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第5話 邂逅 伍

 暗い。冷たい。寒い。


 りんは留置所の地べたに座り、膝を抱えていた。


 もう何時間、こうしているだろうか。壁と通路以外には、何も見えない。人の気配はするものの、誰も近づいてこない。


 いったい自分は、どうなってしまうのだろうか。訳も分からぬまま罪人となって、大学も行けなくなるのだろうか。きっと親や兄弟にも連絡が行くだろう。どうしよう。顔向けできない。


 じわり、と、視界が滲む。


 自分はこんなところにいるべき人間ではないのに。大学を卒業して、医者になり、いずれは自分の医院を開業して、平凡な女性と結婚し、子どもは一姫二太郎で、多くの人を病から救いながら、小さな幸せを噛み締めて生きる——そのつもりだったのに。


 放心状態で虚空を見つめていると、通路の奥側から足音が近づいてくる。


 足音は俺の牢の前で止まると、ガチャリ、と牢の扉が開かれる。


「出ろ」


 留置係が、ぶっきらぼうに口にする。綸はあたふたとしながら、とりあえず立ち上がる。


「お、俺の疑いが晴れたんですか?」


「いいから出ろ。お前の引受人が現れた」


「引受人……ですか?」


 父か母が、迎えに来てくれたのだろうか。正直、合わせる顔がない。けれども、ここにずっといるわけにはいかないし、今すぐにでも外に出たい。


 綸は留置係の後を付いて、歩いていく。


 通路の両端には牢がたくさんあったが、できるだけ目に入れないようにする。


 通路が終わり、大きな、白い部屋へと出る。


 部屋には、簡素な机と、パイプ椅子が二つ。通路に近い方の椅子に腰かけている人物を見て——思わず口を開く。


「……誰ですか?」


 椅子に座っていたのは、綸の知らない、白髪の男だった。


 髪は真っ白だが、年齢は三十代前後といったところか。後ろ髪は首が隠れる程度まで伸ばしていて、右目は前髪で隠れている。目鼻立ちの整った顔をしていて、十人の乙女がいたとしたら、十人とも振り返るであろう。紺色の着流し姿の、少し、浮世離れした印象の、妖艶な男。


「初めましてだな、お前の引受人だ」


 男はニヤリと笑って、綸の前に立つ。


「引受人って……あの、俺、この人、知らない人なんですけど……」


 困惑して、留置係の方を見る。だが、留置係と謎の男は綸を無視して、さっさと前を歩いていってしまう。


 仕方なくついて行くと、建物の外へと出る。そろそろ日付が変わる頃だろうか。空には月が高く登り、辺りを青白く染めていた。


「では、くれぐれも気を付けるんだぞ」


「はい、世話になりました」


 留置係と謎の男は挨拶を交わし、留置係が現場へと戻っていく。


「……いや、だから誰ですか!?」


 思わず大きな声を出す。すると謎の男は、今気が付いたかのような顔をして綸を見る。


「ああ、お前。今日から俺の下についてもらうから。えっと、名前は……」


「し、赤銅綸です。俺、貴方が何者か知らないんですけど。どうして俺の引受人に? 父の知り合いですか?」


「いや、知らん」


「じゃあ、どうして俺の引受人に!? えっと……」


「名前? 青島至あおしまいたるだ。以後、至様と呼べ」


 そう言うと男は、すたすたと道を歩いていく。


 全く状況が解らない。この男、青島至とは何者なのか。自分はどうして釈放されたのか。下についてもらう、とはどういう意味なのだろうか。


「あの……至、様? 至様は、どのような人なのでしょうか?」


「俺か? 俺はな、法師陰陽師ほうしおんみょうじだ」


「法師……陰陽師ですか?」


 陰陽師、というのはあれだろうか。陰陽道に基づいて様々な霊的・占術的な業務を行う専門家だろうか。


 しかし、今は明次。近代国家としての体制を整えた際、陰陽道のような伝統的宗教や占術は「迷信」とみなされるようになり、公式な場から排除されたはずだ。


 その陰陽師が、何故、綸の引受人になるに至ったのだろうか?


「あの、その、陰陽師である至様が、何故、俺の引受人に……?」


「だってお前、呪詛じゅそを使って犯罪を起こしただろう」


「呪詛……?」


 どうしたものか。この男が何を言っているのかが解らない。


 ——俺が『呪詛』で犯罪を起こした? 何時? 何処で?


 ふと、思い返す。


 留置場にぶち込まれる前。数人の男たちに襲われたことを。


 そして、その男たちが——皆、呪われたように、倒れたことを。


「まさか……俺のことを襲って来た男たち……あれを俺が『呪ってやっつけた』って言うんですか?」


「ああ、そうだ。たまたま俺が現場検証に居合わせてだな。俺がいなかったら、呪いで気を失った、だなんて解らなかっただろうな。運がいいぞ、お前」


「あの人たち、どうなったんですか?」


「全員、無事だよ。病院に運び込まれて、しばらくして目を覚ました。全員、お前に会ったことを忘れていたよ」


「そ、そうなんですか……?」


「今回は大事には至らなかった。だが、お前。お前の……他人を呪う、その力は本物だ。ちゃんと扱い方を知らねえと……人を殺すことになる」


 全身から血の気が引いていく。呪い、だなんて。馬鹿げている。そんなもの、本当にあるわけがない。だが、そうなると——あの時、目の前で起きたことに説明がつかない。


「……どうすればいいんですか? 俺に一体、何をさせようっていうんですか?」


「ああ? さっきも言っただろう、俺の下につけ、と」


 至は立ち止まり、綸の方を見て不敵に笑う。


「お前には、陰陽師になってもらう」


「噓……でしょう? 俺、そんなよく解らないものになりたくないですし、その、大学もありますし……」


「ああ、それなら心配するな。大学は辞めるように言っておいた」


 理解をするのに、時間がかかった。


 この人は、今、大学を辞めるように——と言っただろうか?


「勝手に決めないでください!!」


 綸は半泣きで、至に掴みかかる。


「学生の片手間で出来るもんじゃねえ。辞めるしかねえだろ」


「そんな……! 大学を退学になったら、親になんて言えば……!」


「それも心配するな。陰陽師もちゃんとした仕事だ。立派になれば、親御さんも納得してくれるだろうよ」


「俺が納得できません! とにかく、俺は寄宿舎に帰……ぐおっ!」


 腹に鋭い痛みを感じ、その場にうずくまる。至に殴られたのだと、数秒後に気が付いた。


「つべこべうるせえんだよ。とにかく、ついて来い。このまま放っておいたら、お前はそこらに呪いを撒き散らし、無差別に人を殺すことになるんだぞ」


「そ、そんな……どうしたら……」


「だから、そうならないために俺がいる。いいか、もう一度言うぞ。しっかりと聞け」


 月を背に、真っ白な髪をキラキラと光らせて、至が蠱惑的こわくてきに笑う。その姿は、浮世絵に描かれた、美しさで人を騙して喰らう妖怪のようだと思った。


「陰陽師になれ、赤銅綸」


 かくして綸は、陰陽師になる運命へと足を踏み入れた。


 はたして、綸にどんな恐ろしい呪いが待ち受けていて、綸はどんな目に遭うのだろうか。


 この時はまだ、誰も知らない。


 彼が稀代の陰陽師になって、人と——神を、救うことになるということを。


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