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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

注文の多い異世界食堂


「だ、か、ら! 野菜炒め定食を食えって!」


 お食事処『猫のしっぽ亭』では今日も、口うるさいおっさん店員の声が響いている。


 ――うるせえなあ……。


 バーンは酒を喉の奥に流し込みながら眉を顰める。

 やたら冒険者に人気のあるこの食堂は、荒くれ者共の喧騒でお上品さなど欠片もないのだが、それにしたって一際うるさい店員は、ここのちょっとした名物だ。


「で、でも俺ら肉が食べたくて……」

「じゃあ、『肉』野菜炒め定食にしてやるから!」


 少しばかり頼りない雰囲気の青年によるささやかな抵抗は一蹴された。


「そんなぁ……」


 がっくり肩を落としているのは見るからに新米冒険者パーティだ。クエストの前に肉を食って景気づけ、といったところだろうと当たりをつける。


「お前らゴブリン討伐に行くんだろ? だったら野菜炒め定食、一択だ!」


 よくもまあ飽きもせず、とプレートに乗っている凝縮された森をフォークでそっと端に寄せ、代わりに揚げた芋を突き刺し頬張る。


 口うるさい店員は名をゲンキという。胸元の小さなネームプレートを見た時は冗談だと思ったが、どうやら本名ということらしい。

 その名の通り、四十を半分は過ぎたろうおっさんの割に元気を持て余しているようで、声もデカければ態度もデカい。どんな客にもズケズケ話しかけては注文にケチをつけ、オススメを押しつけていく。

 好きに食わせろ、と当然の意見もどこ吹く風で、まあまあ、といなしては結局オススメを食わせるのだ。


「ゴブリンと野菜炒め定食にどんな関係があるんですかぁ……」


 おそらくはリーダーなのだろう。先程の青年がしくしく泣きながらも食い下がる。


「夜泣人参、満月トマト、花玉葱、白ピーマン、モネもやし、キャベツ。肉は灰色豚をいれてやる」

「人参……? トマト……?」

「夜泣人参と満月トマトには暗視の効果がある。花玉葱は幻覚耐性、白ピーマンは毒耐性、モネもやしは麻痺耐性、灰色豚で防御力強化。他にも細々、ゴブリン退治であると嬉しい効果が揃ってるぞ。まあ、ゴブリンの強烈な異臭に対する耐性はつけてやれねえけどな」


 何を言ってるんだこのおっさんは。

 一人の例外なく、パーティ全員がそんな顔をしていた。顔に書いてある。

 初めてここを利用する客はみんなそうだ。バーンだってそうだった。押し付けられるメニューを拒もうとする冒険者に、ゲンキは今のような説明をする。当然、詳細に語られても理解などできず、しかし拒むにはおっさんは元気が良すぎる。結局は押し切られ、出てきた食事を食べることになるのだ。


「まあまあ、ちょっとした験担ぎみたいなもんだよ。騙されたと思って、出されたもん食っとけって。良いことあるから」


 嘘くさい。実に嘘くさい。

 アホらしい、ふざけるな。そんな言葉をぶつけて店を出ようと席を立つ新規は後を絶たず、しかしそこで切り札が出てくる。


「うちの定食は美味しいんですよ。是非、食べていってください」


 そら来た、とバーンは溜め息を吐き出す。

 別のテーブルへ料理を運び終えた娘が、猫耳をピコピコさせながら近づいて声をかけた。猫のしっぽ亭の亭主であり、ホールを担当している猫人族の少女は、名をメリーという。

 肩口で切り揃えられた栗色の髪は艶やかで、くりくりとした大きな翡翠色の瞳は可愛らしい彼女の表情をより華やかに魅せる。人を笑顔にする明るい雰囲気、いつも浮かべている笑顔、どこを切り取っても好印象を与える彼女を振り払うのは至難の業だ。冒険者などという荒くれ稼業で、可憐な乙女と縁遠い男共は特に。


