第4話 邂逅 肆
「あら、赤銅さん。お帰りなさい」
玄関口で、割れた鏡を取り換える管理人と出くわす。
「ただいま。鏡、買い替えたんですね」
「ええ。鏡が割れたままだと、縁起が悪いでしょう? ああ、そうだ。赤銅さん。落とし物が届いてましたよ。ちょっと待ってくださいね」
管理人は一度、管理人室に引っ込むと、手に何かを持って戻って来る。
「俺の、財布……!」
「親切な人が拾ってくださったんですよ。よかったですねえ」
——ああ、俺の財布! 会いたかったぞ、俺の財布!
連絡先を書いた紙を入れておいて正解だった。中身を見てみると、ちゃんと金も入っている。これで数日間、ひもじい思いをしないで済むだろう。
「本当によかったです。ありがとうございました」
受け取ってくれた管理人にお礼を言い、綸は自分の部屋へと向かう。
朝からツイていなかったけれど、無事に財布は返ってきた。それだけで、今日はよしとしよう。
綸は机の上に積んである本を手に取り、ごろんと寝転がってそれを読む。『心臓と血液の運動に関する研究』だ。読書は良い。己を高めることが出来るし、読むと心が落ち着く。
そんな綸の平穏は、一瞬にして打ち壊された。
「ぎゃああああああああ!」
叫び声と共に、物凄い音が響く。
「なっ、何だ!?」
慌てて部屋を出ると、一階が何やら騒がしい。
階段の下を見ると、そこには——。
倒れる馬場と、綸と同じように部屋から出てきた学生たちがいた。
「馬場が階段から落ちたぞ!」
落ちる瞬間を見ていたのか、ひとりの学生が声を上げる。
「大丈夫か、馬場!」
綸も階段を降り、馬場に駆け寄る。
「うう……痛え……何なんだよ」
馬場が呻きながら起き上がる。どうやら、頭は無事のようだ。
「何をしている。階段で落ちるなんて。まだ酔っていたのか?」
声を掛けると、馬場が左右に首を振る。
「いや、よく解らないんだ。階段を降りようとしたら、まるで何かが足に纏わりついたように……急に自由が利かなくなったんだ……ああ、痛え! 足が超痛い!」
「とりあえず、病院に行った方がいいな……管理人さん! 担架あるか?」
先輩たちが率先して動いてくれて、馬場は何とか病院へと連れて行かれた。
それにしても、大の大人が階段から落ちるなんて。一体、馬場の身体はどうしてしまったのだろうか。
——呪いは、相手に返りました。
何故だろう。先程、神社で会った子ども、さくらの声が蘇る。
いや、そんなはずはない。馬場が俺を呪っていただなんて。そして、綸が呪い返しをしたせいで、馬場が階段から転げ落ちただなんて。
そんなことあるわけがない。あるわけがないのに。
何故だが冷や汗が出てきて、止まらなかった。
*
馬場は骨折していた。全治三カ月。しばらくは入院することとなり、大学を休むことになった。
寄宿舎が落ち着きを取り戻してから、綸は夕食を買いに外に出ていた。何だか今日はとても疲れた。早く帰って、さっさと飯を食べて寝てしまおう。
屋台で握り飯でも買おうと思い、綸は大学の近くを歩いていた。
すると、大学の裏道。五人ほどの男がたむろしているのが目に入って来る。
何だか嫌な予感がする。とにかく、目を合わせないように通り過ぎようとしたのだが——。
「……おい、兄ちゃん。ちょっといいか?」
嫌な予感は的中。集団の中心と思われる、体格の良い男に声を掛けられる。
「……急いでますので」
「急いでますので、じゃねえんだよ。帝大生だろ、兄ちゃん」
にやにやと笑いながら男たちは寄ってきて、あっという間に綸を取り囲む。
——ああ、嫌だ。呪いなら返したはずだろう。やはり、さくらの言っていることはデタラメだったのだ!
泣き叫びたくなる気持ちをぐっと抑え、目の前の男を睨み付ける。
「帝大生ってことは、金持ちなんだろう? 金出せよ、ほら」
典型的なカツアゲだ。綸は仕方なく財布を取り出す。
折角、無事に綸の元に返ってきた金だったのに。だか、仕方ない。怒らせて命を取られでもしたら堪ったものではない。
「おい。こいつ三十銭しか持ってないぞ。帝大生の癖に」
綸の財布から金を取り出し、財布を地面に投げ捨てる男。
これで解放されるだろうか。そう期待したが——甘かった。
「兄ちゃん。結構、可愛い顔してるよな。金がないならさ、身体で払ってくんない?」
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
——こいつ、今、身体で払えと言ったか? 男の俺に言っているのか?
信じられない、といった表情で男の顔を見ると、男はニヤリと邪悪に笑う。
「いいじゃん、ケツ貸せよ。ほら、こっちに来い」
男に引っ張られ、人気のないところへと連れて行かれる。
「や、やめてくれ! 金ならやるから!」
「だから、その金が足りねえんだよ。いいだろ、ちょっとヤるぐらい。減るもんじゃねえし」
下卑た男たちの笑いが、耳に響く。
——最悪だ。
何でこんなことになったのだろうか。自分はこんなにも真面目に、何にも恥じずに生きているというのに。
沸いてきたのは——怒り。
こんな奴らがのうのうと生きていることへの、怒り。
——死んでしまえばいい。こいつらなんか、死んでしまえばいい。
強く、強く念じた。その刹那——。
「ぐっ……ぐああああああ!」
綸を掴んでいた男が、急に苦しみ出す。自らの喉を掻きむしり、そのまま地面へと倒れ込む。
「なっ!? 何だ!? お前、何をした!」
隣にいた男が、綸の肩に触れる。そして——。
「ぎ……ぎゃああああ!」
またしても男は苦しみ出し、その場に倒れて動かなくなる。
「おい、なんかやべえぞ。何なんだ!? これは!?」
他の男たちが焦りだす。化け物を見るような目で綸を見て、そして叫ぶ。
「や、やめてくれえ! うわあああああ!」
一人、また一人、その場に倒れ込んでいく。
気が付くと綸は——五人の倒れる男たちのど真ん中に突っ立っていた。
「な、何が起きたんだ……?」
手が震えている。何が起きたのかさっぱり解らない。
この男たちは、何故倒れているのだろうか。自分が負かしたというのだろうか。いや、そんなはずはない。
「おい! そこで何をしている!」
響き渡る怒声。振り返ると、巡査がこちらに向かってくる。
「お前、この者たちはどうした!」
ものすごい形相で、巡査に睨み付けられる。
「えっと、これは……その……」
まずい。なんて言い訳したらいいのだろうか。急に五人もの男たちが狂って倒れた、といっても信じてもらえるのだろうか。
「暴行の現行犯だな、お前を逮捕する!」
「違うんです! 俺は被害者なんです!」
「話は署で聞こう!」
無情に、手錠が掛けられる。
——何故だ。俺が何をしたというのだ。
何でこんなにも、ツイてないんだ。これは呪いか、それとも罰なのか?
綸は為す術もなく連行され、留置所へとぶちこまれたのだった。




