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第2話 邂逅 弐

「どうしてこんなことになったんだ……」


 座敷を出て、一階のかわやでぽつりと呟く。


 馬場に無理やりに遊郭ゆうかくに連れてこられ、何故だかそこにかつての親友がいた。食事はとても美味しかったが、正直、気が気じゃなかった。


 馬場は朝菊(あさひ)と話しているうちにすっかり上機嫌になったが、花魁おいらんとして働くかつての親友を見るのは、なんというか、複雑な気持ちだった。


 あの座敷にいるのが嫌になって、こうして外に出てきてしまった。


 綸はゆっくりと息を吸い込み、景色に目を遣る。馬場が、庭が広い、と言っていた通り、廊下の右手には美しい紅葉が植えられた庭があった。


 その庭の一角に、茶室がある。古そうだがしっかりとした外観で、なんとなく、興味をそそられた。


 庭に出て、茶室の周りをぐるりと歩いてみる。情緒あふれる石畳に、びっしりと生えた苔。そうしているうちに、少しだけ心の中のもやもやが消えていくように感じた。


 ふと、目に留まる。茶室の裏側に、大きな穴が空いている。


 何だろう、この穴は。


 中を覗いてみると、階段が見える。そして奥からうっすらと明かりが漏れている。


 ——妓楼の庭に、地下室があるのだろうか? 一体、何のために。地下室を造るだけで相当な費用がかかるはずなのに。


 いつもだったら、疑問に思うだけで行動に移すなんてことはなかった。


 だが、何故だろう。その時だけは。


 どうしても確かめなくてはいけないと——綸はそう思った。



 綸はあろうことか、茶室の裏の階段を降りていった。


 人一人がやっと通れる幅の階段を行くと、細長い通路に出た。


 壁に手を添え、綸は通路を進んでいく。うっすらと明かりが射している方を目指して、ただ足を進めた。


 心臓がドキドキと鳴っている。従業員でもないのにこんな所に入って、怒られないだろうかと不安になる。


 脳が警報を鳴らしているのに、足を止められない。この先に何があるのか確かめないことには、家に帰れないと思った。


 そして、通路の突き当りを曲がった瞬間——。


「わあ」


 と、透き通るような声がした。


 声のする方を見ると、そこには牢屋があった。そして、格子の中の人物とばちりと目が合ったのだ。


 ——天使が、そこにいるのかと思った。


 黄金色の長い髪に、大きな赤い瞳。死装束のような白い着物から覗く、雪のような肌。


 あまりの美貌に、綸は目の前にいるものが人間なのかどうなのか解らなかった。


 標準より細身の綸よりも、更に華奢だ。少女にしては座高があるので、辛うじて男だということが解ったぐらいだ。


 いろいろあったせいで疲れているから、こんな幻を見ているのではないかとも思った。


 格子の中には机と、本と、燭台と、敷布団が置かれている。金髪の少年は敷布団の上にちょこんと座って、こちらを見てはぱちぱちと瞬きを繰り返している。


「えっと……君は、何処から来たの?」


 少年は愛らしく小首を傾げ、考えるような仕草をする。


「もしかして、神様かい?」


 大きな瞳が、こちらに向く。


 言葉を喋っているのを聞いて、綸はやっと少年が生きている人間であることを理解した。


「あ……いや……俺はこの妓楼の、客だ」


 何とか声を絞り出し、少年の問いかけに答える。


「そうなんだ。お客さん、何でこんなところに来たんだい?」


「何でだろうな……何となく、気になってここに来てしまった」


 綸の言葉を聞き、美貌の少年は目を丸くする。一呼吸おくと、けらけらと笑い出した。


「ふふふ、面白い人。こんなところ、不気味がって誰も迷い込んでこないのに」


「ああ、急にきてすまなかった。だが、君はどうしてこんなところに閉じ込められているんだ? 折檻せっかんでもされているのだろうか?」


「折檻? 違うよ。僕はここに住んでるんだ」


「住んでる……のか?」


 すぐには理解できなかった。どう考えてもおかしい。こんな、罪人のような場所で暮らしている子がいるなんて。


 不審な目を向ける綸のことを気にせず、少年は長い金色の髪を揺らし、こちらに身体を向ける。その仕草の艶やかさに、思わず見惚れそうになる。


「お兄さん、大丈夫? ここに勝手に入ってきちゃって。怒られない?」


「そっ、そうだな……勝手に入るのはよくないよな。座敷に戻ることにするよ……じゃ」


