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第8話 初仕事 参

 気が付いたら、りん花仙楼かせんろうを出ていた。


 まだ、気持ちがふわふわとしていて、雲の上を歩いている気分だ。


 白羽しらはの唇の感触が、吐息の熱が、離れない。


 大の男が頬に接吻されたごときで、大袈裟だろうか。思春期でもあるまいし。


 だが、綸は今まで、家族以外に接吻などされたことがなかったし、いや、家族であっても物心がついてからはされた覚えがないぐらいだった。


 白羽は、おまじないと言っていた。


 深い意味はないのだろうけれど、綸の心は異様に浮ついていた。


 遊郭を出て、一人、深く呼吸を繰り返す。


 駄目だ。呆けている場合ではない。白羽にも応援されたのだ。ちゃんと仕事を全うしなければ。


 自分の頬を軽く叩き、いたるを探すことにする。


 ちょっと出かけてくると言っていたが、もう清蓮寺せいれんじに戻っているだろうか。


 坂を上り、緑の多い道を通り、青蓮寺へと入っていく。裏に回り、庫裡くりに入っては、至の部屋を目指して歩く。


 廊下の突き当りにある広い和室を覗くと——。


 至は横になり、新聞を読んでいた。


「ひどい! やっぱり俺に仕事を押し付けて怠けてるじゃないですか!」


 思っていた通りだった。本当に酷い男だ。


「ああ、綸か。どうだ? 朝菊の呪いは祓えたか?」


「そんな、急に言われてもできるわけないじゃないですか。助けてくださいよ」


「何だ、使えねえなあ……」


 至は面倒くさそうに起き上がり、胡坐をかく。向き合うように、綸は正座で座った。


「あの、至さん。呪いをかけている人物を特定するために、陰陽師は『式神しきがみ』というものを使うんですよね……?」


 白羽から得たばかりの知識を、至に聞いてみる。


「ああ、式神か。よく知ってるじゃねえか。仕方ない……見せてやるか」


 早速と至は立ち上がり、部屋の隅に置かれた棚から一枚の紙と洋バサミを持ってくる。紙に洋バサミを入れ、器用に切っていくと、出来上がったものは——紙の鳥だ。


「この鳥に念を送り、呪いの主を特定させるんだ」


 至は紙の鳥を指で挟み、ひらひらと動かして見せる。


「念って……どうやって送るんですか?」


「心の中で、鳥が呪っている奴のところに飛んでいくのを強く想像して、この紙に霊を宿らせる。まあ、一朝一夕でできるもんじゃねえ。今回は俺がやってやる」


 至は目を閉じ、己の額に紙の鳥を当てる。しばらくして、手を離すと——。


 紙の鳥はぱたぱたと羽ばたき、ひとりでに飛んでいった。


「嘘……すごい! こんなことがあるのか!?」


 綸は興奮した。初めて心から至のことを凄いと思った。


「何、ぼーっとしてんだよ。追え」


「え?」


「鳥が飛んでっちまうだろ。後を追え」


「……相手を特定して、ここに戻ってきてくれるとかではないんですか?」


「そんな便利な物じゃねえ。ほら、走れ」


「そういうのは先に言ってくださいよ!」


 綸は急いで外に出る。空を見上げると、紙の鳥が東の方向へ飛んでいくのが見える。


 見失わないように集中しながら、鳥の後を付いていく。


 陰陽師って、意外と体力勝負なんだな、とか、どうでもいいことを考えたりしながら。


 木々を掻き分け、電柱にぶつかったりしながら、何とか空を飛ぶ鳥を追いかける。


 そして辿り着いたのは——帝都大学病院前。


「あれ、ここはたしか……馬場が入院しているところだったか?」


 思案している間に、鳥は三階の、奥から三番目にある窓から中へと入っていってしまう。


「しまった! 追わなければ!」


 綸は急いで帝都大学病院の中へと入る。しかし、勝手に三階に上がるのは気が引ける。とりあえず、馬場の面会に来たことにすれば通してもらえるだろうか。


「あの、すみません。こちらに馬場ってやつが入院していると思って……面会を!」


「ああ、はい。馬場様ですね。三階の三号室になります」


 面会者名簿に記入し、慌てて階段を登る。


 三階の廊下を見渡したが、鳥の姿はない。見失ってしまっただろうか。とにかく、奥から三番目の部屋に入ってみる。


「し、失礼します……?」


 恐々と病室へ入った、瞬間——。


「あれ? 綸じゃん! お見舞いとか来てくれたの? 意外!」


 鬱陶しいぐらいに元気な声。目に入ってきたのは、病室のベッドで寛ぐ馬場の姿。

その手には至が飛ばした、紙の鳥が握られている。


「馬場……それ……」


「あ、これ? 今さっき、病室の窓から入ってきたんだ。風で飛んできたのかな? まるで本物の鳥みたいだったから、びっくりしたわ!」


 けらけらと笑う馬場。これは、もしかしなくても、朝菊を呪っている人物というのは——。


「お前かよ!」


 思わず大声を上げ、頭を抱える。


「え? 何が俺なの? 綸? どした?」


「何が、じゃない! お前、俺だけじゃなく、アサちゃんも呪うとはどういうことだ!」


 馬場に詰め寄る。が、馬場はきょとんとした顔をしている。


「呪い? 何それ? 綸、何言ってるの? それよりさ、綸。俺、明日退院できるらしいぞ。しばらくは松葉杖生活だけどな!」


 明るい顔で、綸の背中をバシバシと叩く馬場。


 無事、といっていいのか解らないが、何とか綸は、呪いの主を特定することができたようだ。


 さて、ここからどうしたらいいものか。


 馬場の笑い声を聞きながら、盛大に溜息を吐いたのだった。


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