第24話 蜜月 弐
それから綸と白羽は、ずっと一緒だった。
贅沢はできないが、満たされた日々。白羽が傍にいる。それだけで綸は、帝都に住むどんな富豪よりも幸せだと思った。
月日はあっという間に経ち、霜月へ。
綸は今日も朝から、大叔父の残した資料を読み漁っていた。
「綸、大丈夫?」
後ろから白羽の声がして、振り返る。茶を持ってきてくれた白羽が、心配そうに綸を見つめていた。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、白羽」
一度手を止め、白羽の淹れてくれた茶を飲んだ。
「……綸。とても疲れてる顔してる。休んだ方がいいよ」
「いや、もう少し頑張らせてくれ。桜郷について書かれている資料が、何処かにあるかもしれないんだ」
「でも……」
何かを言おうとしたのを静止するように、綸は白羽の頭を撫でた。
「ありがとう、白羽。心配してくれて。でも、時間がないんだ」
「……うん」
しょぼんと肩を落とし、白羽が部屋を後にする。
一息ついて、綸は再び資料と睨み合う。
鎮魂祭は、もうすぐだ。
白羽がいなくなったことは、既に神主たちにも伝わっただろう。追手が来ることを懸念していたが、現在までにそういったことはない。
白羽は、ここにいれば安全だ。
だが、このままでは、桜郷に大災害が起きてしまうかもしれない。
「何かないのか……桜郷の、土地神についての記録が……!」
祈る思いで、綸は次の紙束を手にする。
ふと、目に飛び込んできた、表題。
——桜郷、土地神『桜之御中主神』ノ伝承。
「桜之御中主神……? 禍津桜神じゃないのか?」
疑問に思ったが、とりあえず資料を読み進めていく。
そこに書かれていた内容は、綸が神主から聞いた話とは、少し異なっていた。
——桜郷に伝わる、土地神。その名は、桜之御中主神。
主は人によく似ており、その性格は、純真無垢であった。
燃えるような赤い髪をした美しい人の姿で現れ、人と関わることを好んでいた。
主は、多くの人に愛された。その愛に応えるべく、主は、桜郷に実りをもたらした。
桜郷には、実りの秋に咲く、特別な桜の木が存在した。
それこそが主の力の源であり、人々から崇められるほど、その力と、美しさを増した。
主は、人と触れ合い、結果として、一人の女と子を成した。
御子は神と人、両方の気質を併せ持ち、優しく聡明で、その力を惜しみなく人々のために使った。
それをよしとしなかったのが、桜郷の呪師、霊部。
御子の奇跡の力を目にした人々が、霊部の呪は『不当である』と言い始めたのだ。
追い詰められた霊部の長は、遂には御子を殺してしまう。
御子が殺されたことを知り、母である女は発狂した。霊部を恨み、霊部を追い詰めた人々を恨んだ。
この世の全てを呪いながら、女は主の桜の木の前で自害した。
女の血を吸った桜の木は、呪われた。
地上を揺らし、川を氾濫させ、多くの人の命を奪った。
主は、桜の木が血色に染め上げられたことで、力を失った。
桜の木は、後に『禍津桜神』と呼ばれるようになり、人々に恐れられるようになった。
禍津桜神は今も尚、霊部の血を求めている。
主は、待ち続ける。
忘れられたその名が、再び、呼ばれることを——。
「これが本当なら……禍津桜神は神様なんかじゃない。人の呪い、そのものなんだ!」
声高に言い、思わず立ち上がる。
「……綸?」
綸の声を聞いてか、白羽が部屋を覗きに来る。
「白羽、これだ! ここに書かれていることが本当なら……桜郷を救えるかもしれない!」
白羽の肩を掴み、興奮したまま言葉を続ける。
「本物の、桜郷の土地神様は他にいるんだ! それを見つけることが出来れば……呪いを消すことができるかもしれない……!」
綸は白羽の目を、じっと見つめる。白羽は目を見開いて固まった後——ぽつりと口を開く。
「それで……その、本物の神様って言うのは、どこに行ったら会えるのかな」
「それは……これから、探す!」
「……もう、お祭りは明日だよ?」
「わ、解っている! だから、祭りが終わるまでここにいよう。その後、桜郷に戻って、本物の土地神様を探しに行こう!」
「……大災害は、それを待ってくれるのかな」
嘲笑するように、白羽が言う。
「白羽……?」
「ありがとう、綸。僕のために必死になってくれて。でも、いいんだよ」
