「あなたを愛することはない」と言われた者の痛みを思い知れ 〜射止めるために頭脳派令嬢は手段を選ばない〜
「あなたを愛することはない」
その言葉が耳に入ってきた瞬間、私の体は凍りついた。
今日はイーグルウッド家へと婿に来たモートンと、ヴィヴィアン様との初夜であるというのに。
私は扉の前で耳をそば立てる。
「それは、冗談で言っているのではなくて?」
「ああ、本気だ」
伯爵令嬢であるヴィヴィアン様と、フェルグ侯爵家の三男であるモートンとの結婚式は、つつがなく終わっている。私の目から見てだが、特に何も問題がなかったように思う。
だというのに、初夜においていきなりこの仕打ちとは。
これは、あまりにも……。
「モートン様。わたくしを愛することはないという理由を伺っても?」
「利害が一致しただけの婚姻関係だろう。愛する必要があるか?」
どう聞いても小馬鹿にしたような物言い。
モートンめ。一発ぶん殴ってやろうか。
「それでも私はこのイーグルウッド家の一人娘。後継者が必要だということは、モートン様にもご理解いただいていると思いますが」
「わかっているさ。世間知らずのお嬢様は、黙って俺に従っていればいい」
私は思わず舌打ちしてしまいそうになった。
この男……。今までずっと、猫をかぶっていたな?
「困りますわ。結婚とは契約です。これでは契約不履行ではありませんか」
「そんなに俺に抱かれたいなら、その貧相な体をどうにかするべきだろう。そうすれば、考えてやらなくもない」
侯爵家の人間だったからと、どうしてそんなに横柄なのか。
イーグルウッド家に婿入りしたのだから、それなりの態度があって然るべきだというのに。
「……わかりました。善処いたします」
「そうか、わかったなら出ていってほしい。あなたと同じ部屋で寝るつもりはないからな」
鼻で笑う声に腕が震える。
ダメだ。ふつふつと怒りが湧いてきてどうしようもない。
だが今踏み込んでモートンの顔を見てしまえば、きっと殴りかかってしまうだろう。私はグッと堪えた。
「では、この部屋は好きにお使いくださいませ」
ガチャリと音がして、目の前の扉が開く。白く美しい肢体が部屋からするりと現れ、私は真っ直ぐに目を向けた。
闇夜でも映える、燃えるような赤く美しい瞳は、私を見た瞬間に大きく開かれる。
「レイナルド……」
ヴィヴィアン様が、執事である私の名前を呼んだ。
「こちらへ」
立ち聞きしていた非礼を詫びる前に、私はヴィヴィアン様を自分の部屋へと誘った。
「大丈夫ですか、ヴィヴィアン様」
私の部屋でソファーに座るヴィヴィアン様に、ハーブティーをお渡しすると、力無く微笑まれた。ああ、おいたわしい。
「レイナルド、ずっと聞いていたのね?」
「……申し訳ございません」
いや、決して気になって様子を見に行ったわけでは……決して。多分。
「いいのよ。むしろ、証人ができたわ」
「どうなさるおつもりですか? 私が追い出してしんぜましょうか」
「無理よ。ようやく漕ぎ着けた侯爵家との繋がりを、手放せはしないもの」
はぁとため息を吐くヴィヴィアン様。
憂い顔もかわい……いや、こんな顔をさせたモートンが許せない。私の胸は掻きむしられたように苦しくなる。
病で母を亡くした私がイーグルウッド伯爵に引き取られたのは、私が十四歳の時だった。
一応私は子爵家の令息ではあったのだが、没落貴族と呼ばれるに相応しい状況であった。
祖父母は早くに亡くなり、女当主として母メリッサが切り盛りしていた。しかし人のいい母にかかっては、窮地に陥いるばかりであった。
私は父の顔を知らない。名もわからない。母は誰の子を産んだのかはついぞ口を割ることなく、文字通り墓まで秘密を持っていった。
母の死後、私は子爵家としての体面が保てず、母や祖父母に申し訳なく思いながらも爵位を返上するより仕方なかった。
そして何者でもなくなった私を引き取ってくれたのが、唯一交流のあったイーグルウッド伯爵である。
