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伊豆半島中央部に、アユ釣りの本場ともいわれる狩野川がある。
駿河湾に注ぐ一級河川だが、湯河原にも近く、その隠れ里的な旅館に二人の高校生が昨夜から泊まっていた。
竜吉とピッピは、露天の家族風呂に二人で浸かり、透き通った山の空を見あげている。
元々小学生たちが伊豆で川遊びをした、と耳にしていた二人が、ネットで探した宿だ。
普段はなかなかの高級宿なのだが、オフピークの平日は、割安に泊まれる。
実は、相当ラブラブと見られている2人だが、寝室を共にするのは初めてで、昨日は照れながらお互いのありのままの姿を見せ合った。
なぜ、この時期に……、と言えば、キス魔のピッピは挨拶のように竜吉の首や手を吸うので、竜吉はそっちの上級者、と勘違いされていた。
クラスメートや内調の仲間たちから質問や相談が多数寄せられ、竜吉はネットの知識で誤魔化していたのだが、我慢ができなくなってピッピと、告白とも、喧嘩とも取れる言い合いをした。
それからの流れは達吉にすれば夢のようで、十日も立たない間に理想の一夜が訪れていたのだ。
初めて、あられもない場所にまでキスマークがつき、恥ずかしがって真夜中の大浴場に浸かったが、平日でもあり、誰にも観られずに済んだ。
はぁ、と竜吉は、夢の一夜を振り返る。
空の雲に、幸福がフワフワと浮かんで流れていく。
僕、幸せなんだ……。
岩風呂を枕に澄み渡った空を見あげた竜吉は、呟いた。
「ピッピ。
ほら、飛行船が何かを運んでるよ」
かなり大型の飛行船だ。
大昔の、ツェッペリンやヒンデンブルグぐらいはあるのではないか?
それが長閑なプロペラ音を立てながら、ロープで自然物らしい物を運んでいた。
あれは、木?
かなりの大木だ。
「はえぇ。
ホントだねぇ。
木って、あんなふうに運ぶのかねぇ?」
流石に聞いたことがない。
影のパソコンは水など問題にならないので、出してネット検索するが、あまり飛行船で木を運ぶなど、情報は無いようだった。
(誠さん……)
警備員に縫ってもらった服を着た誠の前に、和服の少女が現れた。
(あれ、君は確か桔梗さん?)
(はい、今まで水分けの神に力をもらい、少し山で過ごしておりました)
除霊ができる幽霊、という不思議な存在の少女だった。
(伊豆から、途方もない悪意がやってきます)
伊豆というと、前にベナンガランと戦ったところだ。
やはり、あそこには何かがあったんだ、とすぐに気づいた。
とはいえ伊豆と言っても広大な地域で、しかもほとんど山の中であり、簡単に探せる場所でもない。
(桔梗は場所が判るの?)
聞いてみたが、
(もう少し近づかないと無理です。
それに、全てはこの地を目指しているのですよ)
暗示めいた事を桔梗は囁いた。
白鯨に自衛隊の艦艇で攻撃が出来ないか、とリーキー・トールネンは官僚に打診したが、不可能だった。
明確に自国領である場所を占領されたり、侵犯されても威嚇射撃すら出来ない国なのだ。
その辺は鳳に法律改正をしてもらわなければどうも出来ない。
「あれがあったろ?
水中ドローン。
分析装置を組み込んだ奴を、作ったよな」
尖閣のレアメタルやメタンハイドレートなど、日本は宝の山なのだ。
リーキーは既に、それらを調査するドローンを作り上げていた。
「はい、それなら用意があります」
「百メートルなんて生き物がいるはずはない。
ドローンで調査してくれ」
国家というのは、なんとも動きづらいものだ……、とリーキーは鉛筆を噛みながら思った。
「あー、飛行船ですね。
飛行計画は正式にでています。
環境団体のパフォーマンスで、ハリボテの大樹を東京に飛ばして、自然保護を訴えるそうですよ」
達吉は、ピッピに、
「だってさー」
と、笑った。
目の前に、愛を交わしたピッピが、その美しい裸を隠しもせずに岩の上に座っているのだ。
竜吉も、常の竜吉ではなく、ただの初体験翌日の高校生男子の、あらゆる毒から解脱した天国の笑顔でピッピにとろけていた。
「あら、お母さん、また花が刺してあるよ!」
静香はマンションの扉を開けて、室内の母に叫んだ。
ここのところ、日を置かず、雑草、植木、花屋のブーケ、全くランダムな花々が、静香の家の玄関に挿してあるのだ。
最初は少し不気味だったが、慣れると、それは常に美しい花だったし、ストーカーと目くじらを立てるほどのことでもない気がしてきた。
一枚、葉を残した椿の花は華道のように繊細だったし、枝ごとの牡丹は華やかだった。
ちょっとした善意。
そんな気もする。
今日の花は、どこかエキゾチックな、見たこともない大輪の、名も知らぬ白い花だった。
甘い香りを放つそれがシーツアーという、ラオスの特殊な山奥にしか咲かない花だとは、静香でなくとも気づく術が無かった。
白井は松屋デパートから地下道に降り、浅草の商店街に抜ける、まるでラオスのような古びた通路を抜けた。
周囲には年季の入った商店が並び、ここが東京とはとても思えない通路だ。
ここから上に登れば浅草の商店街に出るので、誰に見つかることもない。
ふらりと雑踏に紛れた白井は、どこにでもいる地味な高校生であり、誰の目にも触れなかった。
さて、血の惨劇はどこから始めるのがふさわしいのかな?
