第20話 土地神 弐
「霊部の家は……ここで、あっているだろうか」
さくらに言われた通りに細道を抜けると、そこにはぽつんと一軒、長屋が建っていた。
言われなければ、大きな家の裏に道があることなんて解らなかった。まるで隠れ家のように建てられたその家は、どこか懐かしく、神聖な雰囲気があった。
意を決し、玄関の扉を叩く。暫くすると、中から人の足音が聞こえてくる。
「……はい。えっと、どちら様でしょうか……?」
姿を現したのは、身なりのきちんとした、四十代ぐらいの男だ。
少しやつれて見えるが、目鼻立ちは整っており、どことなく、白羽に似ていると思った。
「突然来てしまって、すみません。俺は陰陽師……をやっている、赤銅綸と申します」
「陰陽師……? 至さんの、知り合いですかね?」
「ああ、至さんをご存じですか。俺は、至さんの弟子、みたいなものです。櫻神社の神主さんを探して、ここに来たんですけど」
「ああ、それなら。私が神主です。ほら、立ち話もなんですし。どうぞ」
神主は綸を中へと案内する。広い和室はがらんとしていて、貴重品の類は置いていない。普段の、神主の質素な暮らしぶりが見て取れるようだった。
中央に置かれた長机の前に座ると、神主が梅昆布茶を出してくれる。
「こちら、よかったらどうぞ。で、赤銅さん……でしたよね。今日は、至さんの使いで来たのでしょうか?」
「いえ。今日は、俺の個人的な用事で来ました」
「そうですか。何か私に、答えられることはありますでしょうか」
おっとりとした声で、優しい笑顔を向けられる。綸は一呼吸おいて、単刀直入に言う。
「禍津桜神の……呪いを解く方法を、探しています」
「……それは、一体……」
神主の表情が、みるみるうちに凍り付く。
「白羽って……貴方の息子ですよね? 俺、親しくさせてもらっています」
「……白羽が、ですか」
「もうすぐ、桜郷では鎮魂祭があって、白羽が……生贄として差し出される、儀式が行われると聞いています。貴方たちは、本当にそんなことをやるつもりなんですか?」
しばらくの間、沈黙が流れる。
神主は茶を一口飲んだ後、静かに口を開く。
「……禍津桜神の呪いは、本物です」
「本物……とは?」
「二十年に一度。禍津桜神の力が強まる周期で生贄を捧げないと、桜郷は大災害に見舞われるのです。江戸時代中期。一度だけ、鎮魂祭を行わなかった年がありました。その年は大地震が起き、洪水により飢饉が起き……たくさんの人が、亡くなりました」
「だから……この土地を守るために、白羽に全ての責任を押し付けると?」
「仕方ないんです!」
神主は叫ぶように言った。真っ青な顔をしていて、手は小刻みに震えている。
「白羽は、生まれた時からそういう運命だったのです! 私は、儀式を行わなければいけないのです!」
「白羽の呪いを、解く方法を探したりはしなかったんですか?」
「探しました! 私の父も、そのまた父も……でも、そんなものは見つかりませんでした。霊部の人間を差し出し続けない限り……禍津桜神は許してくれません」
「貴方は、本当にそれでいいんですか!? 白羽を……殺せるんですか!?」
「それが私の、使命です……」
再び、沈黙が訪れる。
やがて神主は諦めたように、話し始める。
「今からもう、千年以上も前の話です。桜郷に人が住むようになるよりずっと前から、禍津桜神はそこにいたと聞きます。禍津桜神は、最初は悪神ではなかった。赤い髪をした美しい男性の姿で現れ、人と同じように豊かな心を持ち、人と触れ合ったといいます」
「そんな神様が……何故、人を恨むようになったんです?」
「人と触れあい、暮らしていた禍津桜神は、やがて一人の少女と恋に落ちたといいます。そして少女と禍津桜神の間には、子どもが生まれたのです」
神主は苦しそうに溜息を吐き、続ける。
「その子どもは人ならざる力を持っていて、その性格は、悪辣だったといいます。きっと、その子が大きくなったら、我々を恐怖で支配するだろうと、人々は怯えました。ですから、その土地で一番権力を持っていた人物……私の、子孫にあたる人です。その者は、取り返しのつかないことが起きる前に、神と少女の子どもを殺してしまったのです」
「そんなことが……本当に?」
