、生き返って全回復が合理的だろう。


 しかしエリマスはラミアの言っていた通り、まるで虫けらでも見るかのような目をこちらに向けしばらく無言になったのち呆れたように小さく咳払いをする。


「君が本当に"糸績みの魔女"なら」


 言いながら複雑そうな顔をしている。


「その傷を治すには──」

「あ、それ迷信です」


 慌てて遮ると、エリマスは怪訝な顔をした。

 ここで一つ、糸績みの魔女とは何かという話になる。


 『ペルセポネの冥戦』の作中には、私という悪役の最後を彩るための"物語"が登場する。


 昔々、とある神様がうっかり人間の世界に落っこちてしまった。


 怪我をした神様を、偶然通りかかった人間の少女が甲斐甲斐しく看病してやった。

 神様はいたく感激し、少女の願いをなんでも一つ叶えてやることにした。

 少女は『ならば病でも怪我でもなんでも治せる力がほしい』と願う。

 この高潔な願いと少女に胸を打たれた神様は、少女と彼女の血を継ぐ者には癒術と呼ばれる特別な力を与えた。


 怪我が治り人間の世界から戻った神様は、その後別の偉い神様に叱られてしまう。

 『お前が力を与えたせいで人間が死にづらくなり、世界のバランスが崩れてしまった。適度に管理できる者を人間界に置きなさい』と。


 困った神様は、少女の血筋の中で最も正直で誠実な者を選び、人間たちの寿()()()()()させることにした。

 適度に命の糸を断ち切らせ、死者の数を減らさないように。

 一方でその者が死んではならないと判断した者は延命できるよう、癒術より更に強い力──命の糸を績む力を与えた。


 あの素晴らしい少女の血筋なのだからと安心していた神様だが、しかし事件が起きる。

 神様は気づいていなかった。

 癒す力を持つ者は、そもそも命を奪うことに向いていないことを。

 一向に命を断ち切ろうとせずむしろ癒してばかりで、死者はさらに減ってしまう。

 

 悩んだ神様は、当別な人間──この"糸績み"の力に制約をつける。

 ある程度命を絶ち切らねば、癒す力を弱めることにしたのだ。

 だがまた事件が起きる。


 糸績みは己の業に耐えられず、心を病んで自ら死んでしまった。


 悲しんだ神様はもう一度人間を選び直す。 

 今度は死なないように、不死を与えることにした。

 死ねないようにすれば役目を放棄しないだろうと神は考えた。

 

 次は不死であることに絶望し狂い、己の身を傷つけたり、自暴自棄になり人間たちの命を断ち切るばかりの者が現れた。

 永遠の命は、永遠の苦しみでもあった。


 憐れんだ神様は『糸績みが心から信頼した者にはより強い加護の力を与え、更に双方愛し合ったなら、その者だけが糸績みの傷を癒し、不死を終わらせられる』という特別な条件を与えてやった。

 人を信じ、愛を知る者であれば力を正しく使えると神は思った。


 しかし愚かな人間たちは、特別な力を持つ者の存在に気付いてしまう。

 人間たちは特別な力を持つ糸績みを"神"と呼び称え、媚びへつらうようになった。


 するといつしか狡猾な人間ばかりが長生きし、騙された弱き者ほど短命になった。


 呆れた神様は、糸績みを人間の(ことわり)から外すことにした。

 いくら新しく選び直しても問題が起きるのであれば、最低限適性がある者に延々と任せてしまおう。そう考えた神様は冥界に相談し、ある糸績みが条件を満たし不死を終えた後、冥界の川でその魂を洗い直し記憶を消し、もう一度生まれ変わらせることにした。

