第6話 初仕事 壱
「——おい、何時まで寝てやがる。早く起きろ」
ぶっきら棒な声と共に、背中をどん、と蹴られて目を覚ます。
知らない天井、知らない布団、知らない浴衣。十畳ぐらいの大きさの、何もない部屋。
「あれ……俺、どうしたんだっけ……? ここは、何処だ?」
眼鏡がないので視界がぼやけている。枕元に置いてあるそれに手を伸ばし、素早く装着する。
すると、こちらを見下ろすように見つめる白髪の美丈夫と目が合った。
「寝ぼけてんのか。ここは俺の寺、清蓮寺だ」
「清蓮……寺?」
何故、自分は寺にいるのだろうか。そして、自分を見るこの男は何者だろうか。
——いや、何となく思い出してきた。自分は昨日、無実の罪で留置所に入れられたのだ。そして、何故だか引受人としてこの男、青島至が現れ、陰陽師になれとか、なんとか。そのまま、この寺に一晩泊まり、現在に至るというわけだ。
そもそも、今は何時だ。まだ空が暗い。何故、こんなに早く叩き起こされたのだろうか。
「至……さん、でしたっけ。こんなに朝早く、俺に何の用ですか?」
「何の用? じゃねえ。寺の朝は早い。これから毎日、日が出る前に起きろ。あと、俺のことは至様と呼べ」
「え、嫌ですけど……ぐあっ! 暴力反対!」
顔面目掛けて放たれた蹴りを、なんとか腕で防御する。何ていうか、乱暴な人だ。まだ出会って間もない相手にこんな態度を取るなんて。
「さ、立て。まずは掃除からだ。いいな? 返事は?」
「は、はい……?」
綸は訳も分からぬまま着替えを済ませて、至の後に付いていく。命じられるままに雑巾を持ち、寺の床を掃除する。
手が冷たいし、何より眠い。だが、至は待ってはくれない。
「床が終わったら箒を持て。境内の落ち葉を掃いて来い!」
「は、はい!」
休む間もなく、次々と命令される。
落ち葉を掃く。線香の灰を片付ける。水汲み場をたわしで擦る——。
体育会系の部活とは、こんな感じなのだろうか。段々と冴えてきた頭で、理不尽なこの状況を分析する。
——ああ、父よ、母よ。俺は何故、こんなことをしているのだろうか?
*
「ぜえ……はあ……至さん……掃除、終わりました……」
息も絶え絶えになりながら、庫裡にいる至の元へと戻る。目に入って来た光景に、綸は驚愕する。なんと、至はのんびりと煙草をふかしていたのだ。
まさか。自分が必死に掃除をしている間、ずっと寛いでいたのだろうか。
「ああ、ご苦労。お前の荷物を取ってきてやったぞ。そこに置いてある」
至が指し示した先に、大きな風呂敷がふたつある。中身を確認してみると、綸が寄宿舎の部屋に置いてあった、本やら筆記具やらが入っていた。
「っていうか、何、勝手に、俺が寄宿舎を出ることになってるんですか!」
必死の形相で至に詰め寄る綸。これでは、本当に自分が大学を辞めることになったみたいではないか。
「当たり前だろ? お前は陰陽師になるんだ。これからはここで暮らしてもらう」
「勝手に決めないでください! 俺、全然納得してませんから!」
「往生際の悪い奴だな……」
至はやれやれ、と首を振ると、綸の方へと向き直る。
「お前、陰陽師について、どの程度知っている?」
「え……? 何ていうか、宗教的な専門職? ですかね。占いとか厄払いとか、暦の作成とか行うってぐらいしか。でも明次三年に『天社禁止令』が出て、陰陽寮は廃止されたと思ってましたが」
「ああ。国に所属する……官人陰陽師は廃止されたな。だが、俺らみたいな民間の陰陽師は今も普通に活動している。必要だからだ。俺はこの桜郷を担当している、たった一人の陰陽師って訳だ」
「その……至さんは陰陽師として、どんなことをやっているんですか?」
「俺らの仕事は、単純に一つだけ」
至は右手の一指し指を立て、そして続ける。
「この日本に蔓延る、呪いを祓うことだ」
「呪い……ですか……?」