なんでもするという私に、執事見習いとして働かせてくれ、たくさん学ばせてもらった。このご恩は、絶対に返さなくてはならないと思っている。
特に、ヴィヴィアン様は私を本当の兄のように慕ってくださった。
当時六歳であったヴィヴィアン様は、かわいい盛りで目に入れても痛くはなかった。それは、十二年経った今でも変わらないが。
ヴィヴィアン様はかわいい。とんでもなくかわいい。
百万回言っても言い足りないからいくらでも言う。超かわいい。
この国には珍しい白髪と燃えるような赤目。ほっそりとした手足に、ふっくらとした笑顔。
私の最推しの人である。
よって、ヴィヴィたん……いや、ヴィヴィアン様を傷つけ苦しめる者は、誰であっても許さない。
「ねぇ、隣に座ってくれる?」
少し離れて立っている私に、ヴィヴィアン様がお声をかけてくださった。
「いや、しかし」
「お願い」
う。私は昔からヴィヴィアン様のお願いに弱いのだ。
ヴィヴィたんの上目遣いに鼻血出そう。
「……では、失礼して」
私は仕方なく……そう、仕方なく隣に座った。
するとヴィヴィアン様は私を見上げて嬉しそうに微笑んでくださる。
はああ、私のヴィヴィたん……!
「こうして二人で話すのも久しぶりね。ちょっと緊張しちゃう」
「そうですね。私も緊張しておりますよ」
「ええ? 本当に? まったくそうは見えないわ」
ヴィヴィアン様の言葉に、私は余裕を持って微笑んで見せた。
いや、本当は心臓ばっくんばっくん鳴ってるんですがね。
「昔はよく、わたくしの頭を撫でて安心させてくれて、寝かしつけてくれたわよね」
「今思えば、恐れ多いことをしたものです」
「ううん、すっごく嬉しかったの。レイナルドにそうしてもらえることが……」
「ヴィヴィアン様……」
そんな風に思ってくださっていたなど……それだけでこのレイナルド、ご飯三杯はいけそうです。
「ねぇ、あの懐中時計を見せて」
「ええ、構いませんよ」
ヴィヴィアン様にせがまれるまま、愛用の懐中時計を取り出した。
元々は金色に光っていたであろう懐中時計は鈍色に落ち着いていて、長く使われていたものだということがわかる。
これは亡き母の形見で、祖父母から譲り受けたものではないと聞いたから、私の父からもらったものなのかもしれない。
美しい草花の細やかな彫刻。それにカチコチと微細な音を鳴らす懐中時計は、幼い頃からヴィヴィアン様のお気に入りだった。
「ああ、いつ見ても素晴らしいわ」
「本当にヴィヴィアン様はその懐中時計がお好きですね」
「だって、本当に素晴らしいのだもの。見ているだけで心が落ち着いてくるの」
じっと手の中の懐中時計を見つめていたヴィヴィアン様だったが、そのうちにポロポロと涙を流し始めてしまった。
どうしよう、ヴィヴィたんが……泣いている!
私はさっとハンカチーフを取り出し、そっと差し出した。
「ごめんなさい……ありがとう」
「いいえ。おつらかったでしょう。モートン様にあんな仕打ちをされて」
「……そうね、悔しかった」
一刻も早くモートンを殺したい。
ヴィヴィアン様をこんなに傷つけるなど、男の風上にもおけぬ奴!
「レイナルド……わたくしってそんなに魅力ない……?」
涙ながらに訴えられて、私の心臓は不規則に動く。
魅力がないどころか、魅力しかないのだが。
「あんな男の言うことを間に受けてはなりません。ヴィヴィアン様はこの上ない魅力の持ち主ですよ」
「……本当に?」
「本当ですとも」
「でもレイナルド、ちっとも動揺してないじゃない……! やっぱり、わたくしは……ううう!!」
「ヴィ、ヴィヴィアン様!?」
ヴィヴィたんは急にどうしてしまわれたのか! オロオロ。
落ち着くのだ、私。ここはオトナの包容力を駆使するしかない。
「自信を失っておいでなのですね。大丈夫。ヴィヴィアン様の魅力は、このレイナルドが保証いたします」
私は昔のように、そっとヴィヴィアン様の髪を手櫛で通した。
ああ、いい香り。ヴィヴィたんの髪、めちゃくちゃいい匂いがする!
