夜会当日
ロスロイにある商人たちが住まう地区。ロスロイ庁を中心に東に位置して、西側にある貴族などの富裕層が住む地区と住みわけができている。
そこでひときわ大きな屋敷を構えるのが今日の夜会の主催者だ。
馬車を降りて、ロカはアルメとともに、後に続くブルーとクロエを守るように囲む。黒のテールコートに光沢のある白銀色のタイをしたブルーが、ミストグリーン色のドレスを着た妻であるクロエをエスコートするように歩き出す。
大広間では女性がドレスの花を咲かせていた。シンプルな装いである男性とは対照的だ。
ロカとアルメは今日のためにとブルーから支給された礼服を身に着けている。意匠は剣があっても大丈夫なものであったが、もちろん夜会で無粋な剣を携えていられるわけもなく、剣は馬車に置いて二人は丸腰だ。
アルメは髭を剃って髪も短くなっていた。それでも髪がもさもさなのは、梳かしていないのではなく縮毛であるらしい。
アルメとは今日が二度目の顔合わせであるが、ブルーに紹介されたとき目を見かわしただけで一言もなかった。不愛想が過ぎるうえこれではコミュニケーションも取れない。
そうロカは思っていたが。
「あれが助役のハーリヤだ」
大広間に入ってすぐ、ブルーに人が近づいてきたところで、これまで一度も口を開かなかったアルメが小さく告げてきた。
新参者となる自分をアルメは敬遠しているのかと勘違いしていた。ちゃんと仕事仲間として協力する気はあるようだ。こちらが何も知らないのを考慮して情報もくれる。
たぶんこの男との仕事はやりやすい。
直感的に感じたロカはアルメに視線で頷くと、ハーリヤを観察した。
(この男がハーリヤ……)
ブルーと同じ次のロスロイ長の候補者だという。
中年にありがちな腹回りの太さに、少々薄くなった頭髪。代わりに豊かな髭をたたえ、皴の刻まれた顔に胡散臭い笑顔を浮かべているも、少しも目が笑っていない。
50代後半に見えるが伴う妻はクロエほどかそれ以上に若く見えた。美しい妻がいるにもかかわらず、クロエを下卑た眼差しで見るあたりかなりの女好きだろう。
「今日は急な誘いにもかかわらずよく来てくださった。奥方も相変わらずお美しい」
ブルーと握手を交わしたハーリヤは、礼をわきまえているようにみえてどこか尊大だ。
「ハーリヤ殿のお誘いを断れるはずもないでしょう」
「護衛連れのようですがな」
「ただの従者です、といったところで信じていただけませんか。――無粋な真似をしているとは承知していますよ。ですが先日、我が家に賊が押し入りましてね。用心することにしたんですよ」
「なんとそれはお気の毒に。怪我などはなく?」
「ええ、運よく」
「それはよかった。ところで今日は紹介したい人物がいるのだがよいですかな?」
ブルーの話にハーリヤは案ずるような顔を作ったが、すぐに話を変えるあたり口先だけであるのがわかる。ブルーは気にする様子もなく会話を続けた。
「どなたでしょう?」
「紹介するまでのお楽しみということで」
「まだ秘密に?もういいでしょう」
「いや、ここまで来たら最後まで隠し通したくなりましてな」
表面上はブルーもハーリヤも笑顔だ。しかしロカには二人は一ミリも笑っているようには見えなかった。
その間も空々しい会話が続き、ハーリヤがこの夜会の主催者に会わせたいとブルーを促した。フロアではまだダンスは始まっておらず、人の集まり具合はそれなりといったところだ。
ブルーとハーリヤが妻を伴い歩くと、通り道にいる者たちが会話をやめる。ハーリヤは時折通り過ぎる人に挨拶を交わしていた。どうやらここにはハーリヤの知人が多くいるようだ。
そしておかしなことにブルーから隠れるように人に紛れ、彼が近くを通るとき顔を伏せる者たちがいる。
(なんだ?)
