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「──聖冠の神子、ラミア・ヴェスペル様は当面聖殿管轄としたく」
聖殿との取次ぎを担う顧問官の一声に、室内はざわりと揺れた。
この会議は、冥王復活に際して今後どのように対応していくかを決める方針会議だ。枢密院から軍部までの要職に、エリマスと私を含むオルフェンの護衛とオルフェン本人、そして国王、王妃それぞれの護衛も同席している。
(え、ラミアが聖殿管轄ってそんなに違和感ある?)
エリマスも僅かに眉を顰めたのが見える。周囲の反応に置いて行かれているのは私だけのようだった。
「この非常事態に聖冠の神子を聖殿預かりと言うのは……」
「神子としての能力が不安定です。いざ実戦となったところで、足手纏いになる可能性が高いでしょう」
「恐れながら、発言よろしいでしょうか」
手を上げたのは王国騎士団の団長、つまりレミジオの直属の上司であるダリオ・ケブレンだった。
数度しか会話したことはないけれど、レミジオを柔とするならまさに剛の象徴。口数も少なく身体は二メートル近く、肩幅はおそらく私の五倍はありそうな大男。睨まれれば一溜まりもない。
「不安定、というのは過去の聖冠の神子の記録と比べた場合でしょうか。それとも、」
鋭い三白眼が、ちらりとこちらに向く。思わず目を逸らした。
「この場にいらっしゃるノーナ・アルカヌム様と比べてのことでしょうか」
参加者たちの視線が一斉に刺さる。
「どちらにも、ですが特にノーナ様と比べると特段に」
そして顧問官は涼しい顔でするりと躱す。
「まずもって同時期に二名、しかもいずれも後天的に聖冠の神子の力を得た者が出現したこと自体異例です」
「やはり冥王の復活に関係があるのでは」
「それだけではありません」
今度は顧問官の温度のない視線が、まっすぐに私に寄越される。
「聖冠の神子の中でも、ノーナ様は聖なる加護の力の行使後に冥界から舞い戻った特異な存在……ラミア・ヴェスペル様に何らかの影響があってもおかしくはないかと」
どうやら私の所為だと言いたげだ。
近からず遠からずだけれど、おそらく何らか私に対する違和は感じ取っているのだろう。
さすが、勘が鋭い。
「まあ、そう急がれずとも、ノーナ様の癒術は完成されている。更には自ら殿下の護衛に名乗り出て、すでに職務を果たされているでしょう」
「ですが」
「いざという時に聖なる加護の力が使えないという一点以外は、何ら問題がないかと──」
「顧問官。言葉を慎め」
鋭く諫めたのはオルフェンだった。
顧問官は我関せずと表情すら変えない。ほっと胸を撫でおろしたのは私だけだろうか。
「ラミア・ヴェスペルの力がいかほどであろうと、王家がそれに縋ることはない。聖殿の裁可が下った以上、私たちはそれに従うまでだ」
よく通る声だ。それは質だけの問題ではない。
以前私に向けていた頼りなげな声音ではなく、どこか覚悟を決めた者の声。
「すでに彼女、ノーナは私の護衛として十分に力を発揮してくれている。それに私も、千年も眠りこけていたような冥王にやすやすと国を襲われては民に認めてもらえないだろう?」
張り詰めていた空気が僅かに和らいだ。
一方で私はまるで砂浜の中に落としたピアスを探すような心地で、記憶の中を潜っていた。
(少なくとも、ラミアの癒術が不安定なんて話は原作にはなかったはず……)
そして作中では彼女がどういう所属で扱われていたかなんて記載はなかったように思う。
あくまで創作だ。そこまでの情報はノイズだったのかもしれない。
彼らのやりとりから察するに、本来であればラミアも対冥王戦力として活用したいところ、聖殿管轄になってしまうとそれが叶わない。そういうことなのだろう。
私が思考を巡らせている間に、会議は再び冥王復活の踪跡を探る作戦の話し合いへと移っていく。