ヴィヴィアン様の魅力がわからんとは、モートンは本当にクソだな。
「じゃあ……キスして」
「…………はい??」
しまった、素っ頓狂な声を出してしまった。
落ち着け、私。いや、落ち着けんが!!
だって、ヴィヴィたんが! 麗しのヴィヴィたんが、私とキス?!
なにを考えておいでなのだ、ヴィヴィアン様は!
「……ダメ?」
上目遣い……っ!
とりあえず目頭を押さえるフリをして、鼻血が出ないように摘んでおこう。
「ふう……オトナをからかうものではありませんよ、ヴィヴィアン様」
「からかってなんかないのに……」
あああ、どうしてまた泣いてしまわれるのか!
ヴィヴィたんの心が本当にわからない!!
「どうしていきなり、キスなどと」
「……ばかっ」
ふーむ、罵倒されるのもまた良き……ではなく。
困った。私はどうすればいいのだろう。
ヴィヴィアン様は少しむくれたあと、やはり私を見上げた。
「わたくしに魅力がないのはわかっているの……」
「いえ、ですから、ヴィヴィアン様は十分に魅力的だと」
「こんな、貧相な体でも?」
「ほっそりとしていらして、素晴らしいと思います」
「胸もないし……」
「慎ましやかで大変よろしいかと」
「ほ、ほんとう?」
「本当でございますとも」
ヴィヴィアン様のお顔は花が咲くようにほころんだ。
ヴィヴィたん!! かわゆし!!
「でも私……もう少し、胸がほしいの……」
恥じらいながらの告白……抱きしめてしまいたい!
「そうでしたか。今まで気づけず申し訳ありません」
ああ……ヴィヴィアン様はあんな男のために、努力しようとしているのか。
モートンは顔だけはいいからな。ヴィヴィアン様は恋をされていたのだろう。
恋する相手にあんな酷いことを言われたにも関わらず、なんという健気な……! ヴィヴィたん、かわいそう!
しかしなんだ、この胸苦しさは。
ヴィヴィアン様がモートンに抱かれるための努力をすると言うならば、もちろん私はそれを全力で応援するが……。
ずずんと黒い石でも載せられたような気分になってしまう。
「まず、ヴィヴィアン様は食が細くていらっしゃるので、そこから改善していきましょう。それから女性らしい体になるには、昔から大豆が有効と言われていて……」
「私、いい方法を聞いたことがあるの」
「どんな方法です?」
「も、揉むんですって……」
「なにを?」
「だから……胸……」
揉む……胸……ヴィヴィたん?! なに言ってんですか??!
「そ、そうでございますか。では食事のあと、ご自分でマッサージされるのがよろしいかと」
「それが、男の人にしてもらわないと効果がないみたいで……」
恥ずかしそうな視線が私に向けられ……は!? 私??
「レイナルドしか頼める人がいないの……!」
なんという役得……! いや、なんという覚悟なのか!
私はヴィヴィアン様のモートンに対する愛を舐めていました。
そんなにまであの男に愛されたかったのですね。
「……かしこまりました。ヴィヴィアン様がそこまでおっしゃるのならば」
「レイナルド……うれしい」
ヴィヴィたんーーーーーーーー!!!!
私は!! 平常心を!! 保てるのだろうか!!!!
「必ず私がこの手で、責任を持って大きくして差し上げます!」
「お願い、レイナルド……!」
ヴィヴィアン様が私に飛びついてきて。
私は昔したように、優しく彼女を抱きしめた。
***
一年後。
ヴィヴィアン様のお胸は豊かになった。
食事の改善が良かったのか、毎日のマッサージが良かったのか。
もうこれだけ大きくなれば、私はお役御免だろう。
大きくなったヴィヴィアン様のお胸を、モートンはすれ違うたびに涎を垂らすように見ている。ゲスめ。
しかしヴィヴィアン様は奴のために大きくしているのだから、私が口を挟む余地はない。
ああ、しかし!!
ヴィヴィアン様のお体があの男に好き放題されてしまうのかと思うと、腹の底から黒いものが全身に沸き立ってしまいそうだ!!