ロカはその妙な様子に眉を寄せた。アルメも気づいているのかロカと同じように、周りに視線を走らせているようだ。
今日、ここには貴族や金持ちではない、町の住人達も招待されていたはずだ。ニアンによれば夕刻から始まると言っていたが、どういうわけか姿がなかった。
まずは食事がふるまわれるということだったし、町人たちは別室に集められているのだろうか。
目的の人物は大広間の奥にいた。人が集まる中心で男たちと談笑しつつ、左右に侍らせた美女の腰を抱いている。
白髪に皺を刻むたるんだ肌を持つ姿は老爺といえるだろうに、肉欲は衰えていないようだ。大きな宝石をすべての指にはめた手は、ときおり女の尻を撫でている。
「おお、ハーリヤ様!」
ハーリヤが声をかけるより早くこちらに気づいた老人が手を挙げた。女たちを追い払ったことで談笑していた男たちも離れていき、ハーリヤが代わりに彼の前に立つ。
「お望みの人物を連れて来た」
「おお、まさにブルー・リッジ副ロスロイ長。お近づきになりたくともいつも逃げられましたからな」
「あなたと面識はないと思いますが」
老人の言葉にブルーが覚えがないというように眉を寄せる。
「面識はなくとも名前くらいは憶えていてくれませんか。あなたを兄と慕うダフニス様に、いつでも力になると伝言を頼んだのですが。それに彼伝えにこの夜会にもお誘いしましたが、そちらも断られてしまいましてな」
ブルーから笑みが消えた。クロエはダフニスの名を聞いて絶句しているようだ。
「ほう、そうですか。――で、あなたはどなたですか?」
「ああ、失礼。わたしはモヴェンタ・エレクという元商人ですよ。おや、ご様子からしてわたしの名は初耳ですか?しかし奥方はご存知のようですね。ねぇ?」
そう言って笑うモヴェンタの顔は、抜け目のない商人ならではのいやらしさを含んでいた。その視線を受けて、クロエは親しさのかけらもない笑顔を浮かべた。
「わたくしがあなたの名前を彼からお聞きしたのはつい先日です。素晴らしい方だとお伺いしておりますわ。なんでも一線を退いた今でも望めばどんな品でも揃えられるとか。商人時代に培った人脈は、貴族や有力者だけにとどまらず、騎士や警備人にまで及ぶと聞きましたわ。ですがまさかハーリヤ様ともご友人だとは思いませんでした。そんな方が夫にどんな興味をお持ちでしょう?」
「ははは、どうやら警戒させてしまったようですね。元商人の性でしょうか。次にロスロイを背負って立つ候補者のお二人とは懇意にしておきたいと思いましてね。引退したとはいえわたしが立ち上げた商会をもっと盛り立てていきたいと願っているもので」
モヴェンタがこう言うとブルーがすかさず口を開いた。
「わたしとハーリヤ殿がロスロイを背負って立つ候補者、ですか。――何を根拠にそんなことを思っておられるのか尋ねてもよろしいか?」
「いやなに、療養中のロスロイ長のお加減は良くなりませんし、来年には新しいロスロイ長がたつと……そういう噂を耳にしましてね。そしてそれはお二人のどちらかだろうと。片方に賭けてそれが外れたら目も当てられませんし、ならばどちらとも親しくさせていただくほうが良いではありませんか」
「それをわたしたちの前で言うのですか」
「面の皮が厚いのが商人というものですよ。お二人のうちどちらがロスロイの長になっても、どうぞわが商会を御贔屓に願いますよ」
と強欲な笑みを浮かべるモヴェンタだ。
返事をしないブルーに、ハーリヤが取りなすように言った。
「包み隠さない正直なところが彼のいいところであり悪いところでしてな。ブルー殿は不快に思われたかもしれませんが、ここはわたしの顔に免じてお許しいただきたい」
「いえ、不快になど――この夜会に参加されている面子を見ても、モヴェンタ殿の顔の広さには驚くばかりですよ」
「老いぼれの楽しみはこうして人と話をすることぐらいです。若いときは見聞を広めるつもりで、いろんな方とお付き合いさせていただきました。それがいまでは、わたしが顔繫ぎをつとめることもあります。ブルー様ももし誰か、お知り合いになりたい者がおりましたら、わたしが全力で力になりましょう。それとも新しい護衛が必要ですかな?」
「と言うと?」
「ダフニス様から奥方とお子様たちを守る者がいないと伺いました。あなたには彼らのような護衛がいるのにと」
言いながらモヴェンタの目がロカとアルメを指し、ブルーに戻った。