50みんなの勇気
影の手を伸ばし、血管を縫うような繊細さで、バッテリーのコードを充分な長さを持たせて切断する。
プラス極とマイナス極のコードを、透過でガソリンタンクに突っ込んだ。
ガソリンが発火するには酸素が必要だがタンク内には幾ばくかの酸素は残っていた。
「だけど、この程度の酸素では、奴を吹き飛ばすような爆発は起きないよ、リーキー」
誠がデバイスに語ると、元マットドクターは。
「全く酸素がなければ、魚もザリガニも死んでいる。
液体、という形で、酸素はあるんだ」
とはいえ、誠には液体中の酸素を取り出す術はない、と反論すると。
「魚もザリガニも血液はある。
その中には、酸素は含まれている。
何も酸素だけ取り出す必要はない。
全ての体液を抜き出して集めるんだ。
車一台分も集まったら、その袋を何倍かに広げる。
すると密封された袋内は低圧力になり、酸素が分離される」
ザリガニや魚から、体液を車一台分も抜き取る。
かなり気味の悪い作業だったが、しかし、今、この瞬間にも新しい車が粘菌に飲み込まれ、中で無惨な死を遂げているのだ。
やらないわけにはいかなかった。
なんとか車一台分の酸素を、低酸素状態で燃えていた車の、アルコールランプのような炎に投下すると、軽い爆発は起こったが、粘菌全体には影響はない。
(やはりバックドラフト状態にするには、もっと多量の空気が必要だな。
やり方は同じだが、誠、粘菌にガソリンまで貫通する穴を開けるんだ!)
透過は物質の存在する場所に、物質を落とす力だ。
確かに、宇宙空間と比べれば、空気も物質なのだろうが、今まで考えたこともなかった。
が、今現在も進行形で車は粘菌に呑まれ、人々は死んでいる。
誠は、別の車のガソリン室に着火し、外部からガソリン室に、空気を透過した。
ゴッ、と粘菌の体の一部が膨らみ、火が吹き上がった。
多量の酸素のためにガソリンが爆発したのだ。
爆発と共に、膨大な魚や昆虫、ザリガニなどが飛び散った。
だが、それ自体は水生生物だし、地上ではそれほどの脅威ではないだろう。
誠は大型トラックのガソリン室に火をつけ、外から空気を透過した。
粘菌の四分の一が吹き飛ぶほどの爆発になった。
その後、数分間の爆破工作で、粘菌はほぼ無力化された。
だが、誠たちの本来の目的地はここではない。
井の頭池だった。
光が丘駅から光が丘公園にかけての広い場所で、得たいの知れない化け物が暴れていた。
それは見えないほどに高速であり、体は子供のように小さい。
そして猿並みの身体能力でビルに登り、池から飛びかかってきて、人を襲っていた。
皆が恐怖したが、それの本当の恐ろしさは、怪物に引っ掛かれたり噛まれたりした人間は、その怪物のように変化を遂げてしまうことだ。
体がジリジリと小児化していき、やがて狂犬病のように歯を剥き出し、黒々とした剛毛が生え、ゲージも施錠した扉も破壊して飛び出し、人を襲うのだ。
彼らには、夕方訓練を終えて帰宅した内調の小学生チーム、光が丘少年倶楽部の面々が対処していたが、なんのトラブルか、彼らのリーダーである勇気が参戦しておらず、苦しい戦いを余儀なくされていた。
「おい、こいつら人間なんだろ?
殺せないぜ…」
義郎が嘆くように叫んだ。
彼らは、悪をなす影繰りは躊躇無く殺していたが、殺す、という意識は元々持っていなかった。
ましてや、相手は不幸にして怪物に襲われてしまった、ただの人間なのだ。
人を襲っていれば、退けるが、さすがに命まで奪えなかった。
しかし、そうしている間に、怪物は猿の集団のように山なして増えていった。
「ダメよ!
とてもあたしたちだけじゃ戦えない」
愛理が悲鳴を上げた。
声から察するに、泣きそうになっていた。
「ああ…。
勇気くんはどうしてるんだか…」
樹怜悧は、五人で一番頭がいいのだが、こんなときにはオロオロしてしまう。
自分は勇気がいないとダメだ、と落ち込んでしまう瞬間だった。
「あたし、見てくるよ!」
とレイナちゃん。
家は、勇気の団地に近い。
幼なじみ、と小五ではあるが、保育園からの仲だから、言える。
勇気のダメなところも良いところも、知り尽くしているつもりだった。
「駄目ですよ、今、レイナちゃんに抜けられたら…」
樹怜俐が慌てて止めるが、かといって何の打開策も浮かばない。
僕って…。
ヒーローには憧れてるけど、ホントはヒーローの横でサポートするしか出来ないんじゃあ…?
それは、涙が出るほど悲しい現実だった。
みんながいるからヒーローのフリをしているだけだなんて!
でも、なんとか怪物と戦ってはいるが、怖くて仕方がない。
勇気くんがいないだけで、僕は…。
「きゃあ!」
愛理ちゃんが、怪物に押し倒された。
この野郎!
と叫んで義郎が追い払おうとするが、逆に片手で、吹き飛ばされた。
こいつら、強い…。
力で負けたことがない義郎は、不意に膝が震えた。
押さえようとしても、ヒーローなのに、震えが止まらない。
その間にも、愛理ちゃんは怪物に馬乗りにされて、悲鳴を上げている!
と、
「この猿野郎!」
勇気が、F1カーに乗って走ってくると、そこから回転ジャンプをして、怪物の顔面に飛び蹴りを入れた。
「みんな、遅れて悪かったな!」
勇気は叫んだ。
勇気が来た!
それだけで、四人はすっ、と立ち上がった。
「勇気!
こいつら、元は人間なんだぜ!」
義郎が疑問をぶつける。
「影繰りだって人間だろ?
悪い奴だって、元は人間だ!
でも、罪を犯した悪人は、ヒーローが倒すんだ!」
単純明快だった。
色々、矛盾もはらんではいるのだが、今は単純な理屈が、彼らの心に刺さった。
「そうだ!
僕らが光が丘を守るんです!」
樹怜俐が持ち前の頭脳を取り戻した。
「やろう!
みんなで!」
光が丘少年倶楽部は、生き返ったように戦い、怪物を殺していった。