毎日のマッサージで見せる、ヴィヴィたんの恍惚の表情……あれをあの男にも見せるのかと思うと……それ以上を見せるのかと思うと……!
気が、狂いそうになる…………!!!!
だが私は冷静な執事。
そしてただの執事なのだ。
なにも望んではならない。
ただヴィヴィアン様の願いを叶えてあげたい。それだけだ。
「ヴィヴィアン様、本日からはマッサージはやめましょう」
「っえ?!」
驚くヴィヴィアン様に、私はにっこりと微笑んでみせる。
「もう十分に育ちましたし、それ以上は不要というものです。これでモートン様もヴィヴィアン様を抱いてくれることでしょう。目的達成でございます」
「あ……」
ヴィヴィアン様の顔が曇った。これだけ大きくなったのに、まだ不安だとでもいうのだろうか。
「そう……ね……私は……後継者を産まなければいけない立場だものね……」
「きっとうまくいきますよ。今夜、がんばってみてはいかがでしょう?」
「……」
自分で言いながら、胸が引き裂かれそうだ。
しかしこれはヴィヴィアン様の望んだことなのだから。私が私情を挟むわけには……。
私情? なにを言っているんだ、私は。ただの執事である私が、私情などと。そんなものはないというのに。
「……わかったわ」
ヴィヴィアン様の決意の表情。
初めてを捧げるのは、やはり愛する人が相手でも怖いものなのだろう。
受け入れてもらえるかの不安もあるのかもしれない。
今のヴィヴィアン様を前に、受け入れない男など、この世にはいないと思うが。
「でも、一つお願いがあるの……聞いてくれる? レイナルド」
「ヴィヴィアン様のお願いとあらば、なんなりと」
私の返事に、ヴィヴィアン様はほっとしたように言葉を繋いだ。
***
というわけで、またデバガメ中だ。
たった今、ヴィヴィアン様はモートンの部屋へと入っていった。
時刻は深夜。もちろん、ヴィヴィアン様はそのつもりである。
しかし、ヴィヴィアン様はなぜ、私に立ち聞きしてほしいと言ったのか?
そういう趣味があるのだろうか……。
正直、二人の情事をずっと聞いていなければいけないのは……つらいよーヴィヴィたん!!
これも仕事のうちだと言い聞かせ、私は仕方なく耳を澄ませる。
はぁ、ヴィヴィたんが……ヴィヴィたんの純潔が……つ、つらい……!!
せめて私が貴族の家督を持っていたならば……
っく、持っていたらどうなったというのだ。そんな事を考えても、どうしようもないというのに!
「はは、本当に大きくしてくるとは感心したよ、ヴィヴィアン」
中からモートンの声がした。
あなたを愛することはないと、貧相な体だと言ってヴィヴィアン様を傷つけたモートン。
こんな男の一体どこがいいんだ……私なら、絶対に絶対に、ヴィヴィアン様を傷つけたりはしないというのに……!
「感謝していますわ。あなたの一言で、私はこの体を手に入れたのですから」
「今日からその体は俺のものとなるわけだ。はやく、ベッドに入ってくるといい」
くそっ、ヴィヴィアン様の清い体が……あいつなんかに……!
「あら、愛人に捨てられた方は必死ですわね?」
コロコロと笑うような声が室内に響いている。
え、愛人? あいつ、愛人なんていたのか!
「……知ってたのか」
「ええ、まぁ」
「仕方ないだろう、あなたの体では欲情できなかったのだから」
「ふふ、おかしかったですわ。あなたは振られてから、わたくしに夢中になっていくんですもの」
「おかしかった? 嬉しかったの間違いだろう。俺も気づいたんだ。ヴィヴィアンの優しさと妖艶さにね。早く抱きたくてしかたなかった」
「あら、わたくしを愛してくれるんですの?」
「ああ、愛している。早くこの腕の中で啼かせたい」
「まぁ」
衣擦れの音がして、ヴィヴィアン様がベッドに近づいているのがわかる。
ああ、とうとう大人になってしまわれるのか。
私のヴィヴィたん……
しかしその瞬間、パシーーンという音が響いた。
「わたくしがあなたを愛することはありません!!」
私はぎょっとして扉を見つめた。
なんだ、なにが起こっている??
