146噛みつき
低く回転ジャンプをし、カマキリの鎌を避けた瞬間、獣人は必殺技を繰り出した。
噛みつき。
獣人の必殺技の一つであり、元々大きな頭を巨大化し、相手を飲み込むほどの大口を開け、相手に向かって飛びかかる。
カマキリの硬い体に、獣人の牙が突き刺さった。
カマキリは硬い顎で獣人を編もうとするが、獣人の頭が巨大化しているため、大き過ぎて顎が入らない。
そして獣人はカマキリの胴体を噛み切ることに成功した。
人間のような真っ赤な血が飛び散るが、田中の影はゲーム内の格闘空間に敵を引き込む能力だったから、自キャラの汚れなど気にしない。
田中は現実に戻った。
浅草には、いつの間にかカマキリが満ちていた。
信介は鉄の門を軽々と乗り越えると、五重塔に駆け寄った。
遠目には分からなかったがコンクリート製の塔だ。
鍵は堅牢かもしれないが、外を登る分には問題はない。
木造の年代物の塔より、よほど楽だろう。
「吊られた男!」
信介がタロットカードを弾くと、天から紐が降りてくる。
手で輪を持ち、スルスルと信介は塔に登っていく。
五重塔の頂点には避雷針のようにも見える金属が長く伸びる。
九輪と言う。
鉄筋コンクリートの塔は、もしかすると避雷針の役割もあるかもしれないが、歴史的な塔のそれは、むしろ雷は天敵で、火災原因の上位は雷だった。
この九輪に片手で捕まるように、一人の少年が立っていた。
もう春も半ば過ぎようという季節に、分厚いダッフルコートを着込み、背中には大きな木箱を背負っている。
少年はクツクツと笑う。
「馬鹿だなぁ。
僕に近づけばどうなるか、ぐらい考えつかないのか?」
少年の周りには、小型の蜂か、虻に似た生物が数百、羽音を立てて飛んでいた。
「あいにく僕には、そういうのは効かないんだよ」
信介は笑った。
何しろ、ダッフルコートの少年の前に立つ信介は、信介のアバターなのだ。
どんな攻撃も通用しない。
うわん、と無数の羽音が高く響き信介を襲撃するが、信介は薄笑いを浮かべるのみだ。
ダッフルコートの少年は一瞬、凄い目で信介を睨んだが。
ぱ、と九輪から手を離すと、傾斜のきつい塔の屋根を滑り落ちた。
信介はバトルになると予想していたので、一瞬、反応が遅れてしまった。
そうか。
下手に戦うよりもカマキリを増やすのが、奴の目的なんだ……。
思えば当たり前だが、しかし塔から落ちるとはおもわなかった。
屋根の端に下って眼下を覗き見ると、少年のダッフルコートがバサリと四散する、と少年の背中に、トンボのような透き通った羽根が現れた。
信介はスマホを取り出し、
「やり損ねた!
奴は浅草寺方面に飛んで逃げている!」
六区を通過していた飯倉とアイチは、即座に道を折れた。
田中も無言で足を速めた。
大と小学生たちは、五重塔に近づいていたので、空を滑空する少年を見上げていた。
人間の体に、昆虫の羽根が生えている。
そして脇腹からは、節足が三対、並んでいた。
「なんだありゃ……!」
大は驚くばかりだったが、愛理ちゃんはムービーで少年を追っていた。
「誠っち、空飛んでんぜ!」
川上は叫ぶ。
が、小百合は、
「ここからは遠いわ。
近い連中に任せましょ」
と浅草寺の方角を見つめた。
誠も、空を飛べばすぐに追いつく、とは思ったが。
「信介君と、大さんや小学生たち、田中さん飯倉さん、アイチさんもいるのなら任せたほうがいいね」
呟く。
「気になるわね、この手に持ってるの」
美鳥はムービーを見ながら、少年の手に持つ四角い箱に目を向けた。
食料品を運ぶ箱のようにも見える。
だが、敵が自分の衣服を粉々に引き裂いても抱えているのだ。
中にケイタリングが入っている訳でもあるまい。
「爆弾、とかやったらエライことやねぇ」
高屋も言うが、中居は。
「爆弾くらいなら可愛いだろ。
街中にカマキリがいるんだ、おそらく……」
無関係とは思えない。
箱の中身を気にしているのは美鳥たちばかりではなかった。
信介は指をパチンと弾く。
その手に一枚のカードが現れた。
「……死神……、あれが放たれたら、おしまいだろうね……」