「初回特典でお肉を多めに盛りますよ」


 人好きのする笑顔と鈴を転がすような声に、早くも青年の顔には迷いが浮かんでいる。向かいに座る二人の男性メンバーは、すっかり鼻の下が伸びている。両隣から青年を肘で小突く女性メンバーの抵抗は、きっと長くは保たないだろう。あと一押しもすれば落ちる。誰の目にも明らかだ。そしてこういう場面、押しの一手というのは存外あっさり放られる。


「坊主、悪いことは言わねぇから黙って食っとけ」「ゲンキはな、口こそ悪いが嘘は言わねぇよ」「こいつの言う通り食っとけば間違いねえから」「心配すんな」「この店の飯は外れなしだから安心しろ」「増量サービスはマジで初回限りだぞ」


 ……今日の押しは数が多い。

 店内をぐるりと見まわして、なるほど、とすぐに納得する。新米の観察をしている間に、随分と客が増えた。それも大半が常連だ。

 つまり、ゲンキのおすすめの効果を知っている連中がほとんど、ということ。


「に、肉野菜炒め定食ください……」


 歴戦の冒険者に束になって説得されれば、新米に勝ち目などない。あっさり屈した彼らに憐憫の視線を投げ、バーンは最後の芋を口に放り込んだ。



「はーい、お待ちどおさま。ゲンキさんおすすめ、紅孔雀の香草パン粉焼きでーす!」


 昼間の活気に負けない、景気の良いメリーの声が反響する。いつも通り店の端っこを陣取ったバーンはその様子をぼんやり眺めながら、出された水を口に含んだ。

 テーブルに置かれたプレートから、熱い湯気が立ち上る。


「……」


 毎度、必要ない、と根気強く言い続けているブロッコリーは、今日もきちんと所定の位置に居座っていた。


「あの、これ――」

「すみませーん! 注文お願いしまーす!」

「はーい、ただいま~!」


 バーンの声は、声の大きな別の客にあっさり掻き消され、気づかれることなく喧騒に溶けてしまった。パタパタと走り去るメリーの背を、虚しい気持ちで眺める。溜め息は自然と深くなった。


 ブロッコリー。バーンにとってそれは、凝縮された森であり、つまりは食べ物ではない。青臭いし、もさもさするし、良いところなんてないだろう。鮮やかな緑は目に痛い。

 フォークを手に取り、そっとプレートの端に追いやる。

 紅孔雀の香草パン粉焼きは、元気を持て余したゲンキに押し切られて以来ずっと注文しているが、ブロッコリーはいつまでも拒絶している。今後も絶対に、口に入れるつもりはない。注文の際に再三に渡って断っているのだが、メリーもゲンキも頷くばかりで必ずプレートに詰め込んでくるのだ。

 痛々しい緑を視界の端に捉えながら、甘くて美味しい人参と揚げた芋をペロッと平らげる。これでメインの肉と凝縮された森の間に隙間ができた。体の向きを少しだけずらし、限界まで緑を視界から追い出そうと奮闘する。



「よお、毎度どーも」



 すぐ後ろで聞こえた声にぎょっとする。弾かれたように振り返って、立っているのがゲンキだと気づいて、頭は途端にパンクした。

 ブロッコリーに気を取られていたとはいえ、その程度で人の気配に気づけなくなるほど腑抜けてはいない、という自負があった。しかも相手は食堂の店員をやっている、ただのおっさんだ。背後を取られるなんて、ありえない。

 バーンの驚愕を知ってか知らずか、ゲンキは普段と変わらぬ飄々とした態度で言葉を続ける。


「あんた、本当にブロッコリー食わねぇな。うめえんだぞ、それ。茹で加減かんっぺき」

「……ぎ、凝縮された森だろこんなもん」


 拭えない警戒心に阻害されつつも、なんとか言葉を絞り出す。ぎこちなくなったが、構っている余裕はない。


「ブロッコリー嫌いな奴はね、みんなそう言うの。違うから、それ野菜だから」


 やれやれ、と言わんばかりの溜め息は重い。


「あんた例の鳥を討伐するんだろ? だったらブロッコリーは欠かせねえぞ」

「っ、……」


 奥歯をきつく噛みしめる。

 バーンの狙いは、町からそう遠くない東の洞窟に住みついた怪鳥の討伐である。とにもかくにも強力な毒が厄介で、口からも尾からも際限なくまき散らす。毒対策に対策を重ね、さらに対策してなお足りない。今回の標的はまだ幼く、毒も成鳥ほどではないということでソロでも討伐可能とギルドから許可が出たものの、これがなかなかに手強く一進一退の攻防を繰り広げている。