 我に返った綸はくるりと反転し、来た道へと戻ろうとする。


 だが、思うところがあって、足を止める。


「君、名前は何ていうんだ?」


「僕? 僕の名前? どうしてそんなこと聞くんだい?」


「いや、何となくだ。嫌だったら構わんが……」


 それを聞いてか、少年は少し困ったような顔をした後、おずおずと口を開く。


「……白羽しらは。白い羽、と書いて白羽だよ」


「白羽だな。解った。またな」


 ——何故だろう。またな、なんて言ってしまった。俺はこんなふしだらな場所に、二度と来るつもりはないのに。


 ドキドキと鳴り止まない心臓に、足を速める。何故だが気持ちが逸って、どうしようもない。


 茶室の前まで戻ってくると、廊下に朝菊が立っているのが目に入ってくる。


「あ! 綸くん! 迷子になっちゃったのかと思って迎えにきたんだぞ!」


 綸を見て、嬉しそうな顔をする朝菊あさひ


「アサちゃ……じゃなくて、朝菊さん」


「別に、アサちゃん、って呼んでいいぞ? そう呼ぶお客さんも結構いるしな?」


「……アサちゃん、俺、色々聞きたいことがあるんだが」


「まあ、そうだろうなあ」


 朝菊は小さく笑い、視線を庭の方へと移す。綸もその視線を追い、しばらくして、ぽつりと呟く。


「いつから、ここで働いてるんだ?」


「引っ越しだっていって、お前と別れてすぐだよ。十歳ぐらいだったかな。親父の借金のカタに売られたんだ」


「そう……だったのか……」


 暗い顔をする綸の額を、朝菊がぱちんとデコピンをする。


「そんな顔すんなって。割と楽しく生きてたんだから。ここにいれば食い逸れることもないし、美人のおれはチヤホヤされるしな。こうして綸くんともまた会えた。嬉しいよ、おれは」


 にこりと笑って、朝菊は綸の腕を掴む。


「さあ、戻ろう。新造に座敷を任せっぱなしじゃ申し訳ない。今日は楽しく過ごそうぜ、綸くん」


「……ああ」


 朝菊に引っ張られ、座席へと戻る。だが、綸の心の中は、最早、朝菊のことは二の次になっていた。


 ——白羽。


 ほんの数分のやり取りだったが、彼の存在が頭から離れない。


 白羽はどんなことがあって妓楼に来て、どうしてあんなところにいたのだろうか。


 だが、綸が白羽のことを知るのは、もう少し後。


 綸が——『呪い』という存在を、嫌と言うほど思い知らされた後になる。



「う~ん! 朝菊さぁん! 大好きだああああ!」


「おい、ふざけるな。ちゃんと歩け、馬場」


 すっかり出来上がってしまった馬場を担ぎ、寄宿舎へと帰る道のり。


「なあ、綸。お前はぁ、何でぇ、朝菊さんと仲良しなんだぁ? ええ?」


「別に。たまたま昔馴染みだっただけだ」


「ずりいぞ! 綸! ああ、上手く喋れなかったなあ……これじゃあ、まだまだ馴染客になれねえよぉ……」


「飲みすぎだ、全く。しっかり歩けなくなるまで飲まされるな」


「だってよお、新造しんぞうの子たちがあおるからよお」


「人のせいにするな、お前が悪い」


 全くもって面倒くさい。綸が席を外している間に、馬場は新造たちにせがまれ、じゃんじゃんと酒を入れてしまったらしい。監視しておくべきだった。今更、反省しても遅いが。


「綸、お前だけ朝菊と仲良しでぇ、許せねぇ、呪ってやる!」


「はいはい、好きなだけ呪え」


 やっとの思いで寄宿舎に着き、馬場の部屋に馬場を放り込む。


 自分の部屋に帰り、そのまま布団に倒れ込む。


 ——ああ、今日は散々な日だった。


 でも、少しだけよかった気もする。自分一人だったら絶対に遊郭には行かなかっただろう。かつての親友とも、馬場がいたから会えたのだ。


 朝菊は、客としてじゃなくても、また会ってくれるだろうか。また、昔の様に、他愛のない話をしてくれるだろうか——。


 ぼんやりと考えていると、それとは別に思い浮かぶ顔がある。


「……白羽、か」


 自分とは違う世界に生きる、美しい人の名。


 彼の笑顔が、頭から離れない。


 冷静になってみると、どうして名前なんて聞いてしまったのだろうか。遊郭に通うつもりなんて、全くないというのに。


 ——俺はそんな、馬場みたいな阿呆にはならない。決して、決してだ。


 今日はもう、このまま寝てしまおう。


 明日からは、いつも通りの、品行方正な学生に戻る。


 だから、今日だけは。


 少しだけ彼のことを考えて、眠りにつこう。


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