自然と、鼓動が早くなる。
科学的には、呪いの存在を証明することなどできないだろう。だが、ここ数日。呪いの存在を信じずにはいられないようなことが、綸の身に起こっている。
「呪いというものはな、特定の人物や対象に対して不幸や災難をもたらすことを意図した超自然的な力や行為のことを指す。そして、呪いというのは、人によって『強さ』が違う。呪いの影響を受けやすい奴もいれば、全く受けない奴もいる。そして、お前は呪いの影響を受けやすい体質だった。呪いの影響を受けやすい体質の人間はな、『他人を呪う力』も強いんだ。だから、俺がこれからお前に、呪いの『技術』を教え込む。お前がこの先、普通に生きていくには、陰陽師になる道しか残されてない。諦めろ」
「そ、そんな……でも、俺、今まで生きてきて二十年間、誰かを呪い殺したことなんてなかったですよ?」
「そうだな……何か、『きっかけ』となる出来事があったハズだ。縁結びだの、出世祈願だの……自分で呪を調べて、実行しなかったか?」
「そんなことは……」
していない、と答えようとしてはっとする。櫻神社で出会った、さくらとのやり取りを思い出したのだ。
「もしかして、呪い返しの秘言とやらを、唱えたことがきっかけなのかも……?」
「呪い返し?」
「はい。何か俺、昨日、ちょっとした不幸な出来事がたくさんあって。たまたま神社に行ったら、小さな男の子が『呪い返しをしないと死ぬ』って言ってきて……俺、遊びだと思って、その秘言を……」
「口にしたのか?」
「……はい」
至は、それだな、と言って、煙草を灰皿に押しつける。緑豊かな外の景色を眺めながら、言葉を続ける。
「呪いはな、一度手を出すと、その先一生、認識できるようになっちまうんだ。だから、一般人は手を出しちゃいけないんだ。そのために神社や寺ってもんがある。残念ながら、お前はもう、こっち側の人間になっちまったんだよ」
「そ、そんな……」
「だから、お前が簡単に人を呪ったりしないように……俺が性根から、叩き直してやらなきゃいけない」
「……え?」
「今日から毎日、俺が起きてくる前に、寺の掃除を終えろ。朝飯を作るのもお前の仕事だ。いいな?」
「……それ、陰陽師、関係あります? 至さんがラクしたいだけじゃ……うぐっ!」
頭に手刀を食らい、痛みに言葉を呑み込む。人を呪わないように、と言われたばかりなのに、至のことを呪ってやりたくなった。
「文句を言うな。あと、昼から出かける。外に出る準備をしておけ」
「出かける? 何処にですか……?」
「依頼主の所だよ」
至はすくりと立ち上がり、そして告げる。
「音津遊郭に行くぞ」
*
昼の遊郭は、夜とくらべて静かだった。
営業している茶屋もあるが、基本的には夜の準備で閉まっている。店先を掃除する人や、のんびりと散歩をする人が目に入る。
「何で……遊郭なんかに行くんですか……?」
もう二度と、こんな場所には来ないと思っていたのに。初めて遊郭に訪れてから、まだ二日しか経っていなかった。
「何だ? 馴染みだったか? 帝大生多いもんな、ここ」
「全く馴染みじゃないです。俺は真面目なんです。こんなふしだらな場所、頼まれないと来ませんよ」
「まあ、だが、これからはよく来ることになると思うぞ」
「え? どうしてですか?」
「この世の呪いで、一番多いものは、どんな呪いだと思う?」
「……どんな呪い、といいますと?」
「どんな、というか、どういった感情で、呪いが発生すると思う?」
「……嫉妬とかですかね?」
「まあ、近いな」
喋りながらも、至は大通りを颯爽と歩いていく。綸は半歩後ろから、小走りでそれに付いていく。
「呪いの発生原因として、一番よくあるのが、恋情のもつれだ。ここ、遊郭にはそういった感情が渦巻いている。だから、よく依頼が来る」
「そ、そうなんですね……」
「ほら、着いたぞ。ここだ」
