監視を欺く1Hz:紙芝居の逃走劇と「ステーキ」の代償
『……捕捉したわ。逃さない』
上空。監視AIのレンズが、冷酷なスキャニング・レーザーを広場に走らせる。
先ほど使った『偽装ステータス』の代償――通信ログに残った「不整合の痕跡」を、運営の番犬が嗅ぎつけたのだ。
見つかれば最後、資格凍結どころか「アカウント抹消=社会的死」が確定する。
この国じゃ、アカウントが消えた瞬間に、現実の給付も信用も一緒に消える。まるで存在ごと削除だ。
「お嬢様、契約成立だ! そのボディーガードに指示して、俺の前に“盾”を作れ!」
『……命令する気? いいわ。私の投資が壊れるのは癪だしね』
カレンが指を鳴らす。
二人のNPC衛兵が巨大な紋章盾を掲げて俺を包囲した。
だが、ただ隠れるだけじゃダメだ。
パトロール・アイは“見えている”ものじゃなく“通信ログ上の位置情報”で追ってくる。盾は視線を遮っても、ログは遮れない。
俺はキーボードを叩いた。
『Ctrl+Shift+F12』——運営が公式に用意している「低帯域モード(通信節約)」の切替ショートカット。
普通は設定画面を開いてポチポチやる機能だ。
でも俺はその切替を“入力の癖”で最速化してある。規約上はただのショートカット操作。規約の外には一歩も出ない。
そして、その切替と同時に、もう一枚——俺の切り札を被せる。
【スキル名:静止した影】
効果: 自身の「アバター情報(座標・ID)」の更新頻度を、強制的に毎秒1回(1Hz)まで低下させ、AIの自動追尾を攪乱する。
取得条件: サーバー混雑時間帯に、低帯域(節約)設定のまま対人戦を累計24時間以上完走する。
成長条件: 本スキル発動中に、監視ユニットの視界からロストさせる。
代償: 発動中、自身の画面も1コマ送りの「紙芝居状態」になり、精密な操作が不可能になる。また、使用後1時間はMPが自然回復しない。
「ぐっ……カクカクして、吐きそうだぜ……!」
画面はガクガク。マウスカーソルすら遅れて追いついてくる。
視界は紙芝居で、音はワンテンポずれる。酔う。いや、正確には脳が怒る。
だが——監視AIのレーザーは、俺が「さっきまでいた場所」を空しくなぞっている。
更新頻度を落とした俺のアバターは、パトロール・アイの演算上では「追尾対象」から「背景のノイズ」へ格下げされる。
追えるほど情報が来ない相手は、追う価値がない。——機械は合理的すぎる。
『……ふーん。泥臭いけれど、合理的ね。運営のアルゴリズムを知り尽くしていないとできない芸当だわ』
数秒後。ターゲットを見失ったパトロール・アイは青い光を収めて別の区画へと去っていった。
ようやく、肺の奥に溜めていた息が出る。
俺は即座にスキルを解除し、モニターの前で激しく咳き込んだ。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った。……で、契約は? 翌朝停止ってことは、俺の胃袋にはもう6時間しか余裕がないんだよ」
『安心しなさい。契約書にサインした瞬間、あなたの端末の「厚生労働省・給付金ポータル」に、私名義のプライベート・ポイントを振り込んでおいたわ』
カレンが平然と言う。
“プライベート・ポイント”——寄付や企業ポイント経由で流通する、半分現金みたいなやつだ。
『公的な食料配給は止められても、民間ルートの購入まで止められない。……明日からは、見切り品のうどんじゃなくて、最高級の「エナジー・ステーキ」が玄関に届くわよ』
「最高級……。聞いただけで、今のひもじさが加速したわ。脳が勝手に咀嚼を始めるんだが」
俺の腹が情けない音を鳴らした。
カレンは笑っているのか呆れているのか分からない目をした。
「……で、その代償は何だ。俺に何をさせる」
カレンは噴水の縁に腰掛け、冷ややかな微笑を浮かべた。
なのに、その視線だけは妙に熱を持っている。エリートの興味。観察。標本を見る目。
『来週の特例試験。あなたはそこで、私の“影”として参戦してもらうわ。……でも、その前に一つ』
彼女は指を一本立てた。
『ゼノン社が開発した「次世代戦闘AI・プロトタイプ」と、練習試合をしてもらうわよ』
「……AIと? 俺が教育データになるって話じゃなかったのか」
『逆よ』
カレンの口元が、わずかに上がる。
『あなたはAIに“勝つ”のではなく、AIの“穴”を見つけ出しなさい。……あなたの「規約スレスレの汚い戦い方」を、あの優等生な機械に覚えさせたくないの』
そこで一拍。
『……むしろ、AIをバグらせてほしいのよ』
企業の特待生が、自社の製品をバグらせろ、と言っている。
この女、ゼノン社の回し者というより——社内に敵がいる。いや、もっと厄介なものがいる。
「……了解だ、雇用主。とりあえず今夜は、そのステーキとやらを夢に見ながら寝ることにする。……あ、あとドアの修理代、忘れるなよ」
『交渉が雑で助かるわ。……泥臭い生存本能、嫌いじゃない』
褒めてるのか、それ。
いや、褒め言葉として受け取ったら負けだ。たぶん俺は「道具」として見られてる。だが、道具にもメシは必要だ。
俺はログアウトボタンを押した。
真っ暗になった部屋。
現実の空気はゲームより重い。部屋の湿気も、家賃も、胃袋も。
冷蔵庫を開けると、中には半分に切られた萎びたネギが一本、寂しそうに転がっていた。
「……ステーキ。もし嘘だったら、ゼノンのビルに火をつけに行ってやる」
腹の虫が、空腹という名の「アラート」を最大音量で鳴らしていた。