「わたくしがあなたの言葉でどれだけ傷ついたと思っているのですか!! これから共に人生を歩もうと決意をした人に『愛さない』と言われ、貧相な体と罵られ!! 誰にも女として見られないのだと、突きつけられたわたくしの心がわかりますか!!」
ああ、あんな男の言うことなど気にしなくていいといったのに……!
やはりヴィヴィアン様は傷ついておられたのか……。
「だから、女として認めてあげるよ。俺の子を産んで、家庭は円満。それですべては丸く収まるはずだ」
「お断りいたしますわ」
「あなたは俺の要求を断れる立場ではないんだ。来い」
「い、いや!! 助けて、レイナルド!!」
ヴィヴィアン様が私の名を呼び、私は急いで扉を開ける。
モートンが無理やりにヴィヴィアン様を抱き込もうとしていて、私は彼の手を捻り上げた。
「いたたた!! なにをする!! 俺はこの屋敷の主人だぞ!!」
「私がお仕えするのは、ヴィヴィアン様ただお一人ですので」
手を離すと、私はヴィヴィアン様を庇うようにしてモートンと対峙した。
「ふざけるな!! 俺がこの女を抱かなければ、後継者がいなくなるだろう! 俺は夫婦としての責務を果たそうとしただけだ!」
「責務を果たそうと思うのが、遅すぎたのではないですかね。あなたは、一大決心をされていたヴィヴィアン様との初夜を蹴った。それだけではなく、ヴィヴィアン様を傷つけた。ヴィヴィアン様が努力なさっている間、あなたは愛人に夢中になっていた。私の目から見ても、あなたがヴィヴィアン様に愛される資格はない」
ギロッと睨みつけると、モートンは顔を顰めた。しかしすぐに不敵な笑いに転じている。
「ならどうするつもりだ? 離縁でもするか? できないだろうな、この伯爵家には侯爵家の後ろ盾が必要だ。仮に離縁したとして、いい縁談があるはずもない」
っく、と私の息が漏れる。悔しいがその通りだ。
この伯爵家もそれほど勢力が大きいわけではない。だからこそ、侯爵家との繋がりを作るための婚姻だった。
そして将来はモートンに家督を渡す約束をすることで、双方の思惑が成立していたのだ。
今モートンと離縁しても、伯爵家としてはマイナスにしかならないのは確か。だがこのままでは、ヴィヴィアン様があまりにもおかわいそうだ……!
「離縁しますわ」
「「え?」」
凛と空気を響かせた声に、私とモートンの間抜けな声が重なる。
ちょっとヴィヴィたん?! なにを言っているんですか!!
「離縁、いたしましょう」
真っ直ぐにモートンを見つめる赤い瞳はかっこいいですけれども。
なにを言っているのか、ご自分でわかってるんですかね。
「いいのですか、ヴィヴィアン様」
「ええ、構いません」
ヴィヴィたん、ご乱心!!
これはまずい。もちろん、このまま婚姻を続けさせたくはないが……
「結婚から一年、この屋敷を牛耳っているのは今や俺だぞ?」
「それがどうかしましたか? 結婚することで家督は譲るという約束でしたが、まだ爵位は父にありますから、モートン様と離縁したところで問題ありませんわ」
「世間知らずのお嬢さんだとは思っていたが……やれやれ。俺と離縁すればあなたの経歴に傷がつき、一生結婚などできなくなるだろう。侯爵家の後ろ盾もなくなるし、俺は全力でこの伯爵家を潰しにかかるが? それでも離縁するというなら、すればいいさ」
もうこいつは殺して埋めてしまおうそうしよう。
こんな男と結婚したのがそもそもの間違いだった。
だがモートンの言う通り、婚姻生活を続けなければイーグルウッド家がどうなるかは、火を見るより明らか。伯爵には恩もあるし、私はどうすれば……っ
「かまいません、離縁してくださいませ」
ヴィヴィたーーーーーーん!!
ちょっとは考えて!! 気持ちはわかるけど、イーグルウッド伯爵家の存亡がかかってるんですから!!
