75無限の牢獄と白い砂
二十人の目が、川上と八匹のウサギを完璧に捉えていた。
誠は、透過を使わずにウサギを避け、川上にカウンターパンチを入れた。
一瞬、川上の膝が落ちた。
が、ウサギたちが集まって川上を守ってしまう。
ウサギは素早い上、殴ろうが蹴ろうが、マリのように弾んでダメージを全く受けない。
ウサギがいる限り、川上を倒すには落とすか、影の手を使わざるを得ないが、それでは練習にはならないだろう。
ではウサギを落とすのか?
何度か落としてみるが、いつの間にか八匹に戻っていた。
個体差は無さそうだが、必ず八匹になるように出来ているらしかった。
どうする…。
川上は距離を取ってダメージを回復し、また隙をうかがっている。
牢屋のようなものがあればいいのだが…。
(作れば良いじゃないですか、牢屋!)
二十番目の中学生、貴樹が言い出した。
(ダンジョンマジックの無限の牢獄、ですよ!)
どうやら貴樹のハマっていたトレカのカードらしい。
敵を封じ込めてしまう異空間の牢獄のようだ。
(多分、僕なら、作れる気がする!)
影能力は、元々、そういうものだ。
誠は、ウサギ一匹を無限の牢獄に入れた。
落ちたウサギが、消え去った。
(やっぱり僕も、影を使えました!
無限の牢獄です!)
貴樹が許可しない限り出られない、無間地獄のようなものらしい。
使える、となったら、誠は次々とウサギを落とした。
すぐに川上は丸裸になり、誠は積極的に攻撃に出た。
だが、川上は人を越えた瞬発力と、スピードを手に入れていた。
カウンターも回復されてしまい、誠のスピードでは川上に追い付けない。
(誠、俺が幽霊の動きを伝授するぜ!)
颯太が言った。
誠自身が影の体を身に付けることで、人間を越えた動きを可能にするらしい。
なんとなく颯太を影のオーラのように身にまとう、というのが嫌だが、今の川上相手ではそれしかなさそうだ。
颯太をまとうと、ふわり、と誠は重力を感じなくなった。
ゲームで微かに浮いている、感じだ。
滑るように動き、イメージで浮いたり、沈んだりも出きる。
現実の床位置とは無関係に、体半分、地面に沈む、なども簡単に出来て、まさに幽霊の動きだった。
川上の顔に焦りが浮かんだ。
手足の動きから、次の行動が予測できないのだ。
泳ぐように真横に流れ、不意に重いパンチを撃ち込んだりもする。
この重いパンチやキックは、本来、誠が持っていなかったものだった。
それは体重や筋肉量と不可分の関係があるので、小柄で痩せて軽い誠は、全身のしなりで攻撃速度を上げて戦っていたのだ。
が、幽霊の動きは、ヘビー級のパンチも真下からの攻撃も可能にしていた。
これは…。
誠は以前から、透過と攻撃をミックスさせれば強くなるだろう、と漠然と思っていた。
つまりどれだけ鍛えた男にも、筋肉だけを透過して内蔵を殴ったら、誠の力でも致命的な破壊力を持つのではないか、ということだ。
ただ、透過能力はそれほどの繊細さで戦いながら使えるものではないので、不意打ちで心臓を掴む、ぐらいなら出来ても、一対一の戦いの中で、筋肉を透過して内蔵だけをパンチで打つ、などは不可能だった。
だが、幽霊の動きなら、比較的簡単に、指1本で相手の歯の神経を素手で弾く、ぐらいのことは可能そうだった。
確かに、夢想はしても、内蔵を直接打撃したら、かなりエグイ事故になりそうだ。
だが、歯の神経を指で触る、とかなら、比較的簡単であり、しかも、激烈に痛いのは誠だって知っていた。
逃げる川上を捕まえ、奥歯に指を透過した。
川上は、飛び上がって倒れ、敗けを認めた。
その頃、メコン川のラオス流域に白砂のようなものが流れていた。
メコン川はラオスを離れ、タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナムをとうとうと流れ、やがて東シナ海に流れ出る。
白砂は、いつか魚の姿を真似るようになり、海上へ出る頃には、小型のクジラほどの大きさに育っていた。
クジラは、フィリピン沖から、まるで台風のようなルートを巡り、徐々に日本の太平洋沿岸へと向かっていたが、今のところは誰一人、この白砂の存在を知るものはいなかった。
「ペナンガランを捕まえるのよ」
小田切誠が愕然と目を見張る前で、霧峰静香は正常そうな目の輝きを見せながら語っていた。
ペナンガラン…。
もはや、遠い昔に聞いたような気がする名前だ。
無論、誠も子供たちと伊豆の川で、これの群れに遭遇しているのだが、もはやそんなものは忘却の彼方に沈んでいた。
ただし新聞部は、新一年生を向かえてから、唯一、まともなスクープと言える、と当人たちだけは信じるペナンガランを、未だ追及し続けていた。
そして…。
ついに、川口博ですらなし得なかった暴挙に出ようとしているらしい。
つまり、伝説の怪物の捕獲である。
無論成功すれば、もはやオカルトではない。
それはいいのだが、本当に恐ろしいのは、あの水の化け物の方だ。
川に行けば、おそらく水の化け物に襲われることとなり、ただの高校生の集団では、あれに抗う術は無いだろう。
「それって、明日の日曜日って事?」
誠は、恐る恐る聞いてみた。