第22話 半生 弐
月の光が、眩しい。
外というのは、こんなにも明るいんだ。
夜なのにこんなに明るいということは、太陽が出ている時間は、眩しくて目が開けられないのではないかと思った。
目に映るもの、全てが新鮮だった。
空、星、道、木、風、人——。
地下牢を出て、一時間ぐらい経っただろうか。
歩き続けたせいで、息が上がっている。今まで一度だって外に出たことはなかったから仕方ないのかもしれないけれど、自分の体力のなさを情けなく思う。
「大丈夫か? 白羽?」
白羽の手を引く綸が、心配そうに口にする。
「大丈夫だよ。ちょっと、慣れてないだけだから」
本当は、急に広がった世界に圧倒され、少し気分が悪かった。
だけど、綸を心配させたくなかったし、何より、戻ろう、と言われたくなかった。
「白羽、今日はこのまま、陵国駅まで歩く。そこから海の方に出ている列車があるんだ。朝になったら、それに乗ろう」
「……本当に、桜郷を、出ていくの?」
「ああ。嫌か?」
「ううん。一緒なら、何処でもいい」
綸と繋ぐ手を、ぎゅ、と強く握る。綸はほっとしたような笑顔を見せると、力強く歩みを進めていく。
まもなく、陵国駅が見えてくる。白羽たちは駅舎の前に座り込み、肩を寄せ合った。
「すまない、白羽。無理をさせて。だが、夜のうちに逃げるのが、一番、人目を避けられるのでは、と思ってだな」
「うん。僕もそう思う」
「寒くないか?」
「綸がいるから、大丈夫」
「そうか」
右肩から伝わる綸の体温が、心地よい。
少しうとうとしていると、綸の静かな声が聞こえてくる。
「東海の神、名は阿明。西海の神、名は祝良。南海の神、名は巨乗、北海の神、名は禺強。四海の大神、百鬼を避け、凶災を蕩う。急々如律令……」
「……何のおまじない?」
上目遣いで見ると、綸と目が合う。
「え? ああ……これは、百鬼夜行を避ける秘咒だ。白羽の周りには、呪いが集まりやすいから。これを一時間に一回程度、使用する必要があるかなって思って」
少し恥ずかしそうにしながら、綸は言う。
「そんなに何回もやる必要があるなんて……大変じゃない?」
「何てことないぞ。俺も陰陽師の端くれだからな。任せておけ」
「うん……」
言われてみれば、そうだった。土地神のお気に入りである自分は、他の霊たちから見てもおいしい『エサ』である。今までは結界の中で暮らしていたから、気にしたことはなかったのだが。
自分は、迷惑をかけているんだ。生きているだけで、ずっと。
「白羽、一時間も歩いて、疲れただろう? 寝てていいぞ。列車が来る時間になったら、起こしてやるから」
「大丈夫。それより、綸と話がしたいな」
「そうか? 大丈夫っていうなら、構わんが……」
こほん、と咳ばらいをして、綸が続ける。
「白羽。本当に、俺なんかと一緒に来て、後悔してないか?」
「それは……君の方こそ。僕を連れ出して、後悔していない?」
「し、していない」
「ふふ、本当かなあ……?」
「本当だ!」
口ではそう言い切ってはいるけれど、綸は、不安で一杯のはずだ。
彼は、優しい。
白羽を連れ出したせいで、大勢の人が困る。それを理解していないはずがないのに。
「いいの? 綸」
「何がだ?」
「僕がいないと、今年の鎮魂祭で、儀式ができない」
「……それが何だ」
「桜郷に、大災害が起きるよ。人が死ぬかもしれない」
「それは……そうかもしれないが。白羽だけが、犠牲になるなんて間違っている」
綸は白羽の手を強く握り、告げる。
「俺は、世界が敵になっても、白羽の味方でいると決めたんだ」
「…………」
嬉しい。飛び上がりたいほどに嬉しい。
けれども、何て言っていいのか解らない。
言葉にする代わりに、白羽は綸の肩に頬を寄せる。すると、綸は黙って、白羽の頭を優しく撫でてくれた。
そのまま目を閉じると、闇の中へと意識が滑り落ちていった。
*
朝が来て、白羽と綸は、列車に乗った。
巨大な鉄の塊が地面を揺らしながら轟音とともに動く姿は、まるで魔法のように感じられた。
「うわあ、列車って、すごい。すごいや」
ものすごい速さで流れていく景色を見ながら、弾む気持ちを言葉にする。
「すごいよな。本当に速くて、俺も初めて乗った時は驚いた」
はしゃぐ子どもを見守るような目をして、綸が口にする。
「……この列車に乗って、何処へ行くの?」
少しの不安とたくさんの期待を込めて、問いかける。
「ああ。俺の、大叔父の家に行こうと思う。大叔父は十年前に亡くなっていて、今は誰も住んでいない家があるんだ。大叔父は、民俗学者だったんだ。全国各地の、神や儀式について知れる資料もあるかもしれない。それを探ってみようと思う」
「へえ、そうなんだ……」
綸は、ただ白羽を連れ出しただけではなかったようだ。桜郷のことも諦めていない。皆が生き残れる道を、探すつもりなのだ。
——馬鹿だなあ。綸一人で、背負えるような問題じゃないのにね。
でも、そんなところが。きっと、『好き』なんだ。
「そろそろ終点だな……白羽、降りるぞ」
「うん」
列車は終点の万葉駅で止まり、白羽と綸は下車した。駅の周辺には、ほぼ何もない。目が回りそうだった帝都の景色とは、正反対だ。
ふと、違和感を覚える。
先程までと、風が違う。
何だかべたべたするような気がするし、ほんのり魚のような香りがする。
それに、ザザン、と、単調な音も聞こえてくる。
「綸、これは、何の音?」
「ああ、ここを下れば、見えて来るさ」
綸と手を繋ぎ、一本道を下っていく。
そして、目の前に現れたのは——。
空の色を映した、地平線まで続く、果てしない水面。
「うわあ……!」
思わず、子どもみたいな声を上げた。
「白羽、言ってたよな。海が見てみたいと。これが海だ。どうだ?」
「すごい! 本当に海って大きいんだ!」
夢にまで見た、海の姿。
水面がキラキラしてて、とても綺麗だ。何だか自分が飲み込まれるような気がして、少しだけ恐ろしい。
「ねえ、綸。もっと近くに行っていい?」
「ああ、いいぞ」
「やったあ!」
「こら、走るな、白羽!」
近づいてみると、更に海は大きかった。
絶え間なく押し寄せる波。歩きにくい砂浜。
その全てが、新鮮で。大きく息を吸うと、胸がいっぱいになった。
「泳いでみても、いいかな?」
「白羽……泳げるのか?」
「泳いだことはないけど、いける気がする」
「いや、いけないだろう。それに寒いし。足をつける程度にしておけ」
「えー」
少し不満だったけど、綸を困らせるわけにはいかないので、泳ぐのは諦めることにする。
草履を脱ぎ、波打ち際まで近づくと、すぐに海水が足元に触れた。
「うわあ、なんか、ぞわってする!」
不思議な感覚に驚きながら、後ろで見守る綸へと振り返る。
「もう秋だからな、冷たいだろう」
「綸もおいでよ。ほら!」
「こら、水飛沫を飛ばすな!」
——ああ、幸せだ。
まさか、僕にこんな幸せが訪れるなんて。
君と一緒に、外の世界に出て、海を見れて、笑い合って。
やはり、思った通りだった。
綸は、僕の。
僕だけの——『神様』だった。




