1顔泥棒
ネットでその妖怪アニメを、誠は見てみた。
誠もよく知るロングランアニメだった。
それは海外の妖怪で、吸血妖怪であり、頭と、僅かな内臓だけの姿で、耳が巨大で羽ばたいて空を飛ぶのだ、という。
まさか耳が羽ばたいたところで、80キロの速度は出ないと思うが、妖怪なので、そういう理屈は通用しないのかもしれない。
とはいえ、伊豆の山中にそんなものが出るとは思えないが。
確か、妖怪は出る地域がかなり厳密に決まっていたはずだ。
と誠が難しい顔をして考え込んでいると、不意に小百合が、誠の前の椅子に座ってしまう。
「小田切」
小百合には、誠に敬称を付ける気は全く無いようだ。
「あんた、もっと真子を大事にしなさい」
「えっ?」
いわれの無いセクハラを告発されたように、誠は驚いた。
「あんたは言ってみれば、半分真子なのよ!」
「ええ?
どういう理屈?」
「だから性器や胸は男だとしても、素肌は真子には違いないわ!」
そんな事を言われても、誠は戸惑うばかりだが…。
「具体的に言ってよ、小百合さん」
「だから、男子更衣室で、あんたは何げなく裸になっているだろうけど、あんたの裸は真子の裸、とも言える訳だべ!」
無茶苦茶な話だ。
誠は更衣室でも特に人に裸を見せたりしていない。
誠がそう言うと、真子が出て来て、
「カブトさんは捲って見てたわ」
「あ、カブトは仕方ないし、真子ちゃんの事も彼の頭には無いよ…」
囁くように誠は言った。
「私も、あなたの頭にある事は知る事が出来ます」
それの方が、かなりセクハラなんじゃないか、と誠は思うが。
「あんた、この肌だって男の肌とは違うのよ!」
え、そう? と誠は己の手を見た。
まあ、あまり日に焼けてはいないが、特にどうとも思わないが。
誠がそう言うと、
「それは手入れを怠っているからだべ!」
と、また怒られた。
「えー、そんなお手入れなんて出来ないよ…」
今から学習するつもりも、誠にはなかった。
なぜならレディさんが喜びそうだからだ。
「手入れは私がします」
真子が言い出す。
「えー、僕が化粧品売場で乳液とか買ってるところ、誰かに見られたら…」
「そんなのポチればいいべ!」
「あー、まー、それはそうだけど…」
「真子ちゃんの時間も作るべきだ、って言うのは判るけど、言ってくれれば、別に僕は真子ちゃんをないがしろにする気は全然ないよ」
なんとなく、この道の先にレディさんへの道が見え隠れして、誠は陰鬱になった。
とにかく、真子ちゃんと小百合は、誠のスマホで楽しそうに化粧品をポチり始め、さらに服も購入した。
小百合もユリコも真子を気に入っており、誠にとっては強烈な圧力団体になりそうだった。
「誠くん、小百合さんと仲が良いのね」
科学室への移動中、不意に誠は、背後から静香に囁かれてしまう。
本来、誠にとって小百合は怖いだけの存在であり、決して仲など良くなかったが、確かに真子とはマブな雰囲気を漂わせていた。
それが外見上は誠そのもの、というのは到底静香に説明は不可能だった。
追い詰められた誠だが、
「別に仲良し、って訳じゃないよ。
ただ、相談したいことがあって乗ってもらってただけなんだ」
「なんの相談?」
「それは、秘密」
なんと誠は自分で愕然としたが、悪戯っぽい目で静香を見ながら、輝くような微笑を漏らした。
真子が、誠に変わって出てきたのだ。
(え、どうするつもりなの?)
うろたえる誠に、真子は、
(静香さんの誕生日は5月12日ですよ。
そのくらい、覚えてないとダメよ)
なるほど、そういうことか…。
格闘では颯太に助けられ、女性関係では真子に助けられた。
こんなんで良いのか、と思わないではないが、窮地を脱したのは確かだった。
男性用トイレの洗面台は大概2つである。
その一つを若者が占領していた。
デートでもあるのか、せっせと前髪を整え続けている。
残りの一つを、列を作った男たちが使い、または、あきらめて通過していく。
「やあ、納得できない様子だね」
若者が顔を上げると、すぐ横に男とも女ともつかない、短髪で痩せ型の人影が立っていた。
「癖っ毛を矯正しても、前髪を理想的に垂らすのは難しい。
毛の根元からやらないとダメだよ」
若者はアドバイスに従い、根元を作って、思うようなカーブを作り上げた。
「うん、なかなか良いよ。
ごく普通なのが、何よりだ」
若者は、相手が恩人なので、ちょっとディスられたようだが、とにかく感謝の言葉を口にしようと、顔を上げた。
はじめ、若者は望洋とした広い空間を眺めており、駅のトイレ特有の匂いもしないことに気がついた。
足に、水がかかる。
え、と足元を見ると、若者はガラスのような水面に立っていた。
そこに裸の若者がいた。
自分であることは確かだ。
足の脱毛状態や股間の、少々悩みに思っている形も、自分の知っている通りだから、自分の体なことには間違いがない。
右太ももに、やや大きめの痣があり、そのため若者は小学生時代から長めのボクサーパンツを愛用していた。
家族以外には知らない事実。
だが…。
顔がなかった。
目は、大きな穴だ。
まるでえぐられたように、鼻も口も、無かった。
髪は、アドバイスを受け、やっと決まった前髪が、そのまま垂れていたが、その下には、大きな穴が空いているだけだった。
「ああ!」
若者は叫んで、顔を触るが、夢でもなんでもない。
大きな穴を、指先に感じた。
足に水がかかる。
だんだんと、若者は水の中に沈んで行くのだ。
「死ぬ!」
若者は叫んだのだが、口がないので、
「あああっー!」
としか、言えなかった。
若者は、どことも知れない水の中に、極めてゆっくりと沈んでいった。