第18話 翻弄 弐
澪と黒音に手を引かれ、緑の多い道を抜ける。舗装された道路が遠ざかり、ごちゃごちゃとした繁華街の裏道に入っていく。
賑わっていた場所から一変、左右に見えるのは小汚い長屋ばかり。そこら中を蝿が飛び回り、悪臭が漂っている。
道には、まばらに人がいる。どの人もやせ細っていて、みすぼらしい服装だった。明らかに浮いている綸たちを、獲物を捕らえるような目でじろりと見つめてくる。
「ふふ……りんりん、驚いてるねえ。りんりんみたいなお金持ちのボンボンは、こんなところがあるなんて、知らなかったでしょう?」
黒音が、怪しい声色で続ける。
「ここはね……下谷永年町。繁華街で出る残飯を目当てに人が集まった、貧民窟だよ」
「貧民窟……」
何故、澪と黒音にこんなところに連れてこられたのか、理解ができなかった。綸は戦々恐々とする。逃げ出さないようにか、二人はしっかりと綸の手を掴んでいる。
もしかして、自分はこのまま人気のない所に連れて行かれて、殺されるのだろうか? ゴミ溜めの中、捨てられて、誰にも見つからないまま骨になるのだろうか?
そんな恐ろしいことを考えていると、澪が一軒の家の前で足を止める。見るからにボロボロで、崩れていないのが奇跡のように感じられた。
「ここ」
小さく呟くと、澪は玄関口に立つ。
すると次の瞬間——引戸に向かって、思い切り蹴りを入れた。
バアン、と、ものすごい音が辺りに響き渡る。
「なっ!? 何やってるんだ、澪!」
「しっ、隠れて」
澪に引っ張られ、建物と建物の隙間に、身を隠す。
そのまま息を潜めてじっとしていると、澪が蹴飛ばした家の中から、一人の男が出てきた。
灰色の長髪の、身長の高い男だ。ボロボロの黒の着物で、手には酒瓶を持っている。年齢は四十代ぐらいだろうか。酷くやつれていて、瞳だけがギラギラと光っていた。
男は辺りを見回し——しばらくすると、舌打ちをして家の中へと引っ込んでいった。
「今の、見た?」
澪が、大きな目をこちらに向けてくる。
「見たら……何なんだ? あの人、何かあるのか?」
「あいつの名前ね、吉田平次っていうの」
「その、吉田さんが、どうしたっていうんだ?」
綸の質問に、澪が鼻で笑う。
「あれ、おれの父親なんだ」
「え……?」
綺麗な澪からは、想像もつかなかった。
先程のくたびれた男が、澪の父親だという。それを今、何故——綸に見せたのだろうか。
「澪は……あの男に、売られたってことか?」
「そ。ムカつくでしょ?」
「えっと……そうだな。自分の子どもを妓楼に売るなんて。事情があったとしても、俺は許せない」
「そうでしょ? だからさ、綸……」
澪の唇が耳元に近付き、そして告げる。
「あいつのこと、呪い殺してよ」
「は……?」
思わず、間抜けな声を出してしまう。そんな綸を見て、澪と黒音はくすくすと笑っている。
「名前と顔が解れば、陰陽師は人を呪い殺せるんでしょう? 至はこんなお願い聞いてくれないし。ね? いいでしょ?」
二人のねっとりとした目線に、動けなくなる。何か言わなくてはいけないのに、言葉が出てこない。
「さあ、解ったら、こんな臭いところにいつまでもいるのはやめよう?」
黒音は綸の手を引き、来た道を引き返す。
「りんりんは、さくらに会いたいんだよね? りんりんがあいつを呪ってくれるっていうのなら、俺たちがさくらに会う方法を教えてあげる」
振り返り、邪悪な笑みを浮かべる二人。
「おれたちの願いは教えたからね……あとはあんた次第、かな」
*
帰宅した後——綸は自室で一人、頭を抱えていた。
澪と黒音が俺に求めたことは、『澪を捨てた親を呪い殺す』ことだった。
呪符や蟲毒といった、人を呪う方法があることは書物で学んだ。だが、実際にやってみたことなどもちろんないし、自分にできるのかも解らない。
何より、人を殺すなんて。
たとえ、相手が自分の子どもを売るようなクソ野郎だとしても、他人の命を奪うなんて考えたくもない。
どうすれば、澪と黒音は諦めてくれるだろうか。
ただ、『できない』と言ったら失望されるだけだろう。さくらのことも教えてもらえないし、何より——彼らを救うことができない。
綸には解らない。実の親に捨てられる苦しみも、妓楼で働くことの辛さも。
だが、澪も黒音も、苦しんでいるのだろう。
綸は、それが悔しくてならなかった。まだ年若い彼らが、憎しみを持って、日々を過ごしていることが。
彼らには、笑っていて欲しかった。それが自分勝手な願いだと解っていても、だ。
人間誰しも、他人の死を願ってしまうことはあるだろう。
赤の他人だったら、まだいい。きっと、軽い気持ちなのだろう。綸もかつてそうだった。
それを、本来ならば、自分を慈しんでくれる存在——家族の死を願うのは、どんな思いなのだろうか。
澪や黒音の怒りを、憎悪を。比較的恵まれた環境で生きてきた、自分なんかが推し量れるはずもないだろう。
恨みがあるから、呪いがあるんだ。
そう思った瞬間——ふと、疑問が頭をよぎる。
白羽は、土地神に呪われているという。それはつまり、土地神は、この地の人々を、恨んでいるということ。
人々は何をし、土地神に恨まれるに至ったのだろうか。
——その『恨み』に、白羽を救う、手掛かりがあるのではないか?