「は、ははははは!! 本当にあなたはバカな娘だな! いやぁ、愉快だ。いいだろう、離縁してあげるよ。死ぬほど後悔すればいい」
「ありがとうございます。わたくしも嬉しくてなりませんわ」
ヴィヴィたん、いい笑顔。肖像画に残しておきたい。
いやしかし、イーグルウッド家はこのままでは……。
ヴィヴィアン様はわかっておられるのだろうか。侯爵家に潰されないためには、大きな勢力と婚姻を結ぶ必要があり、一度離縁を経験した者では困難を極めるということが。
「ははは、俺も君がその体を使うことなく一生独身なのかと思うと、笑いが止まらないよ!」
「うふふ、ご心配なく。次の結婚相手は決まっておりますから」
「なんだと?」
え! ヴィヴィたん、いつの間にそんな人が!!
……そうか、さすがヴィヴィアン様。すべてを見越して、巨大勢力を持つ方との婚姻約束をすでに取り付けて……
「わたくしの相手は、このレイナルドですわ!」
まっ!! まさかの私ーーーーーーッッ!!
「ちょ、お待ちください、ヴィヴィアン様……!」
「っぷ、はーーーーっはっはっはっは!! これはいい!! しがない執事が次の婚姻相手とは!! これでは潰し甲斐がないな!!」
ムカつくくらいに大笑いしているモートン。
いやしかし私と結婚など、普通に笑われても仕方がない。
「ヴィヴィアン様、撤回してください。私などと婚姻を結んでは、イーグルウッド伯爵家の名に傷が……」
「レイナルドは、わたくしと結婚するの、いや?」
あああーー、ヴィヴィたんの上目遣い!!
「いえ、あの、いやとかではなくてですね……」
「いやじゃないのね!」
いやなわけないではないですかーー!!
でもそう言うわけには!
「嬉しいです」
なーに言ってんだ、私の口?! 素直か!!
ああ、ヴィヴィたんの満面の笑みで浄化されてしまいそうだ……!
「ははは!! バカな夫婦でお似合いだよ!! すぐに路頭に迷うことになると思うけどね!」
「ふふ、どちらがでしょうね?」
「なに?」
ヴィヴィアン様がモートンを一瞥したあと、私に目を向けてくださっている。
そんなに見られても、私には秘策などありませんが……!
「レイナルド、懐中時計を見せてくれる?」
「は……懐中時計ですか?」
言われた通り懐中時計を渡すと、ヴィヴィアン様はにっこりと微笑まれた。
「わたくし、この懐中時計の元の持ち主を調べましたの」
「え……?」
「勝手にごめんなさい、レイナルド」
「え、いえ……」
懐中時計の、元の持ち主……それはおそらく、私の父だろう。
ドクンドクンと、心臓が耳のそばで波打っているようだ。
「誰か、わかったのですか……?」
「ええ。知りたい?」
「……教えていただけるのであれば」
私の父が誰だったのか。
母は一体誰を愛していたのか。
気にならないはずがない。
「レイナルド。あなたのお父様は、ゼフィルス・ノーブルクラウン国王陛下よ」
「……え?」
ゼフィルス・ノーブルクラウン……この国に住む者で、その名を知らぬ者はいない。
待ってくれ。国王陛下が……私の……父……?
「はぁ? この執事の父親が国王陛下? そんな虚偽は罪に問われるだけだ」
「虚偽ではありませんわ。証拠は、ここに」
ヴィヴィアン様は王印のついた書類を取り出し、私に渡してくれた。
情けないことに手が震える。
それでもしっかりと受け取ると、上から順に読んでいった。
内容は、この懐中時計は代々王家に伝わるものだということ。
王の若き日にお忍びで町に出た際、メリッサ・ダーウェントという女性に出会い、恋に落ちたということ。それは私の母の名前に間違いなかった。
しかし身分違いのために別れさせられてしまい、別れ際にこの懐中時計を託したことが書かれてあった。
メリッサの息子である、レイナルド……つまり私であるが、魔道局で私の血を検査した結果、間違いなく国王との子だということが判明した。……ってヴィヴィたん、いつの間に私の血を採ってたんですか?!