 

「この森が何だってんだよ……」


 知らず拗ねたような声が出た。

 ゲンキの言う験担ぎの効果を、バーンは身をもって経験している。彼の言葉通り、押しつけられたメニューには、説明通りの効果があるのだ。好き嫌いで無視するには、惜しいだけの効果が。だからこそ、不満を顔に彩りながらも、同じ注文を続けている。

 それでも、嫌いなものは嫌いなのである。


「最初に説明したろ。紅孔雀はあんたが得意としてる雷属性魔法を強化する効果がある。香草には申し訳程度の毒耐性。付け合わせの夜泣人参には暗視の効果があるから、洞窟での行動が少しは楽になるだろ。そんで本番、あんたが毛嫌いしてる大森ブロッコリーには、強力な毒耐性がある。小鳥ちゃんの毒なら、これだけでほぼ完全に遮断できる」


 まるで用意してきたようなセリフ、……実際、用意していたのだろう。バーンが同じメニューを注文するのはこれで四回目だ。じわじわとダメージを蓄積させてはいるものの、決定打を打ち込む前に毒が許容量を超え撤退している。

 あと一押し、あと一押しなのだ。


「食って行けよ。芋の追加を持ってきたから、一緒に、パクっと」


 ゲンキは言うなり、本当にプレートの隙間に揚げた芋を押し込んできた。


「……増量サービスは初回限定じゃなかったのか」

「メリーちゃんには内緒だぞ。怒らせると怖いんだ、うちの亭主は」


 身震いする様子は冗談ではなさそうで、バーンは思わず、遠くで笑顔を振りまいているメリーに視線を向けてしまう。……猫人族の爪は鋭利で、その気になれば人肉も容易く裂いてしまうと聞く。


「小鳥ちゃんさえ討伐しちまえば、好きな物が食えるだろ。ほんのちょっとの我慢だよ」

「ガキ扱いしてんのか?」

「俺の人生の半分しか生きてねぇだろ。それにね、好き嫌いしてるような奴が一人前の扱いをしてもらおうなんて十年早いから」


 文句は何でもモリモリ食えるようになってから言え。

 我儘な子どもを諭す父親のような口調にムッとする。しかしここで反抗心を抱くのは、彼の言葉が真実だと認めてしまうようで。顔に出ないよう腹の底に押し込める。

 バーンの沈黙をどう受け取ったのか、ゲンキはニッと笑い立ち去った。


 いつの間にかバクバクと跳ね回っていた心臓を落ち着けるべく、水を飲む。

 凝縮された森……大森ブロッコリーへ視線を向ける。同時に視界に入ってくる揚げた芋は、見た目にも揚げたてだとわかる。


「……~~~~っっっっ!!」


 フォークを手に、プレートの上にあるブロッコリーをまとめて突き刺す。息を止め、大きく開いた口にぶち込んだ。咀嚼中も呼吸はしない。もさもさとした食感に肌が粟立つのを感じつつ、揚げた芋を続けざまにホクホクと口に押し込んでいく。パリッとした芋の皮が弾けるとともに口の中が大火事に見舞われたが構うものか。

 揚げたての芋はうめえなあ!