現時点での唯一の手がかりである赤い令嬢──ティシポネの行方を追う部隊、そして彼女と同様に冥王の印を残す者を探す部隊が、騎士団から編成されることになった。
「──ところで、ラミア・ヴェスペルが貴女に会いたがっているそうです」
会議を終えて出て行こうとした矢先、私を足止めしたのは王子であるオルフェンからの不穏な提案だった。
「私に、ですか」
「素晴らしい先達と会話することで、彼女の能力が安定するかも」
いかがでしょう、と柔和に微笑んでいるのに、その瞳は全く笑っていない。
忙しい官達はすでに部屋から出て行った後、残されたのは私とオルフェン、そしてエリマスと一部の護衛たちだけ。
(皆の前ではああ言っていても)
危機に瀕する一国の王子、焦りはあるだろう。
「……構いませんが。どのような形で?」
渋々承諾すれば、オルフェンは驚いたように目を瞬かせ、そしてにったりと口角を上げた。
「てっきり断られるかと。驚きました」
「断るなんてとんでもない。この国の窮地を救って下さるかもしれない方とのご面談でしたら喜んで」
「エリマスの婚約者ですよ?」
「……私が陛下にお願いしたことです」
やはり妙に喧嘩腰なのは変わらない。護衛数名がはらはらと私とオルフェンの応酬を交互に目で追っているのが視界の端に映る。
「ですって。エリマスは構いませんか? お二人を引き合わせても」
一瞬微妙な表情を浮かべたエリマスは、しかしすぐに取り繕ったように澄ました顔で頷いた。
「私に確認するのもおかしな話では」
「あは、確かに」
いずれ相まみえなければならないことは分かっていた。
やむを得ない。いよいよ腹を括る時が来た。
──その機会は思いのほか早く訪れた。
会議が行われた翌日の午後。
王城自慢の常緑の庭園は、冬本番にも関わらず深く柔らかい緑を湛えていた。冷たい風が吹き抜ければ、木々が囁くように揺れる。
設けられた席には、私とラミアの二人だけ。
それは私が提示した条件だった。
オルフェンだろうがエリマスだろうが同席は遠慮願いたい──その願いは予想外にすんなりと通った。今は席から少し離れた場所に、オルフェンとエリマスが控えめに腰を下ろし、さらにその周囲を王城の近衛兵がずらりと囲んでいる。
庭園の静けさとは裏腹に、遠くから覗く彼らの視線の圧だけはやけに重い。
そして、私の目の前には。
(……さすが主人公)
正面から見ると、その顔立ちは目を背けたくなるほどに愛らしい。
透き通るほどに柔らかい黒髪、伏せた睫毛の影──存在そのものが絵画のようだ。
「お初にお目にかかります。アルカヌム伯爵令嬢……いえ、聖冠の神子ノーナ様」
緊張したような面持ちと声に、少なくとも敵意は見られない。私も挨拶を返し、揃ってぎこちなく腰かける。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ラミア様」
「とんでもございません。私が王城での生活に不慣れで、周りの方々にもご迷惑をおかけして」
年相応の、そして貴族社会慣れしていない振る舞いだ。
侍女が淹れてくれた茶の入ったカップを持つ所作も、どこか付け焼刃のように見える。
「失礼ですが、ラミア様はおいくつで?」
「私は、……十八になりました」
「でしたら、私の一つ下ですね」
やはり原作のラミアと、年齢も一致している。この程度では動揺しない。
「……こうして聖冠の神子が二人現れるなんて、すごく珍しいことみたいで……なのに私は全然出来損ないで。ノーナ様には早くお会いしたいと思っていたのですが」
俯いた拍子に、肩から落ちた髪がさらりと揺れた。
淡い陽光がラミアの幼い輪郭を縁取っている。
「本来であれば年長の私がラミア様にお声がけすべきでしたね」
「いえ、違うんです。……癒術も比べ物にならないほどの力量だと伺っていて……だからこんな私がお会いする資格なんて……」
