次世代AI『S-GHOST』:学習する怪物と汚れたデータ
翌朝。俺を叩き起こしたのは、ボロアパートの廊下に響き渡る、場違いに上品な電子音だった。
「……お届け物です。ゼノン・ロジスティクス、特別優先配送」
ドアを開けると、そこには厚労省の査察官が蹴り破った痕を隠すように、浮遊型のデリバリー・ドローンが浮いていた。
受け取った重厚なアタッシュケースを開けた瞬間、俺は思わず拝みそうになった。
「マジか……真空パックの肉が、光って見える……」
そこにあったのは、1枚で数万ポイントはする『ゼノン特製・黒毛和牛エナジー・ステーキ』。
栄養素をナノ単位で調整し、集中力を底上げすると噂の、トッププロ御用達の「攻略用食材」だ。
俺は即座にフライパン(底が少し焦げている)で焼き上げた。
一口食べた瞬間、脳内で報酬系の物質が溢れ出す。
「う、うますぎる……! これに比べたら、昨日までのうどんはただの『濡れた紐』だったな」
胃袋が満たされると同時に、視界の端で点滅していた『FROZEN(凍結中)』の警告が、一瞬だけ揺らいだ。
——いや、正確には、資格そのものが解除されたわけじゃない。
資格は相変わらず「暫定凍結」のまま。だが、生活支援の“停止処理”だけが、カレンの送金によって「保留(PENDING)」へ回された。
ひとまず、今日明日でホームレスになる心配は消えた。だが、それは同時に「死ぬまで働け」という雇用主からの無言の圧力でもある。
PCの電源を入れると、ログイン前の認証画面が勝手に立ち上がった。
見慣れないロゴ——【ZENON TEST ACCESS】。
……VPN? 違う。
これはゼノンが運営と握ってる“公式のテスト接続モジュール”だ。閉鎖サーバーへ入るための正規認証。
つまり、俺はもう「表のゲーム」から一歩外れた、企業と国家の裏口に足を突っ込んでいる。
カレンからのメッセージが届いている。
『朝食は済ませたかしら? 脳が活性化しているうちに、仕事場へ招待してあげる。……第8閉鎖サーバー、「テスト・アリーナ」に来なさい』
「招待ねぇ……。家賃と肉で釣られた俺を、丸ごと実験室に搬入ってわけだ」
俺はログインした。
そこは、通常の『アルケディア』とは似て非なる、真っ白な空間だった。
地面も壁も天井も、何もない。影すら薄い。
中心に立っているのは、カレン。そしてその向かいに、一体のアバターが浮いていた。
顔がなく、全身がワイヤーフレームで構成された不気味な人型。
『紹介するわ。ゼノン社の次世代戦闘AI、コードネーム【S−GHOST】よ』
「……これが俺の相手か。随分と愛想のないツラだな」
『このAIは、来週の「特例・資格復帰試験」のマスターユニットとして調整されているわ。……でも、開発チームは一つ大きな間違いを犯している』
カレンは肩をすくめた。
『彼らは「データ」を信じすぎて、プレイヤーの「悪知恵」を過小評価しているの。——だから、ここにあなたを呼んだ』
カレンが俺を指さす。
『佐藤さん、あなたの仕事は一つ。このAIに、絶対に予測できない「ゴミデータ」を叩き込み、論理崩壊を誘発させることよ。……できるわね?』
「……ハッ。俺を誰だと思ってる。規約の裏をかくことにかけては、この国の官僚より詳しいんだよ」
俺はキーボードに指を添える。
スパーリング開始のブザーが鳴る。
AI【S−GHOST】が動いた。
その初動は、驚くほど速い。反射神経じゃない。パケットが届く前に——いや、届く“前提”で、俺が動きそうな場所を予測し、先回りしている。
「予読か。……だが、機械は『確率が高い選択』しか選べないだろ?」
俺はマウスのサイドボタンを連打し、キャラの向きを1フレームごとに反転させる。
これは「ジッター・ムーブ」と呼ばれる、通信の“予測補正”を逆手に取った挙動だ。
そして、ここからが本命。
【スキル名:理論の氾濫】
効果: 自身の移動経路に対し、サーバーが生成する「移動予測タグ(ゴースト軌跡)」を意図的に複数発生させ、相手の予測アルゴリズムへ偽の選択肢を提示する。
取得条件: 命中率90%以上の攻撃を、累計100回以上連続で回避する。
成長条件: 本スキルにより、ターゲットの「予測攻撃」を3回連続でミスさせる。
代償: 使用中、自身のPCのメモリ(RAM)を限界まで消費。現実のプレイヤーに強い「シミュレーター酔い」を誘発する。
「おら、どっちだ? 俺の本体はここか? それとも0.1秒前の残像か?」
ワイヤーフレームの人型が、一瞬、ピクピクと不自然な痙攣を見せた。
計算が合わない。最適解が見当たらない。
その「機械の迷い」を、俺は見逃さない。
——気持ち悪い。
俺の目の前で、合理性の塊が“迷っている”光景は、人間が怒るより不気味だ。
その時。
AIの頭上に、赤い文字でメッセージが表示された。
『警告:不正な入力パターンを検知。……学習対象を「佐藤司」にロック。――解析モード、起動』
「は……?」
AIの動きが、一変した。
それは、俺が知る「機械」の動きじゃなかった。
どこか、泥臭く、執念深い。
最適解じゃない。勝ち筋が細くても、嫌らしく、しつこく、相手の嫌がる場所を抉ってくる——人間の悪意に近い動き。
「……こいつ、俺の戦い方を、その場でコピーしてやがるのか!?」
『あら。……予想より早い学習ね。いいわ、そのまま続けて』
カレンの声には、愉悦と、それ以上の「何か」が混じっていた。
俺の背筋が、ステーキで温まったはずなのに冷たくなる。
彼女の目的は、AIを壊すことじゃない。
俺という「異物」を食わせて、怪物を育てようとしているのか……?
そして、そうだとしたら——
この怪物を、来週の「特例試験」に放り込むつもりなのか。
俺は喉の奥で、笑いにもならない音を漏らした。
「……最高級の肉の次は、最高級の地獄かよ」




