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Dog tag  作者: 七緒湖李
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キス魔の理由

「びっくりした。何事?」

「どうしたんですか?」

 しかしヘリングは黙ったままだ。

 弱気になっているというよりは、展開に頭がついていかず真っ白になっているように見える。

「同じ舞台に立つって言ったよな」

 ロカの言葉にヘリングが振り返った。

「言ったよな?」

 もう一度繰り返して言ってやると、ヘリングが顔つきを改めた。カーナに向き直る。

 後ろから見ているロカからもヘリングが大きく息を吸うのが分かった。

「カーナ」

「え?わたしに用なの?」

「今度の夜会はポロじゃなく、俺とパートナーになってくれないか」

 カーナが磨いていた燭台をテーブルに置いた。立ち上がるとヘリングの前に歩み寄る。

 彼女のまっすぐな眼差しにヘリングは動揺しつつも顔をそむけることはなかった。

「それは家族としての誘い?父さんと兄さんに頼まれたの?」

「いや、俺が個人的に誘っている。ポロじゃなく俺を選んでほしい」

「どうして?」

 カーナの質問にヘリングが黙る。

「言ってくれなきゃわからないわ。ちゃんと言葉にして。それともわたしの勘違い?妹みたいなわたしが心配だから誘ってるだけ?」

 動く腕がカーナの肩を引き寄せた。

「カーナが好きだからだ。他の男に渡したくない」

 カーナを抱きしめるヘリングの背中に彼女の腕が回された。

「やっぱり家族だって、妹だったって言ってももう駄目なんだから。兄になんて戻してあげない」 

 ロカはこの台詞で初めてカーナの気持ちを知った。

 いつからカーナがヘリングのことを好きだったのかはわからないが、おそらくヘリングの言っていた自惚れは、きっと自惚れではなかったのだろう。

 カタ、と小さく音がした。見ればニアンがそっと椅子を引いて立ち上がり、そのままそろりそろりとこちらに近づいてくる。そしてロカは腕を引っ張られ、ニアンに居間から連れ出された。

 廊下を歩いてちょうど居間と洗濯室の間あたりで立ち止まる。薄暗いが、掃除をしてきれいになった窓からの月明かりでぼんやりと照らされている。

 目が慣れればニアンの顔は見えた。

「やっぱりヘリングさんはカーナのことが好きだったんですね。二人がうまくいってよかったです。ロカがヘリングさんの背中を押したおかげです」

「俺は尻を蹴飛ばしただけだ。ポロの邪魔をするくせにうだうだと煮え切らないから苛ついた」

「もう、またそうやって誤魔化すんですから――ロカは認めたがらなくても優しいのはもうわかってるんです。でもあくまで白を切るなら誤魔化されてあげます」

 本当に苛ついただけなのだが。

 思いながらロカは、うふふと笑いかけてくるニアンの様子に笑みを誘われた。誤解だと訂正してもいつも信じてくれないのであきらめる。

「カーナがヘリングを好きだったとは知らなかった」

「そうなんですか?」

「以前男がいたんだ。でもさっきの様子からすると、前からヘリングのことが好きだったみたいだな」

「彼氏ができてもヘリングさんと比べてしまったそうです」

「ヘリング相手じゃどんな男も見劣りする」

「確かにヘリングさんは素敵ですけどロカが一番です」

 すかさず言われてロカは驚きのこもった目をニアンに向けた。

「なんですか?疑っています?」

 この様子では本気で言っているのか。

 ロカはニアンの腰に腕を回して彼女を抱き寄せた。頭に顔を寄せ髪にキスをする。

「ニアンの中で俺はずいぶんと高評価だな」

「ロカが自分のことをわかってなさすぎるんです」

 いつもなら抱き寄せれば赤くなるのに、今日は頬を挟んで瞳を覗き込まれた。

「きっとロカは誰かの手助けしたり背中を押したりって、大したことじゃないって思ってるでしょう。でもそれがきっかけで救われたり幸せになったりした人からすれば、ロカの行いはとても大きなことなんです。あなたはあなたが思ってる以上に人から感謝されているんですよ。だからもっと――」

 話していたはずのニアンが、しかしこっちを見つめたまま黙り込んだ。

「?もっと?」

 尋ね返すと彼女の指がロカの頬を撫でた。

「ニアン?」

 唇を結んだままの彼女の額が肩に押し付けられる。そうしてやっと声がした。

「どうすればロカにあなたのことを伝えられるでしょう」

「俺に俺のことを?どういう意味だ」

「わたしが知ってるロカを言葉で伝えても、あなたはどこか他人のことのように聞いているから。ロカがどれだけ素敵な人なのか伝えられない、この乏しい語彙力が呪わしいです」

 ニアンがロカに腕を回してぎゅっと抱き着いてきた。いつもより強い力にロカは肩にある彼女の頭に自身の頭を傾ける。

「身動きが取れない。ニアン?」

「ほら、あなたのことでこんなにももどかしいと言っているのに、いつもそうやって話を流してしまう。もしわたしが他のことで悩んでいたら、ロカはちゃんと話を聞いてくれます。こんなふうにロカが自分のことをないがしろにしているから、心を傷つけていることに気づかない。自分のことにどんどん鈍感になっていくんです」

