92.補佐の憂鬱(薬師ギルトの事情)
ロバート達がギルドを訪れる少し前、港町の冒険者ギルド事務所奥の応接室では、ギルマスとその横に男が座り、対面のソファーに、ダン、ローディ、エルが座っていた。
このギルマスは、ベリンダといい、元ランクAの冒険者だったのだが、護衛任務中、膝に矢を受けてしまった怪我が原因で、依頼をこなすことが難しくなり、引退を考えていたところ、ギルマス就任の話があり、この港町のギルドに着任した。やや冷たく見えるが、中々の美人である。
彼女は、元々貴族の護衛や、ギルド本部幹部斡旋の指名依頼を多く受けることで昇格してきており、ギルド本部と“良好な”関係を築いていたことから、若くしてギルマスに抜擢されたという経緯がある。
以前、ロバートに無理やり依頼を受けさせた件で、再教育名目で罷免された前ギルマスを先輩と慕っていたことから、その原因であるロバートを逆恨みしている。
そして、ギルマスの横に座る男は、モーリスといい、王都の薬師ギルドのギルマス補佐をしている男であり、今回の話をギルドに持ち込んだ張本人であった。本人としては、全く気乗りしない任務ではあったが、ギルマス直々に命じられ、ギルドの後見でもあるランパード侯爵の意向を受けたものであれば、断るという選択肢はなかった。モーリスは、心の中で盛大な溜息をつきながら、これまでの経緯を頭の中で整理していた。
きっかけは、貴族の中でも最高位にあるプラチナ公爵家の幼い令嬢が、原因不明の病にかかったことだった。薬師ギルドにも当然公爵家から依頼があり、在庫の少ない上級を含む各種ポーションを提供し治療にあたったが、残念ながら癒すことはできなかった。魔術師ギルドも人を派遣し、治療魔法を使ったが、若干の症状改善があったものの完治には至らず、時間が経てば再び悪化する状態であった。
打つ手が無くなったと諦めの空気が漂う中、話を聞きつけた商人が、エリクサーを献上したいと名乗り出た。その商人は、オークションで競り落としたと言うエリクサーを無償で献上し、見返りも要求しなかった。結局、エリクサーのおかげで、令嬢は完治し、公爵家は恩に報いる為に、念の為詳細な身辺調査を行った後、エリクサーを献上した商人を、筆頭の御用商人とした。
公爵家と商人にとっては、めでたしめでたしで終わる話なのだが、薬師ギルドにとってはそうではなかった。まず、薬師ギルドの与り知らぬところで、出元の分からないエリクサーが取引されたことで面目を潰された。それに加え、ギルド提供の上級ポーションが効かなかったにもかかわらず、ギルドを経由しないルートで公爵家が入手した上級ポーションを使ったところ、明確に症状を緩和する効果(完治ではなくあくまでも緩和だが)がみられたことも、ギルドの権威の失墜をもたらした。声には出さないものの、公爵家の関係者の目が語っていた、何のための薬師ギルトかと。
現在の薬師ギルド体制は、元手が安く利ザヤが大きく、且つ大量生産できる下級ポーションを作って大量にさばくことに注力しており、効果上昇の為の改良研究や、上級ポーションを作れる人を増やす教育などは放置されている。薬師を強制的にギルドに加入させ(強制力はないが、加入しないと販売ルート等妨害が入る)、独占的に需要の大きいポーションの販売を行っていることから、収支は安定していた。
しかしながら、今回の失態で、薬師ギルドに対し、上位貴族が主に価格面で干渉する動きを見せ始めている。今までは、ランパード侯爵が撥ねつけていたのだが、侯爵子息が犯罪奴隷落ちした事件(辺境伯子息襲撃事件)以降、貴族社会での侯爵家の発言力低下は著しい。ギルド員に対する締め付けも効かなくなり、優秀な薬師が脱退し、王都を避け地方へ移り始めている。
今回の任務は、そうした背景の元、公爵家が独自入手した上級ポーションの出処調査、及びその作成者の勧誘(という名の強制加入)が1つ。もう1つは、エリクサーの原料調達であった。エリクサーの製法については、実は薬師ギルドに秘蔵されている。ただ、製作の成功確率が低いことと、原料の入手が極めて困難である為、半ばその存在が忘れ去られていた。しかし、オークションに出品されたというエリクサーの存在が明らかになったことで、薬師ギルドの名誉を回復する為と、ランパード侯爵家の影響力を取り戻す為にはエリクサーを作り出すしかないという考え方に取りつかれてしまったのだ(主にギルマスとランパード侯爵が)。
厄介な任務を押し付けられたモーリスは、何で自分がと、自身の不遇を嘆いた。他人から見れば、若くしてギルマス補佐の地位にいるくせに贅沢だと思われるだろうが、本人は一研究員で良かったのだ。研究が楽しく、実際に効果の改善でも実績を上げていた。しかし、今の立場になった途端、やり甲斐の無い事務処理等に忙殺され、都合のいい雑用係となっていた。しかし、今回の話は、達成困難ではあるがエリクサーの秘密の一端に触れられる、事務処理をしているよりは遥かにマシではないか、と考えて気を取り直した。
当初、全くの手探り状態ではあったが、幸いにも調査費はギルドがそれなりに出してくれたので、なんとか上級ポーションの出処がエドワーズ辺境伯領の領都冒険者ギルドであること、エリクサーが出品されたオークションが同じく辺境伯領の港町フォードで開催されたということまでは調べ上げた。
まだまだ調査は始まったばかりだが、手掛かりを得たことで、モーリスは辺境伯領へ旅立つこととなった。
長旅をする為、冒険者ギルドで護衛依頼を出して、依頼を受ける冒険者が決まって、さあ出発という段階で、ギルマスに呼び止められ、
「エクムント卿も連れて行ってくれたまえ。」
「はっ?」
思いもかけないことを言われ、モーリスは、つい表情に出してしまった。
「まあ、そう嫌な顔をするな。侯爵様にも頼まれてしまったんだ。何かしら功績を積ませろと。それに、何かあれば彼の家名を出してもいい。」
エクムントは、キャンベル子爵家の四男で、家を継ぐ可能性がなく、ランパード侯爵家の遠縁にあたるということだけで薬師ギルドの幹部の椅子に座っている男だ。
モーリスの方がギルド内での立場は上だが、準男爵家という全く利用する力のない家出身で、実力で薬師となったモーリスからすれば、ことあるごとに実家を引き合いに出してくるエクムントは好ましい人物ではない。
また、あの辺境伯領で、子爵家出身ということがどれだけ効果があるか疑問である。
しかし、結局、侯爵の意向であれば、抵抗しても無駄であると考え、諦めて受け入れて出発し、辺境伯領までたどり着いたのだった。




