151騒乱
誠が環八で破壊したような、粘菌が固まったような物体に多量の死体を絡めたものが、今、石神井池から石神井川へ流れていく。
井の頭池から神田川にも、おなじ粘菌が流れており、それらはある種の意思を持って、浅草を目指していた。
百メートルの未知の巨大サメ?
リーキーはしばし唸っていたが、
「沖田さん。
それがメコン川から流れてきた事を知ってますよね?」
努めて冷静に話した。
日本には敬語があり、現在は廃れているが徳川時代には儒教が広く浸透していたことから、目上のものは敬う、という不文律がある。
リーキーが上司、とかを超越する東洋圏独特のモラルだ。
「ああ…。
だが、未知の生物に未知の生態があるのは……」
あと一、二時間で決する話なのだ。
それで世界は変わってしまう。
「僕が間違っているかもしれません。
しかし、一度、体表面、一ミリで良いのでサンプルを取ってくれませんか?」
そのために出した水中ドローンなのだ。
「いや、しかしですね!」
大森は声を荒げる。
なんで大学院生なんかが乗ってるんだ!
リーキーも怒鳴りたかったが、この国の科学者は学生を助手にする程度の収入しかない。
まともな研究費も出せずに、いつまでも経済的優位を保っていられると考える愚かな経営者や政治的指導者がこの国には多すぎた。
「あー、クジラにせよ、一ミリサンプルをとっても死にはしないでしょう?
しかも百メートル、シロナガスクジラの三倍の怪物ですよね。
これが東京に、もしこれ以上接近するなら、いかに貴重な生物でも安全保障上、何もしないわけにはいかないんです。
サンプルがあれば、それだけ、あー未知の生物にも安全な策も提案できます。
表面、たった一ミリでいいんだ」
「生きている魚なんです。
かなり難しい操作ですわ」
これは華木さんだったか。
「あなたはそれだけの訓練はしているスペシャシストと報告を受けています。
良いですか、自然保護も大切だが東京都民の生命も同じように大切なのです。
理解してください」
リーキーは、百メートルのサメなどいない、という常識を心の奥に沈めて、自然保護者のマスクを急速に組み立てていた。
白井はテレポートをする。
中目黒の高級マンションだ。
最高級の管理会社が全力を傾けて維持をしており、個人の尊厳は徹底的に守られる。
とはいえ、今、この部屋の扉一つ向こうには渡辺龍と長安が現実を受け止められずに呆然といていたのだが……。
白井はサーバールームの中央にある、大きなスチールの箱の中にテレポートしていた。
サーバーは熱が大敵で常にエアコンで冷やされていたが……。
その中心には、サーバーから出る熱を集めた温室が作られていた。
そこは長安が啞然とし、渡辺が確信した死体に花を咲かせている場所とは違う。
ここでは、大きな鉢に、シーツアーの花が幾つも咲いていた。
本来のシーツアーは飛行船で運ぶほど巨大な木だったが、花だけを鉢植えで育てているのだ。
いわば盆栽だ。
りんごの若木に接ぎ木をすることで、増やしたシーツアーだった。
これなら、街の何箇所かに分けて置くことで一つの街をかつての五反田の何倍もの狂気に陥れられる。
五反田は、そのための実験だったのだ。
鉢を取るとき、僅かにコトンと音がしたが、外に渡辺や長安がいるとは夢にも思わなかった白井は、そのまま煙となった。
無言で、かすかな唸りを上げるサーバーが何十と並んだ冷房の効いた部屋を見回していた渡辺と長安だったが、一つ一つのサーバーと、大出力のエアコンの音が響く、ゴウという機械の唸りを聞いていた瞬間、異質な音がした。
それは、支柱のように広いサーバールームの中央に作られたスチールの長方形の中からだった。
「なんだ、あれは?」
文屋であり、完全文系頭脳の長安が聞いた。
が、ちょこちょこした探偵道具としての盗聴器や監視カメラを作ったり取り付けたりするため電気工事技師の資格を持つ渡辺も、根は文系のため、サーバーに何かをするらしい中央の機械? の事までは分からなかった。
「なんだろうな?
