108燃える蝶
このフロアに、二十以上の蛹が、未だ眠っているらしい。
それらは蛹と同時に、爆発物でもある。
全てが同じなのか、まだ決定するのは早すぎる気もするが、今はそう思っておくしか無いだろう……。
爆発、そして火災の拡大が目下の最大の危機なのだから……。
しかも煙は上に登る。
上では、今もユリが紫色のウツボカズラと戦っているはずなのだ。
ユリは学校に通うようになってから、というか多くの日本人と接するようになってから、急速に語彙は増えてはいる。
が、一体どこでウツボカズラなどという言葉を覚えたのかは不明だ。
誠は、今でこそ地下構造物オタクだが、無論、幼児からそうだった訳もなく、人並みによしおドールに夢中な少年時代や、カブトムシや食虫植物などの、ややキモめの生物を怪物を好むように遊んだ幼年期も過ごしていた。
飼っていたカブトムシが自然死するなどのトラウマを経て、虫恐怖症の高校生に成長したのだ。
カマキリの腹からハリガネムシが出てきたショックも大きかった。
「ちょっと回想に浸るなよな、誠!」
国川が誠に突っ込んだ。
国川は、そのノリでもわかるように颯太や裕二のグループの一人で、同級の誠は好きに突っ込む。
ああ、と誠は我に返り、
「みんな、蛹を爆発させないように、周りの枝を落として燃えにくくするんだ」
まずはフロアの可燃物を可能な限り取り除き、最悪を回避したい……。
何かを撃ってくる燃える蝶は、ひとまず誠が動かなければ、他までは気が付かないだろう。
「誠くん、全ての木を切るなんて不可能よ!」
中村が教えた。
「そうですが、可能な限り続けてください」
江戸時代の火消しは水を撒いて火を消したのではない。
風向きから火が回りそうな場所の建物をあらかじめ壊し、火の拡大を防止したのだ。
破壊消火と呼ばれる方法だ。
なので燃えない場所がある程度の広さ、あることは、とても重要な火災防止策だった。
しかし、木を切れたとしても、誠が透過しなければ、可燃材は床に残ったままだ。
だから、どうにか眼の前の蝶を倒さねばならなかった。
殴ったり蹴ったりで炎の塊のような蝶が倒せるとは思えなかったが、誠は偽警官とハルに左右から蝶に襲いかかってもらった。
が、やはり蝶には物質的な実体はないらしく、全ての攻撃は空振りだった。
炎の蝶はケケと笑い。
「バーカが!
俺に物質攻撃なんて効かないのさ!」
誠は、透過など、物質を非物質化することは、本人もどんな理屈なのかは解らないながら行うことは出来る。
だが、ガスや、今のような炎を相手にするのは特に苦手だった。
物理法則が通用しないのだ!
それを言うなら、自分の飛行や透過も同じだし、幽霊を仲間にする、など物理法則以前の問題だったが、とにかく相性が悪い。
「誠くん」
大学生の田辺が囁いた。
「君の影の手なら、奴を密封出来るんじゃないか?」
あ、そうか……。
誠には思いつかない発想を、田辺は持っていた。
火を密封すれば、内部の酸素を使い果たせば、自ずと炎は消える。
泡消火などと同じ原理だ。
誠は、無数の影の手を出して炎の蝶を包み込んだ。
数千、数万の手が、一瞬の内に炎の蝶を包み込んだ。
手の内側に、影の目を開く。
炎の蝶は、影の手を焼こうと体当たりをするが、影の手は、真子の全てを切断する刃物とも融合しており、相当の高温でも焼くことは出来ない。
そうして暴れる内に、炎の蝶は、内部の酸素を消費し、みるみる小さくなっていった。
「みんな!
今のうちに火を消すんだ!」
透過するのが望ましいが、影の体で踏みつけただけでも、火は弱くなる。
「誠!
トイレがあったぜ!」
裕次が教えた。
影の手を管にし、フロアに放水する。
煙を上げていた草木は、すぐに濡れて鎮火した。
「影の手は、しばらくそのままの方が良い。
火は、消えたと思っても、酸素と融合すると、また燃える事があるんだ」
どうもそこが火事の難しさらしい。
酸素が無くなった分、小さくなった影の手を小脇に、誠はベショベショの床のフロアを歩いた。
蛹は、みな放置されている。
再び爆発などしたら、大事だからだ。
「爆発する可能性があるんだ。
近づかないで!」
誠は注意したが……。
消火のために撒いた水が、知らず知らず蛹に染み込んでいることまでは、誰も気が付かなかった。
真っ黒い蛹の腹部に、微かな亀裂が生まれ、髪の毛のように細い足が生えた。
足はやがて何十と増え、ひだの様になると、ゆっくりと歩き出した。
誠たちは、まだ火災にだけ注意は向かっていた。
蛹たちは木を降りて、水だらけの床に身を沈め、隠れながら前進した。
二十の蛹、そしてまだ発見されていなかった多数の足の生えた蛹たちは、テレパシーでもあるのか、一箇所に集まりだしていた。
合流した蛹は、他の蛹と、まるで列車のように連結する。
やがてそれは、数メートルを超えるロープのような長さの、ムカデに変わっていた。
誠は、濡れた草の上を、スニーカーを濡らしながら歩いていた。
スニーカーが濡れる、とか汚れることなど、影の戦い中には、誠は気にしない。
彼に強さがあるとしたら、いつでも一人になれるのと同じように、一つのことに集中できる、この能力故かもしれない。
その誠の、毛穴すらない足の臑に、音も立てずに、ロープ大のムカデはゆっくりと迫っていた。