もしかしたら土地神は、自分たちと同じように、『人間臭い』ものなのかもしれない。相手を恨んで呪って、復讐することが、唯一の解消法であると考えているのかもしれない。
解らない。何も解らないけれど。
土地神はともかく、澪や黒音のために、ちっぽけな自分にできることがあるとしたら——。
恨みの感情を捨てろとは言えない。簡単なことじゃないと解っているから。だからといって偉い心理学者のように気の利いたことが言えるわけでもない。
だから、綸にできることは——一つだけ。
ほんの少しだけ。
明日を『良い日』にしてやることだけだ。
*
翌日。いつも通り寺の掃除を終えた綸は、とある場所で買い物をした後、澪と黒音を櫻神社に呼び出した。
「ねえ、りんりん。おれたちを呼び出したってことは、あいつを呪う気になったってこと?」
黒音が、いつもの軽い調子で声を掛けてくる。
「そうなの? 俺にはできません~、って、泣きつきにきたんじゃないの?」
澪が、不機嫌そうに唇を尖らせる。
「ああ……二人に、言いたいことがあって、来た」
綸は深呼吸をして、二人の前に立つ。
覚悟を決め、後ろ手に隠していた物を——二人の目の前に差し出す。
「……なあに? これ。綺麗だけど」
綸が二人に差し出したのは、買ったばかりの、二本のかんざしだ。最近流行りの西洋風のもので、それぞれ、赤と青の、美しい玉のついたものだ。
「何をしたら、二人が喜ぶのかなって、俺なりに考えたんだが……どうだろう」
「くれるの? 嬉しいっちゃ嬉しいけど……まさかりんりん、これで呪いの件をチャラにしようっていうの?」
「その、まさかだ」
「え~! そんなの駄目だよ! ずるい!」
不満そうな声を上げる二人に、綸は真剣な眼差を向ける。
「澪と黒音が、自分を捨てた親に対して、復讐したい気持ちは解る。だがな、人を呪わば穴二つというし……何というか、憎しみは不幸を生み出すだけだ! だから、誰かを呪うことを考えるんじゃなくて、今を幸せに生きることを考えて欲しいんだ! お前たちは、その、とても綺麗だし……これからの人生も長い! きっと『良い日』が待っている!」
大袈裟に拳を握りながら、綸は主張する。
「これまので人生だって、お前たちが悪いんじゃない! 運が悪かっただけなんだ! 人生における幸運の総量は決まっているというし……そう考えれば、貴重な運を、他人を呪うことに使ったりしたらいけないと思わないか……? そうだ! そうに決まっている! だから大丈夫だ!」
綸の熱い言葉が反響した後、辺りはしん、と静まり返る。
澪と黒音は、ぽかんとしている。
——不味っただろうか。
勢いだけで喋ってしまったが、大したことが言えてない。誰にでも言える綺麗事だ。そんなもので満足する二人ではないだろう。
「す……すまない。その、ただ、二人に少しでも、嬉しいとか楽しいとか、思って欲しくて。そうすれば、恨みとか憎しみとか、そういう感情が、少しは和らぐのでは、って思って……」
段々と、声が小さくなっていく。
綸は目線を落とす。後から恥ずかしさがこみ上げてくる。
「……馬鹿」
きっぱりとした、澪の声。
「実直すぎて気持ち悪い。今時あんたみたいな奴、絶対にモテない」
年下の美人に、こんなにもボロクソに言われるのは初めてだ。割と心にくる。
「何か……すみません」
素直に謝ると、澪は綸の手からかんざしを抜き取った。
「澪……? 受け取ってくれるのか?」
顔を上げると、澪は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「だって、あまりにもあんたが情けないから。なんか、馬鹿らしくなっちゃった。馬鹿正直な奴に付き合ってると、俺まで馬鹿になりそう!」
憎まれ口を叩いているが——声の調子は明るかった。
「何だろう。誰かに言われたかったのかも。『お前たちが悪いんじゃない』って……」
ぼそり、と小さく澪が口にする。
「え? 何だ? あまり聞こえなかったぞ?」
「何でもない。鬱陶しいなあ、もう!」
澪はぷい、と、綸に背を向ける。
「……今回は、特別ね。あんたの馬鹿さ加減に免じて、特別に教えてあげる。さくらのこと」
「ほ、本当か!?」
綸はぱっと顔を輝かせる。澪は後ろを向いていて、表情は解らない。
「えー、いいの? みーちゃん。みーちゃんにしては甘いねえ。りんりんに絆されちゃった?」
黒音がにやにやと笑いながら、澪の傍に寄る。
「違う。もう一つ、条件があるから」
条件、と聞いて、綸は身構える。また、無理難題を吹っかけられるのではないだろうか。
「……それは何だ?」
恐る恐る、口にする。
澪はくるりと綸に向き直り、そして微笑む。
「また……おれたちと、遊んでよね」
その姿は見惚れるほどに愛らしく——。
綸は口を開けて、しばらくその場に突っ立っていた。




