第11話 呪詛 壱
「さあさ! 今日はおれのおごりだからな! 楽しんでいってくれ!」
ご機嫌な様子の朝菊の声が、座敷に響く。
馬場が朝菊に呆気なくフラれた後、綸は至とともに、朝菊の様子を見に花仙楼へ行った。すると、あれよと言う間に座敷に案内され、盛大におもてなしをされ——今に至るのだった。
「いやあ、びっくりしたよ。綸くんのお友達から告白された後? 急に調子がよくなってさ。右半身もすっかり軽くなって。綸くんが呪いを祓ってくれたんだろ? 嬉しいなあ」
朝菊は右手をぐるぐると回し、綸の方を見て微笑む。
「正直、俺は、大したことをしていないんだが……」
式神を使って呪いの主を特定したのは至だし、告白をしたのは馬場だ。朝菊の呪いがなくなったのは嬉しいが、こんなにもてなされると気が引けてしまう。
「まあ、最初にしちゃあ、上出来だ。一応、褒めてやる」
至が酒を飲みながら、どうでもよさそうに口にする。
「至の弟子、本当に役に立ったの?」
朝菊と共に座敷に入ってきた、新造の澪が綸の右隣に寄ってくる。
「いたるんの弟子~、もっと飲んでよ。ほらほら」
同じく新造の黒音が、左隣から酒を進めてくる。
「両手に花じゃねえか。綸」
狼狽える綸を見て、至がからかうように言う。
「ちょ、俺、そんなに飲めないんだ。勘弁してくれ」
擦り寄ってくる黒音を、慎重に押し返す。
「こら、黒音、澪。綸くんをあまりいじめるな。綸くんは真面目なんだから」
朝菊が声を掛けると、つまんない、と言いながら綸から離れる二人。
「いたるんはもっと飲むよね? ほら」
「ああ、貰おうか」
新造たちは至の隣に行き、きゃいきゃいはしゃいでいる。深く溜息を吐く綸の隣に、今度は朝菊が寄って来る。
「どう? 陰陽師は? 至くんの下は、やれそう?」
至たちに聞こえないように、朝菊が小さな声で言う。
「どう……だろうな。正直、今回は知り合いだったから上手くいっただけかもしれん。もっと怖い人が呪いをかけてたら、上手くやれるかわからん」
「そう。でも、おれは、綸くんは陰陽師に向いてると思うな」
「何でそう思うんだ、アサちゃん」
「だって……優しいから、綸くんは」
伏し目がちに告げると、朝菊は綸の耳元に顔を寄せる。
「この後、どうだ? 望むならさ、もっといい思い……させてやるけど?」
朝菊の吐息交じりの声に、綸はぎょっとして身体を離す。
「な、何を言ってるんだ! アサちゃん!」
顔が熱くなり、心臓がドキドキと鳴る。
「あっははは! 冗談だよ、綸くん。お前がそういう奴じゃないこと、知ってるから」
「からかわないでくれ! もう!」
「ごめんごめん。だって綸くん、反応が面白いから」
ころころと笑う朝菊を肘で小突き、綸は不機嫌な顔をしてみせる。そんな綸を見て満足そうにしながら、朝菊が口を開く。
「俺はね、嬉しいんだ。また、こうして綸くんと話をする関係になれたのが。ま、本当におれを抱きたいっていうなら考えてやらなくもないから、その時は言ってくれよ」
朝菊は立ち上がると、障子戸へと向かう。
「じゃ、ゆっくりしていってくれ。またな、綸くん」
そう言って悪戯そうに笑う朝菊は、昔と変わらず、綺麗だった。
*
「はあ。何とか抜け出せたな……」
座敷を出て、一階の廊下で項垂れる綸。
朝菊が出ていった後、澪と黒音に色々と弄られ、散々な目にあった。二人の興味が至に移った瞬間を狙って、酔いが回ってきたので先に帰る、と言って出てきたのだ。
だが、綸の本当の目的は、この先にある。
懐にしまっておいた一冊の本を片手に、綸は庭へと踏み入る。誰も見ていないことを確認し、茶室の裏へと素早く回る。
期待と不安を胸に、狭い階段を降りていく。
「……綸?」
通路の突き当りに出ると、期待していた通りの声が聞こえてきた。
綸の目の前に、格子のついた部屋が現れる。その中にいる、相変わらず天使のように美しい白羽と目が合う。
「こんばんは、白羽。よく俺だと解ったな」
挨拶をすると、白羽はとても嬉しそうに笑う。
「綸の足音、覚えたんだ。階段を降りてくる段階で解ったよ」