コンピューターってのは、また俺の資格とは別なものなんで分からないな。
基盤が絡むとサッパリなんだよ」
渡辺は答えたが、
「ともかく、ツカサの秘密は一応調べられたはずだな。
バレる前に逃げようぜ」
とつけ足した。
白井は、花屋敷のジェットコースタールートにテレポートした。
ここのコースターは、狭いところを走るのがウリであり、やがてジョークでジェットコースターが壁を突き破ってアパート生活する家族の間を走る、という演出が生まれた。
タンスやちゃぶ台を囲んで食事をする家族の人形が置かれていたが、その脇にシーツアーの鉢植えを置いた。
花屋敷は浅草寺にも近く、六区や仲見世と共に浅草の中心と言えた。
ラオスの犯罪組織に雇われているとは夢にも思っていないダークウェブで雇われた二人の男が、静香のマンションに侵入した。
シーツアーの花の影響で、家族は皆、眠っていた。
死体の花の種子や粉末を体内に入れていない人間は、普通はこのように意識不明に近い眠りにつくことになる。
男たちは静香を車に乗せ、浅草に向け出発した。
花屋敷で、客同士が喧嘩を始めた。
並ぶ順番を誤魔化そうとした、とか、他愛のない理由だった。
しかし大の大人数人による乱闘は、やがて近くの子供や女性も巻き込み、大きな騒ぎになっていった。
遊具の操作とチケット管理をしていた係員は、大騒乱の中、船を漕ぎ出し、やがて熟睡した。
渡辺龍と長安がツカサの部屋を抜け出したとき、白井は二つ目の鉢を運ぶために再びテレポートした。
スチールに囲まれた温室の中だったこともあり、扉の音はほとんど聞こえなかったが、ドアクローザーのため、ゆっくりと閉まる扉の音は、最後のパタンとゆう音を立てている最中だった。
しかし白井は気が付かない。
それどころではなかったからだ。
今から三十分以内に花を配置しないと、計画に狂いが生じる。
既に最初の死体たちは、おそらく内調に始末されてしまっていた。
花さえ置ければ、大混乱を巻き起こしたはずの花火の不発弾である。
白井は、二つの鉢を持ち、テレポートを行った。
「ありゃ記事に出来ないんじゃないか?」
渡辺龍は、長安にわざと話した。
どのみち、数時間経てば内調の通報を受けた警察機関がアパートの捜索を開始するだろう。
長安担当のゴシップなど出る幕ではなくなる。
その前にアパートを畳んでもらえないなら、長安にも口止めが必要かもしれなかった。
「いや……。
あれは確実に何かの犯罪が行われているだろう。
ツカサは現実には住んでいなかったとしても、何度かはここに入るのは写真に収めている。
それに風呂も入っていたな。
あの野郎、大興奮しながら窓を開けたままシャワーを浴びて、オナってたぜ!」
おかしい……。
渡辺龍は気になった。
グリーンなイメージで、子役も、若い男性役も演じるアイドルなのだ。
外から覗かれる場所でそんな事をする意味はあるだろうか?
あるいは、誰かが見ていることに気がついていたのではないか?
「長安。
すぐアパートを引き払ったほうが良い。
ツカサはお前に気がついているぞ!」
今になって、サーバールームの音も気になった。
俺達は行ける限りの全ての部屋を見て回ったつもりだったが、あの箱は、充分人が入れる大きさだった。
例えばツカサの財力なら、下の部屋も借りて、ロフトのように天井に穴を開けて使っていてもおかしくはない。
そう思うと、確かにあの場にツカサはいた。
渡辺は確信した。
「長安、引き払わないつもりなら、少しドライブに付き合え」
その間に内調を入れ、あそこだけでも潰すべきだった。
「通報するつもりなんだろ?」
長安は薄く笑う。
「だったら、そこを撮らなきゃ今までの張り込みはムダになるぜ!」
法律は何も守ってくれない世界がある事を渡辺は話せなかった。
竜吉とピッピは、家族風呂から出てから、再び部屋で張り切った数十分を過ごし、汗を二人でシャワーで流すとテレビを付けた。
百メートルを超える未知の巨大ザメが東京湾を泳いでいた。
そして浅草では暴動が発生していた。
「らっ、ら!