そして私が望むのであれば認知し、叙爵するつもりがあること。公爵として第一王子を支えていく役目を担ってほしいことが書かれていた。
「……本物ですか、これは……」
「ええ、もちろん。王印があるでしょう?」
「どうやって陛下から直接これを受け取られたのですか?」
言っては悪いが、伯爵令嬢程度では国王に拝謁することすら叶わないはずだ。
モートンも不審気に、王印のついた書類を私の手から奪って走り読んでいる。
「っは、手の込んだ偽造を。これで詰んだな、ヴィヴィアン。あなたは俺が手を下すまでもなく、貴族社会から弾かれる」
「お返しくださいまし。陛下から預かった、大切な書類です」
キッと赤い目を向けて、ヴィヴィアン様はモートンから書類を奪い返した。
偽造……そう考える方がしっくりくるだろう。しかし、ヴィヴィアン様はそんなことをなさる人ではない。誰より私がよくわかっている。
「本物、なのですね……」
私の問いに、ヴィヴィアン様がにこりと笑って頷いた。
「苦労しましたわ。上流階級の方々と親しくなりアポをとって、懐中時計のことを聞き出しましたの。すると、国王陛下のお名前が出てくるではありませんか。どうにかお会いしたいと思っても、さすがに国王様は簡単にお会いできる方ではありませんし……」
「では、どうやって」
「ふふ、陛下は絵を嗜んでいらっしゃるというのは知っている?」
「聞いたことは」
「ちょうど陛下がモデルとなる一風変わった少女を探していると聞いて。自分から売り込みに行ったのよ!」
ヴィヴィたんの行動力!!
たしかに、赤目白髪の神秘的なヴィヴィアン様は、国王陛下のお眼鏡に適ったことだろう。私の父ならば、なおさら!
「そこで、懐中時計を持った執事がいる話をすると、予想以上に食いついてこられて……そしてこの文書をいただいたというわけなの」
「なんてことだ……本当に私は陛下の息子だったのか……」
「嬉しくないの?」
「いえ、もう驚くばかりで」
「陛下は、あなたが爵位を返上したとき、なにもできなかったことを悔いていらしたわ。ちょうど政情が不安定な時期で、世継ぎ問題まで発生しては、さらに混乱を招きかねないという理由からのようだったけど」
第一王子が立太子されている今だから、私の処遇を決められたのか。
王族として生きてこなかった私に、叙爵。しかも、公爵を。
そのお気持ちだけでありがたく、イーグルウッド伯爵家の執事で十分幸せだと断っていただろう。こんな状況でなければ。
「レイナルド……いえ、レイナルド様。わたくしと結婚していただけますわよね?」
外堀を全部埋めて、計算ずくで今日を迎えたのか。
かわいいだけではないヴィヴィアン様。正直、参りました。
「はい、ヴィヴィアン様。叙爵したあかつきには、ちゃんと私からプロポーズをさせてください」
「まぁ、嬉しい……! それに、公爵になってくれるのね……!」
「もちろん。人の家を潰すと公言する者がいますし、全力で立ち向かわなくてはなりませんからね」
「ま、待ってくれ、公言しているわけでは……!」
私が国王陛下の落とし胤と知って、途端におよび腰になるモートン。
立場を利用するのは好きではないが、これはヴィヴィアン様が奔走し勝ち得たものだ。
ヴィヴィアン様の望んだ結末であり、イーグルウッド伯爵への恩返しになるなら、いくらでも権力を振りかざそう。
「たった今より、ヴィヴィアン様は私の婚約者だ。イーグルウッド家を潰すということは、私に……ひいては陛下に楯突くことになる」
「まだなにもしていない……! さっきのは冗談、冗談に決まっているだろう!」
「冗談で済む話だと思っているのですか。然るべきところで精査し、モートン様の処遇を……」
「俺とヴィヴィアンは離縁するんだから、もうこの話は終わりだ! 俺は出て行く!!」
「ではさっさと消えてもらいましょう。その面を、二度とヴィヴィアン様にお見せするな!」
「っひ!」
顔をくしゃくしゃに歪めて、逃げるように去ろうとするモートン。
その後ろ姿に向かって、ヴィヴィアン様が声を上げた。
「ああ、お可哀想なモートン様。明日には社交界中の噂でしてよ。公爵様の婚約者を潰そうとした、愚か者としてね?」
ヴィヴィたん、他にもなにか仕組んでるんですか?!
