99侵入
ホウセンカの密生した茂みの中に、ユリは潜り込む。
夜になると花が開き、独特の芳香を漂わすホウセンカだが、昼間の花は萎んでいる。
茎や枝は硬いので、折らないように掻き分けても、ポキンポキンと折れていく。
ウツボカズラの位置は判る。
奴は、ゆっくりとホウセンカの花壇に近づいてきていた。
奥に逃げようと腕を伸ばしたユリの指が、なにか硬いものに触れた。
指先で形を辿る。
硬い、石のようなものだ。
だが石にしては、細長く、人工的に伸びている。
なんでもいいはずだが、気になって、手の近くに頭を突っ込んだ。
「わっ!」
それは土に半ば埋まった、歯だった。
歯というか、叫ぶように大きく口を開いた人間の、歯であり、顎と言い換えても間違いではなかった。
そして、ホウセンカは、明らかに、その大きく開いた口の中から茎を伸ばし、枝葉を広げていた。
小百合は、今や数百の髪を四方に伸ばし、敵を探していたが、どこを探しても無言人間が働くフリをしているばかりだった。
警備員も、ただ無言で防犯カメラを眺めている。
店舗のバックヤードでも無意味にパソコンを叩く管理職とおぼしきものが無言でそれ風な動きを続けているだけだ。
どこにいる!
小百合の見ている前で、何組もの家族やカップルが、敵の毒牙にかかっていた。
だが、ここまで精密に個々人を動かしているのならば、どこかで敵は、必ず動きを見張っているはずだった。
ただし、一つ疑問もある…。
何故、小百合には、あのスマホの洗脳が全く来ないのか、だ。
小百合と同じエスカレーターを登った他人は、皆、敵の毒牙にかかっていた。
賑やかな家族も、楽しそうなカップルも…。
ただし、先を急ぐように上階へいく人々には、どう判別するのか敵は接触しない。
彼らの違いは何なのだろう。
動きか?
確かにタワーや水族館に向かう人は、足早にエスカレーターの乗り換えをする。
だから、二階でソラマチを楽しむ人とは動きに明確な差がある、と思える。
だが、小百合は、現にソラマチ二階をあちこち歩き回っているが、誰にも咎められてもいない。
これは、一体何が違うのか…?
人数なのか、あるいは人の感情を読み取る術を持っているのか?
今のところは、全てが不明だった。
そして敵の所在についても、これだけ探しても全く不明だ。
こうなると、遥か遠方にいるのか、それでなければ何らかの形で小百合の目を欺いている、と考えられた。
例えば、向こうを歩く楽しげなカップルが敵なのかもしれないし、敵と、その毒牙にかかった被害者かもしれない。
遠方では、小百合一人ではどうともできないかもしれない。
だから、今、それを考えても仕方がない。
このフロアで無言行動をとる一人が敵ならば、何か策を使ってあぶり出せるかもしれなかった。
どうするか…。
鼻歌でも歌って、ここにコントロールしていない人間がいると知らせるか…?
しかし、それはあまりにもリスクが大きい。
敵がこのフロアじゅうの人間をコントロールしていた場合、圧倒的数の前では小百合も手こずる上、襲ってくる彼らが敵に操られただけの一般人なら、ホイホイ行動不能にする、という訳にもいかない。
なんとか、小百合は隠れたままで、敵本体を割り出さなければ勝ち目は薄い。
火事でも起こすか…?
いや、ユリや川上、それに多分、誠も来ているはずだ。
火事は仲間に迷惑がかかる。
だが…。
火事は無理でも、スプリンクラーの誤作動ぐらいなら、ちょうどいい刺激かもしれない…!
小百合は、周りで歩き回る人々のポケットやカバンを探した。
喫煙者がいれば、おそらくライターぐらいは持っているだろう。
火災探知機をライターで炙れば、おそらく非常ベルが発報し、うまくすればスプリンクラーも作動するかもしれない。
十何人目かの女のハンドバックの中に、タバコとライターが見つかった。
小百合は、素早く髪の毛で持ち上げ、天井の探知機の真下で火を点けた。
川上は、小型の生物たちの並ぶ水槽の列に隠れて、奥の部屋にウサギを進ませていた。
何かがいるのは判っている。
無数の人間の、苦痛や恐怖の臭いが、獣化した川上の鼻腔に刺さる。
ウサギは、ゆっくりと用心深く、奥の部屋に向かっていく。
何十人、何百人の人質を取っており、おそらくは正面から川上と戦うつもりなど無い敵だ。
だが、そいつを川上が一人で倒さなければいけない以上、敵の正体は知らなくては戦いようがなかった。
ウサギは、意図的に小さく作った。
大きめのリス、とも言えるサイズだ。
それが、殆ど匍匐前進のように身を屈め奥の部屋に向かっていく。
奥の部屋は、特にドアなどはないが、出入口は二箇所のようだ。
とはいえ、敵は逃げるつもりなど無いだろう。
あれば人質など取らないはずだ。
ウサギは、真っ暗い部屋の入口に接近していく。
大きな水槽が複数あるようだ。
なにか特別な生物がいるらしい。
ウサギは、部屋の入口の横に隠れ、そっと中を覗き込む…。