カブトくんがゾンビと戦ってる!」
竜吉とピッピには、影の世界が見えていた。
「あの飛行船だよピッピ!
それに、巨大ロボとトンボ怪人が闘っている!」
竜吉はすぐに内調に電話をした。
真っ黒な水死体はカブトが担当し、半魚人はユリコが道路標識を引っこ抜いて相手をしていた。
その北側ではハマユがカニたちを氷漬けにしていた。
浅草では、放火があり、車が破壊され、雷門の提灯によじ登る馬鹿も現れ、大変な騒ぎだった。
ただし暴動鎮圧は警察と機動隊の仕事であり、影が現れない限り誠たちは動けない。
機動隊はバリケードを築き、暴徒を浅草に封じ込めていた。
「これ、絶対学生連合だべ!」
小百合の言葉に誠も頷く。
「だけど機動隊の邪魔も出来ないよ」
そこに遅まきながら竜吉の声が入ってきた。
「誠さん、浅草寺上空にトンボ怪人がいるんですが、とてつもなく強いようです。
そして、彼の持っている箱が、もし破壊されれば大変なことになると信介君の予言に出ています」
誠はホッとした。
指示される方が、どう振る舞うか考えるより、ずっと楽だ。
「ここは小百合さん、任せます。
僕は空に行きます」
誠は飛び立った。
華木は、未知のサメにドローンを近づける。
「これ、サメの皮膚じゃ無いみたいね」
沖田は唸る。
クジラの皮膚とも、だいぶ違うようだ。
見た感じの滑らかさは、イルカの皮膚か、ジュゴンの皮膚に近いようだ。
「クジラジラミもフジツボも無いようですね?
まるで陶器のようだ!」
大森は感動したように言った。
沖田はしかし、生物なのか疑問が生まれてくるのを否定はできなかった。
もしかしたらロボットサメなのだろうか?
中国や北朝鮮なら、何らかの意図があればやりかねない。
この体表面の生物にしては、あまりに皮膚が綺麗すぎる。
「華木さん。
しっかりサンプルを取って」
もしも偽の生物なら、これはとてつもなくヤバいトロイの木馬だった。
華木はコントローラーを操り、サメの腹にに肉薄する。
アームを伸ばし、皮膚に刺した。
白い煙が上がり、アーム内にサンプルが入る。
「ほとんど手応えがありません。
サンプルを分析中……」
パソコン画面に、数字が並ぶ。
三人は沈黙した。
「え、なんで泥や砂なんですか?
機械の不調では?」
大森が慌てた。
「もう少し、中まで調べましょう。
生き物ならば、皮膚に当たるはず……」
華木は、プロの声で語った。
遠くスカイツリーの果てに、銀に光る飛行船が見えてきていた。
現代の飛行船はおおよそ柔らかい素材で作られており、風の影響も受けやすい。
それに対してツェッペリンやヒンデンブルグなど装甲飛行船は第一次世界大戦初期には空襲なども行っており、当時の複葉機の機銃ぐらいには対抗できた。
とはいえ、衛星誘導で目標を捕捉するミサイルに耐えうる装甲など戦車や戦艦ですら無く、兵器は高速化や対応兵器の装備などで近代兵器との戦いを想定しており、鋼鉄神話はとうに崩れ去っていた。
しかし、銀に光る装甲飛行船は、その分の重さをうかがわさせる遅さで、大木を吊るしてゆっくりと、しかし確実に浅草に接近してきた。
無論ミサイルに当たれば一発で大爆発なのだろうが、飛行計画も出た正規のルートで空中を優雅に飛ぶ姿は、ある種の威容を見せていた。