「そうなのか? 俺の歩き方は、そんなに特徴的だろうか?」
「うん。歩き方って、結構、人それぞれ違うから」
「そうなのか。ああ、そうだ、白羽。この間はありがとう。白羽の助言のお陰で、アサちゃ……じゃなくて、朝菊さんの呪いを、祓うことができたんだ」
「それはよかった。どういたしまして」
「お礼といってはなんだが。約束通り、本を持ってきてやったんだ」
手にした本を白羽に見せ、格子の隙間から手渡す。
「わあ、嬉しい。本当に持ってきてくれたんだ」
白羽は本を高く掲げ、ものすごい宝物でも見たかのように瞳を輝かせた。
「表題は『浮舟』だ。社会の変革期における人々の生活を描いていて、中々興味深いぞ」
実のところ、どんな本を持ってくるかだいぶ悩んだ。白羽の学力も解らないし、どんなものを好むのか解らなかったから。児童文学書の類の方がいいかとも思ったのだが、白羽は本を読み慣れているようだったし、素直に綸がよいと思った本を持ってきたのだ。
「これは、綸の好きな本?」
「ああ、そうだ」
「ふふ。綸の『好き』が知れるの、楽しみだな」
白羽はその場でくるりと一回転した後、綸の持ってきた本を大切そうに机の上に置いた。
うーん、可愛い。
こんなに喜んでくれるなら、何度だって本を持ってきてやりたくなるというものだ。
「ねえ、綸」
白羽が、様子を伺うように綸を呼ぶ。
「ん? どうした?」
「綸は、これからも、ここに来てくれるの?」
「ん? ああ、そうだな。仕事だしな。妓楼には呪いが集まりやすいって至さんが言ってたから、困っている人がいないか、定期的に来ることになるだろうな」
「本当? じゃあ、綸。お願いがあるんだ」
「何だ? 何でも言ってみろ」
できるだけ優しい口調で、白羽に答える。
白羽は少しだけ緊張した面持ちで、そして口を開く。
「僕の……お友達になって欲しいんだ」
子犬みたいに潤んだ瞳で、こちらを見る白羽。
「友達?」
「あ……嫌だったら、いいんだ。僕みたいなよく解らない奴、気持ち悪いって思うのが普通だし……」
しょんぼりとする白羽に、綸は焦って言葉を返す。
「そ、そんなことないぞ! 俺も、君と友達になりたい! 友達になろう、白羽!」
綸の言葉を聞いて、白羽がぱっと表情を明るくする。
「やったあ! じゃあ、これをやろう! 綸!」
机の上から一封の封筒を手に取り、綸に見せてくる。
「……何だ? 封筒?」
「お手紙の交換をするの。話したいことがいっぱいあるけど、君との時間は限られている。だから……駄目かい?」
小動物のように小首を傾げて、白羽が言う。
何というか、動作の一つ一つが愛らしい。
白羽は、手紙の交換がしたいようだ。何だか、友達というより、恋人みたいなことをしたがるな——と思いつつ。
「手紙だな、いいだろう。お互い、まだよく知らないからな。手紙はよい手段だと思う」
「じゃあ、はい。これあげる」
手にした封筒を、格子越しに手渡される。
「もう書いてあったのか?」
「うん。君にまた会えたら、渡そうと思っていたんだ」
「そうだったのか。ありがとう、家に帰ったら、読んで返事を書いてくるよ」
「うん……綸、こっちに来て」
「……? 何だ?」
格子の近くに寄ろうとして、ふと、思い出す。前回会った時——こうして近くに寄ったら、頬に接吻されたんだ。
まて、早まるな。
またされるとは決まった訳じゃないだろうに。
それなのに、綸の心臓はドキドキと鳴り出し、顔が熱くなってくる。
「綸? どうしたの?」
白羽が、綸を不思議そうな目で見てくる。
「ああ、何でもない。これでいいか?」
白羽の顔に、耳を近づける。吐息がかかりそうな距離に、綸は息を呑んだ。
「うん。あのね、聞いて、綸」
耳元で、白羽が囁く。
「僕が、ここから出れない理由を、教えてあげる」
「え?」
予想していなかった言葉に、少し動揺する綸。
「僕がここから出れない理由はね……」
白羽の薄い唇が開かれ、そして告げる。
「神様の——呪いがかかっているからなんだ」