「何の話だ?」

「だからロカが自分のことをわかってなさすぎるって話です。ちょっとくらいわたしの言うことを信じて、自分のことを素敵な人だって思ってください」

 聞こえる声がどこかむくれているようで、ふ、とロカに笑いがにじんだ。 

 ニアンの頭に手をやり柔らかな髪に指を絡ませる。

「今日はまた熱烈な告白だな」

「え?告白!?」

 ニアンが勢いよく顔を上げた。

「俺をヘリングよりもいい男だと言ってくれたんだろ?それに俺の良さを伝える語彙力が欲しいと」

「それは、違……くて、……じゃなくて違わないけど、あの、ロカがもっと自分を評価してほしいってそういう意味で。……告白……告白?そんなふうに聞こえる……?えぇ?」

 顔が熱いのかニアンが両手で頬を押さえた。

「ほらニアンだって俺が喜んでるのをわかっていない」

「喜んでるの!?」

「ニアンがいまみたいに無意識に俺に告白してくるたびいつも」

「え、全然わからない。っていうか無意識に告白なんて……」

 そこで言葉を途切れさせたニアンが、慌てたように声を上げた。

「いつもって!?――え?わたしそんなにロカヘの気持ちがダダ洩れ……?えぇ?」

 頬を押さえていた手が顔全体を覆った。

「恥ずかしい」

「俺は嬉しい」

「嬉しいなら嬉しいって顔をして。ロカは表情に出ないからズルイ」

 ロカを押して逃げようとする彼女を抱きしめなおし、おとなしくなったところで顔を隠す手を開いた。

 目を合わせてくれない彼女に笑いながら、唇にキスを落とす。

「そのぶんこうやってて伝えている」

「ロカが最近キス魔なのは愛情表現から?」

「他に何が?」

 尋ね返すとさらに恥ずかしそうな様子になって首を振った。

「いい――気にしないで」

 その様子にロカはああ、と察する。

「抱きたいのは当然だぞ」

 ぱく、とニアンがあえぐように唇を動かした。が、声は出ていない。

「でも場所がない。宿を借りて外泊すれば周りにばれるしそれは嫌だろう?ただ正直、どこまで我慢できるかわからん」

 こつんとロカはニアンと額を合わせる。鼻先を彼女のそれに触れ間近にある瞳を見つめた。

「この家が早く住めるようになればいいのにと、最近そればかりを願っているんだ」

「いまそれを言えばいやらしいことをしたいからって言ってるようなものです」

「そう言ってる。――言葉遣い、いつものに戻ったな。動揺がおさまったか?俺に敬語なんて使わなくていいぞ」

「あ、驚いて……あまり意識してなかったです。やっぱり敬語、嫌ですか?」

「もう慣れた。ニアンが話しやすいように話せれば俺はどっちでもいい」

「はい」

 笑いあって一度キスを交わす。それから二人で窓の桟に腰を預けて夜空を見上げた。

 静かな時間の流れのなかニアンの声が優しく響く。

「初出勤はどうでしたか?」

「暇だった」

「何も起こらなかったのはいいことじゃないですか」

 くすくすとニアンが笑う。

「そうだ。夫人からおまえにともらったものが」

 もらったというより押し付けられたのだが。

 ロカはポケットを探ると、端切れを合わせて作った、クマとウサギの小さな人形を差し出した。無理やりポケットに押し込んでいたため少しおかしな向きに顔が歪んでいた。

「副ロスロイ長様の奥様の手作りですか?可愛いです」

「趣味なんだそうだ。娘の人形やなんかをすべて手作りしている」

「お裁縫が得意なんですね。顔の可愛さが絶妙です」

 そんなものか?

