7:3
ばあやとクロエたちが呼ぶメイドのアルルだった。
「奥様、ダフニス様がいらっしゃいました」
クロエの様子が変わった。にこやかだった顔から笑みが消えてロカへ言った。
「壁際に座っていてもらえるかしら。剣は椅子の背に隠すようにしてね」
クロエの言葉に反応して、ダイナがテーブルに並ぶ椅子の一つを壁に運ぶ。
「ロカはここです」
ダイナが示すそこへ、ロカは壁に立てかけてあった剣を手に移動して腰を下ろした。ダイナはテーブルについて勉強を始める。
クロエがソファに座って作りかけの人形を手にするとアルルに頷いた。
「お通しして」
アルルが消えてすぐに廊下から足音が聞こえた。
扉が開いてダフニスが姿を現した。昨日と同じで髪をきっちりと7:3に分けて、黒の上着と揃えのズボンに身を包んでいる。もちろんタイもしっかりとしめていて、磨き上げられた靴で室内に入ってくると、ロカに気が付いてあからさまに顔を顰めた。
「昨日はもったいをつけて護衛はしないようなことを言っておきながら……結局はこの家に上がり込んだのか。傭兵なんてものはごろつきと大差ない。おまえは身の程をわきまえてその椅子から動くな。それに剣なんてもの、ねえさんやミカの目に触れさせるんじゃない。もっと隠せ、護衛」
なるほど先にクロエに言われた椅子に座れだの剣を隠せだのは、すべてダフニスのせいらしい。
ロカは相手にしないことを決めて剣をダフニスから見えない位置に動かした。
フンと尊大に鼻を鳴らしてダフニスはクロエに歩み寄る。
「ねえさん、昨日は大変だったそうだね。賊が馬小屋に火を放ってねえさんたちを攫おうとしたって……怪我は?」
「え、ええ、なんともないわ」
「ミカは?ここにはいないが」
「ああ、あの子は遊び疲れて眠ってしまったの。部屋に寝かせているわ。それよりうちのこと、どうして知っているの?」
「ああ、懇意にしている警備人がわざわざ教えてくれてね。急いで駆け付けたんだ。ねえさん、しばらくにいさんの元を離れたほうがいい。にいさんが次のロスロイ長候補でいる限り、ねえさんには危険がついてまわる」
「それ、どういう意味?」
「どうって、ねえさんわからないのかい?前にミカが狙われたのも、今回ねえさんたちが狙われたのも誰かがにいさんをロスロイ長に立てないためにやってるんだ。脅しの材料に使う気だ。だからねえさん、わたしのところへ――」
ガタと大きな音がして勉強していたはずのダイナが立ち上がった。ダフニスを見つめる顔が怒りに満ちている。
「どうしてそれをおじさんが言うんですか」
「?なんだ、ダイナ?言うってなにを――」
「僕たちに危険が迫ってるって、それは父上から聞くことなんだ。おじさんが言うことじゃないっ」
「ああ、なんだ、今の話か。おまえの父が事実を言わないのは、呑気に構えているからだ。いやもしかすると危機が迫っていることもわかっていないのかもしれん。それを知らせてやったんだ。うちに移ってくればいいとも言っているのに、感謝こそすれ怒るとは何事だ、ダイナ」
ブルーを嘲笑するダフニスの顔は優越感に浸っていて、醜く歪んで見えた。
「父上は僕たちに心配をかけたくなくて黙っているだけだ。それをおじさんが簡単に言っていいはずがない」
「何を馬鹿な。危険が迫っていて隠すのは愚かだ。何かあってからでは遅い。すぐに安全な所へ避難させるのが当然のことだ」
「僕たちを守るために父上はロカを護衛として雇いました」
「たかが傭兵。騎士の足元にも及ばないならず者だ」
「昨日、僕たちを助けてくれたのはロカですっ」
ダイナの感情的な声が室内に響く。ダフニスがダイナの台詞に驚きの表情を見せ、そしてすぐに訝るようにロカを見つめた。
「おまえが二人を?」
しかしロカは一度視線を向けただけで返事もせずすぐに目をそらした。ロカの態度が癇に障ったのかダフニスが声を荒らげた。
「なんだその態度は。たかが使用人風情が何様だ」
「言われた通り、身の程ってもんをわきまえておとなしくしているだけだ」
「質問には答えろ。そのくらい頭も働かないのか!」
「じゃあまあ、「そうだ」とだけ」
いちいち相手にするのもうっとうしい。ロカは軽く吐息をもらすと腕を組んだ。それがまたダフニスのお気に召さなかったようだ。
「口の利き方を改めろ、生意気な」と文句を言い始めるのを無視して、ロカは立ち上がったままのダイナを見た。視線にダイナが気付いたのを確かめて目で椅子を示すと、彼は苦虫を噛みつぶしたような顔をして腰をおろす。
「おい、聞いているのか!」
ダフニスが存在を誇示するようにロカの目の前に立ちはだかった。
「たかだか二人の賊を倒したからといい気になるなよ。おまえのような卑しい傭兵は、本来ならわたしたちと口もきけないと――」
「いい気になっているのはあなたよ、ダフニス」
クロエの冷たい声音がぴしゃりとダフニスの言葉を遮った。
ぎょっとダフニスがクロエを見つめる。