 頭の中をそれだけでいっぱいし、コップに残っていた水で口の中を一掃する。すぐさま水差しから新しい水を注ぎ、口の中に残っている気がするブロッコリーを洗い流すつもりでコップを呷った。


「……」


 辛く厳しく激しい戦いだった。火傷した口の中は大惨事だが、凝縮された森を完食したという達成感は、心地よくバーンの胸を満たしている。

 丸々残っていた紅孔雀の香草パン粉焼きは、パリッとした皮や細かいパン粉が満身創痍となっている口の中にじくじくと追加攻撃を加えてきたが目を瞑った。


 さっきまでむくれていたのが嘘のように、気分良く会計へ向かう。……待ち構えていたのはゲンキだった。途端に膨らんでいた気分が萎む。


「……会計を」


 あからさまに沈んだ声を出すバーンに、しかしゲンキは微苦笑しただけだった。


「お粗末さん。いいか、食事の効果は明日のこの時間まで。それまでに依頼を終わらせて帰ってこいよ」

「わかってるよ。何度も聞いた」

「それでも、言うのが決まりなんだから黙って聞いとけ」


 こっちも仕事なんだ、と肩を竦められ、先ほど取り繕った子どもっぽさが露呈したようで気まずい。せっかく、と拗ねた気持ちが浮かんで、ますます気まずさが増した気がする。バーンはいそいそと会計を済ませ、逃げるように食堂を出た。

 またどうぞ、と外まで追いかけてきた元気な声が背に痛い。いつものように見送ってくれただろうメリーの姿をほとんど見られなかったと、少しだけ後ろ髪を引かれたが振り返る気にはならなかった。



 東の洞窟は、まだ日の高い時間であるにもかかわらず、そこだけ先に夜が来たように真っ暗である。しかしバーンの双眸は問題なく、その岩肌まではっきりと認識できている。

 ゲンキの言を信じるならば、夜泣人参がもたらす暗視が効果を発揮しているということなのだろう。


「験担ぎ、ねえ……」


 思わず独り言ちる。

 験担ぎで暗闇の中を昼間と同じように歩けるなど有り得ない。ゲンキの言う験担ぎは、額縁通りに受け取ってはいけない何かである。


 毒消し草を染み込ませた布で口元から鼻まで覆い、慎重に歩を進める。普段であれば奥に向かう程、肌がひりつくような感覚がするのだが、今日は何ともない。まさかな、と鼻から息が漏れた。

 目的の怪鳥は洞窟の最奥、小さく体を丸めて眠っていた。前回、撤退の寸前に切り落とした尾は血こそ止まっているものの、傷口はまだ痛々しい。背筋を通る毒腺は二回前に雷属性魔法で焼き切った。これまでの戦いで翼はぼろぼろ。あとは胸元の毒袋さえ潰すことができれば、警戒すべきは足の爪だけとなる。


 周囲に視線を走らせる。前回、先手を打つつもりで設置したは良いものの活用できなかった罠が、まだ破壊されずに残っていた。運よくすぐそばで眠っている。うまく機能してくれれば、毒袋と足と、同時に潰せるかもしれない。そうなればあとは、喉を掻き切れば……。


 ――勝てるかもしれない。


 これまでにない、依頼を受けた瞬間に感じたよりもずっと強い、確信に近い感覚だった。

 足音を忍ばせ、魔力を練る。気取られないようにそっと、慎重に。

 罠の仕掛けは単純である。導火線に雷属性魔法を走らせれば、着火して、爆発する。下から上へ、対象の体を貫く指向性の魔法爆発で、用いるのは痺れ火薬というおまけつきだ。

 着火のために雷属性魔法を使えば、音と光で間違いなく起こしてしまうが、魔法でなければ罠は作用しない。……火属性魔法は使えない。

 速攻で片をつけなければ。


 バチィ、と。


 小さな音だったのに、ひどく大きく聞こえた。怪鳥が目を開ける。

 咆哮。蓄積したダメージを逃がし切れていないのだろう。わずかにふらついている。

 雷がジグザグに導火線を辿り駆け抜け、火花が散る。強く地面を蹴った。


「……っ、」


 火柱が立った。地面が弾け、怪鳥の毒袋を焼き貫く……はずだったのに。怪鳥のほうが一足早かった。焼けたのは足のほう、最後に警戒する予定だった爪を潰した。毒袋は無事である。

 痛みで鳴いた怪鳥の極彩色の頭が赤一色に変化した。咆哮が空気を震わせる。


 ちくしょう、と胸中で己をなじる。何が勝てるかもしれない、だ。そんな風だからあと一押しを押せないんだ。

 とどめを刺すつもりで駆け出したバーンの体は怪鳥の正面、毒の軌道上にいる。怪鳥の胸元、毒袋が膨張した。方向転換――は、間に合わない。吐き出された毒をまともに浴びた。


「お、あ……え?」


 ……え?

