81テーマ
「これって…」
白井は沈黙した。
中途半端に薄汚れた、小型のショピングモールの一角である。
あちこち、シャッターのとじられた寂れたモールだが、飲み屋は幾つか、けなげに営業を続けているようだった。
その一角に、店を廃業するなら、いっそ素人同然の美術家にも個展をさせてやろう、という殊勝な、あるいは打算的な発想を具現した場所があった。
白黒写真の展覧会だ。
おそらくはデジカメではなく、古典的な一眼レフと35ミリフィルムで撮影された写真が、引き伸ばされて並んでいた。
部屋には印画紙の独特の臭いが立ち込めている。
多くはスタジオで撮影した、仮想世界の写真だった。
その一枚。
ボロボロの廃墟に顔を袋に隠された、まだ美しい中年女性が手足を広げるように縛られて、項垂れていた。
前に立つのは、マネキンの少年で、ヌードだった。
手には、乗馬鞭のようなものを振り上げている。
それは、明らかにSMの写真だったが、少年がマネキンだったり、カラフルなモールが飾られていたり、苛まれている女性の横にバラの花束が釣りのテグスのクモの巣に散りばめてあったりするために、ある種の美術的な空気をまとっていた。
また、別の写真は、少年のマネキンの顔の回りに、無数の男女のマネキンの顔がグロテスクに並んでいる写真もあった。
「かなり、悪趣味な写真だね」
白井は、しかし己の心臓の動きを、知覚できるほどの衝撃を受けていた。
これはまるで、僕じゃないか!
ユズは、フフフとオレンジ色の唇で笑い、
「なんとなくマー君に触発されて作ったのよ」
全く関係ない写真も多い。
裸のマッチョな男がベットに横たわり、美術室にあるような石膏像を愛撫した写真や、生け花をそのまま写真にしたものもある。
…殺さないと…。
白井は、初めて鮮明な殺意を、ユズ、本名長谷川柚子に感じた。
ユズは、決して白井があの時、娼婦を殺したのを見たわけではないはずだ。
もし見たのなら、無惨な白井の化けの皮の剥がれた老人も見ているはずで、それなら写真の主題も変わるからだ。
これは、ある意味、芸術家の直感なのだろう。
白井の本当を、ユズは幻視したのだ。
よく見ると、ただの生け花、と思った写真も、スベスベに脱毛した、細い手が花に混じって生けてあった。
ただ見れば、これは長谷川柚子という狂気の写真家の個展に過ぎない…。
だが、警察や内調がこれを見れば、必ず白井との接点を探られるはずだ。
個展は冴えないショピングモールの三階の外れであり、誰も見に来るとも思えない。
だが、ユズが死ねば、必ず見つかる。
ユズは殺さねばならないが、しかし、この写真は見せてはならない。
しかも、写真とは、いとも簡単に複製の出来る芸術だった。
このショピングモールごと全てを燃やして灰にしても、ユズの部屋にはネガがあるだろうし、また試し焼きした写真もあるはずだった。
顔を盗んだのなら、ユズの家も判るし、ネガの在りかも、何枚写真を焼いたのかも判るのだが…。
芸術家のホレポレの実は、必ず強い実になるのを白井は知っていた。
ユズが世に出るか、出ないかは、白井には判らないが、確かにある種の才能が彼女にはあるのを、白井は知った。
だからユズは必ず殺さねばならないが、しかし彼女の身辺は調べないと白井の安全が脅かされる…。
白井邦一自体は、今すぐ捨てても構わない、ただ便利に使っているだけの個体だったが、しかし学校に自由に行き来できる個体として、かなり選りすぐって選んだ個体なのも事実だった。
全ては大きな計画の、緻密な小さな歯車なのだ。
ふと見ると、手製らしい名刺が机に積んであった。
メアドやケータイのアドレスしか書いていないが、組織に頼めば、それだけでもかなりの確率でユズの家は割り出せる。
白井は、さりげなく名刺を手に取りポケットに落とした。
さて…。
どうユズを殺すか、だった。
それは、この個展をどうするか、とも複雑に絡まっているし、ユズの死がすぐに知れれば、白井たちより先に内調や警察がユズの自宅に到達するだろう。
「面白い写真だね。
でも、典型的なSMだし、テーマとして平凡なんじゃないのかな?」
白井は、面白がっている風に語った。
「そこじゃないのよ。
この男女が親子だったら?」
あまりにも、あの時の自分に似ていたので考えが至らなかったが、なるほど母が息子に鞭を入れられているのなら、あるいは近親相姦の要素があり、或いは幼年の性、といった要素もある、とみればテーマとしての価値はあるのかもしれない。
むろん、白井の殺意を曇らせるものではなかったが。
ユズの死は、とにかくしばらくは失踪とされなければならない。
その上で組織に依頼して作品を破壊するのだ。
だとしたらテレポートのエネルギーを惜しんでいる場合ではなかった。