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──珠玉の名作『ペルセポネの冥戦』第十一巻、冥王軍との戦いの中で王太子・オルフェンは瀕死の傷を負う。


 虫の息となったオルフェンを前に主人公ラミアが覚醒し、聖冠の神子が生涯に一度だけ使える聖なる加護の力でその命を救う。

 オルフェンに致命傷を与えられた冥王は永遠の眠りにつき、やがて世界に平和が訪れる──



 馬鹿馬鹿しい。

 そんな展開、クソったれだ。



「ええ。ですから、私はこの聖なる加護の力をエリマス・メレアグロス公爵に行使します」



 高い天井に吊るされた燭台の火が微かに揺れた。蝋の滴が床に落ちる音さえ聞こえそうな静寂も、神官たちの低いざわめきで塗りつぶされてく。


「聖なる加護の力だと?」

「何故メレアグロス公爵に」

「確か先日右目の光を失ったとか……」

「馬鹿な、あの力は異界より降臨せし聖冠の神子にのみ与えられる力だぞ」

「しかし神書には四百年前、平民の赤ん坊が後に力を宿した例も記されていたかと」


 彼らの暗い疑念、視線は私へと集中していた。

 まるで聖殿の光が私だけを避けているかのように、冷たい空気が肌を撫でる。

 怯むものか。今の私に臆することなどもう、何もない。 


「静粛に」


 アドラストス猊下げいかの重々しい一言が聖殿に響いた。

 神の手が音も声も握り潰したように、その場が静まり返る。

 誰もが息を呑み、彼の次の言葉を待っていた。


「アルカヌム伯爵家が娘、ノーナよ。汝が口にしたその言葉、神前にて偽りなき誓いと認めてよいか」

「ええ、我が家名に懸けて。そしてこの身のすべてを以て、誓い申し上げます」


 猊下の視線もまた疑いの色を孕んでいた。聖冠の神子を名乗り、国からの援助を願おうとする貴族は少なくない。私もその一例だと思われているのだろう。



「ならば、直ちにメレアグロス公爵をこの場へ──」


「それには及びません、猊下」



 ああ、ここまで本当に長かった。



「私が今ここで、己が聖冠の神子の使命を負う者であることを証明しましょう」



 この聖殿に入る身体検査をすり抜けた短剣を喉元に当てがった。冷たい刃が皮膚に触れた瞬間、背筋を走る感覚に、私自身もほんの一瞬現実に引き戻される。


 けれど私は迷わない。

 驚愕に染まったいくつもの顔が、一斉にこちらを向いていた。


 ざまあみろ。

 私はやり切った。

 意味が分からない理不尽な異世界転生物語に付き合わされ、何度も発狂しそうになりながら、それでもここまでやってきた。



 さようなら、エリマス。


 ()()()()のせいで強引に死ななければならなかった、私の最推し。


──どうかこの世界では長生きしてね。





 超常能力が飛び交うバトルファンタジー漫画『ペルセポネの冥戦』は、平民ながら聖冠の神子としての力に目覚める主人公・ラミアの冒険物語。


 私の最推しことエリマス・メレアグロスは、その作品の中でも圧倒的人気を博したサブキャラクターだった。


 本来の私、もとい前世で日本で一社会人として生きていた私は当時この作品にのめり込み、この作品の二次創作にハマり、夢小説にハマり、公式グッズを買いあさり、アニメ化を応援するために連載している週刊雑誌は欠かさず購入していた。新刊が出れば当然三冊ずつ買っていた。どうか創世神である作者様を印税収入という形で支えられますようにと。


 エリマスは王太子であるオルフェンの護衛役であり、オルフェンと惹かれ合う主人公ラミアに特別な想いを抱きながらも決して横恋慕を表に出さないツンデレクールビューティ。

 現王の異母弟という、王弟殿下でありながら決して王位を望まず、未来ある王太子を支える人格者。


 きっと完結後にはエリマスが主人公の番外編なんかが書かれちゃって、今まで出てきた誰かと実はいい感じになって、ラミアへの想いを断ち切る未来を見せてくれるはず──そう思っていた矢先。



