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大丈夫なのかしら…
心配だわ…
宿屋の一室。比較的豪華に飾られた部屋は、見上げるだけで高級感を感じられるようなつくりになっていて、わずかに入り込む光でも多くの装飾具が反射してキラリと輝いた。
そんな広い部屋の隅にうずくまり、リサリー・アディンスは小さなため息を繰り返していた。
私は、このままここに居ていいの…?
ダメダメ!そんなこと考えたら。
お母さんには、散々危ないことはダメって言われて、、だから、お母さんとお父さんを助ける為にあの人たちを頼ったんじゃない!
でももしもあの人たちが危ない目に遭ったとしたら…私のせい、よね。
「あーー!もう!うだうだ考えてたってしょうがないじゃない。私だってもう何もできないお子様じゃないのよ!」
リサリーは覚悟を決めたように立ち上がると、密かに用意していた荷物を手に取って宿屋を後にした。
何をしようと耳に入ってくる呑気な雨音。
いい加減耳障りになって来たその音に、カミルが痺れを切らして立ち上がった。
「おい…この中に雨女でも居るんじゃねぇか。」
「「「……。」」」
暗闇に包まれた海の上で、サージ島へと漕ぎ出した4人を待っていたのは、荒れた波とこの悪天候だった。
初めは風が強く、なかなか船が安定しなかったのだが、風がおさまってからというもの、この五月蝿い雨音が絶えない。
「…そうね。」
そっと呟いたティーフィーの声が次に来る雨音にかき消されていく。そんな中、ステアは、これでもかというほどカミルのことを見つめていた。
「おいステア。…いい加減じろじろ見んのやめろって。」
「え。」
カミルは若干照れたように俯いて、ステアに声を投げかける。ステアは、気づかれてはいないと思っていたのだろう、きょとんとした表情で間の抜けた声を発した。
この船がなんとか目的地、サージ島に向かって進んでいることを確認したカミルは、もう一度船室に入ってどさっと腰を下ろした。
静まり返った室内は、こもった雨音だけが聞こえていた。
………
「どこよ!サージ島って!遠いのかしら…。いや、もう良いのよ!とにかく行くの〜!!」
小さな漁船を無理やり借りて、リサリーは、激しく打ち付ける雨粒に向かって叫んでいた。
無論、自分でも承知の上だが、リサリーには船を操縦することはできない。習ったこともなければ、誰かに話を聞いたことさえないのだ。できなくて当然だろう。
ただ、この時だけはそれを恨まずにどうしろというんだろう。
リサリーは慣れないオールを力任せに振り下ろした。
さて。サージ島は遠い。以前にも説明した通りだが、とても小さな船で旅の支度もせずに行ける距離ではない。それをリサリーは甘く見ていたのだ。そんな健気な少女に天が味方してくれるかと言えば、否。それは無謀な賭け同然だ。
目を覚ますと、見慣れない青空が目の前に広がっていた。目覚めて1番に見上げた空は、それだけでその日の気分を盛り上げてくれるくらい心地が良い。
ただ、リサリーの場合、その良い気分は状況を理解した途端に全て崩れ去った。
「…なに、ここ?」
すぐさま起き上がって辺りを見回す。
知らない町、人気のない十字路。リサリーが倒れていた場所は、燻んだ色の石畳が敷き詰められた、海岸沿いの遊歩道だった。
見慣れない景色が広がっていると、ここがどこだか解っていても不思議と不安になるものだ。ましてやそれがいつの間にか流れ着いた知らない場所で、知っている人どころか人一人さえ見当たらなかったら、幼い少女でなくても不安になるだろう。
…つまりは、リサリーは、今そんな状況なのだ。
……
すっかり静まり返った夜のこと。ムライソンから漕ぎ出した小さな船がようやく穏やかになった波の上をゆっくり漂っていた。
暗い船内で伸びをする様に体を起こす影。
「…どれくらい経ちました?」
「……さあな」
カミルは眠たげな声でそれに応え、眩しそうに窓の外の空を仰いだ。
ステアはそっとカミルに近づき、その袖をちょいと引く。
「なんだよ」
「しーっ…来てください。」
ステアに手を引かれて、他の二人が起きないように気をつけながら船室を後にする。
先ほどまで雨に打たれていた船は、湿り気が心地いいくらいのひんやりとした風に揺れていた。
「ちょっと、寒いですか?」
「…いや、別に。お前は」
「大丈夫ですよー」
カミルは、月明かりでようやく見えたステアの姿に、ふと目を見開いた。
「髪、結ってないんだな。」
「そりゃあ、寝てましたから。」
「「……」」
暫く黙って船の甲板に身を寄せていた。
「なんで出て来たんだ?」
ステアは、カミルの言葉に少し困ったような笑みを浮かべると、何かを決意したようにじっとカミルを見据えた。
「…っ、なんだよ」
「カミルさんに、大事な話があります。」
「話?」
「あの……いえ。それでは、単刀直入に伺います。カミル様、貴方は、ムライソン帝国の第一王子、カミル・ムランス様で間違い無いですか」
「!お前、」
「間違いないですか?」
「……んなわけないだろ」
ステアの視線に耐えられないとでも言うように、カミルは目を逸らし、吐き捨てるように言った。
ステアは、再び笑みを浮かべて、悲しげに呟いた。
「そうですよね、すみません。」
「…」
船上に、緩やかな風が流れている。
「お兄様が、言っていたんです。」
「?」
「一度相手をしただけでも、乱暴過ぎてお手上げだったとか。“かじる様”は、なんでもかんでも齧ってお兄様も服を何着かダメにしたとか。」
「…なんだそれ」
ステアは物凄く可笑しいとでも言うように笑ってから、言葉を続けた。
「それで、こうも言っていました。『そいつが立派な皇子様になっている様子が想像できなくてもいい。』『あいつは大物になるって感じがしたから、想像を絶する凄い人になって、驚かせてくれる。』と。」
「…何を」
「お兄様には、皇帝陛下にはとてもお世話になったから、会えたらよろしく言っておいてくれと言われました。私も、兄の恩人ならば会ってお礼がしたいと思っていました。その時ばかりは、素性を明かしても良いかなとも、思っていました。」
「どういうことだ?」
「カミルさんは、気づいてないんですね。」
「ステア、」
カミルがステアの肩に手を伸ばすと同時に、場違いなティーフィーの叫び声が響く。
「ステアーーーー!!!!!」
「姉様っ」
ステアはすぐさま振り向くと、船室から顔を出したティーフィーに駆け寄る。
「すみませんカミルさん、後で聞かせてください」
「!ああ」
「どうしたんですか姉様」
「見えてきたわよ。…あれで良いのかしら、サージ島っていうのは」
ティーフィーが、指した小さな孤島はしかし、暗い色に覆われた、島というより…
「軍艦。」
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