第28話 禍桜
七色の光に照らされた桜郷の道を、綸はひたすら駆けた。
青蓮寺に辿り着く頃には、花火は絶頂を迎えていた。綸は直感的に、空に鳴り響く轟音が止んだら、儀式が行われるということを感じていた。
「至さん! 至さんはいませんか!」
寺の境内を探し回る。だが、綸の声に驚いて身を隠した三毛猫の他には、何も見つけることができない。
「至さん!」
叫びながら庫裡に向かい、至の姿をひたすらに求めた。
「くそっ! 至さん、肝心な時に何処に行ってるんだ! もしかしたら、至さんも、儀式に立ち会っているのだろうか……?」
至の部屋に入り、足がかりになるものがないかと辺りを見る。八畳ほどの至の部屋には、何に使うのか解らない鉄製の道具や藁人形、古びた本が乱雑に置かれていた。
一か月前は、こんなに散らかっていなかったと思うのに。ここ最近、至は何かに追われていたのだろうか?
思案していると、足元が、かさり、と鳴る。
真下を見ると、畳の上に紙の鳥が、数枚落ちていた。以前、至が朝菊の呪い主を特定する際に、使用したのと同じようなものだ。
「擬人式神……擬人式神、か……」
至が得意とする、和紙などに霊力を込めることで生み出される式神だ。綸も使い方を習ってはいたが、今までに一度も成功したことはない。
だが、これを使うことが出来たのなら——至のいる場所を、特定できるだろう。
「いや、一か八かだ。今やらないでいつやるんだ。きっとできる、できるはずだ!」
綸は部屋の中心で胡坐をかく。紙の鳥を目の前に置き、その上に至の髪の毛を添える。
全神経を研ぎ澄まし、目を瞑り、教わった通りの秘呪を唱える。
「天地を繋ぎし力よ、風を纏い、炎を操る霊よ、我が声に応え、我が意を聞け……!」
瞬間——身体が浮き上がるような、不思議な感覚に襲われる。地に足がつかないような強烈な不安感に、思わず言葉を止めてしまいそうになる。
以前、至に、式神との霊的な繋がりが、術者を物理的な世界から一時的に切り離すために起こる感覚だ、と言われたことがある。
自分は、今から死ぬ。肉体に、そう告げられたような恐怖である。
しかし、これに耐えねば、式神の召喚は成功しない。
昔の綸だったら、到底、耐えられなかっただろう。
だが、今は、救いたいものがある。その一心で、叫び出したいほどの怖気にも打ち勝てる。
「っ……! 今ここに、命を与え、魂を宿せ。式神よ、目覚めよ。我が望みを知り、我が命に従え……!」
何とか、秘呪を言い切った。
恐る恐る目を開けると、紙の鳥は、先程と変わらない様子でそこにある。
「う……やはり、駄目だったのだろうか?」
綸が絶望しかけた、その瞬間だった。
風も吹いていないのに、ふわり、と紙の鳥が浮かぶ。そのままぱたぱたと羽ばたき、宙でくるりと回った。
「で、できた! のか!?」
鳥は綸のことを待つように、部屋の中を旋回する。
「案内してくれ! たのむ!」
綸が立ち上がると、鳥は先導するように飛んでいく。
庫裡を出て、境内を通り、夜道を飛んでいく。
幸いにも、何処に行っても祭りの提灯が吊るされていたため、鳥を見失うことはなかった。
やがて、鳥は櫻神社の裏に位置する、森林へと入っていく。
「櫻神社の裏か……ここに、何があるんだろうか?」
見渡す限り、黒い木々が広がっているだけの場所。綸は疑いを心に抱きつつも、鳥の後を追い続ける。
しばらく歩くと、目の前に、古びた祠が見えてくる。鳥はその祠の前でへなへなと動きを止めると、地に落ちてしまった。
「お、おい! どうした! しっかりしろ!」
呼びかけてみるものの、鳥はもう動く気配はない。元の、ただの紙になってしまった。
「この祠が、何だというんだ……?」
見たところ、何かの神様を祀ってある、ごく普通の殿舎だ。
中に入れそうな大きさだったので、綸は意を決して、扉を開いてみた。
「なんだ……これは!」
驚くことに、祠の中には——地下へと続く階段があった。
階段の先に、何があるかは見えない。だが、奥からは幽かに光が漏れているようだった。
「まさか……こんなところにも、白羽の地下牢のような、場所があるというのか?」
綸は恐怖を飲み込み、勇気を振り絞って進んだ。
階段は、何処までも続いているように感じられた。中々底が見えなくて、戻りたい気持ちを必死で押し殺した。
やがて階段が終わると、洞窟のような場所に出る。四方は石で囲まれており、両端には水が流れている。一本道のようで、奥に何があるのかは行ってみないと解らない。