 衝撃に備えて硬直した体が、別の衝撃でもってますます硬直する。まともに毒を浴びたはずの体に異常はなく、激痛で震わせる予定だった喉から漏れたのは、なんとも間の抜けた声だった。

 痛くない。肌が爛れることもなく、溶けることもなく。顔だけでもと庇った腕、その袖が少しばかり溶けたが、それだけだった。浴びせた張本人である怪鳥も、これまでになく無傷なバーンに怒りも忘れて首を傾げている。


『小鳥ちゃんの毒なら、これだけでほぼ完全に遮断できる』


 脳裏でゲンキの声が反響する。


「ちくしょう……!」


 思わず毒づいた。

 ゲンキの言う験担ぎの効果を、バーンは身をもって経験している。彼の言葉通り、押しつけられたメニューには、説明通りの効果があるのだ。好き嫌いで無視するには、惜しいだけの効果が。だからこそ、不満を顔に彩りながらも、同じ注文を続けてきた。


「俺はあのおっさんに用があるわけじゃなくて、メリーちゃんに会いたいから通ってんだ、って言い訳が、使いにくくなったじゃねえか!」


 魔力を練る。

 一日だ。食事をしてから一日。たったそれだけの時間だけ、己の限界を超え、己の範囲外の力を得られる。この怪鳥の毒を浴びて、それでも平気な顔をしていられるだけの力を。こんなの、常連にならずにいられるものか。

 最初からその噂に頼って訪れた。決して強くない自分が、幼鳥相手にこれだけ手こずるような自分が、それでも夢見た冒険者を続けてもいいのだと、そう思いたくて。自分を納得させられるだけの結果を焦って。無謀な賭けで挑んだ単騎での討伐だ。でもやっぱり勝ち目は薄くて。一度目の敗北のあと、ギルドの受付嬢に紹介された店だった。

 効果なら、一度目で嫌というほど理解した。認めたくない、子どもっぽい意地で言い訳ばかり分厚く張っている。


『あんまり期待し過ぎんなよ。験担ぎくらいの気持ちで食っていけ』


 三度通って、三度同じ注文をした際にゲンキから言われた言葉を思い出す。


『癖になってもいいことねえから』


 珍しく静かな声だったから、耳にこびりついて離れない。


「俺だって、」


 幼鳥とはいえ猛毒を吐く怪鳥を相手に、一切の影響を受けない理由が食事のおかげだなどと、恥ずかしくて胸を張れない。四度も挑んで、ようやくもぎ取った勝利が口うるさいおっさんのおかげだなんて、歯ぎしりするほど悔しいに決まっている。弱っちい若輩者の冒険者だって、覚悟を持って挑んだ夢なのだから、己の実力でのし上がっていきたいに決まっている。


 バチバチと音を立てる電撃が膨張する様を見て、怪鳥が鳴く。首が反れ、胸元の毒袋が大きく波打った。毒が吐き出されるより先に駆け出す。

 濃い緑の液体が口から吐き出され、反射で怯みそうになった足を叱りつけ距離を詰める。視界が毒に染まるのも無視して、喉元に渾身の魔法を叩き込んだ。

 バリバリと鼓膜を殴る轟音、ほとばしる閃光に体が混じり合ってしまったような錯覚を起こす。


 ……紅孔雀の肉には確か、雷属性魔法の威力を増幅させる効果があったな。自分で思い出しておいて、とんでもなく腹が立って正気に戻った。


 怪鳥はこんがりと焼けていた。羽毛が焼け落ち、むき出しになった鳥皮は黒々と焦げひどいにおいがする。この分では肉は火が通り過ぎてパサパサだな、と余計な思考が浮かんだ。焼き切れ抉れた首をつかんで胴から引き千切る。


