140変貌
良治がバイクで、飯倉は鍛え上げた己の足で外周を回っている。
信介は和風雑貨屋に居ながら、アイチがこちらに向かっていること、大と小学生が内調の車でもうすぐ来ることを確認した。
作戦はうまく回り始めている……。
信介は歌うように考えたが……。
ピリッ……。
何かが信介の神経を震わせた。
敵の何かが変化したようだ。
今、この瞬間に、だ。
なんとなくカードを見なくても、どう変化したかは想像できた。
寄生虫は、ただ体を乗っ取るだけではない。
ハリガネムシならカミキリを水に落とそうとするし、鳥に食べられるように木に登らせる寄生虫もいる。
自在にコントロールが可能になったのなら、次は宿主を思うように動かす。
それは必然だった。
時間をかけ過ぎた……!
信介は愕然と気がついた。
何故逃げ回っていたのか、もう少し考えれば解ることだった。
寄生虫は成長するのだ。
卵は幼虫になり、どういうルートを通ってか、脳に向かう。
まずは親の指示に従いながら逃げ回るが、無論それがゴールではない。
幼虫は脱皮したり、蛹になったりして、然るべき成長を遂げると……。
真の目的のため動き出すのだ。
奴ら、何を狙っている?
信介は、指の間からタロットを一枚、取り出した。
カードの名は、悪魔……。
カードと共に、おおよそ、浅草の未来が見えてきた。
男は浅草演芸ホールに向かっていたが、不意に微かな痛みを首筋に感じた。
反射的に手で首を叩くと、小さな硬い虫に触れたが、虫は素早く男の手をすり抜けた。
蚊では無いし、アブほどの痛みもない。
既に最初の痛みは消えていた。
男は気にせず商店街を曲る。
あれ……。
道はどっちだったかな……。
演芸ホールには何度か来ているはずだったが、曲がり角でも間違えたのか、見慣れない街並みに出てしまった。
なんだか、雲でも差してきたのか陽も陰ってきたように薄暗くなる。
人々とすれ違うが、皆、一様におぼろげな影が歩いているように感じた。
まあ、演芸ホールなど昼の最初は若手の未熟な芸人しかやらないものだ。
少し遅れたところで何の損もしない。
しかし、迷子になったのは困りものだ。
たぶん、少し歩けば隅田川なり、大かな道路なりに出るはずなので、まっすぐ歩けば道は分かるはずだ。
と、何が気になったのか、男は狭い路地へ入ってしまった。
おかしいな。
知らない路地に、何故、俺は入り込んだんだ?
人一人が歩けばやっとの道に、飲み屋やらH系のDVD店などがゴチャゴチャと並んでいた。
あー、そういえば、いかがわしい本も欲しい気がするな……。
男はフラフラと、狭く急な階段を登った。
電子書籍などでも容易く購入できる本だが、紙媒体だとボカシなどが薄かったり、特典があったりする。
弾む心で考えながら、急な階段を登ると、狭い書店が現れた。
その手の月間漫画誌や写真雑誌が並び、奥にDVDやブルーレイ、土地柄かビデオテープも並んでいる。
好みのモデルを選んで手を伸ばす……。
あれ……。
俺の手か、これ……。
それは日焼けした、それに、やたらと指の長い骨張った手だった。
いつの間にか、爪も異様に長く伸びてしまっている。
前に切ったのはいつだったかな……?
昔は気の利いた床屋なら手の爪ぐらいは切ってくれたものだが、一回数千円もかかるような床屋には、もう何十年か行かなくなっている。
格安、髭剃りなし、などにも通ったが、今は電動バリカンで済ますようになっていた。
小遣いは上がらないが、何もかも高くなったからなぁ……。
牛丼ですら……、ですら……。
ですら、って何語だ?
知っている単語を思い出そうとしてみたが、出てこない……。
あれ、俺は何処にいるんだ……?
目の前には、色のついた四角や丸が、ぼやけながら揺れていた。
ぽた…。
顔を何かが流れた。
骨張った手で触ってみると……。
血だ……。
俺は、事故にでもあったのか……?
Hな本を扱う本屋のカウンターでは、直接客と顔を合わせない。
お互い気まずいだけだからだ。
ぼやけたプラスチックボードが客とカウンターを遮る。
が、無論、防犯カメラは無数に並んでいて、バイトはそれを見張ることになってある。
だが、昼間などろくに客などこないし、仕事慣れしたバイトは、いつものようにユーチューブをイヤホンで聞いていた。
バイトの横のモニターでは、男の変態が克明に映されていた。
顔が縦に裂けていく。
だが、思うほど血は流れない。
滴るぐらいだ。
縦に裂けた顔の中から、カマキリのような顔が、体液にまみれてヌラヌラと光りながら現れ、左右に割れた人の顔から、ゆっくりとカマキリの長い首が伸びていっていた。
午後の浅草は、観光の外国人や、デートをする学生たちで賑わっていた。
その雑多な人混みの中には、血だらけの服を着たカマキリも混じっていたが、歩き方は普通に人間であるため、ある種ハロウィンの仮装のように街に馴染んでいたためか、気づかれない。
女子高生たちが身を寄せ合って笑い転げながら、流行りのスイーツを頬ばっている。
髪を染めた大学生が、足を止めてディープキスをし始める。
老婦人の集団は、カマキリの横を夢中で話しながら大笑いしていた。
やがて地獄と化すだろう街は、今はまだ、華やいだ観光と遊興の空気の中でまどろんでいた。