随分と地下にいるはずだった。だが、不思議なことに、岩壁全体がほんのり光っているように感じられて、暗闇一色ではなかった。
不安で呼吸が速くなっていく。だが、この先に、白羽がいるかもしれない。その思いだけで、綸は足を前へ進め続けた。
すると、左右の水路から、灯篭が一つ、二つ、と流れてくる。石壁が、幻想的な橙色の光で淡く照らされる。
これは、誰かが、ここを照らすために用意したものなのだろうか。または、祭りの一環で、上流から流されたものが、最終的にたどり着く場所なのだろうか。
そんなことを考えていると、目の前の通路の行き止まりが見えてくる。岩壁には切れ込みがあり、巨大な石の扉になっているようだった。
そして、その扉の近くに、白く反射する、岩のようなものがある。
近づいてみて、驚愕した。
白い岩だと思っていたものは、岩壁もたれかかるように座っている、白い着物を着た——至だった。
「い……至さん!?」
綸は大声で叫ぶと、至に駆け寄った。
「……ああ、何だ。ついに、お迎えが来たのかと思ったら……お前かよ」
いつもの、ぶっきらぼうな調子で答える至。だが、目に覇気がない。よくよく見ると、着物から覗く肌のあちこちに切り傷や痣があるようだった。
「至さん、こんなところで何してるんですか! どうして傷だらけなんですか!?」
「それよりお前、火、持ってないか」
「へ……? マッチなら、持ってますけど」
「それでいい、貸せ」
綸が懐からマッチを取り出すと、至がそれを手に取る。何処からともなく出した煙草を咥えて、火を付けて一服した。
「いや、のんびりしないでください! 至さん! 何があったんですか!」
詰め寄ると、至はやれやれ、と首を振り、口を開く。
「……失敗した」
「失敗? 何を失敗したんですか?」
「……禍津桜神を、調伏しようとした。それに失敗した」
調伏というのは、敵対する力を鎮めたり、従わせたりすることを言う。至は、禍津桜神の呪いと対峙し、傷を負い、ここで動けなくなっていたということか。
「俺は……前々から、禍津桜神と戦う準備をしていた。白羽を……黙ってくれてやるつもりなんて、最初からなかった」
「え!? それじゃあ、なんで俺に、白羽は少ししか生きられないとか、神の呪いは解けるもんじゃないとかって言ったんですか!」
「あれは、お前に変な希望を持たせないためだ。それも知らないで、お前は勝手に白羽を連れ出しやがって……」
至に強く睨まれ、身体が縮こまる。
「そ、それは、相談したら、『やめろ』って言われると思ったので……」
「当たり前だ。白羽を結界から出すなんて、危険すぎる」
「で、どうなったんですか。白羽は、桜郷に戻ってきてるんですよね? 儀式は?」
綸が問うと、至は短くなった煙草を地面に押し付け、話し出す。
「……白羽がいなくなって、神主や地主共は、それはそれは狼狽したさ。白羽がいないと、禍津桜神に捧げる供物がない。儀式が正しく行われないと、大災害が起きる。だから、苦肉の策として……白羽が帰ってこなかった場合は、神主を生贄にする、ということが決まっていた」
「そんなことが……」
「だが、白羽は……祭りの当日、あっさり霊部の家に帰ってきた。『僕は、僕のお勤めを果たします』ってな。だから、俺は神主と白羽と話し合った。そして、儀式を始める前に……俺に、禍津桜神の呪い祓う機会をくれ、と願った。儀式を行うのは、それに失敗してからにしてくれ……ってな」
「じゃあ、正に今、儀式が行われてるってことですか!? 何処でですか!?」
「……この先だ」
至が石の扉を、コンコン、と叩く。
「この先に……白羽と神主と……禍津桜神がいる」
「禍津桜神が……『いる』?」
腑に落ちない言葉だ。禍津桜神は、『呪い』そのものではなかっただろうか。
「禍津桜神って、目に見えるものなんですか?」
「そうだな。禍津桜神は、特別な桜の木に憑いた『呪い』だ。その、呪われた桜の木が、この先にある……そういうことだ」
「桜の木……」
大叔父の家にあった資料にも、こう記されていた。
——桜郷には、実りの秋に咲く、特別な桜の木が存在した、と。
だが、ここは地下だ。植物が育つはずもない。そんな御伽噺にしか存在しないような桜の木が、はたして本当にあるのだろうか。
考えても仕方ない。今から見に行けばいい。それだけだ。
綸は意を決して、石の扉の前に立つ。
すると、視線だけこちらに向けた至が——静かに口を開く。
「行くのか?」
覚悟を問われるような、そんな言い方だ。
