35手折る花
ユズは決して美人ではない。
それは白井にも判っている。
ただ、惹かれた。
「これ、イガイガしてる」
ただの、おばさんが着るような、何色かまだらに染まった裾の長いシャツだ。
「イガイガかい?」
白井は、あまり自分を出さないように用心しながら、聞いた。
「刺さるでしょ?」
ささる、が共感する、とか、目立つ、とかの意味なら、全く刺さらない。
「僕には、あまりよく判らないな」
正直に答えた。
「ホー君は、見えてないよ」
これでも、芸能界で、それなりにお洒落で通っている。
「こーよ」
白井を引っ張って、ジーンズ地の、かなりダメージのある感じのポシェットと、手編みらしいベレー帽、それにアメリカンなピ◯チューのような、だらしなくデッサンの狂った黄色い犬? のカンバッチを合わせた。
どうも、シャツをワンピース的に着て、小物でコーディネートする、ということらしい。
全部がダメな分、まとまるとある種の一体感が生まれる気もするが…。
なかなか渋谷に着て歩けないだろう、とは思う。
「高円寺なら、いいかな…」
つい、白井ともあろうものが、本音を口にしてしまった。
ユズは、美人ではないのだが、何かの引力を持っている子のようだ。
このメークも、個性ととらえれば、彼女の中の何かを体現しているように感じる。
「アハ、高円寺?
オヤジみたい」
あれ、そうだったかな?
言われれば、独創的であろうとする人々が集まった町ではあったが、だんだん、そのままに高齢化している感じも、ある。
ユズならこのまま渋谷にも行ってしまいそうだな…。
ツカサとして隣を歩くのはごめんだが、白井邦一なら、変なカップルではあったが、まあ構わないのかもしれない。
「あ、これも、ヌルッとする」
わざと意味不明にしているのか、会ったばかりでは判らないが、ユズはアジア風のチープな筆箱を手にして喜んでいた。
ブラスチックに、謎の彩色のしてあるもので、確かに売り物か子供の失敗作か判断に苦しむものではある。
下北の雑貨は、ユズには宝の山に見えているようだ。
白井は、警察の動きを予測してはいなかった。
まだ、おそらくは偽警官も見つかってはいないはずだ、と思っていた。
ただし、浜松町と神保町に関しては隠してもいないので、二件の殺しが判っているのは理解していた。
だが、顔は見られていないはずだ。
そこは計算はしていたが、今思うと、商店での殺害は、防犯カメラなど予期しない失敗もあるかもしれない。
だから、可能なら、早くこの町を離れたい。
学校に残した鞄は、後でエネルギーを十分に回復してから回収すればいい。
何人殺しても、それは白井には蚊を殺すより容易い事だ。
だからユズも、早めに処理して、もし余裕があれば、発見を遅らせる手立ても行って、それこそ高円寺にでも行きたいところだ。
いや、高円寺は影繰りが常駐しているのは判っていたので、むしろ隅田川を越えた方が安全かも知れない。
のだが…。
「ホー君、これ見て!」
子供の作ったハロウィーンの仮面のような、コントでも使わない感じの魔女? のお面だ。
「金魚みたいでフワッとしてる!」
多分、賛辞なのだろう、ユズは喜んでいた。
「これはニューギニアのポレホレという妖怪だよ」
白井としたことが、つい口が滑った。
それは白井が知るはずのない情報だった。
が、白井は気にしていない。
どのみち、ユズに明日は無いからだ。
「アハハ、ポレホレ!
刺さる!」
何かがユズの心をくすぐったようだ。
そして、それは白井の心もくすぐった。
「ポレホレは、人の死体を干からびさせて、種みたいにしちゃうんだぞ」
笑いながら白井は教えた。
「そこから、スキタイって木が生えるんだ」
[アハハ!
ホー君、物知りだね!」
そうだよ、と得意気に笑った白井は、不意にオレンジの唇に口づけされた。
白井ともあろう者が、顔を赤くしてしまった。
「ホー君、可愛いよ」
東京都内に絞って、白井の人相画が各警察にFAXされていた。
渡辺龍やアイチ、バタフライや良治にはスマホに画像が送られる。
中居にも送信された。
「あれ、これ…」
ユリコが、首を傾げる。
「こいつ、うちのクラスの白井に似てるなぁ」
「まぁ、どこにでも居そうな顔だべ」
小百合は、横から覗いて批判した。
確かに、小田切誠と比べても、まだ地味な少年だった。
「こいつってさー、手とか足とかピカピカなんだぜ!
誠みたいに自然にツルツルじゃねーの。
エステに通ってんのかよ、って感じ!」
まさにツカサの美貌の何割かは、そうした努力の積み重ねだった。
が、地味な男子高校生となると、少し行き過ぎの感じは漂う。
「まー、誠は無駄毛なんて生やしてたら真子が可愛そうだから、見つけたら引っこ抜いてやるべ!」
誠にも、監視網が張られつつあるようだった。
…殺すのは簡単だ…。
白井は、自分に言い聞かせるように思っていた。
ただ、この手で顔を撫でてやればいい。
それは、基本はポレホレの力と同じものだ。
ただ、力を種に蓄えるのではなく、影繰りのものにするのだ。
顔を盗むのは、その副産物のようなものだ。
ただし、ツカサにとってはメインの力だった。
顔を盗むと共に、その人の知識が手に入る。
自分の知らない世界が垣間見れる訳だ。
ツカサは演劇の知識や音楽の知識を、この力で手に入れた。
才能、と呼べるものも、知識と年齢とルックスで形作られていることも知った。
無論、それだけでは説明できない巨大な才能もある。
長年、ポレホレをしているうちに、ツカサはそれも手に入れられるようになった。
だから白井は、ツカサを失うことを恐れた。
それに比べれば、ユズの魅力など些末な雑草の花に過ぎない。
可愛い。
だが、明日には枯れる花だ。
白井が手折っても、別にユズの不幸でさえないだろう。
彼女のはかない美の世界には、現実にはゴミしか落ちてはいない。
山ほどごみを集めても、ラオスの廃墟のようなものになるだけだ。
だが、白井邦一は、ユズに手を握られて、下北の雑貨屋を歩き回った。
多分…。
今日の連続殺人は、まさか高一で頼りなげな顔の白井の犯行とは思わないだろうし、また。
犯人が、カップルで楽しげに下北を遊び回っているとも思われまい。
ただし、白井にはノルマがあり、放送スタジオに入るのは三時。
あと、数時間だった…。