 生まれかわった糸績みの自我が宿る頃には、自分に与えられた役目だけを思い出すように。


 神にもなれず、人でもない。

 しかし命を(つかさど)る恐ろしい存在。

 その存在はいつしか"糸績みの魔女"と呼ばれるようになった──という伝説だ。


 となると、ステュクス神の予言を知る者からすれば、ここに違和感がある。


 まず聖冠の神子と糸績みの魔女が若干キャラ被りするという点だ。

 ステュクス神が生み出した聖冠の神子は癒術に長け、自らの命を燃やせば聖なる加護の力を生涯に一度行使できる。

 一方糸績みの魔女は癒術の祖と枝分かれした存在であり、より優れた癒術を施すことができ、命の代償もなく自分が選んだ相手の防御力を無尽蔵に上げられる。


 そう、つまりこの二つの存在は『ペルセポネの冥戦』の中で皮肉な対比として描かれるのだ。

 糸績みの魔女は上位互換でありながら闇に堕ち冥王側につき、聖冠の神子は愛に目覚め王子と共に冥王を打倒する。


 作中で糸績みの魔女は聖冠の神子と対峙して気づくのだ。

 自らの選択が、運命がいかにみじめなものか。優れた力を持ちながら、聖冠の神子とは似ても似つかぬ存在に堕ちた自分に。



 この糸績みの魔女の伝説は、いわゆる貴族の子供達への道徳教育の一貫として聞かされるものだ。

 大切な人が亡くなってしまうことは糸績みが定めた運命であり、その分新しい命が生まれ、また死の淵から助かる命もあるのだという清廉な教訓。

 癒術の力を持つ者は心優しい少女の系譜であり、そして長寿を乞い人を騙すようなことをすれば神に罰せられる。


 選択を違えれば一役英雄にもなりえたであろう、愚かで憐れな糸績みの魔女。

 自らの命を終わらせるのにも不自由でありながら、他者の寿命を司る強大な化け物。




 よって、死のリセット以外で私の傷を治し、不死を終わらせるには──

 エリマスと私が()()()()でなければならない。


 この真実にエリマスが辿り着いてしまった、今はそれが何より最悪の事態で。


「迷信ですよ。……そんな馬鹿げた話があるわけないでしょう」 


 重ねてそう言うと、エリマスは僅かに眉を顰めた。

 なんとしてでも彼にはこの嘘は押し通さなければならない。

「なら君が以前言った、条件というのもあの伝説とは別だと? 私だけは君の不死を終わらせることができるが、条件があると」

「それを申し上げれば私は貴方に処分されるじゃないですか」

「処、」

 言いかけて、エリマスは絶句したように固まった。次の瞬間、セレストブルーに怒りが灯る。


「……ここに来てまだ君は私に始末されると?」


 さすが王家の血筋だ。

 散々嫌な修羅場をくぐってきた私も怯みそうになる。


「自分で申し上げるのも何ですが、私は国家を揺るがす脅威です。貴方が望むなら陛下も今すぐ──」


 わざと歪ませた口元に、エリマスのひやりと冷たい手の平が触れた。なんと合理的な黙らせ方だ。

「ここが王城だと分かっての発言か」

 僅かに身を(よじ)ると、すぐに手は離れていく。

「もう一つ種明かししておきますが、私とエリマス様の会話は誰にも聞こえていませんからご安心を」

「……便利な機能が多いことだ」

 視線が交わり、先に逸らしたのはエリマスの方だった。

「ならその傷が治るまで、君は無為に時間を過ごして苦しむことになる。痛いだろう」

 この期に及んで、化け物を前にして、まだそんな心配を口にするのか。


「自分から落っこちたので自業自得ですし」

「そうだ。どうしてあの時わざわざ馬上から飛び降りた?」

「私の両手の平が地面についていないと、あの鋏発動しないんですよ」


 きっとそれも漫画の画面映えのために取ってつけた設定だろう。

 エリマスは再びどこか呆れたように私を見下ろし、今度はこちらにやや背を向ける形で寝台の端に腰を下ろした。


「……君が初めからその正体を明かせなかったのには納得がいった」


 どうだろうか。

 もしも私にエリマスという光がなければ、進んで名乗りを上げ、そして私に取り入ろうとする人間たちを翻弄して自分の心を癒していたかもしれない。

 はたまたティシポネやアレクトを率いて、物語が始まる前に主人公たちを殴りに行っていたかもしれない。


「あの鋏の対象は人間だけじゃないのか」

「相手が私より上位の存在でない限りは有効です」

「上位?」

「冥王はもちろん神々の類、あとは彼らから力を与えられた異形や人間には使えません」


 喉が渇いて咳き込むと、エリマスが丁寧に水差しを向けてくれた。

 ぎょっとしつつも、けれどすべては説明責任のため。素直に受け入れざるを得ない。公爵閣下に水を飲ませて頂くなど恐縮の極みだ。


「……つまり、癒術を使える人間は等しく対象になりません」


 聖冠の神子、ラミアも然り。


「鋏を使った代償は」

「月に四度以上使えば、その後一月ほど癒術の方を使えなくなります」

「なかなかに管理が行き届いた能力だな。


 使いすぎても、そして使わなくても癒術が代償になる。

 だとして月に三度までしか使えないというのも、そもそもの使命や癒術の能力に対して少なすぎる。

 普通に考えれば一向に人口が増えるばかりだろうけれど、作中における私は己の持つ力全てを冥王サイドの化け物たちに行使し、しっかりと人類の敵になっていたのだから辻褄が合っている。

 それもこれも、私と言う悪役がほどほどの中ボスで終わるための設定なのだけれど。


「……言い訳でしょうが、今まであれを人間に使ったことはありませんよ」


 沈黙が耐えられず苦し紛れにそう言うと、エリマスが不思議そうに目を丸くした。


「へえ」

「へえって」

「いや。……私が君の立場だったら、何人か手にかけているだろうと」


 不謹慎な笑みなのに、不思議と胸の奥がざわつかない。呆気に取られつつも、気づけば私の口角もわずかに上がっていた。

 褒めそやすでもなく、怯えるでもないエリマスの距離感が妙に心地いい。


 冬の朝の陽光が斜めに差し込み、白い寝具と彼の横顔を淡く照らす。王城の一室とは思えないほど静かで、まるで世界に二人だけ取り残されたような感覚があった。

 その光の中で、私は何かがふっと報われたような心地になった。

「それにしても、まさか私も生きているうちにこんな伝説級の存在にお目に掛かれるとは思っていなかった」

「……聖冠の神子だって伝説級ですよ」

「やや不便だが君の方が有能だろう」

「酷い言い草ですね」

 事態は何も解決していない。けれどエリマスに拒絶されなかった──その事実が胸に込み上げ、喉が詰まった。

「ともかくその傷が治らないことには話は進まない。前回同様、癒術が効かないのはあの化け物のせいにしておいた。当面は大人しくしているように」

「ですから一度死ねば治りますよ」

「仮に生き返る前提だとしても私は君を手にかけたくない」

 私だって、それはそうだ。

 他意はないだろうに、うまい返しが思いつかず、妙に無言になってしまう。


「あとは王城の侍医に任せて、ゆっくり休むように。君がいなくても仕事は回る」


 ぽん、とリネンごしに私の肩を宥めるように叩いて、そしてエリマスは出て行った。扉が開くと同時に慌てて入室してきたヘメラたちの声が、しばらく右から左へと通り過ぎていく。


 私はぐるぐると考えていた。

 主人公ラミアが、エリマスに恋をしなかった理由について。



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