 ロカには顔がどうと言われてもよくわからない。

 クマとウサギの顔を見比べて喜ぶニアンは二人の間に人形を並べた。

「そういえばニアン、ヘリングに聞いたがカルミナに誘われた夜会に参加するのか?」

 人形の頭をつついていたニアンが、あ、と顔を上げた。

「カーナが参加したいみたいで断れなくて――ごめんなさい」

「いや、ヘリングに聞いたときに状況はだいたい想像がついた。俺も参加する」

「いいんですか?」

「とはいえ仕事があるから俺は遅れて参加となるだろうが」

「それはいいんです。ロカと夜会なんて夢みたいです」

 ニアンは伯爵令嬢であったために夜会に参加したことはあるだろう。だからこれは二人で参加できることを喜んでくれているのだ。

 気づいたロカはつられて笑みを浮かべていた。

「悪いが俺は踊れないぞ」

 ニアンが返事をする前に、

「簡単なステップなら俺が教えてやろう。というか仕事は早めに切り上げさせてもらえばいいだろう。パートナーを一人にするのか?」

 と割り込む声があった。

 姿を見せたのはヘリングだった。隣にはカーナもいる。彼女の顔はとても幸せそうで、家族としてこの家で暮らしたことのあるロカでも初めて見るものだった。

 おそらくヘリングだから引き出せるのだろう。

 ロカの視線に気が付いたらしいカーナが口を開いた。

「ロカ、ありがとう」

「なにがだ」

「ヘリングとのこと。わたしの片思いを終わらせられたのはロカのおかげよ」

「ライとルスティには二人から話してくれ。さすがにそこまでは面倒みきない」

「それを今から伝えに行くところだ」

「ヘリングなら父さんも兄さんも祝福してくれるわ」

 ヘリングとカーナは顔を見合わせ微笑みあう。

「ニアン、夜会に着ていくドレスを明日見に行きましょ」

「え?あ――」

 カーナは上機嫌でニアンに手を振ってヘリングとともに洗濯室へ去っていった。

「ロカ、あの……ドレスは買いませんからね。大都でトゥーランさんが選んでくれたのがありますから」

「ん?ああタヌキに会うときに着ていたやつか」

 すっかり失念していたけれど、ロカもニアン同様、大都庁へ出向く際に来ていた服があった。トゥーランがニアンのドレスに合わせて選んだもので、おまえも一着くらいはちゃんとした服を持っていろと無理やり買わされたのだった。

 上流階級の者が着るものとは比べるべくもないが、あれで格好はつくだろう。

「はい。これから無駄遣いはしないように心がけますし、今はロカに出してもらってますが、トムさんのところで働けるようになったら自分で……もちろん、これまでに出してもらった分は少しずつでもお返しします」

「いい。もうおまえにはダイヤを貰った。あれがあったからこの家を買えたし、修繕費まで賄えている。当面の暮らしも何とかなるのはニアンのおかげだ」

「お役に立てたのですか」

「ああ。充分すぎるくらいに。それに俺も仕事が見つかった。そう贅沢はできないが、問題なく暮らしていける」

 ほっとニアンが安堵したのが分かった。家を買ったことで金がないと思われていたらしい。

「あのドレスは地味じゃないか?もっと華やかなものを選んだら――」

「いいんです。上品で気に入っていますから。それにベールをかぶらないで髪飾りを挿せば華やぎます。明日、カーナとのお買い物で選んできますね。当日はおいしいものをたくさん食べましょう」

「うまいもの?」

「カルミナさんがおっしゃってました。夜会の前にごちそうをふるまってくださるそうです。そのあと踊りたければ踊ればいいってことらしいです」

 なんだ、やはり金持ちによる庶民への施しか。

 踊りたければとわざわざ言うのはつまり、本当は踊るなということだ。その真意を読み取れずダンスフロアに足を踏み入れたなら、どれほどの辱めをうけるか。

 だが庶民への人気取りに使うならこの方法はうまいのかもしれない。わかりやすい慈善事業は庶民が受け身であるのに対し、これなら参加を決めるのはこちら側で、もしかすると貴族とつながりを持てるかもと夢を与える。

 カーナがそうだったように上流階級ハイクラスに憧れを抱いている者は多いのだ。実際は隔たりはあれど、近い場所にいることで、その日だけは自分も少しハイクラスの人間になれた気がする。

 そんな心理をうまくついているように思えた。

「うまいものは俺も食べたいな」

「じゃあヘリングさんが言ったように、お仕事は早めに終わらせてもらわないといけませんね」

 本当、ロカは食いしん坊です、とニアンが可笑しそうに笑う。その笑顔に誘われてロカも笑った。

 夜会参加のためブルーにその日は早めに仕事を切り上げたいと相談してみよう。




 しかしロカの願いは聞き入れられなかった。

 なぜならブルーもクロエとともに同じ夜会へ参加することになったからだ。ブルーを誘ったのは政敵であるハーリヤ・ノシュ。ただし彼が夜会の主催者ではない。

 ハーリヤの知人がそれで、是非にとブルーを誘っているということらしかった。

 ハーリヤはブルーと並んで次のロスロイ長の有力候補者だ。立場は助役。

 戦後廃れつつある役職ではあるが副町長と同等の位置にあるので、副町長のブルーが助役のハーリヤの誘いを断れるはずもなかった。

 そして夜会までの間に起ったのはもう一つ。クロエとミカをさらおうとした賊の生き残りが、牢獄で殺された。賊は取り調べでは何一つ口を割らずにいたというのに、万が一に備えて口を封じられたのは明らかだった。

 そんな中でのハーリヤからの急な誘いに、ブルーが警戒するのは当たり前のこと。そのため従者を装いロカとアルメが護衛としてついていくことになったのだ。

 夜会不参加となることをニアンに伝えれば、彼女は当日どこかでまみえるかもしれないと、その時は少しだけでもご一緒できればと軽い口調で言ってきた。

 微笑みを浮かべていたはずが、最後にふと見せた表情が悲しげであった。

 楽しみにしていただろうニアンをがっかりさせたことに心残りを覚えながら、ロカは夜会の日を迎えた。





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