モートンが悔しそうに振り返る。その情けない顔にむかって、ヴィヴィアン様はさらに追い討ちをかけた。
「あなたなど、一生誰にも愛されることはありませんわ」
まるで呪いが発動するように、ヴィヴィアン様の赤目が光る。
ヴィヴィたん、怖い……! そして根に持っている……!
ですがお流石です! ゾクリとくる美しさに、私はもうメロメロにございます。
モートンは結局、半泣きになりながら屋敷を出ていった。胸のすく思いだ。
ヴィヴィアン様が「言ってやったわ」と笑うものだから、私も自然と笑いが込み上げた。
痛快という言葉は、こういうときに使うものなのだろう。
「ヴィヴィアン様、よく頑張りましたね」
「実はね、愛人がモートン様を振るように仕向けたのは、わたくしなの。その頃にモートンに優しく接してあげたわ」
……ん?!
いきなり、なんの告白ですか??
「初夜の日ね……わたくしは家のためにこの身を捧げ、モートン様を愛すると決めていたの」
「それは……ご立派なお覚悟だったと思います」
「でも、愛することはないと言われて……決めたのよ」
「なにをでしょう?」
「初恋であるレイナルドと結婚するために、なんでもしてみせるってね」
「えっ?!」
初……恋?
ヴィヴィたんが、私に!?
ウインクしてるのかわいい!!
「ふふ、気づかなかった?」
「は、はい……まったく」
「レイナルドって、いつも冷静で大人で、本当にかっこいいもの。好きになっちゃうの、仕方ないと思わない?」
ヴィヴィたんの上目遣いーーーーー!!
「そういうものでしょうか」
「そうよ、いつか振り向かせたいって思ってたの。でも家のこともあるし、無理だって理解してた。でも、あの素晴らしい懐中時計を見て……高貴な方のご落胤だという可能性に、賭けてみたの。まさか、国王陛下だとは思っていなかったけれど」
いつか振り向かせたい……
そんな風に思ってくださっていたなど……
私はいつでも、ヴィヴィたんに首ったけだったというのに!!
「ありがとうございます、ヴィヴィアン様。私の父を探してくれたことはもちろん、私に地位をくれたこと……そしてこの家とヴィヴィアン様を守らせてくれたこと。感謝の念に堪えません」
「レイナルドがいなければ、わたくしは耐えるしかなかったのよ。わたくしの方こそありがとう」
視線を絡ませて、私たちは微笑み合う。
なんという幸せ。まさかいち執事が、伯爵令嬢であるヴィヴィアン様とどうにかなるだなんて思ってもいなかった。
「ねぇ、レイナルド。いえ、レイナルド様」
「なんでしょうか」
「あなたの方が地位が高くなるのだから、わたくしのことは……ヴィヴィアンって呼んで?」
「……っ、ヴィヴィたん!!」
私はたまらず、ヴィヴィアン様を抱き寄せた。
***
私は国王陛下より爵位を賜り、公爵となった。
そしてヴィヴィアン様にクールにプロポーズをし、受け入れられて結婚した。
将来的には、私が公爵と伯爵の二つの爵位を持つことになるだろう。
出戻ったモートンは、社交界で誰の相手にもされず、侯爵家に引きこもってしまったという噂だ。
まさか、私にこんな未来が待っているとは思ってもいなかった。
目の前にはかわいく愛しい妻、ヴィヴィたんがいる。
「だーりん♡」
「ヴィヴィたん♡」
朝食のスープを交互に食べさせあって、その合間には絶えずキスをする。
冷静公爵と呼ばれている私がこんな顔を見せるのは、ヴィヴィたんの前でだけだ。
「わたくし、幸せですわ!」
「私も幸せだよ、マイハニー」
「冷静公爵、す・て・き!」
ヴィヴィたん! そんな風に言われては!!
「あ、レイナルドさま……」
私は次のスープを待たず、ヴィヴィアン様に熱いキスを施した。
小説内で初めて♡を使いました(苦手な方がいましたらすみません><)
最後までお読みくださりありがとうございました!
★★★★★評価をいつも本当にありがとうございます♪