誠たちが解決したスカイツリーでは、現在、観光客を締め出して大規模な調査が行われていた。
一月前、新宿では何千人もが命を落とす災害が起こり、鳳首相が政権を取ったこともあり、素早く大規模な科学調査が行える組織が作られていた。
リーキー・トールネンをトップに、百人規模の科学者が無数の遺体を、その場で検死し、化学分析を行うのだ。
「変ですね……」
医師から転身した谷岡がパソコンに送られてくる数多の検死データをリーキーに伝えていた。
「どれも死後膠着が見られない」
データはどんどん集まるが、皆、同じ謎を提示していた。
首相官邸の個室では、リーキーが愛用の鉛筆を齧っていた。
ここだけは……、マットドクター時代から共通した癖なのだが、リーキーは鉛筆を好んでいた。
「まるでゾンビマスターの能力のようだな……」
Aという影能力集団で相棒だった老人であり、戦場では悪魔のように強かった影繰りだ。
遺体という不死身の軍団を率いて、どの戦場でも凄まじい戦果を上げた。
彼の操る死体は、カクテルを作り、車はおろか、ヘリでも操縦可能だった。
現在、浅草では東南アジアで組織されたらしい、影繰りというよりは呪術に近いような不思議な力を使うテロリストが、東京各所で散発的な破壊工作を繰り返していたが、どうも目的は不明なままだった。
無論、本当に只のテロリスト達ならば、破壊こそ目的であり、自らの力を大々的に喧伝し、組織の規模を拡大させるのが常だったが。
彼らは何も語らない。
つまりは、まだ計画の途上にある、と考えられた。
野方、吉祥寺、六本木、浅草、錦糸町……。
地図を見ても特に繋がりは見られない。
あえて言えば野方や吉祥寺は川があり、やがて神田川から浅草につながる。
錦糸町も隅田川には運河で繋がっているが、六本木は……。
リーキーの前には十のモニターが並んでいたが六本木、川と検索してみる。
日本橋川?
小石川で神田川とつながる?
石神井川や妙正寺川は、野方の地下に作られた大規模な貯水池で神田川につながっていて……、やがて隅田川に水は注がれる……。
「リーキー。
東京湾に白いクジラが現れた!」
「なんだい、白鯨? エイハブ船長なんてお呼びじゃ無いよ」
彼はスタッフの一人で、ほぼ1日、グーグルアースを見て過ごしている。
「ところがさ、この白鯨はなんと百メートル規模の巨体で、しかもメコン川から遡上して一週間かけて隅田川に向かおうとしているんだ」
メコン川!
東京は、その昔の江戸から考えれば四百年前からの都市であり、当時の流通は船輸送が基本だったから、多くの川や運河、暗渠が無数に通っている。
中でも浅草は隅田川沿いの都市であり、今、敵の大規模な攻撃にさらされている。
そしてスカイツリーの前には北十間川という運河が流れており、隅田川と荒川をつないでいた。
浅草との距離は1キロにも満たない……。
「おい、みんな聞いてくれ。
死体はおそらく……、すぐにも動き出すはずだ!」
白いクジラが浅草に向かっている!
美鳥の予感は、的中していた。
「どうする?
あの箱が、たぶん鍵なんだろ!」
井口が慌てた声をだした。
誠以外では、空中戦を行えるのは井口ぐらいだ。
信介は指を鳴らした。
タロットカードが現れる。
……審判……。
「ちょっと待ってくれ。
壊すのはまずい」
信介の力は強いが、タロットカードによるだけに、予知としては、やや曖昧だ。
ただし存在は死神で、破壊すれば審判、どなると、どうするべきなのか……。
その頃、浅草に近い上野の森から、大規模なガラスの群れが飛び立った。
小石川植物園、千鳥ヶ淵などの皇居の森からも、同じような、空を黒く染めるような鳥の群れが、同じ場所、浅草を目指して飛び始めた。
同じことは、錦糸町の錦糸公園、猿江恩寵公園でも目撃されていた。
東武浅草駅の上にある松屋デパートのカフェからは、白井邦一がゆっくりと席を立ち、薄く笑いながらエレベーターに乗り込んだ。
いよいよ暴力が始まる。
邦一の股間は、隠しようもないほどに膨れ上がっていた。