(ああ、)
きっと私が男性なら、エリマスなら、この細い肩を今すぐにでも抱いて慰めてあげるだろう。
今の私がそんなことをしてもただの嫌味な女だ。ぐっと堪えて、熱い茶を喉に流し込む。
「冥王の復活という非常の時です。聖冠の神子の力に揺らぎがあることくらい、何もおかしくはありません」
この彼女が何者かはさておき、少なくとも私のような化け物の類ではないことは確かだろう。
むしろ聖冠の神子であるラミアの近くに、私というイレギュラーが存在していることが問題なのではないだろうか。
「では、ノーナ様の癒術はいつ頃安定されたのでしょう?」
「私は……気づいた時には、でしょうか。ですが私はそもそもラミア様のように志高く登城した訳ではなく、」
「そう、そのお話!」
ぱっとラミアは顔を綻ばせる。雨露に濡れた蕾がふわりと花開くような、そんな無垢な笑顔だった。
「大司祭様からお聞きしました、メレアグロス公爵のお怪我を治すためだって……! ロマンチックで感激しました!」
「え」
「なのに何故か私と公爵の婚約を願われたと……失礼ですがここだけのお話、公爵は怖いし冷たいしで、……私はむしろ苦手です」
おどけたように眉を下げるラミアに、私は思わず噴き出しそうになる。
「こ、怖いし冷たい……ですか」
「それに私は男爵家の娘です。同じ聖冠の神子でしたら、ノーナ様の方が家格もお似合いでは?」
きょとんと小首を傾げるラミアは貴族令嬢らしくはない。けれど今までどこか張り詰めていた私の中の糸が、僅かに緩む。
「いえ、その、そういうわけでは」
「どちらかと言うと私の好みはレミジオ様ですし」
「えぇ?」
まるで現代の女子高生と会話しているような、そんな不思議な感覚に陥る。
「ですから婚約の件は国王陛下にも命じられたんですが、私の力が安定するまでは保留にして頂くようにお願いしたんです」
警戒心もまるでない、世間知らずの素直で可愛い女の子。
「どなたにも反対されませんでしたし、ご安心を」
──この子となら、彼はきっと幸せになれる。
「あの、ラミア様」
「? はい」
「エリマス様は本当に素晴らしい方で、いえ確かに人見知り気味というか、取っつきにくい印象はあるかもしれませんが」
子犬のような丸い目がぱちぱちと瞬く。
「きっとラミア様を幸せにして下さります」
「え、でも」
「ご存じの通り私が力を行使したので危ない目にもそう遭いませんし、そもそもそんな心配もないくらい実力もおありで。情に厚く公平公正で、忠誠心も高い方ですし、私のような怪しい者にも優しくしてくださって」
だから彼は、オルフェンの盾になりえた。
「ですから──」
「それだけお好きなのに、どうして私と婚約させたいんです?」
心底困惑したような表情が、目の前にあった。
「……私では駄目なんです」
「ノーナ様の想いは十分エリマス様にも伝わっていると思います。命がけで聖なる加護を施して、それに」
「エリマス様の好みは、貴女なんです」
「え゛?」
ラミアは令嬢らしからぬ声を上げ、ひくりと口角を震わせた。
「それはないですよ」
「今はなくても、分かるんです」
「……最初の癒術が終わった時、虫けらを見るような目を向けられましたよ?」
「多分心配されていたのだと」
「ノーナ様」
前のめりになったラミアが、怪訝そうに眉を寄せていた。
「きっと私のは想像もできないような、ノーナ様にしかないご苦労が今まであったのだと思いますが……ご自身の幸せについても考えられた方がいいですよ」
まっすぐな彼女の言葉を受け止めた瞬間、胸の奥で、私の中の化け物がそっと顔を覗かせる。
どこかで私は、どす黒く願っていたのだ。
彼女がどうか、聖冠の神子らしからぬおぞましい人物であれば良いのにと。
あるいはラミアになりすます、異形であれば良かったのに──
空になったカップには、何も映らない。




