53有楽町
バリバリバリビリッ!
と安物のバイクがハーレー並みの轟音を無理やり出したような、悲鳴にも似た雑音を響かせながら、並木通りに巨大トンボが飛び交い、何度も中居の周囲を旋回しながら、チャンスをどうやら、うかがっていた。
中身は人間の知能があるようだな…。
中居は思う。
中居の左手が凶器であることを、中居の挙動から理解しているのだ。
だから盛んに、中居の右に回ろうとするが、音で動きを知覚できる中居は、とにかく音の方向に左手を突き出した。
一瞬でも触れば、鉄をも溶かす千六百度の高温に触れられて無傷な奴はいない。
未来から来た暗殺ロボットも溶鉱炉で溶けたように、中居は、相手が戦車であっても、左手一本で戦えるつもりだ。
が、見えないスピードは厄介だった。
子供の頃、ギンヤンマを取ろうと頑張ったが、目で追えずに一日を過ごした。
図鑑で調べると、昆虫最速で、時速百キロで飛ぶのだと言う。
プロ野球選手の投げる球よりはよほど遅いのだが、小さいためと、日陰を好む性質のため、なかなか捕まえられない。
トンボはまた、加速と減速を繰り返すため、気を許すと、手で触れるような速度で隣を横切ったりする。
あ、と思って網を振ると、突然、百キロの、見えないほどの速度で飛び去るのだ。
いわば速球とチェンジアップを巧みに操る投手のようだ。
遅い球があるために、速球はより早く感じる。
こういうピッチャーを打つためには、よく言われるのが絞れ、ということだ。
両方追うのは無理なのだ。
変化球が得意なら遅い球を。
速球が得意ならストレートを。
甘いボールは必ず来る。
だんだん疲れも出てくるのだから。
ま、バット振らないと話しになんないよな…。
中居は唸り、決意を固めた。
とはいえ、手は常に音のする方向には出しているのだが…。
その程度では、素早いトンボには触れられないのだ。
ギンヤンマの大きさで百キロ、と考えると、この一メートル越えのトンボなら、おそらくメジャーリーガーほどの速度は出ていてもおかしくない。
素人が見えないのは当然だし、何しろストライクゾーンすら無いのだから、手に追えない。
可能性があるとすれば…。
敵が中居に襲いかかる、その瞬間に奴の顔を掴んでやることだ。
影のシールドがどれだけ役に立つかは不明だが、その瞬間しか敵に触る可能性はない。
しかし一メートルの巨体と、メジャーリーガー並みの速度。
受け止められるのか?
そのままでは厳しいかもしれない。
背中にビルの壁でもつけた方が耐えやすいかもしれない。
思ってから、それなら敵も易々とは中居の左右を通過できないことに気がついた。
中居は、ジリ…、と動いた。
敵は人間の知能がある。
中居の意図を察すれば、その前に決着しようとするだろう。
だから敵の攻撃を避けながら、自然に、後ろへ下がり、ビルの壁面を背にする。
移動できれば、少なくとも敵の行動範囲は半分になる。
速度も、ビルとの激突を避けようとすれば減速せざるを得ないはずだ。
下手に走ってはいけない。
なぜなら、相手はスポーツカー並みの速度があるからだ。
ゆっくりと、下がるのだ。
常に攻撃できる体勢で動かないといけない。
背後に動いた瞬間、空中で旋回したトンボが、正面上から、降下してきた。
中居は、ほぼバントのように音と自分の間に手を突き出した。
一瞬、目の前で炎が上がった。
どうやら、トンボの羽を中居の手が触ったようだ。
高速道路ですら明確にスピード違反の速度で飛んでいたトンボは、一枚の羽を失った事で、バランスを崩した。
ガシャン、と背後のショーウィンドウを突き破り、豪華な衣装をまとったマネキンをズタズタに切り裂いて、トンボは止まった。
中居は焼こうと振り返ったが、トンボは既に、分厚いガラスと激突したことで潰れ、ガラスの破片で切り削がれ、血まみれになっていた。
ユリコは、妖怪じみた巨大な目のムカデ? と相対して、自分の武器を取り出した。
金属バッド、鉄パイプなどを愛用していたユリコだが、それらを持って公共の乗り物などには乗れない。
そのため、内調で作ってもらったのは、チタン製の伸縮する警棒の長いバージョンだった。
普通の人間では重すぎて扱えないが、ユリコには充分に軽い。
シャラ、と伸ばすと、棒は折り畳み傘程度から、二メートル五十まで伸ばすことが可能だ。
「ケケケ、早くこれを使ってみたかったんだよ、化けもん」
楽しそうに片手にもつと、ビュンビュンと振り回した。
途方もない重い音がする。
が、ハンドボール大の目玉の怪物は、不意に液体をユリコに吹き掛けた。
たぐいまれな反射神経でユリコは横に飛んだが、服の袖に、微かに液体がかかった。
すると、服の袖は、砂のように粉微塵に散ってしまった。
「っとに、これ、私服だぞ!」
たいした値段ではないが、気に入っていつので腹が立った。
ユリコは怒りに燃えて…。
「ぶちのめしてやる…」
と呟いた。