「……帰ろう」


 べたつく顔を焦げた袖で雑に拭う。汗だと思ったそれは怪鳥の毒だか体液だか、とにかくひどい悪臭がした。よく嗅いでみれば自身の全身も焦げくさい。どうやら増幅された魔法はバーン自身も程よく炙ったらしい。


「……」


 持ってきていた解毒薬の瓶を数本まとめて開栓し、頭から被る。沁みる。残りも開栓し、こちらは飲む。苦い。口端から垂れたしずくを拭って、返す手で頬も目元もついでに拭う。


「、……」


 勝った。生き残った。

 ……そんな喜びはこれからいくらだって経験する。今度はきっと、もっとずっと強烈な感覚で味わえる。そうでなければいけないのだ。


 何度も何度も滴るしずくを拭いながら、バーンは討伐完了の報告をするためギルドへ向かった。怪鳥の頭は重かった。



 月明りが照らす店内は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。開店と同時にフルスロットルで元気を振りまく名物店員も、閉店してしまえば静かなものだ。

 ゲンキは本来、口数の少ない男である。他者との円滑なコミュニケーションのため無理して空元気を吐き出していたら、いつしか癖になったという口だ。笑顔は疲れるし、おしゃべりは億劫である。必要に迫られない限り、極力、口は開きたくない。


「お疲れ様です、ゲンキさん」


 とはいえ、可愛い乙女との会話はやぶさかではない。おっさんとはそんなもんである。


「お疲れさん、メリーちゃん」


 掃除の済んだフロアを見渡して小さく頷いたメリーに促され、カウンター席に腰を落ち着ける。


「例の新人さんたち、すっかり常連さんですね」


 ゲンキの言う験担ぎを実体験して、次に来店した時には率先して依頼の内容を知らせてきた。ついでに、担ぎたい験まで添える図々しさには思わず頬が緩んだ。図太く生きろ若人、と張り切ったものだ。


「メリーちゃんが過剰に褒め倒して、愛嬌を振りまいたおかげだな」

「嫌だなあ~。私は彼らが依頼を終えて帰ってきた日にたまたま、偶然、ふと立ち寄ったギルドで、思いがけず、ばったり、遭遇しただけですよ~」

「ワー、スゴイグウゼンダネェー」


 ギルドで受付嬢をやっている妹から彼らの帰還を知らされ、大急ぎで店を飛び出して行ったくせに。口に出す度胸はないので胸に秘める。引き攣りそうになった口端に喝を入れ、生温かい笑顔を貼り付けた。

 隙なくやり遂げた、という確信があった。作り笑いなどお手の物である。しかしそうは問屋が卸さないようで、メリーの大きな猫目が鋭く光った。

 そういえば、といっそわざとらしい程の猫撫で声が名を呼ぶ。


「例の怪鳥を討伐したお客さんに、増量サービスしてましたね?」


 落ち着けたばかりの腰を持ち上げ、磨き上げたばかりの床に土下座する。

 気をつけてやってほしいと言われた。実力不足を自覚して歯ぎしりしている、焦燥感で結果を急く若者。メリーの妹は時折そういった輩をゲンキに頼むことがあった。面倒だと言いつつ、つい気にかけて、ついつい大きなお世話をせっせと焼いてしまう彼の習性を良く理解している。

 怪鳥の雛にいつまでも手こずる頑固者に、何だかんだ肩入れしたくなるおっさん心であったのだが、亭主にはバレていたらしい。


「め、めめめメリーちゃん、これには訳が……深い訳があってですね、」

「ゲンキさん」

「はい、すいませんでしたっ!」


 さようなら俺の給料。ゲンキは普段の愛らしさに反して怒るとそれはもう恐ろしい雇い主から下されるだろう罰に、内心でしとどに泣いた。

 幸いなことにこちらでも、もやしは貧困の救世主である。次の給料日まで食うに困ることはないだろう。いざとなったら貯金を崩そう。

 脳裏をとんでもない速度で言葉が巡る。


「まあ、今回は討伐完了のお祝いということで、たくさんお金を落としてもらいましたし、許してあげます」


 しかい意外にも、今日のメリーは優しかった。


「ゆ、許してくれるの……?」

「はい、許してあげちゃいます」


 ありがたや、とメリーを拝む。


 四度目の正直で見事に怪鳥を討伐したバーンが、ところどころ焦げた姿で食事にきた夜を思い出す。無茶を貫き通した達成感でご機嫌だろうと思われたが、そんなことはなかった。ぶすっとした顔で揚げた芋を大量に注文し、続けてやはりぶすっとした顔で酒を注文した。芋を食べている間は表情がゆるむたびに引き締めていた様子だったが、ゲンキが寄っていくとそれはもう不機嫌に顔をしわくちゃにしていた。