「……行きます。白羽を、生贄になんてさせません」
力強く、自分に言い聞かせるように答える。
「白羽を救ったとして、呪いはどうするんだ? 俺でも勝てない呪いだぞ? 陰陽師として、生まれたてのヒヨコに等しいお前に、何ができる?」
「それは……何とかします」
「俺は……お前に、その先には、進んで欲しくない」
至の、いつもとは違う。僅かに優しい声だった。
「白羽の命の責任も、桜郷の皆の命の責任も、お前が背負う必要はない。そんなものは、俺たちのように、汚れた大人たちに任せておけばいいんだ」
綸はこの時、初めて至のことを、少しだけ解った気がした。
——至さんも、白羽も、勝手だ。勝手に責任を感じて、勝手に俺を守ろうとする。そういう、心の優しい人なんだ。
だからこそ。綸は、引き下がる訳にはいかなかった。
「大丈夫です。俺、一応、秘策があるんで」
そう言って、ニヤリと笑って見せる。
「至さんは、安全な場所にいてください! 俺は、行きます!」
綸は石の扉を押し開ける。重い扉はゴリゴリと音を立て、何とか一人の力で開いてくれた。
扉の先は——眩しかった。
太陽の届かない地下のはずなのに、そこは昼間の様に明るい。足元を見ると、岩肌から突き出るように木の根が張っていた。
木の根を辿る様に、慎重に前に進んでいく。やがて綸は、とてつもなく広い空間に出た。
天井は高く、何処まで続いているのか解らない。地下にいたはずなのに、急に地上に出た気分だった。
先程まで岩だらけだったはずなのに、地面には草が生えている。そして、空間の中心には三十尺以上ある、大きな桜の木があった。
だが、花の色が変わっている。
本来、薄紅色であるはずの桜の花びらが、まるで血のように、真っ赤に染まっていた。
「これが……禍津桜神……」
呆気に取られる綸の目に飛び込んできたのは、神主の後ろ姿。
血濡れの桜の木の根本。大きな穴の前で、鋤を握り締め、ガタガタと震えていた。
「……白羽!」
声を上げると、神主がこちらに気が付いて狼狽える。
「しゃ、赤銅さん!」
綸は神主を無視して、穴の中へと飛び込む。
穴の底には、ぐったりと下を向いて座っている、白羽の姿があった。儀式のための衣装なのか、白の長着に、深紅の袴姿だ。
「白羽! そんな! 白羽!」
頭の中が真っ白になり、視界が滲む。
白羽の身体を揺すり、必死で名前を呼ぶ。口元に耳を当てると、かすかに呼吸をしているのが感じられた。
「よかった、まだ生きてる……!」
綸は胸を撫で下ろし、白羽を抱き抱える。
そのまま穴の中から何とか這い出て、地面にそっと白羽を横たえる。薬でも飲まされたのか、白羽は死んだように眠っていて、目覚める気配はない。
綸が神主の方を見ると、神主は真っ青な顔をしていて、今にも倒れそうだった。
「ああ……! 儀式を、途中で止めるなんて……! これでは、呪いが……! 禍津桜神の、呪いが……ああ!」
神主が、そう呟いた瞬間だった。
空間全体に、地鳴りのような重低音が響いた。
「この音は……?」
耳を澄ませると、低い音の中に、人の声のようなものが混じっている。
——セ、セ。
「何だ? 何を言っているんだ? この声は、誰だ?」
「うわああああ! 土地神様がお怒りだ! お怒りだ!」
神主は頭を抱え、その場にうずくまる。地鳴りは大きくなり、遂には綸たちの立つ地面が揺れ始める。
——ダセ! 思イダセ!
今度は、はっきりと聞こえた。
この声は、禍津桜神——いや、子を奪われたという、母の悲しき呪いの声か。
「ふん、何を思い出せと言うんだ。かつての罪は、今を生きる人々には関係ないだろう。全く……こんなことを、いつまで続けるつもりなんだ?」
呪いの声に、苦情を言ってみせる。人は恐怖の限界を超えると、逆に冷静になっていくようだ。
答えの代わりに、地面はますます揺れ動く。木の幹が歪み、まるで口のような裂け目が現れた。
バキバキと音を立て、地面から複数の木の根が生え始める。それらは絡み合って禍々しい腕のような形を作りながら、綸たちを取り囲んだ。
「……脅しても、白羽はやらんぞ。俺は決めたんだ。お前から、この子を守ると。あと、そのついでに……桜郷の人々も、守るぞ」
綸は深く息を吐き、傍らで眠る白羽を見つめる。
「白羽、お前の為ならば、俺は、何にだってなってみせる。たとえ神様が敵になろうとも……俺は、屈しない!」
禍津桜神が、大きく咆哮する。
綸は負けじと、声を張り上げて宣告した。
「俺は陰陽師の、赤銅綸だ! 以後、見知りおけ!」