至が建物の前で足を止める。その場所に見覚えがありすぎて、綸の心臓はドキリと鳴る。
「花仙楼……花仙楼じゃないですか!」
「あ? やっぱり馴染みだったか?」
「そうじゃないですけど……よりにもよって何でここなんですか!」
花仙楼。一昨日、馬場と来たばかりの——朝菊の『職場』である。
「ん? やっぱ知ってる店だったか? 日本を代表する学生が遊郭浸りとは、世も末だな」
「そうじゃないですけど……!」
綸と至が店先で言い合っていると、花仙楼の扉ががたりと鳴る。視線を移すと、そこから十五歳ぐらいの男の子が二人、ひょこりと顔を出した。
「だあれ?」
肩ぐらいの黒髪に赤い着物を着た、気だるげな美少年と、ふわふわの灰色の髪に浅黄色の着物を着た、上品な猫のような美少年。
二人とも顔に幼さが残っており、ほとんど少女のような外見である。
「あ……君たちは……この間の……」
彼らのことは、一度見たことがあった。一昨日の座敷で、朝菊が連れていた新造の子たちである。
「あ、いたるんだ、やっほー」
「よお、黒音。ねえさんは中にいるか?」
いたるん、というのは至の事らしい。知り合いのようだ。変な呼び方を気にすることも無く、至は黒音というらしい黒髪の少年の頭を撫でている。
「至、こいつ、だあれ?」
灰色の髪の新造が、綸を睨む。鋭い目つきをすると、ますます猫のようだ。
「ああ、俺の下僕だ。綸っていうんだ。可愛がってやれ、澪」
「ふーん。ま、どうでもいいけど」
澪と呼ばれた少年はぷい、と顔を逸らし、妓楼の中へと入っていく。
「ついてきて」
新造たちに言われるがまま、廊下を通り、二階に案内される。
綸が前回来たときよりも大きな座敷へと通され、至と共に腰を下ろした。
「じゃあね、いたるん。本当はもっと遊びたいんだけど、俺たち、稽古だから」
手を振り、少年たちが遠ざかる。
部屋に至と二人きりになる。暫くの間、場が沈黙する。
「……あの、今回の依頼者って、どんな呪いがかかってるんですか?」
横で優雅にくつろぐ至に声を掛ける。
「あん? それを探るのが俺たちの仕事だよ」
「探る? どうやって——」
言葉の途中、座敷の障子戸が勢いよく開く。
「至く~ん! 久しぶり! 会いたかったぞ!」
嬉しそうな声と共に現れたのは、綸もよく知る相手——朝菊だった。
前に会ったときは髪を結っていたが、今日はおろしている。腰ぐらいまである黒髪はゆるやかに波打っていて、何とも艶っぽい雰囲気だ。
だが、どことなく。少し、元気がないようにも見えた。
「アサちゃん……!」
驚きを隠せないまま、名前を呼ぶ。朝菊は綸に気が付いたのか、目をぱちくりさせる。
「綸くん? あや? 何で綸くんと至くんが一緒にいるの?」
かわいこぶるように小首を傾げ、朝菊は至の方を見る。
「何だ、綸と朝菊は知り合いだったのか。流石は元帝大生。花魁を買う金があるんだな」
「だ、か、ら! 通ってないですって!」
大きな声で反論するが、至は素知らぬ顔だ。
「まあいい、朝菊。こいつは今日から俺の下僕になった、見習い陰陽師だ。よろしくな」
「あれ? 綸くん、学生さんじゃなかったの? 陰陽師になるの?」
朝菊に痛いところを突かれ、ぐう、と唸る。自分だって本当はこんなことはしたくない。今すぐにでも学生に戻りたいのに。
「というか、至さんは、ここの妓楼の常連なんですか?」
「客じゃねえぞ。ここの妓楼だけじゃない。俺はこの遊郭の男娼にかかった『呪い』を何度も見てきてる。だから、大体のやつとは顔見知りだ」
なるほどな、と心の中で納得する。客として通っているわけじゃなくてよかった。そんな情欲にまみれた人の下につくなんて、まっぴら御免だ。
「っていうか、依頼主って……もしかして、アサちゃん?」