「はい。子どもが殺されたことにより、禍津桜神はひどく怒りました。次々と大災害が起こり、人々は絶滅寸前まで追い込まれます。そこで人々は、禍津桜神の怒りを鎮めるために、私の子孫にあたる人物を殺し、血を捧げました。それにより、災害は収まり、人々は平和を取り戻したかのように思えました。ですが、呪いは続いていたのです。二十年に一度ぐらいの周期で、思い出したかのように禍津桜神は災害を起こしました。そして、丁度それと同じぐらいの時期に、私の子孫の家系には、左胸に桜紋様の痣のある子どもが生まれたのです。その子どもは、不幸を引き寄せました。禍津桜神の呪いを受けているとされ、周りから疎まれ、ついには生きたまま地下に埋められてしまったのです。すると、どうでしょう。それまで続いていた災害が止んだのです。だから、二十年に一度、人々は鎮魂祭で、桜紋様の痣を持つ者を差し出すようになりました。それが土地神である、禍津桜神の怒りを鎮める、唯一の方法なんです」
あまりに現実味のない話に、目眩を覚えた。
だが、神主は、嘘を言っているわけではないだろう。つまり、このままだと白羽はあと一か月で——生き埋めにされるということだ。
「私は、もう、何年も白羽に会っていません。情が移らないようにと、会うことを禁止されているのです。なので、私は、儀式を行います。理解してください、赤銅さん。我々が生きるためには、必要なことなんです……」
神主は立ち上がると、障子戸に手をかける。
「そろそろ、お帰り下さい。至さんか花仙楼の楼主に聞いたのでしょうけど、この場所を教えるとは意外でした。私が櫻神社の神主だということは、公には隠されていますから」
「え? ああ……ここのことは、さくらから聞きました」
「さくら……とは?」
「知っているでしょう? 赤い髪をした、小さな男の子です。神主さんと、関係者って言ってましたけど……」
「赤い……髪!」
そう言うと、神主は頭を抱えて蹲る。
「ちょ、ど、どうしたんですか!?」
傍に寄って顔を覗き込むと、神主はひどく怯えたような顔をしており、ぶつぶつと独り言を言っている。
「ああ、恐ろしい……恐ろしい……禍津桜神はお怒りだ……恐ろしい!」
異様な姿に、それ以上は何も言うことが出来ず——。
綸は、神主の家を後にしたのだった。
*
すっかり日が落ちた頃。綸は一つの決意を胸に秘め、花仙楼に向かっていた。
足取りは、いつもより鈍い。その理由は、右手に担いだ大きな荷物のせいだ。
遊郭は、普段通り賑わっている。綸はこっそりと裏口から、花仙楼に入り込んだ。三味線の音や、人の笑い声。目に映る人々は、皆はしゃいでいる。
これならば、誰も、綸のことは見ていないだろう。速足で庭へと移動して、茶室裏の階段を降りていく。
トントン、と、自分の足音が響いていく。それを一音一音聞きながら、覚悟を決めていく。
「綸かな? 今日は遅かったね」
投げかけられる、愛しい声。
「ああ、白羽。昼間に来れなくて、悪かったな」
綸は平然を装い、口にする。
「今日は来ないのかと思ったから、嬉しいよ。またお手紙を書いたんだ。受け取ってくれるかい?」
白羽は嬉しそうに綸を見る。潤んだ紅玉の瞳は、いつ見ても綺麗だ。
「ああ……その、白羽。少し、格子から離れてくれるか?」
「え? 何でだい? まあ、いいけど」
不思議そうな顔をしていたが、白羽は素直に格子から離れ、背後の壁にもたれかかる。
「こうかい?」
「ああ……それでいい」
綸は右手に担いでいた、風呂敷で包んでいた荷物をほどく。姿を現したのは——薪割りに使うような、三十寸ほどの斧だ。
「白羽、どいてろよ!」
綸は斧を構える。一呼吸おいて、そして叫ぶ。
「はああああああっ!」
木でできた格子に向かって、ズドン、と、斧を振り下ろす。音を立てて砕ける格子に構わず、綸は何度も何度も、斧を振り下ろす。
白羽はその一部始終を、ぽかんと口を開け、見守っていた。
「……はあっ、はあっ!」
格子には、人一人が通れるほどの、大きな穴が空いていた。手にした斧を投げ捨て、綸はその穴から、白羽に向かって手を伸ばした。
「白羽……ここから出るんだ!」
状況が理解できていないのか、白羽はしばらく、固まっていた。迷うように左右を見回し、おずおずと右手を出そうとしてくる。
「一緒に、逃げよう!」
綸は半ば強引に、白羽の手を取った。
白羽はひどく困った顔をしていたが、その手が振りほどかれることはなかった。