 あり得ないタイミングで、あり得ないほどにあっさりと、エリマスは死ぬ。



 何の捻りもなく、冥王の玉座にあと一歩というところで、エリマスはオルフェンを庇い、たった二頁で命を落とす。

 そう、たった二頁で。いとも簡単に、あっさりもあっさりと。


 そしてオルフェンはエリマスの仇を取るべく冥王に立ち向かい再びうっかり死にかけるも、ラミアが覚醒して聖なる加護の力を授かり、ちゃっかり復活して冥王を倒す。

 ちなみにラミアもまたこの聖なる加護を使用したことで、オルフェンに手を伸ばしながら息絶える。


 物語はそこで急速に幕を閉じる。あれやこれやを最終巻である十一巻に詰め込んで。

 明らかにそれは世に言う、打ち切りあるいは鬱エンドという形で。



「……さて」



 視界は暗く、空気は冷たい。喉の奥に金属の匂いが張りついている。

 どうやら私は棺の中に納められているらしい。それも当然だ、()()狙いで首を掻き切ったのだから、しばらくの間はきちんと死んでいたのだろう。


 音もなく、外の空気が動く気配はない。

 よもや土に埋められていないだろうな、と拳で蓋を叩くと、鈍い反響音が返ってきた。石か、金属か。少なくとも地中ではない。

 頭が覚醒してくると、身体の周りにびっしりと埋められた花の香りが鼻を突いた。死者への供物らしい。その甘さが鉄錆と混ざり、こめかみに鈍い痛みが走る。


 血の気が戻った手足を突き出し、目の前の蓋に力を込めると、軋む音と共に視界に光が差した。

 死んだふりというのも未だに慣れるものではない。なるべく積極的にはやりたくないものだ。


 そう、この世界は間違いなく『ペルセポネの冥戦』の中。

 前世の記憶を持って闇の森の奥で生を受けてからしばらくの間、私はその事実に気づかなかった。

 

 私はこの世界で何度も死にかけ──いや、正しくは死んだのだけれど。


 それでも死ねなかった。

 不老ではない。正しく年は取る。


 けれど首を切られようが化け物に食われようが業火に靄されようが、私は死ねない。


「どっこいしょ、っと」


 そのまま勢いよく蓋を押し開け、身体を起こしたその瞬間、息が止まった。

 誰もいない場所でひっそりと、独りで復活するはずだった。



 しかしそこにいたのは──目を丸くして立ち尽くす、エリマス・メレアグロス、その人だった。



「え?」

「……えっ」


 先方はおそらく棺の中から死者が蘇ったことに驚いているに違いない。

 一方私はこの世界で初めて肉眼に納めることになった最推しを前に硬直している。


 嗚呼、なんたる美貌。

 濁りを知らないプラチナブロンドの髪に、セレストブルーの鮮やかな瞳。齢二十六ながら少し年上に見られがちだという作画そのままの実写。



 不死の化け物に転生した甲斐があったというものだ。



「ア、ルカヌム伯爵令嬢……?」



 エリマスが後ずさるのも当然だ。死んだはずの令嬢がしっかり起き上がっているのだから。

 しかし面倒なことになった。

 相手が相手なら気絶させてしまいたいけれど、相手が相手なせいでそれができない。なんたる悲劇。

 なんと眩いエリマス・メレアグロス。"光耀の騎士"と裏で呼ばれるのは創作上の誇張表現ではなかったらしい。後光が差している。



(ああ、でも、よかった)



 原作が始まる前から、すでにエリマスは右目を失明して常に眼帯をつけていた。

 今はそれがない。


 つまり私の力は無事に発動したのだ。

(確かあの時の怪我が原因で右目を失明したって言ってたもんね)

 ほっと胸を撫でおろす。ト書きの中も暗記するくらい読んでいた過去の自分のガチっぷりに感謝したい。本当によかった。



「メレアグロス公爵閣下」



 できれば最後に握手くらいしておきたかったが、致し方ない。


「聖なる加護の力はすでに貴方のものです。どうかご安心を」

「いや、そうではなく」

「私がなぜか生きているとか、まあ、そんなことはどうでもよくて」


 裸足で地面に降り立つと、ひやりとした感触に思わず踵が浮いた。ここは、日本で言う霊安室のような場所なのだろう。


「これは貴方の疲れが見せる悪夢で、」


 適当な言い訳と共に逃げおおせようとした、その刹那。



「──おお! まさしく大司祭様のおっしゃられた通り!!」



 困惑に染まる静寂を切り裂いたのは、轟音と共に誰かが突入してくる音。そして、高らかに響き渡る男の声だった。


「え?」


「聖冠の神子の中でも千年に一度、聖なる加護の力の行使後も偉大なるステュクス神のお力で再び息を吹き返すという伝説……嗚呼、生きているうちにお目にかかれるとは!」


 こちらが言葉を発する間もなく、飛び込んできた男たちが足元に滑り込んでくる。呆気にとられる私の前で彼らは跪き、頭を垂れた。


「ノーナ・アルカヌム様。願わくば我が王国の誉れとして、王城にてお過ごしいただきたく存じます」


 男たちの奥から現れたのは、私も以前一度だけお目にかかったことのある、この国の国王陛下だ。


……なんて奇妙な修羅場。


 最推しエリマスとこの国の重鎮たちを前に、棺の傍らで私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



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