 そうして散々に酒をおかわりしてこれでもかと酔っ払い、


『今に見てろよ。俺はいつかドラゴンを討伐する男になるんだからな!』


 と、ゲンキの胸ぐらを掴み損ねてシャツのボタンを引き千切ったのだった。

 討伐したら肉はうちに卸してくれ、と言ったのはゲンキなりの激励のつもりだったが、般若のような顔になったのでかける言葉を間違えたのだろう。若者の心は難しい。


 最近は焦って無茶することもなく地道に力をつけていると聞くし、頼りになる仲間も得たというので、ゲンキのお節介は出番がなくて大人しくしている。


「でもゲンキさん、次は許してあげませんからね」

「はい、肝に銘じます」


 あえて凛々しい顔をして返事をすると、メリーは頬を林檎色に染めて笑った。耳がわずかに外を向く。


「今日のところは、おにぎりを握ってくれるだけでいいですよ」


 ゴロゴロとご機嫌に喉を鳴らすメリーが、わざとではない猫撫で声で鼓膜をくすぐる。彼女は時折こうして、不意に仕掛けてくることがあった。


「メリーちゃんだけだぜ、俺の握った飯を喜んで食べてくれるのは」

「ふふ、みんな見る目がないんですよ」

「……、あっはっはっは! さすがメリーちゃん、お目が高い」


 どっこいしょ、と立ち上がり、どっこいどっこい手を洗う。わざとらしい、俺も年を取りました、というアピールに、メリーは幼子のようにきゃっきゃと声をあげて笑った。


「具は何にする?」

「お塩」


 シンプルイズベスト。


「欲がないねぇ」

「思い出補正でいつだって世界一美味しいおにぎりになるからいいんです」

「そこは、ゲンキさんが握ってくれたら、って言ってよメリーちゃん……」


 思い出補正で。自虐でなく、さらりと言えるようになったことは素直に喜ばしい。ちょっとした疲労回復の効果しかないおにぎりは、おっさんが握った、という点でたいていの場合はただのおにぎりよりマイナスイメージだ。


 ちゃっちゃと握ったおにぎりを皿にのせ差し出す。メリーはプレゼントでももらったように双眸を輝かせ、いただきますと頬張った。


「ふふ、いつもと同じ」

「そりゃそうよ。ゲンキ印のおにぎりは、安定の美味しさが売りなんだ」


 自分用にも一つにぎり頬張る。


『ゲンキ印のおにぎりだ。元気になるよ』


 ちょっとでも笑ってくれたらいいな、と思ってかけた言葉であったのに、メリーはすっかり気に入ってしまったようで。あれからどんなに年月を重ねようと、いつまでも喜んで笑ってくれる。


「ごちそうさまでした。さあ、元気になったことだし、明日も元気に働きましょうね!」

「その前にしっかり寝て休もうぜ。おじさんはね、休息がないと動けない生き物なんだよ」

「またまたそんなこと言って、ゲンキさん! 名前が泣いちゃいますよ!」

「泣かせといていいから。おやすみ、メリーちゃん」


 早く寝なさい、と年長者ぶって声をかけると、はぁい、と拗ねた子どものような声を出しながらもメリーは笑って二階へ上がっていった。

 手早く皿を洗って明かりを消す。戸締りを確認して、階段下の寝床へ向かう。


「今日も一日よく働いた。また明日」


 おやすみさん、と。誰にともなく呟いて扉を閉める。

 ギイィィィ……パタン、と鼓膜を引っ掻くような音がした。

 

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