第2話 邂逅 弐
「どうしてこんなことになったんだ……」
座敷を出て、一階の厠でぽつりと呟く。
馬場に無理やりに遊郭に連れてこられ、何故だかそこにかつての親友がいた。食事はとても美味しかったが、正直、気が気じゃなかった。
馬場は朝菊と話しているうちにすっかり上機嫌になったが、花魁として働くかつての親友を見るのは、なんというか、複雑な気持ちだった。
あの座敷にいるのが嫌になって、こうして外に出てきてしまった。
綸はゆっくりと息を吸い込み、景色に目を遣る。馬場が、庭が広い、と言っていた通り、廊下の右手には美しい紅葉が植えられた庭があった。
その庭の一角に、茶室がある。古そうだがしっかりとした外観で、なんとなく、興味をそそられた。
庭に出て、茶室の周りをぐるりと歩いてみる。情緒あふれる石畳に、びっしりと生えた苔。そうしているうちに、少しだけ心の中のもやもやが消えていくように感じた。
ふと、目に留まる。茶室の裏側に、大きな穴が空いている。
何だろう、この穴は。
中を覗いてみると、階段が見える。そして奥からうっすらと明かりが漏れている。
——妓楼の庭に、地下室があるのだろうか? 一体、何のために。地下室を造るだけで相当な費用がかかるはずなのに。
いつもだったら、疑問に思うだけで行動に移すなんてことはなかった。
だが、何故だろう。その時だけは。
どうしても確かめなくてはいけないと——綸はそう思った。
*
綸はあろうことか、茶室の裏の階段を降りていった。
人一人がやっと通れる幅の階段を行くと、細長い通路に出た。
壁に手を添え、綸は通路を進んでいく。うっすらと明かりが射している方を目指して、ただ足を進めた。
心臓がドキドキと鳴っている。従業員でもないのにこんな所に入って、怒られないだろうかと不安になる。
脳が警報を鳴らしているのに、足を止められない。この先に何があるのか確かめないことには、家に帰れないと思った。
そして、通路の突き当りを曲がった瞬間——。
「わあ」
と、透き通るような声がした。
声のする方を見ると、そこには牢屋があった。そして、格子の中の人物とばちりと目が合ったのだ。
——天使が、そこにいるのかと思った。
黄金色の長い髪に、大きな赤い瞳。死装束のような白い着物から覗く、雪のような肌。
あまりの美貌に、綸は目の前にいるものが人間なのかどうなのか解らなかった。
標準より細身の綸よりも、更に華奢だ。少女にしては座高があるので、辛うじて男だということが解ったぐらいだ。
いろいろあったせいで疲れているから、こんな幻を見ているのではないかとも思った。
格子の中には机と、本と、燭台と、敷布団が置かれている。金髪の少年は敷布団の上にちょこんと座って、こちらを見てはぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「えっと……君は、何処から来たの?」
少年は愛らしく小首を傾げ、考えるような仕草をする。
「もしかして、神様かい?」
大きな瞳が、こちらに向く。
言葉を喋っているのを聞いて、綸はやっと少年が生きている人間であることを理解した。
「あ……いや……俺はこの妓楼の、客だ」
何とか声を絞り出し、少年の問いかけに答える。
「そうなんだ。お客さん、何でこんなところに来たんだい?」
「何でだろうな……何となく、気になってここに来てしまった」
綸の言葉を聞き、美貌の少年は目を丸くする。一呼吸おくと、けらけらと笑い出した。
「ふふふ、面白い人。こんなところ、不気味がって誰も迷い込んでこないのに」
「ああ、急にきてすまなかった。だが、君はどうしてこんなところに閉じ込められているんだ? 折檻でもされているのだろうか?」
「折檻? 違うよ。僕はここに住んでるんだ」
「住んでる……のか?」
すぐには理解できなかった。どう考えてもおかしい。こんな、罪人のような場所で暮らしている子がいるなんて。
不審な目を向ける綸のことを気にせず、少年は長い金色の髪を揺らし、こちらに身体を向ける。その仕草の艶やかさに、思わず見惚れそうになる。
「お兄さん、大丈夫? ここに勝手に入ってきちゃって。怒られない?」
「そっ、そうだな……勝手に入るのはよくないよな。座敷に戻ることにするよ……じゃ」