言問通りを固めていた芋之助たちだが、勇気が。
「なあ、みんな大さんと敵を追ってるんだ。
俺がいれば合体できる。
俺達、練習して空も飛べるようになったんだんだ!
行っていいか?」
「でも勇気君。
一人のところをカマキリに襲われたら危ないわ」
ハマユがなだめる。
「あ、大兄ちゃんがいるなら、俺も合体して空を飛べるよ!
勇気と一緒に動いていいぜ!」
ふむ、と芋之助は考えた。
「ハマユ、ここは二人でも平気じゃないか?
確かに勇気は5人揃ったほうが強いし、福がついてるなら、心配ないと思うが?」
ハマユたちの方が、二人だと何かあると手一杯になる気もするが……。
しかし勇気が仲間と合流したいのは判るし、福ならカマキリ相手でも不覚は取らないだろう。
許可を得た2人は、走り出した。
浅草の空に、多くのカラスが舞い降り始めていた。
だが常のカラスではなく、まったく鳴かない。
ただビルの上から、人間たちを眺めていた。
そのため、観光の人々は、黒い鳥に全く気が付かなかった。
誠の元同級生、滝田と大川が、浅草を歩いていた。
井の頭公園で死亡したはずの人物だ。
そして今は、誠の幽霊の二人となっていた。
が、魂は誠の一部となっても、その肉体は白井に利用され続けていた。
スカイツリーのエレベーターで誠を襲った山田圭介もいた。
詰め襟学ランに半ズボンのサソリ少年もいるし、永井知哉も、普通に浅草を歩いていた。
カマキリ以外にも、怪物たちはこの街に少しづつ集まって来ていた。
屋形船が、浅草のボート乗り場から出発していく。
陽気も暖かくなり、隅田川を渡る川風も気持ちがいい。
老人会のメンバーたちは、すぐに陽気にビールで乾杯を始めた。
後ろでは妻は天ぷらを揚げ、旦那は舵を取って川を見つめていた。
桜はとうに散っていたが、葉桜というのも、特に新緑の葉桜は眩しく美しい。
パシャリ、と船のそばで、魚が跳ねた。
スズキか?
旦那は顔をしかめた。
それにしちゃあ、ずいぶん大きかったようだが?
客は陽気にカラオケを始めていた。
浅草と言うと浅草寺だが、七福神巡りなども、若者が喜々として歩いている。
町も下町情緒に満ちており、かつては吉原、山谷など避けられていた界隈も、今はすっかり観光の町に変わりつつあった。
下町風情の中に、昔ながらの名店などがあるのも楽しい。
明治大正の文人などが通った店も、残っていたりする。
昔ながらの甘味処に大喜びをした三人の女子大生は、日比谷線の入谷に向かおうと言問通り沿いの裏道を歩いていた。
最後は谷中銀座で夕日を楽しむつもりだった。
ふと目の前に、大柄な男が立っていた。
イケメンという風ではないが、締まった筋肉質の体で、スポーツマンらしい短く耳周りを刈った、目元の優しい男性だった。
ショートカットの鈴香が、インスタに上げていいか尋ねると、男は二つ返事でOKした。
「大学生ですか?」
「うん、T大のアメフト部だよ」
「見て、凄い太い腕!」
コスプレ好きの茉莉花は、日頃からツインテールで通している。
「ぶら下がってごらん」
茉莉花が腕に捕まると、男は軽々と茉莉花を片手で持ち上げてしまう。
「すごーいエモい!」
玲子がスマホで二人を写す。
「もう少し寄るわね」
鈴香もスマホをバックから出そうとしたとき。
パキン、と割り箸を折ったような音がした。
?
鈴香が顔を上げると、男が茉莉花の頭頂部を大きな手で掴み、九十度に曲げていた。
玲子がペタンと倒れ込む。
茉莉花の手からスマホが落ちて砕けた瞬間、鈴香は絶叫した。