「何がいいもんか! 俺は必ず、お前を救う! 桜郷の人も救う!」
「僕は幸せだよ、たとえこのまま、死んでもね」
「馬鹿を言うな! そんなの俺が納得できない!」
「我儘だなあ、綸は」
「……どうして!」
半ば強引に、白羽を己の腕の中に包み込む。腕に力を込め、白羽を離さまいと、抱きしめた。
「……痛いよ?」
白羽が、くすりと笑う。
——どうして。
どうして、そんな風に笑えるんだ。
やっと、あの部屋から出ることができて。毎日、楽しそうにしていたじゃないか。
海を見て、瞳を輝かせて。綸のの大したことない飯で、あんなに喜んで。
これからもっと、色んなことを知ってほしいのに。
白羽が犠牲になって、良い訳がない。
だから、どうか——。
「生きることを、諦めないでくれ……!」
己の頬を、涙が静かに伝う。
白羽はしばらく黙った後、小さく、うん、とだけ言った。
◆◇◆
草木も眠る、丑三つ時。
隣から小さく声がして、白羽は目を覚ました。
「東海の神、名は阿明。西海の神、名は祝良。南海の神、名は巨乗……」
綸の、百鬼夜行を避けるという、秘咒だ。
こうして綸は、この一か月。夜中に何度も起きては、白羽に集まる呪いを祓っていた。
日に日に隈が深くなる、綸の顔。
もういいよ、って、何度も言った。
自分なんか諦めて、生贄として差し出しちゃえば楽になれるのに。桜郷の人々も、数十年は安心して暮らせるのに。
綸は、優しすぎる。
一人で抱え込んで、全てを救おうとしている。
そんな、物語の主人公みないなこと、現実にはできるはずかないのに。
輪と暮らした日々は、本当に楽しかった。
まるで新婚さんみたいで、白羽も浮かれてしまっていた。
この幸せが、ずっと続けばいいのに。
でも、それじゃあ、駄目なんだ。
このままでは、綸が壊れてしまう。
そんなことになったら——自分自身を、一生、呪ってしまう。
「綸……まだ、起きてるの?」
隣に敷かれた布団に顔を向けると、油灯を消そうとしていた綸と目が合った。
「白羽? すまない、起こしてしまったか?」
「ううん。たまたま起きただけ」
「そうか……まだ夜だ。ゆっくり眠っていろ」
「綸は寝ないの?」
「俺は、大丈夫だ」
ほら、また——大丈夫、って言う。
ここに来てから、何度、綸の『大丈夫』を聞いただろうか。
白羽を安心させるつもりなのか。自分に言い聞かせているのか。
そうやって、いつまでも、子どもみたいに扱うから。
——もう、実力行使に、出るしかないよね?
白羽は布団から出て、綸の左手首を掴む。
「うん? 何だ? 白羽」
油断しきっている綸を、そのまま強く押し倒した。
「うわっ!」
驚いた声を出す綸を無視して、掛け布団をほうり出す。組み伏せてその上に跨り——ニヤリと微笑んで見せた。
「……白羽? 一体、どうしたんだ?」
不思議そうな顔をして、綸が口にする。
「ねえ、綸。ここ一か月、僕の呪いを祓わなきゃいけないからって、まともに寝てないでしょう?」
「そ、それは……その……」
「一つだけ、方法があるんだ。秘咒以外に、僕に集まる呪いを、しばらくの間、遠ざける方法が」
「そんなものがあるのか?」
「うん」
「それは……何だ?」
白羽はできる限り妖艶に笑い、そして告げる。
「愛の交歓をするの」
「……はい?」
引きつった笑顔を浮かべる綸。
「あれ? 解らなかった? 性行為をするって意味なんだけど」
「いや! 解ります! 解りますけど! 白羽さん!」
綸は何故だか敬語で答える。何処に置いたらいいのか迷っているのか、手をばたばたとする。
「聞いたことないかな? 呪いの元である、怨霊とか生霊っていうのは、『強い生命の力』を嫌がるんだ。だから、性行為や排泄など、生命の生きる『証』を見せつけると、嫌がって、しばらくは寄ってこないのさ」
「おっしゃる意味は解りますが……俺と、白羽が? するのか?」
「うん」
「…………」
顔を覆って、黙る綸。
未経験だろうなとは思っていたけれど、こんなに反応されると、少しからかいたくなってしまう。
「僕とするのは……嫌かい?」
瞳を潤ませ、わざとらしく聞いてみる。
「いや! 嫌じゃないけど!」
「それなら……いいよね」
綸に覆い被さり、そっと唇を触れ合わせる。
綸は逃げることなく、それを受け入れてくれた。
今、この瞬間なら——死んでも構わない。
心からそう思えるぐらい、幸せだった。