我に返った綸はくるりと反転し、来た道へと戻ろうとする。
だが、思うところがあって、足を止める。
「君、名前は何ていうんだ?」
「僕? 僕の名前? どうしてそんなこと聞くんだい?」
「いや、何となくだ。嫌だったら構わんが……」
それを聞いてか、少年は少し困ったような顔をした後、おずおずと口を開く。
「……白羽。白い羽、と書いて白羽だよ」
「白羽だな。解った。またな」
——何故だろう。またな、なんて言ってしまった。俺はこんなふしだらな場所に、二度と来るつもりはないのに。
ドキドキと鳴り止まない心臓に、足を速める。何故だが気持ちが逸って、どうしようもない。
茶室の前まで戻ってくると、廊下に朝菊が立っているのが目に入ってくる。
「あ! 綸くん! 迷子になっちゃったのかと思って迎えにきたんだぞ!」
綸を見て、嬉しそうな顔をする朝菊。
「アサちゃ……じゃなくて、朝菊さん」
「別に、アサちゃん、って呼んでいいぞ? そう呼ぶお客さんも結構いるしな?」
「……アサちゃん、俺、色々聞きたいことがあるんだが」
「まあ、そうだろうなあ」
朝菊は小さく笑い、視線を庭の方へと移す。綸もその視線を追い、しばらくして、ぽつりと呟く。
「いつから、ここで働いてるんだ?」
「引っ越しだっていって、お前と別れてすぐだよ。十歳ぐらいだったかな。親父の借金のカタに売られたんだ」
「そう……だったのか……」
暗い顔をする綸の額を、朝菊がぱちんとデコピンをする。
「そんな顔すんなって。割と楽しく生きてたんだから。ここにいれば食い逸れることもないし、美人のおれはチヤホヤされるしな。こうして綸くんともまた会えた。嬉しいよ、おれは」
にこりと笑って、朝菊は綸の腕を掴む。
「さあ、戻ろう。新造に座敷を任せっぱなしじゃ申し訳ない。今日は楽しく過ごそうぜ、綸くん」
「……ああ」
朝菊に引っ張られ、座席へと戻る。だが、綸の心の中は、最早、朝菊のことは二の次になっていた。
——白羽。
ほんの数分のやり取りだったが、彼の存在が頭から離れない。
白羽はどんなことがあって妓楼に来て、どうしてあんなところにいたのだろうか。
だが、綸が白羽のことを知るのは、もう少し後。
綸が——『呪い』という存在を、嫌と言うほど思い知らされた後になる。
*
「う~ん! 朝菊さぁん! 大好きだああああ!」
「おい、ふざけるな。ちゃんと歩け、馬場」
すっかり出来上がってしまった馬場を担ぎ、寄宿舎へと帰る道のり。
「なあ、綸。お前はぁ、何でぇ、朝菊さんと仲良しなんだぁ? ええ?」
「別に。たまたま昔馴染みだっただけだ」
「ずりいぞ! 綸! ああ、上手く喋れなかったなあ……これじゃあ、まだまだ馴染客になれねえよぉ……」
「飲みすぎだ、全く。しっかり歩けなくなるまで飲まされるな」
「だってよお、新造の子たちが煽るからよお」
「人のせいにするな、お前が悪い」
全くもって面倒くさい。綸が席を外している間に、馬場は新造たちにせがまれ、じゃんじゃんと酒を入れてしまったらしい。監視しておくべきだった。今更、反省しても遅いが。
「綸、お前だけ朝菊と仲良しでぇ、許せねぇ、呪ってやる!」
「はいはい、好きなだけ呪え」
やっとの思いで寄宿舎に着き、馬場の部屋に馬場を放り込む。
自分の部屋に帰り、そのまま布団に倒れ込む。
——ああ、今日は散々な日だった。
でも、少しだけよかった気もする。自分一人だったら絶対に遊郭には行かなかっただろう。かつての親友とも、馬場がいたから会えたのだ。
朝菊は、客としてじゃなくても、また会ってくれるだろうか。また、昔の様に、他愛のない話をしてくれるだろうか——。
ぼんやりと考えていると、それとは別に思い浮かぶ顔がある。
「……白羽、か」
自分とは違う世界に生きる、美しい人の名。
彼の笑顔が、頭から離れない。
冷静になってみると、どうして名前なんて聞いてしまったのだろうか。遊郭に通うつもりなんて、全くないというのに。
——俺はそんな、馬場みたいな阿呆にはならない。決して、決してだ。
今日はもう、このまま寝てしまおう。
明日からは、いつも通りの、品行方正な学生に戻る。
だから、今日だけは。
少しだけ彼のことを考えて、眠りにつこう。




