127汚水
誠たちは、足のスニーカーを濡らしながら貯水槽を抜けた。
「どう、川上君。
臭いは?」
「誠っち、それが汚水の臭いが強くて、ハッキリとは判らねーんだ。
だが。
なんか生き物はいるみたいだぜ」
貯水槽の先は浄化設備の操作盤や汚水タンクの駆動モーターで、独特の音がしていた。
ある種、心音のようにも聞こえる、ドッ、ドッ、ドッと振動を伴った駆動音だ。
「幾つかのプールを通して水を濾過するみたいだね。
汚物は一箇所に集められて薬剤で溶かされている」
誠が言うと、警備員が、
「ああ、それは微生物なんすよぅ。
それが汚物や紙やなんやらをみんな食べちゃうらしいスぅ」
何やら凄い設備であるらしい。
地下建築の愛好家である誠は、無論、内部のメカニックにも大いに興味があった。
特に地下といえば、排水や汚水処理は必須の機能だ。
なにしろ地下数十メートルから汚物とはいえ固形物を汲み上げるのは大変な作業だ。
それが、独自の施設で、ほぼ水になれば簡単に廃棄できる。
「あのね、そんなのどうでもいいべ!
何かいるなら、何処にどういう奴がいるのか調べるべ!」
小百合は苛立った。
とても汚水タンクに髪を突っ込む気にはならない。
川上が役に立たないなら、ユリにやらせるなり、誠自ら捜索するなり、積極的に動いて欲しかったが、どうも緊張感が欠けるように見えた。
使えない警備員などと雑談している場合ではないはずだ。
「ちょっと見てみるよ」
幽霊は嫌がったので、とりあえず影の目で汚水タンクに侵入してみた。
目だけなので臭いは感じない。
だが、水中を透視すると、なんと魚が泳いでいた。
「えっと魚がいますね……」
しかも、そこそこの群れのようだ。
「はて?
魚までは飼ってないと思いますよぅ」
確かに、汚水タンクなのだ。
動物の生息できる環境ではない。
となると、影、ということになる……。
「とりあえず一匹、出してみましょう……」
誠は一匹の魚をタンクから透過した。
とはいえ、魚の名前など誠は知らない。
切り身や開きより生の魚など、誠は見たこともなかった。
「見えた?」
仲間に丸投げして、誠は聞いた。
「見たことないよ」
元々、ユリは期待していない。
「俺、肉派なんスよね」
川上らしい答えだ。
小百合をチラと見るが、
「回ってない魚は管轄外ね」
あっさりと小百合は答えた。
「バスの一種のように見えるな……」
考えながら語るのは老刑事だった。
「バス?」
「魚の種類というより、スポーツフィッシングの対象魚、と言ったほうがいいかな?
引きが強くて、釣るのに面白い魚だな。
スズキなんかは食べられるが、普通は食べても美味くないから、基本キャッチ&リリースの魚だな」
誠の問に、刑事は簡潔に答えた。
井口と話すので、ぼんやりとは誠も判る。
ルアーを工夫したり、釣りの過程だけを楽しむ、と言うような感じだと思う。
「そのバスが何だべ!
早くタンクに戻して、橋を渡ればいいじゃない!」
確かに、汚水タンクまで気にしても仕方なかった。
が、それなら、何故、影が汚水タンクにいるのか説明がつかない。
タンクは無論、銀色の金属の天板で閉められており、臭いの拡散や汚物の飛沫防止をしている。
ある種の病気は汚物からも感染するため、必須の要項だった。
だから影だろうと妖怪だろうと、特に気にすることはない。
汚水タンクは一メートル溝を掘って作られているので、誠たちは、浄水側のハッチを開けて金網床の橋を十メートルほど渡り、先のコンクリートの壁に開いた穴から、奥に入るだけだ。
浄水と汚水の間は、柵と硬質ガラスで完全に仕切られている。
川が増水した場合、水が汚水タンクに逆流する可能性があるため、仮に汚水タンクが水没したとしても、浄水側には水は入らない仕組みなのだ。
なので間のハッチは頑強で、重い。
ほとんど船の外壁ハッチなみだ。
川からの逆流の水圧は、それほどに強いのだ。
「じゃ、僕から行きます」
誠は重いハンドル型の鍵を回して、金網の橋に立った。
下は数十センチで金属板なので、さほど高さは感じない。
ただし……。
ドンッ!
金属板に、下から何かが当たった。
見ると、板がべコリと膨らんでいる。
形で、それがあのバスの頭なのは容易に想像がついた。
「おいおい、ヤベーんじゃねーか?」
川上は心配するが、
「いや、鉄板はかなりの厚さだよ。
さすがに破れないよ」
言うものの……。
ガンッ!
ゴンッ!
鉄板のあちこちで、魚がぶつかる。
金属板は、見た目では五センチ近く飛び出していた。
まるで大型ハンマーで叩いたような膨らみだ。
体が五、六十センチはあったとはいえ、大した怪力だ。
普通の魚の力ではない。
仮に、もし鉄板が無かったとしたら……。
それはとんでもないパワーを発揮するだろう。
「小田切!
早く渡るべ!
後ろがつかえてる!」
ああ、と誠は先に進む。
橋の長さは十メートルなので、すぐに穴に行き着くのだが、その間も、天板はボコボコと魚がぶつかり、膨れ上がった。
「先に警備員さんに来てもらえますか?
この部屋の先に行くのに、穴がなければ鍵が必要ですから」
警備員は悲鳴を上げて怖がったが、小百合はマジの蹴りを大人の尻にぶち込んだ。
「喚くな!
早いほうが安全だって小田切は言ってんだべ!」