144戦わない
カマキリは無言だ。
大は、数ヶ月前までは銚子の漁師だった。
気の利いた挨拶などは頭に、そもそも無い。
顎に溜まった汗の粒が、ポタリと服に落ちる頃。
「すみません、僕たち前に行きたいんです。
退いてくれませんか?」
樹怜悧が、毅然とした声を上げた。
カマキリに表情など無いが、微かにうろたえたふうに見えた。
大はすかさず、
「悪いな兄さんたち。
急いでんのかもしんねーが、こっちは子供を四人も連れてんだ。
道を譲っちゃくんねーか?」
大も大きめの声を出すと、愛理やレイナも、
「おじさん、怖い事しないで!」
少女たちの合唱に、カマキリたちはたじろぎ、また、周りの人間もカマキリを見た。
カマキリはいそいそと大たちの前から外れていく。
ふぅ、と大は額の汗を拭き。
「みんな、偉かったぞ。
みんなの力で、奴らを退かしたな」
子供たちの背中を叩いた。
「ても、まだまだカマキリは一杯だよ?」
愛理が不安げに仲見世を見回す。
まるで人間であるかのように、カマキリたちは平然と道を歩いていた。
「奴らも今のは見てたはずだ。
今のうちに先を急ごう!」
大は子供達を励まし、仲見世を進んだ。
ふーん、戦わない、ね……。
飯倉はリズミカルに走りながら、信介の心の変化を訝しんだ。
もう、五体のカマキリは仕留めていた。
だが、確かにこちらから仕掛けなければ、カマキリは人として振る舞っているようだ。
だから本体を、というのも判るのだが、塔に影繰りが集まったところで暴れられたらどうするんだ?
それとも、何かの確信を信介は掴んだのか?
信介が最年少で飯倉たちのリーダーに収まっているのは、当然ながら、あのタロットによるところが大きい。
無論、それを武器に使われても、変幻自在の攻撃とアバターを別に作れる、というディフェンスの妙もあり、飯倉でもなかなか真正面から信介を倒すのは難しい。
ただし体力的にはチビの子供に過ぎず、スタミナを奪ってやれば、まあ、勝てなくも無いかもしれない。
ただ先を見通す予言の力が信介を切れ者にしていた。
ただ、それでは彼の作戦で必ず勝てるのか、というと、前の小田切誠暗殺の時もそうだが、失敗も無くはない。
信介はタロットを読み違えた、と言っていたが、辻占いじゃあるまいし、影能力に読み違えなどあるものだろうか?
さて、指示に従って塔に向かうべきか、と走りながら思案をしていた飯倉だが、目の前に三匹のカマキリが集まり、壁を作った。
道は合羽橋から六区に抜ける横道で、車一台がやっと通るような路地だ。
三匹に並ばれたら抜けようがない。
ち、やるしか無いか……。
戦うな、とは言われたが、これは避けようが無さそうだ。
三匹のカマキリに、同時にドレインを発動し、素早く真ん中のカマキリに体当りする。
相手は四本脚なので、筋肉の塊の飯倉の体当たりでも、よろけもしない。
だが、ぶつかった時には、飯倉は相手に背中を預け、両手を伸ばしてカマキリの頭を左右から掴んでいた。
昆虫は極めて高い攻撃力は持っているが、外骨格なため、関節は弱い。
飯倉が、そのまま、尻を突き出すように体を折ると、カマキリの体は浮き上がる。
カマキリを腰に乗せ、柔道の腰投げのように腰をひねりながら腕を振り下ろすと、カマキリの巨体がグシャリと地面に叩きつけられた。
そのまま、掴んだカマキリの頭をひねると、バキ、と音がし、エビの胴を外すように、首がぬらりと取れていく。
ただし、昆虫は頭が取れたとしても、体は死なない。
また、頭も、うっかりすると噛みつかれる。
首を投げ捨て、カマキリの間を抜けて、飯倉は走った。
いくらドレイン能力があると言っても、三匹のカマキリである。
囲まれたら多勢に無勢だ。
飯倉は得意の走力で切り抜けるべく、走り出した。
が。
カマキリはスイッチが入ったのか、飯倉を追ってきた。
一匹は羽根を広げ、バサバサと不快な羽音を立てて上空から飯倉を襲う。
「ち、厄介な!」
ドレインをするには一定の距離に近づく必要がある。
距離をとって追われるのではドレインが出来ない……。
もう一匹も、飯倉に付かず離れず、微妙な距離で追ってくる。
場所は昔ながらの住宅街、という感じだが、浅草ならではの小料理屋なども散見する、繁華街と合羽橋を繋ぐ粋な通り、という感じだ。
多分、本体とカマキリたちは繋がっていて、飯倉のドレインを知って距離を取っているのだろう。
と、なると確かに本体は倒すべきだ。
その前に、この二匹をどうにかしないと話にならないが……。
一応、内調に入ったため銃の携帯は許されている。
今も胸のブルゾンの内側にプラスチックを多用した海外メーカーの銃がホルダーに入っている。
影繰りには、なかなか銃弾は効かないので、この小型だが三八口径のマグナム弾を撃てる自動拳銃がいい、と海外経験のある永田司令が勧めてくれた。
誠はとても三八マグナムなど扱えないが、筋肉の塊の飯倉なら訓練すれば使いこなせる。
敵の質にもよるが、そのくらいの銃を至近距離で撃つなら、何割かの影繰りは死なないまでも、しばらくダメージを負わせられるだろう。
振り返って、即座に撃つ。
後ろのカマキリには可能な攻撃だが、頭上のカマキリは黙ってはいないだろう。
とは言え、繁華街で銃を撃つわけにはいかない。
やるなら、今だ……。