137砂
ステーションワゴンの後部ハッチ以外は閉まっていることを確認し、勇気は機敏に逆転した車内に飛び込む。
後部は2列の座席シートにもなる作りだが、今は倒され、広い収納スペースになっており、工事関係者だったのか、様々な工具や部品などが乱雑に収められていた。
左右にL字鋼で棚が作られていたため、逆さになっても椅子は倒れない。
工具や材料が散乱し、隙間は狭いが、勇気なら普通に通れる。
運転席の隙間に首を伸ばすと……。
ハンドルには何も無かった。
軽く落胆する勇気だが、シフトレバーに……。
今度は左手がついていた……。
「左手か?」
砂に落ちたのでローギアにして登ろうとしたのだろうか?
芋之助は考えた。
しかしバックにしろ、ローギアにしろ、ハンドルは持つはずだ。
どういう状況なのか、芋之助は首をひねる。
手は、明らかに別人のものだ。
最初の手は、小柄で色白、爪は短いので男だと思うが、女性なのかもしれない。
一方、ステーションワゴンの手は日に焼けて、シワが刻まれた職人の手であり、大きく骨ばっていた。
状態はほぼ同じ。
血などは無く、ただ、手がある。
「体は食べられたのは間違いないな。
手の状態は失血しているし、砂の穴が出来たのは今朝だ。
その後で車が落ちたのは確かだし、血がなくては人は生きられない」
芋之助は思考を組み立てた。
「つまり吸血ペナンガランが穴にいるって事?」
ハマユは気味悪そうに穴を見た。
「でもさー、血を吸うだけの奴なら、吸った後のミイラなんていらないんじゃないの?」
勇気は高校生に混じって堂々と語った。
「何者かがミイラを持ち去った、って事?」
ハマユが気味悪がる。
「この砂の穴に鳥がいるべか?
ここは、吸血と、ミイラ持ち去りは同じ奴の仕業で、そいつの特性で、片手を残した、と考えられるんじゃないべか?」
福の疑念に、芋之助は、
「なるほど、穴の中の敵は、血を吸ってから、つぼ焼きのように体を車から引き出した、って事か」
意外につぼ焼きにこだわっていた。
「まー今は確認が取れていないのに推測しても仕方ないわ。
血を吸う、なんて独特だし、何種類もいるのか、も疑問だけど……」
ハマユは語り。
背負っていたバックからゴープロと呼ばれる携帯型のカメラと受信機を取り出し。
「そろそろ穴の調査を始めましょう」
確かに、他には何の手がかりも無さそうだった。
勇気の頭にゴープロを取り付け、タブレットで映像を受信する。
取り付けが終わると、再び勇気は砂の穴に潜り込んだ。
今度は、中心に向かう。
「大丈夫だべか?
敵は二人殺してる奴だぞ?」
福は、勇気を心配する。
「まー無敵の防御力を誇るヒーロースーツだから、簡単にやられることはないだろうが……」
芋之助も不安そうにゴープロの映像を覗き込む。
「万一の事もあるから、福君もロープを準備して」
ハマユが指示をする。
中学生の福は、ガードレールにロープを固定し、自分で腰に装着したベルトのモーターを動かして降りるスタイルだ。
端的に言えば自動リールの釣り竿と同じで、本人の位置が逆なだけだった。
キリキリとモーターが軋み、福も砂に降りていく。
勇気は砂を下りながら、腰のホルスターから三角定規銃を取り出した。
砂の穴は片道三車線、安全地帯を挟んだ六車線の並んだ道を完璧に潰していたので、かなりの深さだ。
そして目的は敵が姿を砂の穴から出すことだったので、勇気も福も、ゆっくりと降りていく。
ロープを握った芋之助もハマユも、穴の中心を注視するが、まだ何の動きもない。
勇気は、恐れを知らぬ足取りで穴に近づいては行くが、芋之助は、飼い犬のリードを引くように、勇気の足取りを遅めていった。
何しろ、あの穴にいるものは、芋之助が落とした巨大な石を、事も無げに持ち上げ、脇に除けた怪力の持ち主だ。
勇気のスーツがいかに無敵でも、腕力で抑えられたら抵抗出来ない。
そして勇気を人質に取られたら、福の猛毒も使用を制限される。
まあ、そのための芋之助でありハマユなのだが、すり鉢状の砂の底に敵が隠れているのでは、手の出しようがない。
と、勇気の足が止まった。
「なんかいる……」
マイクに勇気の声が囁く。
タブレットの画面には直径一メートル近い穴が見える。
画面では真っ黒だ。
「少し明るくならないかな」
ハマユはタブレットをタッチし、わずかだが闇が薄くなった。
「人影だわ!」
確かに、男がうずくまっているように見える。
と、勇気は問答無用で銃を発射した。
あっ!
と、芋之助とハマユは同時に叫んでいたが……。
影が、穴から出てきた……。
だが、それは人間の姿ではなくなっていた。
獣でも、鳥でもない。
それは小さな、黒い、無数の羽虫の大集団のように見えた。
芋之助とハマユは、夢中で勇気のロープを引いた。
まさか、つぼ焼きのように人間を襲った吸血鬼が、羽虫の群れだとは思わなかった。
勇気のヒーロースーツは無論無敵だし、おそらく羽虫が普通の蚊やアブのようなものなら、スーツを貫く事など不可能だろうが、それは影の羽虫だった。
血を吸いながら、おそらくは肉をも食らう羽虫だ。
人は端から食い尽くされ、手だけが残されたのだ。
何故、手だけが残るのかは、未だ不明だったが……。
福は、毒を吐いた。
一酸化炭素。
酸素を吸収出来なくさせる毒だ。
黒い羽虫の群れと、福の灰色の猛毒が砂の斜面で混じり合うが……。
コイツラ、息をしていない?!
羽虫は何も気にせず、福に向かって来る!
「福君!」
ハマユが福のロープを引いた。
勇気は芋之助で十分だった。
軽く片手で持ち上げる体重なのだ。
ハマユは、元々、こういうときの福の援護の為にハマユを配備していた。
ところが……。
砂が、突然、逆立った。
サラサラと落ちていく顆粒のような砂だったのに、唐突に何十か何百かの砂が針状に融合し、垂直に立ったのだ。
広大な砂の穴が、不意に針の林立する
「勇気、大丈夫か?」
芋之助が叫ぶと勇気も叫ぶ。
「俺は無敵だから大丈夫!
でも、福兄ちゃんが!」
ハマユが全力でロープを引いたところに、針が生まれたのだ。
福の背中は、砂の針がいくつもの刺さっていた。
「浅くしか刺さってないよ!」
福は言うが、これではロープは引けない。
「俺が助けるよ!」
勇気は叫ぶが、砂の底の穴からは、途方もない量の真っ黒い羽虫の群れが、毒ガスのように二人に近づいていた。