朝菊の顔をまじまじと見る。先程、元気がないと感じたとおりだ。顔色があまり良くない。前に見た時は夜だったし、化粧をしていたから分からなかったが、もしかしたらずっと体調に問題があったのかもしれない。
そんな綸の視線を受けてか、朝菊は困ったように笑う。
「うん……近頃、疲れが取れないし、ずっと右半身が重くて。医者に診てもらったんだけど、何も問題がないって言うし。お酌も思うようにできなくて、困ってるんだよ。だから至くんに見てもらおうと思って」
「そ、そうなのか……」
綸は至の様子を窺う。至は黙って立ち上がると、朝菊の後ろ側に回ってしゃがみ込む。
朝菊の背に手を添えて、そして目を瞑る。
「……何してるんですか?」
「霊査だ。朝菊の体調不良に、霊的な存在が関与しているかどうかを確認している」
「そんなの、感じ取れるものなんですか?」
「お前もやってみろ」
「え……?」
綸は招かれるまま、至の横に移動する。
「朝菊の背中に手を当てて、目を閉じろ」
「そ、それだけでいいんですか?」
甚だ疑問だが、逆らうとまた手刀を食らうかもしれない。綸は朝菊の背に手を添えて、そして目を瞑る。
瞬間——綸の中に、感情が流れ込んでくる。
何だろう、これは。心がざわざわする。胸が苦しい。切ないような、いたたまれないような。今までに感じたことのない、不安感。
綸は思わず手を離す。朝菊から離れても、心臓がドキドキと鳴り止まない。
「な……なんですか……これ……」
「感じたか? やっぱり、お前、才能あるな」
至はにやり、と、邪悪な微笑みを浮かべる。
「なんか、自分の感情じゃない、よくわからない感情が流れてきて……」
「そうだ。それこそが、『呪い』だ。お前は今、呪いをかけた者の感情を読み取ったんだよ」
「俺、こんなこと、今までできなかったのに……」
「これも呪いに、一度触れたせいだな。まあ、元々お前には霊的なものを感じ取る能力があったんだろうな。昔から、人の考えが感じ取れたり、体調の悪いやつの隣にいると、自分も体調が悪くなったりしなかったか?」
「言われてみると、そうですね……」
たしかに綸は昔から空気を読むのが上手かったし、繊細だと言われることが多かった。何となく相手が求めていることが解るから、家庭内でも問題を起こさず、集団の中にも溶け込めていた。
それが少し——いや、かなり、負担になっていたのだが。
「で? やっぱりおれ、呪われてるの?」
朝菊が不安そうな声を出す。
「ああ。呪われてるな。でも、そんな強い呪いじゃねえ。これは生霊の仕業だ。死ぬようなことはない。死ぬような怨霊だったら、綸が泡吹いて倒れてる」
そんな危ないことをさせられてたのかと、またしても至のことを恨みそうになる。だが、その言葉に、内心ほっとしていた。
「そうだなあ。いい機会だ。綸」
「へっ? 何ですか?」
「朝菊の呪いは、お前が祓え」
「……どうやって、ですか?」
困惑する綸をよそに、至は伸びをしながら立ち上がる。
「生霊の祓い方の基本はな、まず、誰が呪いをかけているか見つける。そして、呪いをかけた人物と対話して、呪いをほぐしてやる。それだけだ」
「それだけって……言われても……」
「まあ、とにかく。お前なりにやってみろ。どうしようもなくなったら助け舟を出してやるから。いいな?」
至は障子戸を開き、そして続ける。
「俺はちょっと出かけてくるから、朝菊から色々聞いてみろ。じゃ」
ぱたん、と障子戸が閉じられ、綸と朝菊は顔を見合わせる。
「そ、そんな! 至さん、俺に仕事を押し付けて、自分は怠けるつもりなんだ!」
こんなの、あんまりだ。綸は陰陽師として何の訓練もされてない。それなのにいきなり放置されるなんて。
「どうしよう……」
項垂れる綸の頭を、よしよし、と、朝菊が撫でる。
「ま、とりあえず。よろしくな、綸くん!」
無駄に明るい朝菊の声が、綸の気持ちを更に憂鬱にさせたのだった。




